『裏天使 〜さんかくとしかく〜』

 違和感5 せかいのしくみ


 

 

 理香が目を覚ましたのは現実世界だった。

「りかちゃん、おはよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆」

 月白の甲高い声で理香は夢の世界から引き戻された。この現実世界では月白が一番偉いのだ。

「うん、おはよ……」

「あはは〜、りかちゃん、まだ寝ぼけてる〜」

 理香は周りのベッドを見渡した。

 芹沢が眠っていた。顔色も良いし、呼吸も安定している。服は血で染まったままだったが、傷口も塞がっているようだった。

 春奈のベッドには誰もいなかった。

「春奈は?」

 どうなったか分かってるのに、理香は聞かずにはいられなかった。聞かないといけない。これは理香が選択した事なのだ。

「春奈はどうなったの……?」

「死んじゃった」

 死んだ。

 理香の友人だった春奈は、理香が眠っている間に死んだのだ。

「春奈の………した………遺体はどうしたの……?」

 思わず“死体”などと言いかけて、慌てて理香は言いなおした。

 死体。

 そんな言葉で春奈を表現したくなかった。

 多くの死体を見すぎたせいかもしれない。裏天使になってしまったからかもしれない。死に関して、理香は疎くなっている。春奈が死んだ事さえも、素直に受け止めてしまっている。

 心の中でまた春奈に謝った。

 悲しみよりも、胸には罪悪感ばかりが募っていく。また、悲しめない事も新たな罪悪感を生む。

「はるなちゃんは、もう、りかちゃんの知らない所に運んでおいたよ〜」

「なんで……?」

「死んでるもん。置きっぱなし、ってわけにはいかないもん〜。それに〜」

 月白はちらっと芹沢の寝顔を見て続けた。

「せりざわくんには内緒にしといたほうがいいと思ったんだもん、はるなちゃんのことは」

「それは……」

 迷った。

 芹沢には秘密にしておくべきなのだろうか? 春奈の命を犠牲に助かったと知れば、芹沢は傷つくだろう。

 迷いの原因はそれだけではなかった。

 理香は芹沢に、二人の命を天秤に掛けた事を知られたくなかった。

 卑怯なのは分かっている。

 けど、友人二人の命を天秤に掛け、片方を切り捨てたなどとは知られたくなかった。

「ね、黙ってたほうがいいでしょ〜?」

「うん……」

 涙が頬を伝っていた。

 昨日から泣きっぱなしだ。

 春奈が死んだ事が悲しかった。

 それから、自分が嫌いになってきた。

 自己嫌悪。罪悪感。悲しみ。たくさんの負の感情が理香の胸の中に重く溜まっていく。

「りかちゃんはホントに泣き虫だよね……」

「ふぇ……?」

 月白が理香を優しく抱き締めてくれていた。

 優しく、柔らかく、理香の身体を月白が抱き締めてくれていた。

 身体を抱き締められるというのは不思議な感覚だった。温かくて、胸の中に少しの安心が流れてくる。

 安心すると、また目頭が熱くなって涙が溢れてくる。

「せりざわくんの気持ち、ちょっとわかる気がする………。りかちゃんって、すごく痛がり屋さんで、泣き虫なの。だから守ってあげたくなる」

「はぅ……」

「だいじょ〜ぶだよ、りかちゃん………。私もせりざわくんも、りかちゃんが好きなの……。りかちゃんを守ってあげる。絶対に幸せにしてあげる。あんまり自分を責めちゃだめ……。りかちゃんの選択したことに間違いなんてないんだから。なにが正しいかなんて誰にも決められない。りかちゃんは辛い選択を迫られたけど、でも、誰もりかちゃんの選んだ事を責める権利なんてないもん。もう少し楽になって………。そうじゃないと、理香ちゃん、悲しみが大きくなりすぎて、身体が破裂しちゃう」

「でも、春奈は私を許してくれない………ぁ………」

 月白にぎゅっと抱き締められた。

 抱き締められたところが、心地良い痺れを帯びてくる。温かくて、抱き締められているだけで、月白の中に溶け込みそうな安らぎが生まれてくる。

「月白ちゃん……」

「だいじょ〜ぶだよ、りかちゃん♪」

「うん……」

 月白の事が好きになれそうだった。

 

 

 理香と月白が見守る中、芹沢がうっすらと目を開けた。

「……ここは…?」

「芹沢くん、大丈夫……?」

 芹沢は上半身を起こし、辺りを伺って、少しなにか考えていたようだが、しばらくして口を開いた。

「僕は助かったのか?」

「うん………」

「助かってよかったね〜、せりざわくん〜」

 芹沢は自分の腹に手を当てて言った。

「もう助からないと思ったよ。ありがとう、理香ちゃん、月白ちゃん」

「うん、よかった……」

「あはは☆ せりざわくん、頭までやられてたもんね〜♪ 頭だいじょ〜ぶ?」

「ははは、大丈夫だよ」

 芹沢は笑いながら部屋の中を見まわして、そして首を傾げた。

「おや? 春奈はどうしたんだい?」

 理香の背筋に冷たい汗が走った。これから嘘をつかなければならないのだ。

「…今、出掛けてるよ……」

「出掛けた? 一人で? 外は危ないんじゃないのか?」

「大丈夫だよ……春奈もABCがあるから…………」

 そう言った理香は心臓が跳び上がりそうになった。

 春奈の寝ていたベッドに鞄が置きっぱなしだった。ABCの鞄だ。

「なにしに、どこに出掛けたんだい?」

「え、えっと………他にも生き残ってる人はいないかな?………って。ほら、私達みたいに上手くABCな場所に避難している人がいるかもしれないから」

「ああ、なるほどね」

 理香は月白に目で『鞄を隠して』と合図を送ったが、月白は首を傾げている。

「なぁに、りかちゃん? どうしたの、へんな顔して?」

 駄目だ、伝わっていない。

「ん? どうしたんだい、理香ちゃん?」

「ううん、別に………」

 理香は努めて落ちつき、動揺を悟られまいとした。

「ねえねえ〜? おなかすいたぁ……。ごはんにしようよぉ?」

「そうだな。昨日は結局なにも食べてないな。理香ちゃんもおなかすいてる?」

「あ、うん。すいてるっ。すきまくってるっっ」

「それじゃぁ、朝ご飯にしよう〜☆」

「ははは。理香ちゃんの好きなハンバーグにでもしようか? あ、昨日、僕が倒れた後、食べ物とかはちゃんと持って帰ってきたの?」

「うん、だいじょ〜ぶだよ、せりざわくん。そういうのは抜かりないからだいじょ〜ぶ」

 ベッドから離れる二人を見送り、理香は春奈の鞄を窓から投げ捨てた。

 投げ捨てる時、鞄からぽろっとアクセサリが転がり落ちた。二ヵ月程前、春奈と二人で遊びにいった時にペアで買ったアクセサリだ。

 理香はまた泣きながら、そのアクセサリをポケットに入れておいた。

 ポケットには理香のアクセサリも入っている。二つのアクセサリがポケットの中でぶつかり、こつんと音を立てるのを聞くと涙が止まらなかった。

 春奈は死んだ。

 

 

「ガス焜炉もらってきてよかったね〜☆」

 カセットボンベ式のガス焜炉に火をつけ、同様に調達してきたフライパンを熱し、月白はにこにことハンバーグを焼いていた。

 狭い医務室内に肉の焼ける匂いが充満する。

 食指をそそられる匂いに理香の胃がぐーっと低くなった。昨日はなにも食べずに寝たのだ。おなかもすく。口の中に唾液が溜まってるのを感じ、理香はまた自分が嫌になった。

 友人の死を悲しんでいるのに、それなのに食欲は働く。自分がとても卑しい生き物に見えた。

「ほら、月白ちゃん。気をつけないと。焦げるよ?」

「あ、うん☆」

 芹沢と月白のやり取りを聞き、理香はフライパンの中を見た。

 月白が一生懸命、箸でハンバーグをひっくり返そうとしているが、なかなか上手くいかない。

「ふにゅぅ〜。わたし、こういうのニガテなのぉ……」

「私がやる……かして、月白ちゃん?」

「うん、おねがい〜」

 月白からフライパンと箸を受け取り、理香はハンバーグをひっくり返した。そして裏面もじっくりと焼く。表面はやや焦げていたが食べられない事もなさそうだ。

 なにもしないのでいるのは辛いかった。鬱病になりそうだった。

 今は調理でもいい。なにかしたかった。

 

 

 三人で食べる朝食。

 部屋に常備されてあった机をテーブル代わりに皆で囲み、談笑しながら朝ごはんを食べた。

 こんな時でもハンバーグはおいしかった。

 ほんの少しだけど安らぎを感じていた。

 

 

 朝食を終え、理香はベッドに寝転がりながら色々と考えてみた。

 月白からある程度の情報は与えられた。けど、たくさんの疑問も残っている。

 

 理香には月白が何者なのかも分からない。何故、彼女は多くを知っているのか。

 どうして彼女は昨日、芹沢が傷を負った時、助けにでてくれなかったのか。

 月白は理香になにを求めているのか。宇宙生物と戦う兵隊か。

 

 思いつくのは月白への疑問ばかりだ。

 一昨日、彼女に質問した事を思い出した。

 

 月白ちゃん、あなたは誰なの……?

 

 あはは☆ わかるでしょぉ、りかちゃん。わたしは月白。りかちゃんの友達の月白。それからね……てんしのひとをうらてんしにひきこむヒトなの

 

 

 理香は半分彼女が信用できていない。

 けど、半分は信用したい気持ちでいっぱいだった。月白は理香には優しい。芹沢にも優しい。見知らぬ人間数億と引き換えにしてでも、理香達の命を庇ってくれる。悪魔のように優しい。

 

 ガタガタガタ……。

 理香はあの音を思い浮かべた。

 白い部屋の音だ。

 いつもは不意に呼び出される。けど、今日は理香自身の足であの部屋に向かおうと思った。

 どうやっていけるかなんて分からない。まずはいつものように寝る事から始めた。寝ている間に道が開けるのかもしれない。

 ガタガタガタ……。

 理香はその音を丹念に何度も頭の中に響かせ、意識を夢の中へと落としていった。

 

 

 ガタガタガタ……。

 理香はあの白い部屋に立っていた。

 自分の意志でこの部屋に来れたのだ。

 ここは月白と敵対する老人の部屋だ。今は誰もいない。

 老人はどうしたのだろうか。どこにいったのだろうか。

 探す事にした。

 宝探しは小学生の頃から得意だったのだ。

 

 

 真っ白の空間の中をどれだけさ迷っていたのだろう。

 どうして、この部屋は真っ白なのだろうという疑問に直面した。

 

 よく考えた。脳内にある情報を総動員して考えてみた。

 

 ガタガタガタという音。

 なにもない真っ白な部屋。

 老人。天使。呼ばれた理香。

 

 更に疑問が沸いた。

 何故この真っ白な世界を、理香は『部屋』と思っていたのか。

 部屋。

 春奈を犯し、また犯されたあの小屋。あれも『部屋』なのだ。

 

 ある仮説が理香の中に浮かんだ。

 ここは部屋なのだ。

 そして、春奈と会ったあの小屋も『部屋』なのだ。宇宙生物と裏天使の戦う現実世界も『部屋』なのかもしれない。

 

 ガタガタガタ……。

 あの音はこの部屋に入るときには聞こえる。

 春奈の小屋に入る時や、現実世界に戻る時は聞こえない。

 なんの音だろう。

 扉を開ける音?

 理香は気付いた。ここが部屋なら出入り口の扉は何処なのだろう。何処かにないのか。

 探す事にした。

 宝探しは小学生の頃から得意だったのだ。

 

 

 上も下も分からないような真っ白の世界を理香はひたすら歩き続けた。

 扉を探して歩き続けた。

 時間の感覚が狂ってくる。そもそも時間がなにであるかを考えてみた。

 変化だと思った。

 三次元の空間が別の姿に連続して変化を続けるための軸。それが時間だと思った。なら、白ばかりで変化のおきないこの世界には時間はないのかもしれない。

 歩き回ったが、理香には扉を見つける事ができなかった。

 

 

 遠くから月白の声が聞こえてくる。

 月白がおはよ〜っと叫んでいる。理香はまた裏天使と宇宙生物の戦う世界に引き戻される。理香は大きな力に引かれるまま身体を預け、目が覚めるのを待った。

「……!」

 理香は目覚める直前に意識を覚醒させた。

 まだ起きていない。

 理香はまだ現実世界に戻っていない。

 ここはあの白い部屋だ。

 理香は今、硬いなにかを掴んでいた。

 ドアノブだ……。

 そうだ。

 現実世界に戻る時は必ずこの扉を通るのだ。目覚める前に意識を覚醒したから、理香はこの扉を見つける事ができたのだ。

 ここが部屋だという仮設を裏付ける一つの要因を手に入れられたのだ。

 この扉の向こうが現実世界なのだろうか?

 それとも廊下かなにかに繋がっているのだろうか。

 理香は恐る恐る扉を開いた。

 廊下だった。

 右を向いても左を向いても果ての見えない廊下が延々と続いている。そして壁際には扉がずらりと並んでいた。この扉の中がそれぞれ世界なのだ。

 理香は今出てきた扉を閉め、もう一度開けてみた。

 ガタガタガタ……。間違いない。扉が壊れかけている。だからこんな音が鳴るのだ。

「……ぁ…」

 理香はなにかを踏んだ。

 柔らかいような硬いような、なんとも形容し難いなにかだ。大きい。

 足下を見た。

 理香の踏んだものはうつ伏せ状態の老人だった。死んでいる。

 少しだけパズルが組み合わさっていく。老人がここで死んでいたから、あの白い部屋には誰もいなかったのだ。老人は死んでいたけど、理香は毎日のようにこの部屋に呼び出されていたから。知らずに道を記憶していたのだ。

 誰が老人を殺したのだろう。それは分からない。

「…………」

 老人の死体を仰向けに転がした。

 顔は苦痛に歪み、怨念に満ちた形相だった。理香はなるべく顔を見ないように努め、老人の衣服の中を漁った。

 なにか手掛かりがあるかもしれない。

 なんでもいい。この世界の謎を解くための鍵はなにかないのだろうか。

 老人の服の中から見覚えのあるものが出てきた。

 あの薬だ。

 理香が以前叩き割った薬だ。

 この薬はなんだったのだろう? 天使になれる薬?

 根本的な疑問にぶつかった。天使とはなんだったのだろう。宇宙生物と戦える者? 宇宙生物とは何だろう?

 老人はこんな世界と世界を結ぶ廊下の上を行き来できたのだ。

 分からない事ばかりだ。

 この薬を理香が今飲めばどうなるのだろう? 今の理香は裏天使だ。どうなるか分からない。

 けど、今は好奇心が勝っていた。

 理香はこの世界全ての真理に直面しているのだ。真理を解き明かせるかもしれないのだ。

 薬は相変わらずおいしそうだった。

 以前は叩き割った薬だけど、今度は蓋を外し中身を飲み干した。

 

 

「……ぁ…」

 頭の中に

      天使、裏天使、宇宙生物、ABCなど

 が入ってくる。

 月白が教えてくれたものとは違う。もっと真理に近いもの。この廊下やたくさんの部屋についての情報だった。

 理香はもう一度振りかえった。さっき出てきた白い部屋の扉だ。

 今、理香はこの部屋の仕組みが理解できる。

 あの真っ白な部屋は老人が望んだ世界だったのだ。部屋の支配者の老人がそのように設定したのだ。

 理香はこの白い部屋の設定変更の方法が理解できた。

 あの薬は老人の力そのものだったのだ。老人は自分が殺される事が分かっていたのかもしれない。あの薬に己の全てを託し、誰かにこの部屋を引き継いで欲しかったのかもしれない。

 何度も理香に接触していた老人。今になってはその意図も分からないが、理香は老人の力を受け継いだ。

 理香は試しに扉に触れ、白い部屋の中の構造を変換させようとした。

 構造を変換させる力はABCだ。今なら分かる。ABCは力なのだ。

 あの現実世界で宇宙生物に対して効果のあったABC,芹沢を助けたABC,月白から流れてきたABC、芹沢の弁当袋や、春奈の鞄のABC。理香自身の中にあるABC。

 そして、大なり小なり全てのものに含まれているABC。

 ABCは世界を構成する力の欠片だ。

 

 理香ちゃん〜、おはよ〜だよー?

 月白が呼んでいる。声の強い力に理香の身体は引き寄せられる。引き寄せられる先は別の扉だ。あの部屋が『現実世界』なのだろう。

 まだ分からない事が多い。分かった事といえば複数の世界がこの廊下で結ばれていた事と、白い部屋の仕組みが分かった事だけだ。それだけだ。

 

 

 今日のところはこれでいい。

 

 

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