『裏天使 〜さんかくとしかく〜』

 違和感4 いのち


 

 

「はーーーい☆ みんな起きて起きてーーー! 朝だよぉ〜〜!」

 耳元に月白のキンキンとした声が響き、理香はぱちりと目を覚ました。

 ここは医務室のベッドの中だ。昨日、一昨日の出来事は夢ではなかった。

 理香は自分の頭が驚く程鮮明になっている事に気付いた。自分でも分かる。今の自分は異常だ。昨日の状況は普通ならもっと取り乱す。なのに取り乱さない。

 自分の異常さがよく分かる。非常に理性的なのだ。

 一昨日のように取り乱さない。取り乱せない。

「ふぁ……」

 そして、頭の中に大量に

      天使、裏天使、宇宙生物、ABCなど

 の情報が、脳の深淵からどんどん湧き上がってくる。今、こうしてる寝起きの最中にも、理香の頭にはどんどん情報がどこからか入って来る。脳に

      天使、裏天使、宇宙生物、ABCなど

 が生まれてくる

 不思議な気分だ。今まで知らなかった事がどんどん理解できる。

 ただ、理香の脳内では、この全ての情報を処理する事はできない。だから不要な情報は削除する事にした。

 

 宇宙生物はABCをやられると死んでしまう

 ABCは天使と裏天使の力

 理香の中にはたくさんのABCがある

 春奈はバッグのABC、芹沢は弁当袋のABCがあの二人のABC

 理香は二人と違い、自身がABC

 

 の情報だけを残し、他は忘れる事にした。不必要な情報が頭の中のゴミ箱に放り込まれ、そしてゴミ箱の中身が削除された。頭がすっきりとした。

「おはよう〜、理香ちゃん〜☆ 朝だよ〜」

「うん、おはよ……」

 そう挨拶し、ベッドから降りると、突然春奈の悲鳴が聞こえた。

「いやあああぁあぁああぁああっぁああぁああ! 頭が………頭がぁ………!」

 春奈は泣きながら頭を掻き毟り、ベッドに蹲っていた。

 理香には分かる。春奈にもさっきの理香のように、脳内に大量の

      天使、裏天使、宇宙生物、ABCなど

 が入ってきているのだ。けど、春奈はそれを処理しきれていないようだ。

 理香はちらっと芹沢の方を見た。ベッドの中で上半身だけ起こしている。顔色が少し青いが、こちらは大丈夫なようだ。上手く処理できたらしい。少し処理落ちしているようだが。

 もう一度春奈を見た。

 頭を掻き毟って、涙を流している春奈はあまり綺麗ではなかった。

 以前、理香は春奈を嫉妬していた事を思い出した。

 みんなの人気者の春奈。綺麗で、男からも女からも人気のあった春奈。

 けど、今の春奈は綺麗ではないし、この部屋にいる他の男の芹沢は理香に好意を寄せている。月白にしても、明らかにどちらかのみに好意を寄せている事もない。

 この医務室内において、理香と春奈の関係は以前とは逆転していた。

 とりあえず春奈を助ける事にした。

「春奈、大丈夫?」

「いやあぁぁああぁああぁああぁあぁ!」

 理香の声などまるで聞こえていない。春奈は泣き喚いている。

 どうするべきか。

 この

      天使、裏天使、宇宙生物、ABCなど

 の送信源は裏天使の導き手、月白から届いているのだ。

「月白ちゃん、春奈への情報の送信を止めて」

「はえ? でも、これは大事な情報なんだよ☆」

「止めて。このままじゃ春奈が壊れちゃうから」

「そう。うーーーん。わかった☆ りかちゃんがそういうならやめるー」

 春奈の悲鳴が止んだ。月白からの送信が止まったのだ。

「大丈夫、春奈?」

 理香はさっきと同じように春奈に声を掛けるが、春奈は汗だくで、ぐったりとベッドに横になって返事もできない様子だった。

 命に別状はなさそうだ。理香は芹沢に振りかえった。

「芹沢くん、大丈夫?」

「…あ、ああ……」

 先程よりも顔色は良くなっている。

「芹沢くん、もうだいたいの事は分かる?」

「ああ」

「良かった」

「…………」

 理香が安堵の笑みを浮かべても、今日の芹沢は笑わなかった。いつもなら一緒に笑うところなのだ。

「どうしたの、芹沢くん?」

「…君は本当に理香ちゃんなのかい?」

 どきりとした。

「……え?」

 芹沢の一言に理香は背筋が寒くなった。

 芹沢は理香が理香に見えないらしい。確かに今までとは違う感情を持つようにはなった。けど、だからといって人格が否定されるとは思わなかった。

「…私は私だよ?」

「……そうか。ううん、ごめん。変な事を聞いてしまったね」

 胸がつまったような、変な気分だった。

 

 

 理香達はベッドから離れ、医務室の床に三人で座り込んだ。春奈はベッドに寝かせたままだ。時々奇声をあげている。

「それじゃ、これからの方針を決めるね〜☆ あぁ〜、それよりもおなかすいたねぇー」

 理香もおなかがすいた。空腹で腹がぐーっと音を鳴らす。

「まず、確認だけど、宇宙生物との戦い方はわかるよね〜?」

 宇宙生物はABCをやられると死んでしまう

 瞬時に理香の頭に回答が過ぎった。方法も分かる。この身体の中のABCの使い方も分かる。

「うん、大丈夫みたいね〜☆ それではまず最初の関門。食料の調達ね〜。みんな、なに食べたい?」

「えっと……」

 理香の頭の中にハンバーグが過ぎった。ハンバーグは理香の好物だ。だが、こんな場所で『ハンバーグ』と口にするのはなんだか恥ずかしかった。

「僕はハンバーグを食べたいな」

 理香がなにかを言うより早く芹沢はそう言った。ちゃんと理香の食べたいものが分かっているのだ。それを代弁してくれたのだ。

「ハンバーグ☆ うん、わたしもハンバーグたべたいな〜。それじゃ食べにいこっか〜」

「どうやって?………あ…」

 疑問を口にした瞬間、理香の頭に宇宙生物の攻撃からの身の守り方が伝わってきた。理香の体内に眠るABCを身体の周りに振りまく。そのやり方ももう分かっていた。

 これで医務室から出る事もできる。

「ただ気をつけてね〜。わたしたちが全力で戦えるのは、あくまでABCな場所なの。この部屋から出たら、その分ABCは弱まっちゃうからね〜。よわっちい宇宙生物ならへーきだけど、強そうなのにはピンチかもだから、注意は必要だよ?」

「うん」

「気をつけよう」

「ん☆」

 こうして、外にハンバーグを取りに行く事になった。春奈はベッドに置いていく事にした。

 

 

 医務室から出た瞬間、身体中がチクチクした。

「宇宙生物が攻撃してきたよ〜? 二人ともABCで身を守ってね。そうじゃないと、物忘れで死んじゃうよ☆」

 理香は体内に眠るABCを開放した。身体の周りにABCがバリアのように形を作り、理香を宇宙生物の攻撃から守ってくれる。

 ばちばちと奇妙な音が聞こえる。それは小さな見えない宇宙生物が、理香のバリアに触れ、焼け死んでいる音だと分かった。既にこの周囲にも大量の宇宙生物がいるのだ。

 ふと芹沢を見た。

 弁当袋を腕に巻きつけて、そこから発生するABCで身体を守っていた。

 格好悪い。

「りかちゃん、せりざわくんをカッコ悪いなんて思っちゃダメだよ〜? 仕方ないんだからね〜」

「え、あ、思ってない…よ」

 いつものように理香は口から体裁を取り繕う。

「理香ちゃん。もしも君が僕を格好悪いと思い、そして僕の姿が見たくないというのなら、僕は即座に死を選ぶよ」

「あ、あ! 思ってないから大丈夫! 気にしないで!」

「そうか。よかった」

 芹沢は安心したように安堵の溜息をついた。

 死なれたら困る。

 

 

 歩く度にバチバチと音が鳴り、触れた宇宙生物が死んでいく。最初でこそ音が煩くて仕方なかったが、なるべく気にしない事にした。この音は今後も聞きつづけるだろう。断続的なだけで、そんなに大きな音ではない。会話をするのに支障はない。

 所々、人が倒れて死んでいたがなるべく考えない事にした。春奈が見たら発狂しそうな光景だ。以前の理香なら恐怖に震えていたかもしれないが、今の理香には冷静に受け止められる。大丈夫だ。ABCが身体を守ってくれる。

「さっきもいったけど気をつけてね〜? こんな見えない宇宙生物とかじゃなくてね〜。もと大きな、目に見えるような宇宙生物が相手だとやばいよ〜」

「どれくらいやばいの?」

「さぁ〜? あってみないとわからないかな〜」

「そう……」

 月白が分からないのなら、理香にも分かるはずはない。それよりも朝食について考える事にした。

「どこにいくの? やっぱりスーパー?」

 学校から出たところで、理香は他の二人に意見を求めてみた。

「わたしはそういうのわかんない〜。二人に任せる〜」

「そうだね。大きなスーパーがいいかな。食べ物の他に飲み物、薬、カセットボンベで動くガス焜炉とかも貰っておこう。火があれば何かと便利だからね。それから非常時に備えて電池と懐中電灯もいるかな」

「ふんふん……」

「ビタミン剤とか栄養剤もあった方がいいね」

「うん」

 少し芹沢が頼もしくも見えたが、口にすると調子に乗るので黙っておいた。

 

 

 スーパーの中にはいると、エアコンで冷やされた空気が理香達を包み、汗が少しずつ引いていく。

「涼しい♪ 外は暑くてヤになるよね☆」

「そうね」

「ああ、暑いね」

 必要なものをカゴの中に入れながら、理香はふと疑問が沸いた。

 ABCで守られていない人間や犬は死んでしまうのに、どうして食物は大丈夫なのだろうか? よく食物も生きているという。

「ねえねえ、月白ちゃん?」

「んー? なぁに? どうしたの、りかちゃん?」

 理香は今しがた思った疑問を月白にぶつけてみた。

「えーーー? 食べ物は食べ物だよぉ? 生き物じゃないよ?」

「あ、だから、そうじゃなくて…………なんてゆうか、ほら、有機物じゃない?」

「うにゅぅ……。そんな難しいお話、わたしにはわからないよぉ……」

 別に難しくないとは思ったが、理香は余計な事は口にはしなかった。ただ、月白に学問の話はダメなのだと、頭の中に留めておく事にした。

「おや?」

 理香の後ろにいた芹沢が疑問の声を漏らした。

「どうしたの、芹沢くん……………ぁ…」

 振りかえった理香も、芹沢がなにをみたのかが分かった。金色に輝く一メートル大のツルツルの球体が浮かんでいたのだ。

 ふわふわと所在なげに浮かぶ球体は、生きているかのように光ったり、光るのを止めたりしている。そのリズムはまるで呼吸のようでもあった。

 頭の中に月白から

      天使、裏天使、宇宙生物、ABCなど

 が送られてきた。敵だ。金色をしているものは宇宙生物なのだ。

「あ……」

 ぴかっと球体が光った。

 光線が走る。

 光線は芹沢のABCを容易く貫通して、芹沢の腹を貫いた。

 芹沢は血を噴き出す腹を押さえて膝をつき、そのまま倒れた。

「あ……」

 なにもできなかった。

 また球体が光った。

 ズキっと腹が痛んだと思えば、理香は光線に刺し貫かれていた。

「……痛っ………!」

 刺された個所に手を当てても、血は容赦なくどくどくと溢れる。

 血はお湯のように熱かった。

 傷口をナイフで刺されてからぐりぐりと掻き混ぜられるているような痛さだった。ナイフなどで刺された事はないが、きっと刺されたらこんな痛みなのだ。

 死にたいほど痛かった。あまりの痛さに理香の頬を涙がぽろぽろと伝う。

 これ以上痛い思いはしたくない。こんな痛さを味わうくらいなら死んだほうがマシかもしれないとも思ったが、死ぬのも嫌だった。

 理香は自分の身体の周りにABCの膜を張った。もう光に刺されたくなかった。

 また球体が光った。

「……!」

 理香は身構えたが衝撃は来なかった。

 よく見ると、倒れている芹沢が光に頭を刺されていた。

 敵はABCで守りを固めた理香よりも、先に芹沢を狙ってきたのだ。

 芹沢の身体から血が溢れる。

 頭をやられたのだ。絶命していてもおかしくない。

「せりっ………!」

 芹沢が死んだかもしれない。そう、取り乱しかけた理香の脳は

      天使、裏天使、宇宙生物、ABCなど

 により、強制的に沈静させられた。

「いやっ………いやっ……………!」

 目の前の大事な人が死にかけている。死んでいるかもしれない。こんな時まで感情を押さえ込まれた理香は狂ってしまいそうだった。

 けど狂えない。

 脳は平常に戻される。

 涙を流したかった。けど流せない。

 理不尽な事に対する怒りばかりが募っていく。

 違う。まだ怒っては駄目なのだ。怒るべきではない。芹沢が死んだと決まったわけではない。

 早く目の前の球体を倒し、芹沢を助けなければならない。まだ生きているかもしれないのだ。

 怒るのは芹沢が死んだと分かった時だ。もしその時は、宇宙生物も月白も裏天使も、理香は許さない。芹沢を救えるというから裏天使になったのだ。絶対に許さない。

「…………」

 傷口からは相変わらず血が溢れていて痛みもあったが、今はそんなことよりも大事な事がある。

 理香は身体の前方にABCを開放した。さっきよりも強い。怒りが相乗されているかのようだ。

 怒りがABCの本質なのだろうか?

 もし、そう仮定するならば芹沢の弁当袋や、春奈のバッグも怒りが含まれている事になる。分からない。月白からも教えてもらっていない。

 けど、今はこの力は目の前の敵を倒すのに都合がいい。

 理香は両手の平からABCを放出した。

 まうで光の矢のようにABCは飛び、そして球体に刺さった。

 球体はABCを刺された個所から血を噴いた。

 そして床に落ちて動かなくなった。死んだのだ。

 

 

「芹沢くん……!」

 理香は己の傷にも構わず芹沢に駆け寄った。傷口は痛い。けど、それどころではない。

 今も腹と頭部から血を噴き出している芹沢の喉に手を当てた。

 まだ生きている。

 だが、もはやその命も果てようとしている。

「いや………いや…………!」

 さっきまで目の前の敵を倒すために押さえられていた感情も、今は僅かだけなら解放する事もできた。

 ほんの少しだけだが、芹沢のために取り乱す事もできた。けど、泣き喚いたりはできなかった。

 一滴一滴、ぽたぽたと涙が途切れ途切れに零れる。一気には溢れない。あくまで少しずつしか涙は流せない。

「芹沢くん……た………!」

 助けて……と喉元まで出かけた言葉を理香は飲み込んだ。

 いつも理香は芹沢に頼ってばかりだ。芹沢が好意を寄せてくれているから、理香はそれに甘えてしまう。その好意に応えるつもりもないのに、頼ってだけいるのだ。

 卑怯だと思う。

「……いや…………!」

 芹沢を死なせたくない。全人類の命とまで引き換えに残してもらった芹沢の命。それ以上に理香にとって大事な芹沢の命。無くしたくない。

「月白ちゃんっ……!」

 理香は藁にもすがるような思いで月白の名を叫んだ。そういえば彼女はどこにいったのだろう。何故敵がいたのになにもしてくれなかったのだろう。

「なぁに?」

「…ぁ……」

 すぐ目の前にいた。

「せ、芹沢くんを助けて………! 死んじゃう! いやなの! 芹沢くんを死なせないで!」

「んー、りかちゃんて泣き虫だね」

 月白に言われて気付いた。涙が溢れていた。先程までのぽたぽた零れていた時とは違う。感情に止めが効いていない。

「沈静しとく?」

「い、いやっ………いやっ………!」

 そんなことされたくない。この悲しみまで奪われたくなかった。

「芹沢くんを助けてよ……!」

 それだけだった。

 芹沢が助かるならなにをしてもいい。本気でそう思った。

「とりあえず、ここじゃなにもできないよ〜。さっきの医務室まで戻ろうよ。ほら、あそこに台車があるよ。これでせりざわくんも、食べ物とかも、全部全部まとめておしてかえれるよ〜?」

 理香は泣きながらうんうん頷くだけだった。すると、月白に少し沈静された。

 また涙を奪われ冷静にさせられた理香は、スーパーの台車に芹沢を乗せて学校へと戻る事になった。

 芹沢の顔色が悪い。急がなくてはならない。

 

 

「もうやめて………!」

 医務室まで台車を押して帰ってきた理香は、心の底からそう呟いた。

「へ? やめるってなにを?」

「私の感情をコントロールしないで………!」

 月白は『えぇ〜?』っという顔になった。

「だってぇ。今の場合だって、りかちゃん泣いてばっかだったじゃん〜。せりざわくんを救うのには、こうするしかなかったでしょ?」

「そうだけど……! でも悲しい時に悲しくなれないのが………辛いよ。私、いっぱい泣きたかったのに泣けなくて………! 私…………!」

「うにゅぅ……………感情の操作はなし〜?」

 理香はこくんと頷いた。

「でも、そうしないと、今回みたいに命にかかわるかもしれないよ〜?」

「…どうしても緊急の時だけはお願い……」

 我ながら都合の良い事ばかり言ってるとも思ったが、月白はそれを了承してくれた。

「それよりも〜〜。せりざわくんを助けなきゃ〜」

「う、うん」

 月白は理香から芹沢の乗った台車を取り、今もベッドの上で寝っぱなしの春奈の隣にまで押していった。

「なにをするの?」

「しょーがないから〜、はるなちゃんから命を移すの」

 その言葉を聞いて理香は嫌悪で胸がいっぱいになった。

「冗談?」

「ううん? 本気の本気だよ〜?」

 意味が分からない。

「えとね〜。ABCはエネルギーの源なの。それはなににだってあるの。人間にも、お花にも、石ころにも、星にも、私にも、水にも、りかちゃんがトイレで流すおしっこにも、ハンバーグにも、なににだってはいってるのっ。その中で特別つよい力を持ってたのがりかちゃん自身と、せりざわくんのお弁当の袋と、はるなちゃんのカバンだったの」

「……春奈のABCを芹沢くんに移すってこと?」

「そう、それっ! りかちゃん私がひとつひとつ説明しなくてもわかってくれるから、教えるの楽だよ〜☆ ABCを命として移したら、こんな傷すぐ回復するよー」

 月白があはははっと笑っている。友人の命についてどう思っているのだろうか。

「で、どうするの〜? せりざわくんと、はるなちゃん。どっちを助けたい〜? わたしの意見だと、はるなちゃんはほっといても、もう駄目っぽいから、ここはやっぱせりざわくんかな?」

「…ま、待って。ABCがなににでもあるなら、そこらへんのベッドとかから移してもいいじゃないっっ?」

「んー。だめだよぉ。ABCの大きさも容量も種類も違うもん。ヒトからヒトじゃないと駄目なの。あ、外に転がってる死体はだめだよ〜。ABCが腐ってるから〜」

「…私のABCは?」

「大きすぎるからだめなのねー。せりざわくんが破裂しちゃう」

「どっちかしか救えないのっ? ABC移したら春奈どうなっちゃうの?」

「当然死んじゃうよ〜」

 月白はもう話は終わりっ、と強引に打ち切った。

「早く決めてね〜。手遅れになっちゃう〜」

「そ、それじゃぁ、芹沢くんを助けてっっ!」

 悪夢だ、これは。

 理香は芹沢と春奈の命を天秤に掛けさせられたのだ。そして、芹沢を選んでしまったのだ。

 しかも、また理香は冷静に事実を受け止めていた。沈静されているかどうか分からない。けど、芹沢を助けるために春奈を犠牲にする事に肯定したのだ。

 涙がぽろぽろ頬を伝っていた。

 不思議な感情だった。

 冷静なのに、胸や目元が熱くて涙が溢れてくる。

 理香は心の中で必至に春奈に謝った。心情は冷静なままでも、せめてたくさんの謝罪をしたかった。理香には謝罪しかできない。理香の判断の一つで春奈の命は犠牲にされるのだ。

 

 心情は冷静。

 脳内では必至に春奈に一生懸命謝っている。

 そして、目からは意志とは無関係に涙が零れ続ける。

 

 もう訳が分からない。

 悪夢だ。

 

 

 ガタガタガタ……。

 理香はあの白い部屋にいた。

 

 けど、いつも怒鳴り散らしていたあの老人はいない。

 誰もいない真っ白な部屋の中で理香はじーっと座っていた。

 独りだと会話もできない。

 

 

 次に理香がいたのは、あの古びた小屋の中だった。

 理香はロープで縛られ、床に転がされていた。動けない。

 見上げると、歓喜に満ちた表情の春奈がいた。

 現実世界では完全に立場の逆転していた理香と春奈。この小屋の中でも立場は逆転していた。

 理香は今、芹沢に必要とされている。

 月白にも必要とされている。

 分かっている。今の春奈は自分を犯そうとしているのだ。

 必至に抵抗した。けれど無駄だった。

 春奈に服を剥ぎ取られ犯された。泣いても春奈は許してくれなかった。写真まで撮られた。

 泣いても許してくれなかった。

 この小屋の中では春奈が一番偉いのだ。

 

 

 理香は今、三つの世界を行き来している。

 

 宇宙生物と裏天使の戦う現実世界。

 老人がいた白い天使の部屋。

 理香と春奈の立場が逆転する古びた小屋。

 

 それらは少しずつ密接している。

 けど、なにも分からない。

 

 あえて挙げるなら、まだなにも悲しい事の起こらない白い天使の部屋が一番居心地が良かった。

 煩い老人もいないのだから。

 

 

 

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