『裏天使 〜さんかくとしかく〜』

 違和感1 おくすり


 

 

 カーテンの僅かな隙間からチラチラする朝日の眩しさに、理香(りか)は目を覚ました。

 変な夢をみていた気がする。

「うぁ……」

 パジャマも下着も汗でずぶ濡れ、肌にべったりと張り付いていた。

 布団のシーツにも染みができていて、理香はまるでお漏らしをしてしまったような気さえしたが、そんなわけないと首を横に振って否定した。

 今は夏だし、暑いからこれくらい汗に濡れる朝だってある。

(……はぅ、気持ち悪いー…………お風呂、お風呂ぉー…………)

 大学へ行く前にシャワーを浴びようと、理香はフラフラと浴室へと向かった。

 洗面所でパジャマと下着を脱ぎ、洗濯機に放り込もうとした時、衣服の中から何かが転がり落ちた。コロンと音を立てて床に転がった。

 小さな瓶だった。緑色の液体が入っていた。

「……はえ、なにこれ?」

 

 

 ごっとんごっとんと揺れる電車の中。

 陽の下と違って、冷房の効いた車内は涼しく心地よい。特別混んでいるわけではないが、それでも座る事はできず、理香は背伸びして、なんとか吊り革に掴まっていた。

 ………………。

 腕が痺れてきた。座りたいなぁと思う。

 …………。

 たまに『私、どうしてこんなに背が低いのかな?』などと嫌になる。

 ……。

 退屈だ。

「理香ちゃん、みーっけっ♪」

「きゃあっっ?」

 突然後ろから抱きつかれた理香は驚いて飛びあがった。慌てて振りかえると、そこには同じ大学の男子の姿があった。

「ふぇ? せ、せ、芹沢(せりざわ)くんっ? や、やだ………! い、いきなり抱きつかないでよぉっ……。は、は、恥ずかしいじゃないー………」

 まだ心臓がドキドキしている理香は、耳まで真っ赤にして、芹沢の腕を振り解いてそう言った。が、芹沢はまた理香に擦り寄ってくる。

「理香ちゃん、今日も可愛いよ! とても同じ年とは思えないよ! いつ見ても中学生みたいだ! ああ、理香ちゃん、可愛いなぁ! ホント、家に持って帰りたいくらいだよ!」

「や、やぁーん! ち、ちょっとぉ、芹沢くんーっ!」

 他の乗客が何事かと白い視線を送ってくる。

 最悪だ。

 

 

 芹沢と一緒に駅から出た理香は、半泣きになって文句を言った。

「うぅー、恥ずかしかったよぉ……」

「ははは、ごめんごめん。つい、うっかりしてしまったよ。すっかり公衆の面前だという事を忘れてしまった。理香ちゃんが可愛すぎるからだよ!」

「むー……」

 可愛いと言われれば、理香だって悪い気はしない。何となく顔の険が緩んでしまう。それでも、やはり言っておかなければならない事もあった。

「芹沢くんは私のコトをおんなじ大学生だって見てないでしょ? 私のコトを中学生かなんかと思ってて、ロリコン欲の対象にしてるだけでしょ?」

「ええっっ?」

 理香の台詞に、芹沢はさも心外だというように驚いた。

「それは誤解だよ、理香ちゃん! 僕は大学生のキミが好きなんだよ! 同じ年のキミが大好きなんだよ!」

「え、そ、そうなの?」

「そうだよ! 一八にもなってるのに、こんなにも無邪気で無垢で、それに小さくて可愛い理香ちゃん! 僕はそんなキミのギャップに心を奪われてるんだよ!」

「ひゃあぁっっ?」

 芹沢がまた抱きついてきて、黄色い悲鳴をあげた理香に通行人達が注目する。

 視線が痛々しかった。

 

 

 学校までの道程をとぼとぼ芹沢と歩いていると、友人の春奈(はるな)の姿が見えた。

「〜♪ おはよ、理香!」

 朝から元気な春奈は、理香達に気付くと駆け寄ってくる。理香も適当に手を振って返事する。

「うん、おはよう……」

「んー? 元気ないよ、理香?」

「…朝はなんか怠いもん……来る途中も色々あったし………」

「だらしないなー。芹沢くんもおはよ!」

「ああ、春奈。おはよう。今日も朝からとても綺麗だよ」

「〜♪ ありがと♪」

 芹沢に世辞を言われ、機嫌を良くした春奈も理香達の横を並んで歩き出した。理香はそんな春奈を下からちろっと覗き見る。

「…………」

 春奈と一緒にいると、理香はいつも自分に見劣りを感じてしまう。

 学校のアイドルの春奈。

 顔も綺麗だし、身体も女の子として申し分ない。それから、豊富な話題。愛嬌。みんなからチヤホヤされている春奈。

 春奈と並んで歩いていると、理香はいつも自分自身が子供っぽく見える。喋る時はいつも顔を上に向けている。

 どうして私こんなに小さいのだろうと、また考えてしまう。

「…………」

 理香の胸の中を、いつものようにモヤのようなものが過ぎった。つまらない嫉妬だ。

「どうしたの、理香?」

「…ううん、別に。なんでもないよ」

「ははは! 理香ちゃん生理だろ?」

「…あはは………」

 理香は曖昧に笑うだけだったが、心の中では『死ネ』と呟いた。

 

 

「はれ?」

 歩きながら、理香は春奈の鞄を見て首を捻った。

「ん?」

「その鞄、なに?」

 何故か春奈の鞄には『ABC』というロゴが記されていた。

「あ、昨日買ったの。似合わないかな?」

「ううん。そんなことないけど……」

 頭の中ではとても変で、センスがないなぁと思いながらも、理香は曖昧にそう答えておいた。

 ABC。

 ちょっと気になった。

 

 

 教室に入った理香達は空いている席に座って、講師が来るまで時間を潰して待つ事になった。

 鞄からノートと筆記用具を取り出していると、コロンと瓶が転がった。

「…あ……」

 朝起きたら、いつの間にかパジャマの中に入ってあったあの瓶だ。何となく気になったので、そのまま持ってきてしまったのだ。

 緑色の液体の入った瓶。濁った緑色の液体。

 どこで拾ったのか。昨日の寝る前を思い出しても、心当たりがない。けれど、どこかで見たような気がした。

「理香ちゃん、それなに?」

 隣の席に座っている芹沢がそんな事を聞いてくる。

「わかんない。朝起きたらなんかパジャマの中に入ってたの」

「朝起きたら?」

「うん」

「誰かが、理香ちゃんの寝てる間に忍び寄って、服の中に入れたんじゃないの?」

「えー、やだぁ……! 変なコト言わないでよぉ……」

 学校に通学するため親元を離れ、仕送り頼りに一人で生活している理香にはそんな現実は耐えられない。だから、寝ぼけてどこかで拾ったのだと、今まで思い込もうとしていた。

「で、それどうするんだい?」

「うー……! 気持ち悪いから捨てるー」

 瓶を手に席を立とうとした理香を芹沢が止めた。

「いらないなら、僕にくれないかい?」

「へ? なんで?」

「いいから」

「別にいいけど……」

 そう言って瓶を芹沢に手渡すと、彼は破顔した。

「やったぁ! 理香ちゃんの持ち物ゲットォ! 朝パジャマの中に入ってたって事は、きっと汗とか色々なものが瓶に染みついてるに違いないー!」

「ふぇ? だ、駄目っ! やっぱ返してぇっ!」

「ははははは! 貰った物は返せないよ! 理香ちゃんの汗付きー!」

「ひぃぃぃぃ………!」

 芹沢があんまりにも大きな声で喜ぶから、絶対に今の会話は教室中に聞こえている。理香は顔を真っ赤にして机に塞ぎ込んだ。

 恥ずかしくて死んでしまいそうだった。

 

 

 授業中の淡々とした講師の声を耳に、理香の意識は睡魔に引かれ、うとうとと夢の中へと落ちていく。

 理香はそれに抗わない。

 ブランド化した大学の講義に然したる興味はない。卒業さえできればいいのだ。

 幼い頃は何か夢があった気もする。

 それに向かって頑張った気もする。

 なのに今は毎日、時間を消化するだけ。卒業したら何になるのだろう?

 …………。

 考えてもよく分からなかった。

 

 

 ガタガタガタ……。

 頭に響く音に理香は顔を上げた。

 気がつくと、理香は白ばかりの部屋にいた。

 白ばかり。

 何もない部屋の中に理香はぽつんと一人で立っていた。

 さっきまで教室にいたのだ。これは夢だ。理香はそう思った。

 

 よくきた…………。

 

 背後からの声に理香が振り返ると老人が立っていた。

 立っていた。

 はっきりとこの目で見ているわけではない。夢特有の漠然としたイメージでしか、老人を掴み取れない。でも、そこに何かがいるのは、何となく分かった。

 

 おお……。

 薬………私の与えた薬はどうしたのだ…………?

 

 理香は老人の言う薬が、朝起きたら持っていた瓶の事だと分かった。

 芹沢に取られた事を言うと、老人は怒声を張り上げた。

 

 愚か者め!

 あの薬こそが、今の地球帝国を救う最後の希望なのだ!

 その友人とやらは敵のスパイだ!

 私の研究の成果を敵に渡して堪るか!

 そいつを殺してしまえ!

 殺してでも奪い返せ!

 あああアアアAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA

 

 老人は喚き散らしていた。

 

 

 気付くと、理香はまた見知らぬ部屋の中にいた。

 古びた小さな小屋の中だった。

 足元にはロープで縛られた春奈が転がされていた。

 理香は今、とても気分が良かった。

 いつも自分よりも優位に立つ春奈に、理香はこの部屋内において完全に立場が逆転していた。

 綺麗な顔の春奈。

 男に人気のある春奈。

 女にも人気のある春奈。

 誰からも好かれる春奈。

 中学生みたいな自分よりも、ずっとみんなに好かれている春奈。

 その春奈が、今足元に転がっている。

 春奈は理香の姿を見て喜んでいる。助けに来たと思っているのだ。

 理香は有無を言わさず、春奈の服を剥いだ。

 そして犯した。

 春奈は泣き喚いた。

 それでも理香は春奈を犯した。

 写真を撮った。これを皆にばら撒いてやる。そうすれば春奈はもう終わりだ。

 いい気味だ。

 

 

(え……?)

 チャイムの音で理香は目を覚ました。顔を上げると、講師はもう教室から出て行くところだった。

 夢だった。

 理香は今の夢の内容を思い出して身震いした。

 朝起きた時のように、衣服や下着がまた汗で肌にべったりと張り付いていた。髪の毛も額に張り付いていた。

(…やだ……)

 春奈を犯した。

 醜い嫉妬に狂った理香は、嬉々と春奈を犯していた。

 身体が疼いている。

 今の夢で理香は性的な興奮を覚えていた。

(…なんで…………ぁ…)

 汗などで濡れた身体が空調に晒され、急速に身体が冷える。

 冷たく湿った下着が心地悪い。下着を濡らしているのは汗だけではなかったのかもしれない。

「理香、ごはん食べよ」

「あ、うん……」

 机の上に弁当箱を乗せて向かい側に座る春奈に、理香は曖昧に笑って返事する。

 どうにもバツが悪かった。

「りーかーちゃーん!」

「ひゃあっっ?」

 突如、後ろから抱き付いてきた芹沢に理香は悲鳴をあげて飛び上がった。

「あああ! また汗かいちゃって! いいにおいだぁ! 理香ちゃん好きだよぉ! ん? なんか汗以外のにおいもするけど、これって……」

「ふにゃぁぁ……! 変なとこに手を入れないでぇ……!」

 そんな理香と芹沢に春奈は溜め息を吐いて言った。

「……あんた達、ホントに変態さんね」

「『達』って言わないでぇ!」

 理香は恥ずかしいやら、行き場のない怒りやらで半泣きになっていた。

 

 

 いつものように三人で弁当を食べる。理香は好物のハンバーグを口にしながら、意を決して言った。

「あのね、芹沢くん」

「ん? なんだい? 理香ちゃん愛してるよ。ところで、ハンバーグおいしそうだね」

「いや、そうじゃなくてね。もう、いきなり私に抱きついてきたりしないでね。私だって女の子なんだから。いい加減にしないと、いくら私でも怒るよ?」

 理香としては、かなりキツめに言ったつもりだった。

「ははは。なんだ、そんな事か。分かった。大丈夫だよ。理香ちゃんの嫌がる事はしないよ」

「そう……?」

「ああ。ははははは」

 駄目だ。全然当てにならない。

「はれ?」

 理香は芹沢の弁当箱を包んでいた袋の柄が気になった。

「ABC……」

「ん?」

「袋の柄」

 理香の指摘に芹沢も春奈も、袋の柄を見る。そこにはABCというロゴが縫われていた。

「ありゃ、私の鞄とおんなじ?」

「んー、春奈とおんなじかぁ。どうせなら理香ちゃんと一緒がよかったなぁー」

「あんた、ムチャクチャ失礼な奴ね……」

 理香は首を傾げて聞いてみた。

「流行ってるの?」

「さあ?」

「欲しいならあげるよ、理香ちゃん」

「いらない」

 別にどうでも良かった。

 

 

 昼食を終えた理香は一人、校舎の屋上で風に吹かれていた。真夏の太陽はギラギラと輝き、理香の肌に焼きつく。

 暑い。

 それでも、今はここにいたかった。明るい場所に独りでいたかった。

 春奈を犯した夢をみた。

 そんな願望など欠片もないつもりだが、けど理香が春奈に嫉妬があるのは事実だった。

(…はぁ……)

 夢の内容を思い出す度に自分が嫌になる。

 恥ずかしくもなる。

 ただの自己嫌悪だけではなく、あの夢で性的な興奮を覚えていた事が恥ずかしかった。

 

 

 そろそろ次の講義の始まる時間だ。理香が教室に戻ろうと振り返れば、いつからいたのか、背後には儚げな少女が立っていた。

「こんにちは」

「え?…………ぁ…」

 その少女が誰だか分かって、理香は複雑な表情になった。

「月白(つきしろ)さん……?」

 できれば関わりあいたくなかったクラスメートだった。本人と直接話すのはこれが始めてだが、理香も月白の悪い噂は色々と耳にしていた。

 曰く、精神に傷持ち。

 曰く、中学の時にレイプされておかしくなった。

 曰く、ポケットにはナイフ入り。

 曰く、薬漬け。

 理香は月白の表情をちろっと見る。くすくすと笑っている。線が細くてどこか危うい。そんな気がした。

 どうして彼女が自分に用があるのだろう?

 今まで一度も話した事なんてなかった。

 関わりたくなかったから、話し掛けた事もなかった。

「今日はね貴女に渡したいものがあったの。だから、わたし貴女に会いに来たの。こんな屋上まで……暑くて死んじゃいそうだけど、わざわざ貴女に会いに来たの」

「……えっと………?」

「これ。これなの。この本。このノートね」

 月白が差し出したものは一冊のノートだった。

「なにこれ?」

「読んでね。わたしが寝ずに書いたの。昨日の夜から。徹夜で。貴女に読ませたかったから」

 理香は訳が分からなかった。今まで話した事もないような相手が、いきなり何を言い出すのだろう。けど、迂闊な返事で刺激は与えたくなかった。

「よ、読んだらいいの?」

「感想もくれると嬉しい。それが聞きたかったから書いたの。感想くれる?」

「う、うん」

「絶対読んでね。わたしが心を込めて書いたの」

 とても嫌だったが、理香にはそれを口にする勇気などなく、首を縦に振ってノートを受け取るのだった。

「そろそろ戻りましょう。講義よ。明日。明日のお昼。わたしはここで待ってるから。必ず来てね。感想聞かせてね」

「う、うん……」

 来なかったらどうなるのだろう? と少し考えて理香は頭を振った。相手は自分の事を知っているのだ。ロクでもない結果に成り兼ねない。

 何故、こんな縁ができてしまったのだろう。理香は自分の要領の悪さを呪った。

 

 

 夏は陽の沈みが遅い。

 十七時になってもまだまだ明るい太陽の下、理香は電車の座席に座ってゆらゆらと揺られていた。行きは混んでいるから座れないけど、帰りは座れるから好きだった。

 冷房が心地よかった。

(……疲れたぁ…………)

 講義内容などは寝ていて覚えていないのだけど、色々あって疲れた。

 疲れたけど、でも、学校は嫌いではなかった。友人と一緒にいられる時間。家に帰ったら、理香は独りなのだから。

 ゴトゴトと揺れる電車の中。

 する事もない。

 どうせならではと、理香は月白にもらったノートを読む事にした。

 ノートには丁寧な文字で何かがぎっしりと書き詰められていた。

 

 おなかがすいた

 なんでもいいからたべたい

 ひもじいよ

 たすけて

 おなかがすいた

 うらてんしのあなたにおねがい

 わたしにごはんをもってきて

 

 これが延々と最後のページまで書き続けられていた。どこのページを開いても同じ内容の書き込みがずっと続いていた。

(……なにこれ?)

 色々考えたけど、相手は月白さんだしなぁ、と理香は結論付けた。それでも何か感想を用意しないといけない。

“よく分からなかった”

 これでいこう。無難な答えだろう。もしかしたら相手は自分から興味を無くしてくれるかもしれない。

 これでいこう。ところで、“うらてんし”とは何だろう?と少し気になった。

 

 

「ただいまぁ……」

 誰もいないのだけど、理香は玄関の鍵を開けながら、いつもの癖でそう言ってしまう。

 そんなに広いマンションではないけど、やっぱり独りで住むには広すぎる。理香にはよく分からなかったけど、父親が仕事か何かで空いた建物を理香に回してくれたそうだ。住処を提供してもらえたので、素直に喜ぶことにした。

 独りなのはこの際、仕方がない。実家は学校に通うには遠すぎる。

 理香は靴を脱いで鞄を玄関に置き、ふらふらとした足取りで自室に入り、服も脱がずにベットにぼふんと倒れ込んだ。

(……疲れた)

 身体中が汗で濡れていて、衣服が肌に張り付いて気持ち悪い。

 外もそうだが、家の中も暑かった。暑いだけではなく、湿度も高いようでムシムシとしていた。学校に行っている間は完全に戸締りをしていたのだから当然だ。

「…………」

 理香は手元にあったリモコンでエアコンの電源を入れた。

 低いエンジン音を鳴らし、エアコンは冷気を吐き出し続ける。

 何もする気にならなかった。このままゴロゴロしていたい。夕食も面倒だ。どこか胃が重たくて、食欲が湧かない。

 夏ばてだった。

 

 

 ガタガタガタ……。

 頭の中に響く音に理香は顔を上げた。また、あの白ばかりの部屋に理香はいた。

 漠然としたイメージでしか掴めない老人がいた。

 

 仕方のないやつだ……。

 

 老人が理香に瓶を手渡した。

 今朝の薬らしい。

 

 以後は気をつけてくれ。

 分かっているのか?

 君はこの地球帝国を救う×××××なのだ。

 ××××××××に立ち向かわなければならないんだ。

 もう少し自覚を持つんだ。

 そして、君は早くこの薬を飲むべきだ。

 あああアアアAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA

 頭が痛い!

 

 老人は泣いていた。

 

 

(はぅ……)

 身体中に寒気を感じて理香は目が覚めた。大量の汗をかいたためか、身体中がびしょびしょに濡れていた。

 辺りは真っ暗だった。あのまま眠っていたらしい。部屋の中にはエアコンが効き過ぎ、寒すぎるくらいだった。この寒すぎる中、どうしてこんなに汗をかいているのだろう。

今何時だろうと、ポケットに入れっぱなしだったPHSのディスプレイを見た。

『21:12』………夜の九時だ。

 独りっきりのマンション。防音設備が整っているため、隣に住んでいる住人の声さえも聞こえない。

 真っ暗な部屋。

 理香はこの世界にたった一人だけ取り残されてしまったような錯覚さえ感じていた。慌てて電気をつける。

 部屋は明るくなったが、それでもシーンとしていて、どこか気味が悪かった。慣れていても、こういう時間に独りで目が覚めると気味が悪かった。

(……ん?)

 衣服の胸の辺りに何かが入っていた。

 瓶だ。

 中身は緑色の液体で満たされていた。

(…なんで?)

 理香は慌てて玄関まで確認しにいった。鍵は掛かっている。

 家中の窓を調べた。全部鍵が掛かっている。

 誰が何処から忍び入ったのだろう。

 今度こそ間違いない。理香は寝る前にこんな物を持っていなかった。誰かが入れたのだ。誰かが自由に、理香のいるこの家に出入りしているのだ。

 理香は頭を横に振った。

 もしかしたら、学校から帰る前に芹沢がこっそり返してくれていたのかもしれない。

 芹沢に電話する事にした。誰でもいいから声が聞きたかった。理香は慌ててPHSの登録欄を開くが、そういえば芹沢は登録していなかった事を思い出した。

 確か鞄の中には芹沢に押し付けられた電話番号を記したメモがあったはずだ。

 玄関に置きっ放しの鞄の中を漁った。

 …………。

 メモはなかった。

 

 仕方ないので春奈に電話しようとした。

 誰でもいいから話して落ち着きたかった。

 春奈の電話番号はPHSに記録していたはずだ。

 …………。

 春奈は電話に出なかった。

 理香は春奈と芹沢以外に親しい友人もいなかった事を思い出して、欝になった。

 

 

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