-救済の書-

終わりの2章 スプライト。


 

 木々の間から見える空は暗くなっていた。

「大丈夫かい、アリカちゃん」

「うん」

 今日はここで休むことにした。

 二人で枝を集め火を起こした。火を見ると焼け死んだキコリを思い出した。

 このまま森の奥に進めばスプライトやポテチ、そして彼らが敵対するという者と合間見えることになる。

 従事は七瀬を助けたかった。

「そういえばアリカちゃん」

「うん?」

「悪魔の力…今も使えるのかい?」

「随分ヒトを殺しちゃった」

「そっか」

「もうあんまり力も残ってないけど、あといっかいくらいなら…」

「そっか」

「最後の一回はジュージくんのために使ってあげようと思って取っといたんだ」

「そっか」

 アリカは従事と居れることが嬉しいのだろう。にこにこと笑っている。

「ねえ、ジュージくん。あたしと七瀬さん、どっちが好き?」

「どっちも好きだよ」

「もし、あたしがジュージくんの左で死に掛けてて、七瀬さんが右で死に掛けていたとする。どっちを先に助ける?」

「……」

 露骨な質問に従事は答えを窮した。だが沈黙は片方の答えを選んだことと同意味だった。

 気まずくなったので、従事は顔を背けた。アリカと話をすることを止め、考え事に耽った。

 何もかもが馬鹿げている。

 時間や空間や世界を飛び越える力。長い夢を見ているのではないか。これは大きな悪夢ではないか。それは昔、スプライトと共に長い時間を生きた時にも感じたことだった。

「――――」

 何時か、スプライトと共に小さな少女と出会った気がする。

 あの少女は誰だったか。記憶が抜け落ちているのか。森の奥には白い影の少女がいる。誰であったか。

「ア、アリカちゃん…」

「うん?」

 アリカの身体には無数の虫が集っていた。虫は毛虫だ。アリカの身体を這い回り、ぶちゅっと中身の軟体が噴き出す音をたて潰れる。潰れた汁からまた無数の虫が生まれてくる。

「虫! 虫!」

「え?」

 アリカは自分の身体を見下ろした。だが、顔には疑問符が浮かんでいる。

「何処?」

「ど、何処って身体中に!」

 従事には分かった。アリカには見えていないのだ。従事だけにしか見えていないのだ。

「どうしたの、ジュージくん」

「いや、なんでもない…」

 虫はもういなかった。

 目が壊れていた。そうに違いないと思うことにした。疲れている。

「ジュージくん。なんかこうしていると昔みたいだね」

「ああ…」

 アリカといる時間は辛かった。

 従事は七瀬が好きだ。アリカの好意には応えられない。

 

 

「ネエ、ジュージュクン」

 アリカが色っぽい仕草で従事に擦り寄ってきた。

 抱きついてきた。

「ジュージクン、スキー」

「ありがとう」

「ジュージクン、スキー」

 アリカは抱いて抱いてと子供のように泣き始めた。

 傷つけたくなかった。

 従事は頬にキスをされそうになった。

 従事は服の中に手を入れられそうになった。

 アリカを突き放した。

 

 

 夜も開け、従事とアリカは森の奥へと進み始めた。

 やがて神殿騎士団達の足跡と思わしき痕跡を発見した。

「アリカちゃん、敵は近いよ」

「うん。ちょっと怖い…」

 辺りが途端に暗くなった。

 この時代にはないが、ここはメイフェアのアジトがあった場所よりも更に深い位置だ。もう少し進めば、あの白い影の少女のいる場所だ。

 あの影がポテチ達の言っていた敵なのか。従事はそんな気がした。

「――そこまでです」

 従事達の行く手を阻むように、女騎士が立ちはだかっていた。

「スプライト」

「従事、やはり生きていましたか」

「ああ。キコリに助けられた」

「キコリに、ですか」

「昔は君の部下だったそうだな」

「そうですね。ヒト助けをするようなニンゲンとは思いませんでしたが」

「僕も思わなかった」

 アリカはすたすたとスプライトの横を通り過ぎようとする。

「アリカちゃん?」

「ジュージくんはこのヒトをやっつけて。あたしが七瀬さんを助けてあげるよ」

「アリカちゃん…」

 アリカはさっさと森の奥へと去っていった。スプライトも後を追わなかった。

「――――」

 嫌な予感がした。

 アリカは憎しみに任せてポテチはおろか、七瀬をも殺そうとしているのではないか。そんな気がした。

「あなたが私の相手というわけですか」

「いや。僕はスプライトとは争いたくない」

「では、黙って帰っていただけるのですか」

「僕は前に進む」

 スプライトは銀のソードを抜き、切っ先を従事に向けた。

「あれも嫌、これも嫌…では、話にならないんですよ」

「スプライト、そこを退くんだ。僕は君を傷つけたくない」

「傷つける――?」

 スプライトの目が細くなった。

「―――!」

 瞬間、スプライトが目の前にいた。ソードを従事の喉下に突きつけていた。

「傷つくのはあなたです。あなたは私に触れることすら適わないでしょう」

 従事は唸った。

 スプライトはいつでも従事を斬り捨てることができたのだ。従事はスプライトのソードから逃げるように、数歩下がった。

「従事。私もあなたを殺したくありません。分かってください。あなたが私を傷つけたくないのと同じように、私もあなたに刃を向けたくないのです」

 従事はクビを横に振った。

 スプライトには勝てる気はしなかった。だけど、従事は七瀬を諦めることはできない。七瀬を諦めるなら死んだほうがましだった。

 死の覚悟を決めた従事は、クビを跳ねられる前にスプライトに伝えねばならないことがあったのを思い出した。

「メイフェアが最期に君のことを言っていたよ」

 スプライトの眉が意外そうに少しだけ動いた。

「メイフェアを倒したのはあなただったのですか」

「いや、僕じゃない。実際に彼女を追い詰めたのはヒルダという女の子だ。僕は殺しただけだ…」

「ヒルダ、ですか…」

 スプライトは懐かしい名前を思い出すような顔をした。

「知っているのか」

「ええ。メイフェアの元部下ですね。ある時、私達アークビショップが一同に会した時、三人とも自慢の部下を紹介しあったのです。メイフェアは嬉しそうにヒルダを私達に紹介していました。私はキコリを皆に紹介し、恥をかいてしまいましたが…」

「スプライト、これを返しておく」

 従事は生命のメダルをスプライトに投げ返した。

「いいのですか。このメダルを持っていたほうが、私との戦いも有利になると思うのですが」

「僕はポテチと同じく、何処かで君を目指していた。そんなメダルの力を借りずに戦いたい」

「誇りは七瀬さんよりも大事ですか」

「僕は生きて七瀬を助ける。昔、君と戦った時、僕は卑怯な手段を使って勝ってしまった。今度は正々堂々と戦いたい」

「分かりました。もうなにも言いません。従事、あなたを成敗します」

 メダルは消えた。聖都へ送り届けられたのだろう。

 スプライトはソードを構え直した。

 少しだけ従事は嬉しさを感じた。スプライトが従事を認めてくれている。武器の構えはそんな意味がある気もした。

「いつでもどうぞ」

 従事は三角形でスプライトに殴りかかった。

 その小さな女の頭を粉砕するべく、頭上から巨大な三角形の面を振り下ろした。

「……」

 スプライトは容易く従事の攻撃を交わし、ソードを一閃した。

 両の肘辺りに熱く鋭い痛みと衝撃を受けた。

 三角形を持っていた従事の両手は宙に舞った。

「あ――」

 従事の両腕は跳ね飛ばされたのだ。

 生命のメダルはない。従事の切り落とされた腕は再生しない。腕だった肉は重い音を鳴らし地面に落ちた。

 もう食事の時に食べ物を掴むこともできなければ、七瀬を抱きしめることもできない。そんなことを考えると悲しくなった。

「力の差が分かりましたか」

「僕は七瀬を助けるんだ」

「――どうしてですか?」

 ドウシテデスカ。

 従事は心臓を掴まれた気分だった。一瞬にして全身の血の気が引いた。

 ドウシテダロウ。従事はその疑問に答えることができなかった。

「答えられるわけありませんよね。なにしろその想いはあなたのものではありませんから。あなたの感情もなにもかも、六芒リンカという少女が作り出した偽物の感情ですから」

「黙ってくれ…」

「今まで自分でも考えないようにしていたのでしょう? 目を逸らして。心の何処かでは分かっていたはずなのに。あなたの七瀬さんへの恋慕が偽物だということは」

「ダマッテクレ……」

「そもそも七瀬さんはあなたに助けられることを望んでいるのですか」

 ポテチに「勘違い野郎」「空気を読め」と言われたことを思い出した。

 ソモソモナナセサンハアナタニタスケラレルコトヲノゾンデイルノデスカ。

 何故この問いに自信を持って「そうだ」と言えなかったのか。

「―――」

 急速に従事の全身から戦意が衰えていく。

 スプライトはそんな従事を斬り殺すべく、歩み寄ってきた。

「さようなら、従事」

 スプライトのソードが天上を差した。そのまま光速を持って振り下ろされた。

「―――」

 もう生命のメダルもない。従事は二枚に下ろされて死ぬだろう。

 ナナセサンハポテチニタスケラレタイノデハナイデスカ。

「――――――」

 スプライトがそんな言葉を口にした気がした。

 死に行く前に浮かんだ幻だったのかもしれない。それは心の何処かで恐怖していた、見えない可能性への嫉妬と恐怖。七瀬が実際にそんな言葉を言ったわけではない。だけど、もしそうならポテチへの醜い嫉妬も生まれる。生産性のないシミュレーションをしていた。もうすぐスプライトに殺されるというのに。

 ――ヘイトレッド(Hatred 憎悪)

 そんな文字の刻印が従事の脳みそに焼き付いた。ヘイトレッド(憎悪)の文字は確かに従事の脳みそに刻印された。以前メイフェアに切られた脳みそが、まだ完全に治っておらず異常をキタシているのか。

 七瀬がポテチを愛しているのなら、それに従事が文句を付ける権利はなかった。だが、それでは自分はなんのために生まれたのか。リンカの妄想によって生み出された自分の存在意義はなんであるのか。

 七瀬のために生まれて生きてきたのに、その人生の土台が崩され、従事は自分をゴミだと思った。キコリすら眩しく見えた。

 七瀬に必要とされないなら死んでも仕方ないと思った。彼女を好きでいたい故に生み出されたニンゲンなのだから。

 スプライトのソードが落ちてくる。

 もうすぐ頭が割られる。メイフェア、キコリに割られたように。

 ――ポテチヲコロシタイ。

 ――アノオトコハフラッタヲコロシタノダカラコロサレテモシカタナイノダ。

 脳みそに焼き付いたヘイトレッドの刻印もそう言っている。

 正三角形は白姫が与えてくれた正義の力、ヘイトレッドの刻印は悪しき心が生んだ歪みの嫉妬。それを分かっていても、従事はスプライトを退かせ、ポテチを殺せる力が欲しかった。

 昔の感情を思い出した。フラッタが死んだ後、七瀬と共に森で木の実を取っていた時に決意した感情だ。

「――――」

 強いアーチャーになる。

 強ければ神殿騎士団にも負けなかった。

 今から強くなる。そして七瀬を一生守り抜きたい。

 片手弓を構えた右手からは、従事にしか見えない『心の線』が空中に現れる。それが矢の軌道なのだ。

 この線は心の象徴だ。線がぼやけ目標へ到達していなかったり、震えていたり、ずれていたりするのなら、原因は迷いに他ならない。

 強さが欲しい。

「あ――!」

 スプライトのソードが従事の頭に突き刺さった。

 だが、甲高い音を鳴らし、頭はなんとソードの斬撃を耐え切った。スプライトのソードを跳ね返した。

「な――!」

 さすがのスプライトもなにが起こったか分からないらしく、困惑の声を上げた。

 従事の頭はあらゆる金属よりも固くなり、スプライトのソードを打ち返したのだ。

 脳に刻まれたヘイトレッドの刻印は憎い敵を殺すまで死ぬなと叫んでいる。従事はスプライトに殺されたくはなかった。まだやらなければならないことが残っている。

 ここで死ねば己はなんのために生まれたのか。リンカはなにを願ったのか。フラッタは誰のために死んでしまったのか。

 両腕はスプライトに切られた。だが、従事の両腕だった箇所には、代わりに鋭く尖った二等辺三角形が生えた。白姫に貰った正三角形ではなかった。

 従事は両手に生えた三角形をスプライトに振り下ろした。スプライトは咄嗟にソードで攻撃を受け止めようとする。

「!」

 スプライトのソードは容易く砕けた。鎧も貫き、二つの三角形はスプライトの肉に食い込み血を吹き上げた。

 スプライトを殺したくはなかった。だから殺さない程度に、降伏する程度に痛めつけようと思った。

 従事は作業をするように、スプライトの全身を刻んでみた。

「――――」

 スプライトは悲鳴も上げない。ただ、攻撃に耐えている。だが、表情を見れば明らかに痛みを我慢しているのは分かった。我慢しているのだ。

 従事はいつまでも我慢しているスプライトに苛立ちを覚えた。この気丈な女は「痛い」と言わないつもりなのだ。それはすぐに弱音や苦痛を吐く従事への説教のようにも思えた。

 従事はスプライトを刻んだ。たくさんの血と肉片が飛んだ。

「――!」

 ソードを粉砕されたスプライトは従事の腹を蹴り飛ばした。

 従事は地面に尻餅を付き、血塗れのスプライトを見上げた。

 無表情だった。

 従事に興味を無くしたように見下していた。スプライトの全身から流れる血は従事が斬り刻んだ故の出血だ。

 スプライトガワルインダ。イツマデモミチヲユズラナイカラ。そんな下卑た考えを従事は追い払った。

 頭が痛む。従事は自分の悪い人格がスプライトを傷つけたなどと言い訳するつもりはなかった。やったのは自分だ。それだけの覚悟はもう決めていた。

「ボクノカチダ」

 自分の声なのに随分と片言になっているな、と従事は思った。

「七瀬さんを助けにいくのですか?」

「ソウダ」

「七瀬さんは今のあなたを見たら怖がるでしょうね」

 そうだろうと従事は思った。

「ボクハドウシタライイ? ニクシミニノマレソウダ」

「自分のことですよ。自分で面倒を見てください」

 従事は立ち上がり、両手の三角形をスプライトに向けた。

 この戦いにもはや負けはない。あのスプライトを相手に従事は勝利するのだ。スプライトに勝てたのなら、ポテチにも勝てるだろう。

 スプライトも憎かった。何故、七瀬が従事をどう思っているかを偉そうに代弁するのか。

「ドウシテスプライトハボクノキズヲエグルコトヲイッタンダ」

 スプライトはなにも言わず、折れたソードを従事に向かって構えた。

「ドウシテモヤルノカ。モウボクノカチハキマッテイルノニ」

「そんなことを言っているから、勘違い野郎とか言われるんですよ」

 スプライトの笑いに従事はかっと頭に血が昇った。それでもスプライトをこれ以上傷つけたくはなかった。

 だけど、七瀬とスプライトを天秤に掛けると、どうしてもその重みは七瀬へと傾いた。本音を言えば従事はスプライトを倒してでも、七瀬を追いたかったのだ。

 従事は両手の二等辺三角形を今まで以上に尖らせ、スプライトへと切り掛かった。

 スプライトも折れたソードで最期の攻撃を仕掛けてくる。

 ソードは折れているのだ。

 最初から負ける要素などなかったのだ。

 従事は頭突きでスプライトのソードを粉々に砕いた。ヘイトレッドの刻印により、額は鋼鉄よりも硬くなっている。

 そして右手の三角形でスプライトの左腕を切り落とした。

 残った三角形でスプライトのクビを飛ばそうと強引に凪ごうとした。

「――!」

 スプライトは目を閉じていた。

 死を覚悟していた。

(ボクハホントウニスプライトニカッタノカ?)

 昔、卑怯な手段を使いスプライトに勝ったことを思い出した。あの時、スプライトは従事を殺せなかったため、隙が生じたのだ。今回も、もしも最初からスプライトが従事を殺すつもりだったら、勝てなかったのではないか。

 最初に従事の両手を切り落とした時、スプライトが本気だったら従事のクビを跳ねることもできたのではないか。

 スプライトは震えていた。無敵のような強さを持つスプライトも死は怖いのだ。

 従事はどうしていいか分からなかった。だけど無慈悲にスプライトのクビを跳ねることなどとてもできなかった。

 従事はいつまでもスプライトを攻撃できなかった。スプライトの右拳が従事の顔面に叩き込まれた。

 従事は鼻血を吹いて転倒した。

 スプライトは悠然と高い壁のように従事の前に立っていた。ソードは折れ、左腕も切断され、戦闘能力は残っていないはずなのにまだ立っていた。

 従事を殺すか、殺されるかのどちらかしか選択肢にない。そんな顔だった。従事が引かない限り、スプライトとは決して和解できないだろう。

 従事が気に掛けたニンゲンは誰も従事のことを気に掛けてくれない。所詮スプライトも永い時間の中で出会ったある一人の男としてしか、自分を見てくれていない気がした。

 ――脳みそに焼き付いたヘイトレッドの刻印は。

 はちきれんばかりの勢いで従事の全身に命令を送っていた。殺さなくていい。スプライトは傷つけて、泣かせて、謝らせろと、刻印は叫んでいる。

 従事は鼻血を拭いて立ち上がった。

 三角形を蟹のように両に構え、従事はスプライトを刻むべく掛けた。

「――!」

 胸を刺した。

 腹を凪いだ。

 肩を斬りつけた。

 三角形をスプライトの肩口に叩き込み、股間まで一気に切り裂いた。やりすぎたと後悔した。今の一撃は致命傷になりかねない。

 スプライトの身体は既に死に掛けている。それでもスプライトは残った右腕を従事の額へと伸ばした。

 従事は動けなかった。スプライトの身体を縦に切断したため、前のめりになったままだ。スプライトの右手を払うこともできなかった。このままではスプライトの攻撃をもろに受け、殺されてしまう。

 従事は諦めた。

 こんなに強い力を手に入れたにも関わらず、スプライトには負けたのだ。クズと言われても仕方ないと思った。

「――従事」

 スプライトは従事を殺さなかった。

 額に優しく触れただけだった。その一撃は脳みそに刻印されたヘイトレッドの刻印を粉々に破壊した。

「あ――ス、スプライト…」

 従事の中の興奮は随分と緩和されていた。

 黒い憎しみも小さくなっていった。ポテチへの嫉妬も、七瀬への恋慕も、目の前で死に掛けているスプライトの前では霞んで見えた。

「良かった。優しい従事に戻ったんですね」

 スプライトはまだ笑っていた。

 死に掛けているのに、痛いはずなのに、従事のために笑ってくれた。従事は恥ずかしさすら覚えなかった。そんなものよりもスプライトの命を救いたかった。

 自分の存在意義がゴミになろうとも、スプライトの命が救えるならそれでいいと思った。

 だけど現実はいつも甘くなかった。

 フラッタがもうすぐ死ぬと分かった数分後、予定通りフラッタは処刑された。スプライトももう助からない。

 従事はやはりどうしていいか分からなかった。スプライトを抱きしめた。

「ごめん、スプライト…。僕は馬鹿だ。優しくなんかない」

 従事はスプライトの懐を漁った。生命のメダルの力を使えば、あるいはスプライトを救えるかもしれない。だが、メダルは先程スプライトが聖都へ送り届けていたのを思い出した。

「いいんですよ、従事…」

 スプライトは喋る度に全身から血を噴いた。もう、助からないのは誰の目から見ても分かった。

「スプライト、僕は、最低、だ」

「背負いすぎなんですよ…。みんな、何処か、悪い、部分が、あります。私も、そうです」

「僕はスプライトを…また傷つけてしまった」

「従事。この先にいる敵はあなたと同じ類の悪魔です。嫉妬し、絶望し、憎悪し、永い時間を掛けて少しずつ歪んだものです。私にもし悪いと思ったのなら」

 スプライトの顔が歪んだ。

「もう喋るな。痛いんだろう」

「もし私に悪いことをしたと思うのなら、従事は絶対に自分に負けないでください…」

「――ブザマネ」

 スプライトは振り返った。

 森の奥、闇の先を睨みつけている。

 そこにいたのはいつかの白い影の少女だった。

「君は…」

「モウスコシデヘイトレッドノナカマガフエルトオモッタノニ」

 従事には分かった。

 その少女の脳みそにも、ヘイトレッドの刻印があった。それも従事のように表面的に焼き付いた刻印ではなく、脳と一体化した刻印だ。

 白い少女の影は指先を従事達に向けた。

 キコリの斧よりも、スプライトのソードよりも、ポテチの拳よりも、尚鋭く尖った無数の二等辺三角形が少女の回りに浮かんだ。

「あなたは―――」

 スプライトは少女が誰か知っているようだった。だが二等辺三角形の一つがスプライトの腹を突き破っていた。

「う…ぁ…」

 スプライトは腹を押さえ、大地に膝を着いた。

「――死ネ」

 まるで光速の弾丸のように無数の二等辺三角形が従事達に飛来してくる。

 その数も多ければ、攻撃力も従事の三角形とは比べ物にならない程高く、従事には迎撃の策は思いつかなかった。

 スプライトが従事の身体を突き飛ばした。

 従事の目の前でスプライトの全身の至る所が白い影の放った三角形に貫かれた。

「スプライト――!」

 誰の目から見てもスプライトは絶命しているのは明らかだった。

 だが、従事は認めたくなかった。従事の大好きなニンゲンが死んだなどと。そして、スプライトはまだ動いていた。

 身体は死のラインを超えていながらも、まだ敵と向かい合った。

「オウジョウギワガ――ワルイ」

 再び無数の三角形がスプライトに飛んでくる。

 スプライトは最期の力を振り絞るように、折れたソードを白い影に投げつけた。だが、ソードは僅かに二等辺三角形の飛来を防いだに過ぎず、スプライトは全身を撃ち抜かれ、従事の前から消え去った。

 あのスプライトが白い影の攻撃を受け、一瞬にして消え去った。

 それはスプライトが疲弊していたからなのか、白い少女の三角形が余りにも尖っていたからなのか。従事には分からなかった。

 従事に熱い血をたくさん振り掛け、スプライトは消えた。

 

 

「従事。この先にいる敵はあなたと同じ類の悪魔です。嫉妬し、絶望し、憎悪し、永い時間を掛けて少しずつ歪んだものです。私にもし悪いと思ったのなら」

 

「せめて自分には負けないでください。従事なら大丈夫ですから」

 

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