-救済の書-

終世の4章 姫の祝福。


 

 従事は気がついた時、何処かの建物の中にいた。

 あのビルの屋上に居心地の悪さを覚え、無数の時間や空間を飛び越えた。だけど、この世界の何処にも従事の居場所などなかった。所詮自分は作り物だと従事は思い知った。ここには枝の世界の住人など一人もいない。

「――――」

 悔しかった。

 負けたことが悔しいのではない。七瀬やスプライトの前で醜態を見せたことが情けなかった。そして七瀬は自らの意思で従事の前から去った。

 もう何もする気は起きなかった。

 だけど、世界の何処かに自分が居るだけでも辛かった。従事はまた逃げるように、死んだように、時間と空間を移動した。

 

 

 また、何処かの家屋に降り立った。

 従事はすぐに立ち去ろうとしたが、その部屋にいた少女の様子が気になった。従事が目の前にいるにも関わらず、少女は見向きもしなかった。

 空ろな瞳で虚空を見つめていた。

 従事は辺りを見た。ここは知っている。リンカの家の玄関だ。そして目の前にいるのは白姫だ。

 この少女が白姫だと知り、従事は胸の高鳴りを覚えた。リンカの妄執が生み出した従事は七瀬だけではなく、白姫にも本能的に魅力を感じたのだ。

 死の間際にいる白姫を前にし、従事はどうしていいか分からなかった。

 白姫もようやく従事に気付いたらしく、緩慢な動きで従事を見た。

 お互い黙っていた。

 だけど、従事は沈黙に耐えられる口を開いた。

「…死ぬのかい?」

 白姫は頷いた。

「そんなことをしたらリンカが悲しむ…」

 脳みそに危険の信号が鳴り響いている。従事の命も世界も白姫の死をきっかけに成り立っている。白姫の死を止めることは歴史の改竄だ。

 だけど、もしやリンカはこの出来事を期待し、従事を生み出したのではないか。そうも思えた。

 従事は白姫には死んで欲しくなかった。

「信じられないかもしれないけど、僕はこの世界のニンゲンじゃないんだ」

 フラッタ、ヒルダ、メイフェア、その他無数の命の最期を目にしてきた。例え白姫の死が歴史通りだとしても、従事は死の受け入れなどしたくなかった。

 従事はこの世界の秘密、自分の生まれを白姫に聞いてもらった。途方もない話なのに、白姫は従事を馬鹿にしたりはしなかった。

 ただ聞いているだけだった。

 従事はどうしていいか分からなくなった。死に行くニンゲンを現世に引き止める言葉など分からないのだ。心の氷を溶かす術などないのだ。

「――?」

 従事の胸に白姫の冷たい手が触れた。

 ――従事の心が生み出していた二等辺三角形が正三角形へと変わっていく。

「これは――」

 三角形の一つだけずれていた頂点が残りの二点へと近づき、従事の中でそれは美しい三角形となった。

 白姫は従事にこの美しい三角形を見せるためにここで待っていた。そんな気がした。

 白姫は立ち上がった。

 このままクビを吊る気だ。

 従事は止めようと、白姫に近づこうとした。

「――」

 メイフェアの時と同じだ。白姫の手が従事の胸を押した。従事はこの世界と空間から弾かれた。

 強制的に世界から追い出されようとしている。白姫の心の氷が従事を近づけない。駄目だ、と従事は叫んだ。

 だけど、従事は樹の世界から枝の世界にまで弾き飛ばされた。

 白姫はやはり死ぬのだとうっすら理解できた。

 白姫はリンカの友達だ。従事の友達ではない。なのにとても悲しかった。

 

「七瀬ちゃんとリンカちゃんを救ってあげてください」

 そんな声を最期に聞いた気がした。

 

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