-救済の書-
終世の3章 悲哀。
昼間の都市の道路へ従事は降り立った。
「――――」
従事は眩しさに思わず目が眩んだ。久しく太陽を見ていなかったのだ。
(気持ちいい)
この時代だ。リンカの夢の日記で見た世界はここだ。ここに七瀬はいる。
右を見た。
左を見た。
(――居た)
七瀬が友人二人と楽しそうに語らいながら歩いていた。リンカと白姫だ。従事は物陰に隠れた。
七瀬が通り過ぎる。
「――!」
いや通り過ぎなかった。七瀬は用事があるからとリンカと白姫を先に帰らせた。
――従事。
「!」
従事は心臓を掴まれたように飛び上がった。自分の名を覚えているとは思わなかったのだ。
「僕のことを覚えているのか」
「忘れるわけないよ…」
涙が零れそうになるのを従事は必死に耐えた。数千年という長い時間を越え、無数の世界を飛び、ようやく会えたのだ。
だけど複雑だった。喜んでいいのか。フラッタやアリカ、ヒルダ、メイフェアは祝福してくれるのか。踏みにじった屍は従事を許してくれるのか。
「どうやって樹の世界に来たの?」
「よく分からない。悪魔の森で白い影に会ってこの世界に飛ばされたんだ」
「そっか」
言うべき言葉が思いつかなかった。会いたい一心でここまで来た。なにを語ればいいのか。
ボクノコトヲアイシテクレルカイ。
そんな言葉を言いかけて飲み込んだ。
「僕はこれからどうしたらいい?」
「私が決めることじゃない…」
「そうだよな…」
七瀬に会いたかった。その先の目的など霞んでいた。
ボクハナナセトイッショニイラレルノカイ。
その言葉も飲み込んだ。リンカを受け入れなかった七瀬が従事を受け入れるとは思わなかった。そして怖かった。拒絶が。
「七瀬が、元気、そうで、僕は、嬉しい」
それだけは言うことができた。
「――アリカちゃんの炎に焼かれた私は別の時代、別の世界へと飛ばされた」
「僕もだ」
「そこでアークビショップと一緒に生活してた」
「ああ」
「従事は?」
「僕もアークビショップと一緒に永い時間を過ごした」
「そうなんだ」
「―――」
背後に暗い穴が開く気配がした。神殿騎士団がもうそこまで追いかけてきている。
七瀬の背後にも穴が開いている。
「七瀬も追われているのか」
「うん…従事も…?」
「ああ。こっちだ」
従事は七瀬の手を引いて裏路地へと入った。
逃げることは困難だ。だけどここで戦いを始めれば無数のニンゲンを巻き込むことになる。従事は七瀬の手を引き、細い道を逃げた。
だが、前からも敵の気配がする。追い詰められているのだ。
世界の移動は七瀬が拒否した。この時代から離れたくないらしい。従事は廃ビルに入り、七瀬を連れ屋上まで逃げた。
――決着を着けようと思ったのだ。
「七瀬」
「うん…?」
「僕は君に会いたかった」
「うん…」
「会えてよかった」
「うん…」
「もう思い残すことも少ない」
「うん…」
七瀬の曖昧な返事が胸に刺さり従事は痛みを覚えた。
だけどそれを追求する間もなく、虚空から無数の鎧を着た神殿騎士団達が従事と七瀬を囲むように降り立った。
「退がって」
従事は七瀬を庇い、リンカの枝の世界から二等辺三角形を取り出した。そして銀の弓に掛け構えた。
七瀬を守る騎士になろう。幼い頃から従事はそんなことを考えていた。
「――――」
だが目の前に本物の二人の騎士が降り立ち、従事のナイトの自信も崩れかけた。
立ちはだかったのは、メイフェアと並ぶ最強のアークビショップの二人だった。
――スプライト。
――ポテチ。
従事が背伸びし、追いつこうとした二人の騎士が今目の前に立ちはだかっているのだ。
スプライトはポテチを後ろに下がらせ前に出た。
「お久しぶりですね、従事」
「スプライト。僕を殺しに来たのか」
「今のあなたは危険です。ダークエナジーを持つどころか、樹の世界の歴史にまで干渉し始めている」
「――――」
スプライトは本気だ。その目は従事を本気で殺しにきたことを訴えていた。
従事は七瀬を守るように、背に隠した。
このまま戦えばまず負ける。強さもさることながら、数が違いすぎる。だが従事はメイフェアに勝った。一対一での戦いならあるいは勝てるかもしれないとも思った。
本当はスプライトと戦いたくはない。だけど七瀬を守る為なら何者にも立ち向かうつもりでいた。
「分かった。僕も逃げ隠れはしない。だけど、もしよければ一対一で戦ってくれないか。あんた達も騎士なら」
スプライトは頷いた。そしてソードを鞘から抜き前に出ようとした。だがそれをポテチが制した。
「この勘違い野郎は俺が始末してやろう。お前では情が移っていてやり辛かろう」
戦うのはポテチだった。それは従事にとって好都合だった。スプライトに刃は向けたくなかったのだ。
そのはずだったのだ。だと言うのに。
「やめて、ポテチ!」
七瀬がポテチを止めていた。
七瀬も従事と同様、アークビショップと時間を旅したと言っていた。それはメイフェアではなく、ポテチなのだろう。それは黒い嫉妬に変わりかけた。
ポテチが憎かった。七瀬とポテチの仲が良いことが悔しかった。
――コイツハフラッタヲコロシタンダゾ。
そう言いたかった。
―――アナタガナカヨクシテイルスプライトハアリカチャンヲコロソウトシテイタヨ。
そう言い返されそうな気がした。
今なら勝負という形でポテチを倒すことができる。
「ポテチ、勝負だ!」
「気安く俺の名を呼ぶな、盗人が」
ポテチはソードも抜かず、従事に向かって歩いてきた。
顔面にパンチを入れられ、従事は鼻血を吹いて床をのた打ち回った。
「ぐ…ぎぃあ…」
鼻っ面の骨が折れる衝撃は従事の脳みそを激しくシェイクした。
鼻血を撒き散らして、七瀬やスプライトの前で床に転がる姿は非道い屈辱だった。
七瀬を見た。
スプライトを見た。
従事は怖くなり、彼女達から視線を逸らしてしまった。弱い姿を見せたくない。七瀬にはメイフェアを倒した時のような勇士を見せたいのだ。
従事は起き上がり、二等辺三角形を弓に構えた。
「ポテチぃ!」
従事が追い求めた敵が目の前にいるのだ。この壁を乗り越えなければ、従事は男として生きることはできないのだ。
「ポテチぃィイイイイィィィィイイ!」
二等辺三角形を撃ち放った。
だが、ポテチは二等辺三角形を軽々と掴み、握り、粉々に磨り潰した。
メイフェアに勝てたから、ポテチにも勝てる。
それは非道い思い上がりだった。メイフェアを倒したと言っても、それはヒルダが片腕を切り落としていたという戦う前からのアドバンテージがあったからだ。
真っ向から戦えば結果はこうなるのだ。
それでも従事はフラッタの形見のナイフを手に取り、ポテチへと向かっていった。
「空気を読め、勘違い野郎め」
「ぐべ」
ポテチのカウンターのパンチを顔面にまともに喰らい、従事は倒れた。
ポテチが寄って来る。
恥ずかしかった。七瀬やスプライトの前で男に負けることが。そして、七瀬に庇われることが。
「やめて、やめて、ポテチ!」
七瀬がポテチにしがみ付いた。
従事は自分が馬鹿みたいだと思った。
守ろうとした七瀬が、敵に従事の命乞いをしてくれているのだ。そしてポテチは頷いた。
「いいだろう。確かにこの勘違い野郎は罰せられる者だ。だが、今はこんな小物よりも、我々には倒さねばならない敵がいる。そのためには、七瀬。お前には生け贄になってもらわねばならないのだ」
「うん…」
「世界を救済するため、その身を捧げてくれるか」
「従事を逃がしてくれるなら…」
「構わんか、スプライト?」
スプライトは哀れな物を見下すような目で従事を見て、頷いた。
従事は息も絶え絶え、ポテチの足を掴んだ。
「お前ら、七瀬をどうする気だ…」
蹴り飛ばされた。
「悪魔の森に住み着いた邪悪は七瀬を欲しているのだ。捧げれば森も沈静化し、討伐する隙もできるだろう」
「囮だというのか! 馬鹿な! お前達、騎士なのに正々堂々と戦わないのか!」
「お前のような弱虫の勘違い野郎には永久に分からないことだ」
「ポテチぃぃ!」
従事は立ち上がり再びポテチに殴り掛かったが、顔面を殴られ沈黙した。
スプライトが従事の傍まで寄ってきた。
膝を折り、哀れむような目で従事を見下ろした。
「あの悪魔の森に住み着いた者は七瀬さんを追い求める執念のみで動いています」
「なんで…だ…なんで七瀬なんだ…」
「この樹の世界で生まれた妄執が枝の世界を一つ創りました。しかし、その負の感情はダークエナジーを持ち、あらゆる世界や時代を道連れにしようと増幅しています」
――白姫への贄として世界の全てを焼き尽くしたい。
リンカの感情を思い出した。
「スプライト。役に立たん弱虫に秘密を教えてやることもない。聖都へ戻るぞ。戦は近い」
「はい」
スプライトは従事に振り返りもしなかった。
七瀬も目を閉じ従事を見ていなかった。
ポテチだけが見下していた。
やがて彼らは神殿騎士団を引き連れ、虚空へと消え去っていった。