-救済の書-

終わりの4章 救済の書。


 

 上半身だけになったポテチは足元に転がり、呆然と天を仰いでいる。

 従事も全身を刻まれ、血は容赦なく噴き出している。生命のメダルもない今、死が近いということは自分でも良く分かっていた。

「俺が負けたのか…」

 ポテチはもう罵詈雑言を吐かなかった。

 目を閉じ死を待っている。

「強くなったな」

「スプライトに鍛えてもらったんだ」

「そうか」

「――――」

 もしも七瀬がポテチを愛していたのなら、この行為はなににも繋がりはしないのだ。それでも心の何処かでは喜んでいた。

「俺を殺せたことが嬉しいか。顔が笑ってるぜ」

 見透かされている。

 例えポテチを腕力で捻じ伏せても、精神は負けている。従事はそんな気になってしまった。どうせ見透かされているならと、従事は予てからの疑問をぶつけてみた。

「お前と七瀬はどういう関係なんだ」

 本当は答えを聞くのは怖かった。

 だけど聞かずにはいられない。答えをいつまでも知らず不安定なままでいるよりは、絶望の答えを知って早々と世界に諦めを付ける方が楽だった。

 ポテチはすぐには答えなかった。

 その待ちの時間、従事の胸は激しく鼓動し冷や汗も流れた。眩暈さえ覚えた。

「暫く一緒にいただけだ。特に親しくもない」

 絶望の答えではなかった。

 従事はポテチが目の前で死に行こうとしているのに、嬉しさで舞い上がりそうになった。だけど、せめてそれは顔には出さなかった。

「僕は最低だ。非道い質問をしてしまい、すまない」

「非道くはない。誰もが気になる問いだ」

 散々できそこないと侮蔑してきたポテチが、初めて従事の感情を肯定してくれた。

 ポテチの身体が消えていく。

「僕はお前に勝ちたかった」

「勝てて良かったな」

「お前に勝たないと僕は自分を認めることができなかった」

「そうかい」

「七瀬は何処にいるんだ」

「この奥にいる。あの白い悪魔にくれてやった。取り返すつもりなら早く行け」

「ああ」

 従事はポテチが灰になり消えるまで待っていた。

 ポテチの死を看取ることにした。白姫やキコリを思い出したのだ。誰にも看取られずに死ぬのは可哀想だと思った。

「俺の死と共に三人のアークビショップも全滅か。この世界の先も危ういぜ」

「あと一人いるんじゃないのか」

「スプライトから聞かなかったか。そいつは特別だ」

「何者なんだ、そいつは」

「そいつは世界のあちこちに満ちた悪意を喰うんだ、自分の腹の中に溜めるためにな」

「なんのために?」

「悪意や憎悪は放っておけば捩れ、歪んでいく。延々とな。そして形のない悪意は何者にも破壊できない。最後の一人は俺達に悪意ごと破壊されるために、世界の悪意を喰っていたんだ。この先にいるのは悪意をたらふく喰った元アークビショップだ」

「お前達は犠牲が好きだな」

「そうかもしれんな」

 ポテチは懐から一冊の本を取り出した。

「お前にやろう」

「それは七瀬の持っていた本か」

「そうだ。俺が預かっていた。死人は物を返せん。お前が持っていけ」

 ポテチは灰化し消え去った。

「――――」

 従事は救済の書を手に入れた。

 

 

 眼球は既に一つポテチのソードにより貫かれている。従事は残った方の目で救済の書を読んでみた。片腕も切断されているのでページが捲り辛かった。

 いつか読んだリンカの日記の更なる先のことが書かれているらしいが、難解な記号で書かれた本は従事の理解できるものではなかった。

 それでも、従事は見たこともない記号の羅列を読み通した。

 所々に見知った名詞が出てきた。七瀬、白姫、三角形。

「――――」

 従事は奇妙な感覚に襲われた。一つだけ開くことのできないページがあった。そこにはある名前を抹消された少女の名があった気がした。従事も何処かでその少女と出会っている。

 開くことのできないページは仕方ないので、従事は最後のページまで読み切った。殆どは理解できない文字ばかりだが、これを書いた者の七瀬や白姫への親愛の気持ちは読み取れたつもりだった。

 従事は先に進むことにした。

 不思議と考えていたことは七瀬のことではなく、六芒リンカという少女のことだった。彼女はなにを願っていたかを推移した。大好きな友人と一緒にいつまでもいたかったのか。

 続いて今度は賢者の伝説を思い出した。敵国の少女に友人を与え、その友人のクビを跳ねた賢者の伝説だ。賢者は悪人ではない。フラッタを殺したポテチもそうだ。悲劇は悪人がいるから起きるのではなく、ニンゲンがいるから起きる。

 この先にいる敵を想像した。

 何処かであったことがあるのだ、あの白い少女は。思い出せない。リンカや白姫でもない。もっと異質な場所であった少女だ。

 従事は思い出そうとしたが、頭が痛んだだけだった。

 先へ進むことにした。

 いつも隣には誰かがいた。それは七瀬であったり、アリカであったり、スプライトであったり、あるいはヒルダであった。今は誰もいない。七瀬以外は皆消えてしまった。

 七瀬にはなんと思われようと、好かれていなくとも、従事は彼女には死なないでいて欲しかった。七瀬を愛するために生まれたこの身は彼女なしではその意味を存続できない。

 赤い夕日が従事の頭に焼き付いている。七瀬の笑顔が従事の頭から離れない。七瀬の隣にいたのは本当に自分だったのか。リンカの見た記憶を、自分の記憶と混同しているだけではないのか。リンカも七瀬と一緒に夕日を見ていた。従事は頭を横に振り、自分の記憶を信じた。あの時、一緒に夕日を見た記憶は幻ではないと思い直した。頭を振った時、残った眼球が零れ落ちそうになった。

 従事は森の奥、闇とヒカリの混在する次元の狭間へと歩を進めた。

 ポテチに刻まれた全身の傷跡は激しく痛んだ。歩く度に血が出る。千切れかけていた肉も落ちた。それでも従事は前に進んだ。

 やがて以前白い少女の影と出会った場所に辿り着いた。

 ここには今は誰もいなかった。ただ、以前白い少女が立っていた背後には前にも増して漆黒の渦が宙を歪めていた。

 全身の傷口から血が流れ落ちる。

 死は近い。

 迷っている時間はなかった。どうせ死ぬ行く命なら、この命と引き換えにしてでも七瀬を助けたかった。

 目の前の闇は宇宙の果てのような広大な世界を思わせた。迷えば二度と戻れない。構わず従事は踏み込んだ。

「――――」

 目も耳も鼻も役に立たない世界だった。絶望の大地、虚無の世界。それでも従事には進むべき道は分かる気がした。

 暗黒の中、己の思うまま進み続けた。

 数光年歩いたのか。まだ闇は続いている。

 

 

 救済の書に記されていたもの。

 誰も苦しまない世界への道。

 そんなものがこの先にあるといいなと思いつつ、従事は朦朧としたまま歩き続けた。

 

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