『裏天使 〜さんかくとしかく〜』
違和感8 裏天使
朝陽が昇るほんの少し前、東の空が白け始めた頃に理香は目を覚ました。
隣のベッドを見れば、月白はまだすやすやと眠っている。
もう一度あの部屋にいきたい。春奈との立場が逆転していたあの部屋。宇宙生物を食べても、老人を食べてもあの部屋の情報は出てこなかった。
「ねえ、月白ちゃん……?」
「ふぇ…………?」
寝ている月白を揺り起こして聞いてみた。
「私ね、どっかの部屋で春奈と会ったんだけど、どの部屋か知らない?」
「はえぇ……? なにぃ…………? 知らないよぉ………?」
「寝ぼけてないで教えて。月白ちゃん、知らないの?」
「知らないよぉ……。はぇぇ……こんなじかんにおこさないでよぉ……!」
月白はシーツを顔まで被って眠ってしまった。知らないらしい。
理香はまたあの廊下にきていた。
白い部屋に行こう。創ったまま放ったらかしにしている少女は寂しがっているだろう。
用事はそれだけではない。
芹沢を創造する。いつまでも理香の記憶の中に留めておくのは忍びない。早く白い世界に創造してあげたかった。
いつかは春奈も創造し、月白もこの世界に呼びたい。他にも理香が今まで会った事のある人達も創造したり、あるいは生きているなら招きたい。そして理香達が住むのに相応しい世界を用意する。
「……? あれ?」
どうして春奈は創造できないのだろう。理香に春奈を創造できないのは仕方ない。月白なら創造できるはずだ。
春奈。
理香は春奈がどういう存在だったかを思い出そうとした。理香の知識だけではなく、芹沢やその他の今まで食べた者達の知識も総動員して春奈という存在を思い出そうとした。
芹沢の知っていた春奈は、理香が現実世界で見聞きした春奈と大差ない。芹沢と春奈が、理香に内緒で誕生日を祝おうと準備していた芹沢の記憶が脳裏に過ぎり、理香はまた泣いた。
最近はよく泣く。理香が泣くと月白はよく抱き締めてくれて、理香を安心させてくれる。芹沢も月白も優しい。
思えば春奈とは理香もあまり縁がなかった。
いつも理香は芹沢と春奈と三人でいた気がしたが、そうだったのだろうか。よく考えて見ると、楽しかったのは理香と芹沢だけで、春奈は一歩引いていたのかもしれない。
そう考えてまた悲しくなった。
「ただいま」
白い部屋に入ると、待たせていた少女が理香に抱き付いてきた。少女の頭を撫でていると、ここがマイホームのようにも思えてくる。
「なんか落ちつくもん…………」
そうだ。
ここが理香の部屋だからだ。
「おじいちゃんが私が落ちつくように部屋を創ってくれていたのかな………」
芹沢を創造しよう。
理香は目の前に芹沢を創ろうとした。
芹沢の身体がなにで構成されていたかは理解できている。食べたのだ。理香の中には芹沢が丸ごと入っているのだ。
それを再現するだけで創造できるのだ。
「…………」
なのに創造できなかった。
「なんで……!」
芹沢が創れない。
芹沢みたいなものなら創れた。
けれどどこかが違うのだ。理香が創造しようとしていた芹沢はどこか違う。創っている途中で分かる。なにかが違うのだ。
(うぅ〜……!)
約束したのだ。
絶対に芹沢を創ると約束したのだ。だから芹沢は理香に食べられる事を了承してくれたのだ。
なにかが足りないのだろうか。なにか食べ残したのだろうか。いや、そんなことはない。服まで残さずに食べた。
つまりあの場にはなかった芹沢の欠片がまだ何処かにあるのだろうか。
分からない。
月白の元に帰ろう。
気付いた時、理香はあの古びた小屋の中にいた。
春奈との立場が逆転していた部屋だ。
あれだけ探しても部屋の場所すらも分からなかったのに、理香はいつのまにかここに来ていた。
芹沢がいた。
老人もいた。それだけではない。
(…なんなの、この部屋……………?)
この部屋には多くの者がいる。人や宇宙生物だけではなく、植物や動物、無機質な物まで、たくさんのものが部屋の中に詰め込まれていた。
「芹沢くん……! おじいちゃん……!」
呼びかけても返事は来ない。黙って理香を見返しているだけだ。
(…なにこれ……)
前に来た時はもっと狭い部屋で春奈しかいなかった。
いや違う。いなかったのではない。気付かなかったのだ。部屋の見方を知らなかったのだ。前に来た時は、まだここが建物の中の一室だという認識もなかったのだ。
この部屋は多くのABCで溢れている。理香が今まで感じた事もない程強いABCで満ち溢れている。
芹沢がいる。これが理香が食べ損ねた芹沢の欠片なのだ。
老人の方はよく分からない。老人の断片なのだろうが、理香は老人の本体も食べていないのだからよくは分からない。
理香はまず、すぐ隣にいた宇宙生物で実験する事にした。理香は黙って拳を振り下ろした。ヒビが入りパカっと割れた。
「…………」
芹沢は理香の行動をじっとみている。なにか言いたそうだ。
けれど、理香は構わず宇宙生物の死骸を食べた。
なるほど。
食して解った。これは魂だ。つまりここは魂の集う部屋なのだ。理香が今食して得た情報は大した大きさじゃない。が、ただ食した物を完全に精製するにはなくてはならない素材であるのは間違いない。
理香は自分の腹の具合を考えた。
こんな部屋には次いつ来れるか分からない。
芹沢を含め、ここにいる全員の魂は頂いて帰ろう。月白の言っていた、建物中のABCとはこれも含んでいるのだろう。
理香は全員の魂を食べて帰る事にした。
なにをやっているのだろう? と、理香は自分の行為に疑問を持った。
どうして他人の魂を食べているのだろう。
この部屋は死者の魂の通過点だ。
魂たちはこれから大きなものに混ざり、一つになり、そしてまた新しい命として生まれる筈だったのだ。
なにをやっているのだろう。
理香は芹沢に生まれ変わる事すら否定させてしまった。
胸が痛い。
春奈はもうここにはいない。
大きなものに混ざってしまったのだろう。
理香が二回目にこの部屋に呼ばれたのは春奈が死んだ時間と被る。春奈に呼ばれたのだろうか。春奈は理香を恨んで死んでいったのだろうか。
だとしたら一回目、学校の授業中に眠った時はどうしてこの部屋に紛れ込んだのだろう。
この部屋が分からない。
知らずに来て、これが三度目だがどうしてこの部屋に来てしまったのか。
普通に考えてみる事にした。
理香はこの部屋の場所を知らない。脳の奥底で知っているという事もない。昨日自分の精神の奥底まで覗いたのだ。理香はこの部屋の事は全く知らない。
理香の意志はおろか、無意識で来たという事もありえない。
他の可能性。
偶然迷い込んだか、あるいは第三者に呼ばれたか。
偶然と考えても全てのつじつまは合う。が、偶然と考えれば、どんな事でもつじつまはあってしまう。この場合、その考えは捨てる事にした。
ならば第三者が理香をここに呼び出した。それが一番妥当な考えだ。
大きな力が動いている。
宇宙生物などではない。月白でもない。もちろん芹沢でも春奈でも老人でもない。
そんなものではない。
この建物内に理香の知らない意志がある。誰も知らない大きな意志がある。
世界を創ったものがいる。
どこだろう。
どこにいるのだろう。
宇宙生物に滅ぼされた地球帝国。
地球帝国の天使と裏天使、人間。
胸の中で消化されていく魂が悲痛な叫びをあげているかに聞こえる。
痛々しい。
芹沢の魂の構成は理解できた。
まったく同じものは創造できる。けど虚しい気持ちさえもあった。結局は複製なのだ。芹沢の魂は理香の胃の中で消化されているのだ。
芹沢は理香の行為を否定していない。理香のやるたいようにやらせてくれた。けど、それがかえって理香の胸には痛々しく響くのだ。
春奈はどこにいったのだろう。
この部屋のもっと奥に進んでしまったのだろうか。
(ぁぁ……)
やっと理香にもここがどこだか分かった。
ここは現実世界の一部だ。あの綺麗な夕陽の中なのだ。
他の部屋との間を移動し現実世界に戻る時、ここに引っ掛かっていたのだ。
何故それが分かったのか。
あの夕方。
芹沢を食べた夕方。
一緒にこの夕陽を見たのだ。忘れはしない。
ここは夕陽の中だ。
死者の魂は夕日を超えて次の世界に旅立つのだ。
それでは何故始めてこの部屋に来た時から春奈の魂がここにあったのか。
春奈も部屋を自在に移動できたとしか思えない。
春奈も知っていたのだ、この世界の仕組みを。
けれど脳内での理解は不可能だったのだ。月白の裏天使の情報に春奈は耐えられなかった。
天使・裏天使・宇宙生物・ABCなど
を春奈は理解できなかった。だから心の底、魂の底に残っていた深淵的な欲求だけがこの部屋で理香と対面した時に現れていたのだ。それが二回目の時。
一回目も理香は欲求だけで春奈を犯した。深淵的な欲求だ。それは世界を理解できていなかったからだ。
春奈は理香を恨んでいたのか。
それはもう分からない。
魂まで食べなければ分からない。芹沢のように。
けど、そんなことはもうしたくない。
理香の胸の中でたくさんの魂が囁いている。痛い、辛い、早く生まれ変わりたい、と。
創造する力なんて幻だ。
あの白い部屋でなにかを創ってもそれは所詮複製品だ。
誰かの願望にすぎない。理香の取る行為、理香以外の全ての者達の取る行為も。月白もそう。
月白の言っていたこの世界の全てのABC。
それは真の意味での全てを差す。
たくさんの違和感のあったこの世界。
矛盾点だらけで滅裂なこの世界。
今までそんな世界に疑問を持っていなかった。
それさえも違和感を感じる。
薬、老人、月白、命、世界の仕組み、部屋、友人。
そして裏天使。
全部に違和感を覚えていた。
釈然としないなにかで胸の中がいっぱいだった。
裏天使の意味が少しは分かった気がする。
この世界に神様がいるのなら、裏天使の行為は全てそれに反逆する行為だ。
地球帝国が宇宙生物と戦った時も、裏天使はそんな目前の敵よりも、もっと大局的ななにかを見ていた。
宇宙生物など所詮ただのきっかけに過ぎない。
この建物はもっと違う、他の目的で建てられている。
扉があった。
ここが夕陽の更なる深淵へと通じる扉なのだろう。
理香は扉を開けた。
気が狂いそうだった。
もう訳が分からない。
この世界はよく分からない。不安定だ。世界が不安定であると同時に理香は自身の存在にも疑問を感じていた。
理香は裏天使だ。
月白に全てのABCを持ち帰る事を約束した。
そして理香も全てを知りたかった。
全てを知れば、より理想に近い世界を創造できるはずなのだ。