-救済の書-

終世の1章 惰性。


 

 従事はメイフェアのアジトが燃えるのを見ながら、地面に両手を付き吐いた。

 死なずに済んだ。そんなことを考えている自分への嫌悪が嘔吐を促した。メイフェアを見捨てられないと言いながらも、その実自分が死ぬことが怖かった。

 七瀬にも顔を向けられない。

(そうだ、七瀬は何処にいるのだろう)

 今更ながら思い出した。七瀬はリンカや白姫の世界にいた。あれは恐らく樹の世界だ。七瀬は元々樹の世界のニンゲンだったのだ。七瀬に会いたかった。フラッタを助けることができず己を責めていた時、七瀬は優しく慰めてくれた。彼女の温もりがまた欲しかった。

「――彼女に会いたいならおいでよ?」

 誰もいない筈だった。

 従事は振り返った。もちろん誰もいない。森の奥から声が聞こえた。

 メイフェアの言葉を思い出した。森の奥には世界を歪めている者がいると。アークビショップでさえ正体の知らない魔物がいるのか。

 従事は森の奥へ行こうと歩を進めた。

 フラッタが死んだ。ヒルダが死んだ。メイフェアが死んだ。たくさんの屍を踏み躙ってまで何故生きているのか。

 生きていることになんの意味があるのか。従事には分からない。だけど七瀬がもし死んだら嫌だと思った。

 そんなことを考えながら歩いていると、やがて辺りが暗くなっていたことに気付いた。

 この付近が森の深遠だ。

 小さな白いヒト影が見えた。

「誰だ…?」

 ヒト影は笑った。白い影はまるでヒカリの歪みのようでもあった。

 ゆらゆらと影は漂っている。

「私だよ。忘れたの?」

 幼い少女の声だった。

 七瀬、アリカ、スプライト、リンカ、白姫、ヒルダ、メイフェア。従事が今まで見知った女の名を思い出したが、その誰の声でもないような気がした。だけど会ったことがある。

「ごめん。思い出せない…」

「忘れたんだ」

「ごめん…」

 少女の影は蠢き、笑っていた。

「樹の世界に行きたいの?」

「ああ」

「行かせてあげようか?」

 君は誰だ。その言葉を従事は飲み込んだ。言ってはいけない。忘れられるということは辛い。

 ふと、少女の影の後ろを見た。少女の影は白かったわけではなかった。影はやはり暗い。だけどそれ以上の闇が少女の背後にあった。

「こっちに来たら駄目」

「どうして?」

「ここは次元の狭間だよ。落ちたらもう戻れなくなる」

「そうなのか」

「樹の世界に行くの?」

「ああ。行きたい」

 白い影に従事は手を握られた。

 いつか体験したように、情報が耳や目からではなく脳に直接イメージとして沸いてくる。メイフェアやキコリに刻まれた脳は異常をキタシているのか。

 従事は無数の枝に包まれた、樹の世界へのたった一つの抜け穴を見つけた。

 

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