-救済の書-
発火の1章 メイフェア。
アジトの中は時代に不適合な超文明の装置により構成されていた。この基地にあるアイテムはおろか、壁や床の材質に至るまで、どれもがこの世界のこの時代では築けないものばかりだ。
金属の硬い床は従事とヒルダの足音を高く響かせるけれど、敵兵が襲ってくることはなかった。
従事とヒルダは長い廊下を歩き続けた。まるで王城のような一本道を歩き続けると、遂に玉座に辿り着いた。赤い髪の女が座っていた。
この女がメイフェアらしい。
「――――」
従事は息を呑んだ。
メイフェアは燃えるような赤い髪を靡かせた絶世の美少女だった。その美貌はもはや魔力に近い。ヒルダが向き合っていられるのも同姓だからだ。
従事は駄目だと分かりながらも、メイフェアへと魅き寄せられていく。
「――!」
ちくりと腹が痛み、従事は我に返った。
胸の中に入れてあったナイフが従事に軽く刺さっていた。フラッタのナイフだ。
(すまない、フラッタ)
従事は銀棒を弓に変え、ヒルダの隣に並んだ。
メイフェアの足元にはゴミのようにキコリが倒れていた。
「ひ、ひぃ…メイフェア様すみませんんんんん」
キコリは這い蹲っている。メイフェアは抜いたソードの先でキコリの頭を軽く叩いた。
「ぎゃああああああああああああああ」
キコリは燃え上がった。比喩ではなく発火し燃え上がった。メイフェアはゴミを掃くホウキのように、キコリを武器で殴り飛ばした。
「ぎえええええ」
燃えたままキコリは床をスライドし、壁にぶつかった。そのまま燃え続けた。
「さて。ダークエナジーを持つお二人さん。わざわざガンクビを揃えて何用かな。用が無ければ今から斬り殺すことにするけど」
メイフェアは従事達に刃を向けた。
従事の背に汗が流れた。もしもメイフェアの強さがポテチやスプライトと同格ならば、如何に戦えばメイフェアを打倒できるのか。
「メイフェア! 私よ! ヒルダよ!」
「知らないわ」
「僕は関係ないかもしれないが一応名乗っておこう。僕の名前は従事と言うんだ」
「もっと知らないわ…」
メイフェアはソードを構え従事達に近付いてくる。
ヒルダは従事を退がらせた。
「ヒルダ?」
「従事、手を出さないでよ」
「しかし」
「…従事、もしアークビショップと戦うつもりなら見てて。こいつらは普通の方法では絶対に倒せないから」
「うん…?」
ヒルダはソードを構えメイフェアに駆けた。
眼前にいるのは気が遠くなる程永い間、戦い続けた最強の宿敵メイフェアだ。またの名を発火メイフェア。
「メイフェア!」
敵対する相手は武力、知力、魅力、そしてニンゲンの出来の良さ。その全てがヒルダよりも一回りも二回りも上の天才だ。そんな相手に勝つにはどうしたらいいか、ヒルダは永い時間を掛けてずっと考えていた。
「メイフェアあああ!」
ヒルダはソードをメイフェアに振り下ろしながらも、別のことを考えていた。
奇跡について考えていた。
神様が与えてくれた短い時間は。
奇跡を呼び、奇跡はヒトに幸福をもたらす。
だけど中には奇跡を生かせない無能もいる。
無能は有能を妬む。
ヒルダはメイフェアに対して渾身の力でソードを振り下ろした。
「――――!」
満月のような弧を描く剣筋は非の打ち所のない、完璧な剣閃だった。メイフェアと出会う以前のヒルダなら最強の自負はあった。だが、やはりメイフェアはその刃を軽く受け止め、そして受けた力を流すように、強烈な一撃をヒルダの腹に叩き込んだのだ。
水月に打ち込まれ、ヒルダは視界が一瞬暗くなる。だがそれでも、ヒルダは喰らい付くように第二の剣撃を撃ち込んだ。
能力が明らかに『上位互換』である敵に勝つにはどうしたらいいか。ヒルダはずっと考えていた。
これからこの命を賭ける。
従事ともっと早く会えたなら、あるいは良い友人になれたかもしれない。短い間ではあったが情も移った。この最期の戦いを見せることができ、アークビショップを倒せる唯一の手段を託すことができるなら、それで良かった。
「メイフェア!」
ヒルダの叫びもメイフェアに届かない。彼女は己の名前すら覚えていないのではないか。そんな危惧を抱き、ヒルダは背に冷たい汗を流したが、もう良いと割り切った。
メイフェアが自分のことを覚えていないなど、覚悟の上だった。上級者が下級者を覚えている方が稀だ。寂しくて悲しいだけだ。
メイフェアは煩わしそうにソードを振る。距離を開けるための剣閃だ。だがヒルダは逃げることを止めた。狙われた左手を庇わず、メイフェアの刃の餌としてくれてやった。
「強い貴女は命を賭けた勝負なんてしたことがないのでしょ?」
「―――!」
一瞬だがメイフェアに動揺が生まれた。ヒルダは嬉しかった。初めてメイフェアの裏を取ったのだ。メイフェアの右腕を斬り落とした。
ヒルダとメイフェア、二本の腕が宙を舞い、床に落ち血を撒き散らした。
「痛いなぁ…」
「私、自分よりも上位のあなたにずっと追いつきたかった。あなたを驚かせることができて正直嬉しい」
「上位とか下位とかそんなことに拘っているうちは勝てないわよ」
「いいの」
次の一太刀で全てを終わらせる。殺されても悔いはなかった。本当はメイフェアに認められたかった。それだけでよかった。いつからか親愛は憎しみに変わっていた。でも本当に嫌いではなかった。メイフェアに振り向いて欲しくて何度も歯向かった。
目の前で死んだらメイフェアは自分のことを覚えてくれるか、それだけは気になった。
ヒルダは叫んだ。
「―――――――――!」
メイフェアの真の名を叫んだ。大声で、彼女の心の底に届くまで叫んだ。
「―――」
メイフェアは一瞬だが動きが確かに止まった。
ヒルダは斬り掛かった。
避けられる筈の太刀筋だった。
ヒルダの幼稚な剣技など、メイフェアを捉えられる筈などなかった。だが、剣を受けてあげようと思ったのだ。
自分の本当の名を覚えている者がまだいたことに驚いた。極々親しい者にだけ打ち明かした本当の名前だ。
「――――」
ヒルダのシルバーソードはメイフェアの胸を貫いていた。
「痛い…なぁ…」
ずきずきと刺された胸が痛む。
怒りに任せてヒルダの頭を殴りたくなった。昔のように。馬鹿なことをしでかすヒルダの頭を殴りつけたかった。
だけど消耗しているのはヒルダだ。切断された左腕から血液やエネルギーが零れ続け、正に絶命しようとしている。
「――ヒルダ」
自然と名前を口にしてしまった。
「私のこと、思い出してくれたの?」
思い出したのではない。最初から忘れてなどいなかった。
「たった一つの枝に生まれたある時代の一部下のことなんか、覚えていないと思ってたよ」
「そんなことない」
「私、あなたに勝ちたかった」
メイフェアはヒルダを一度だけ抱き寄せ、髪を優しく撫でた。
ヒルダは嬉しそうに笑った。
そしてその身体は灰のように霧散し、大気へと散っていった。
ヒルダは死んだ。
従事は見ていることしかできなかった。
目の前で仲間が塵になるのを見ているだけだった。
「ヒルダは…?」
「ダークエナジーを持つあなた達は大地へと返らない。死ねば身体は灰化するわ」
「ヒルダは…死んだのか…?」
メイフェアは頷いた。
従事はどういう表情をしていいのか、分からなかった。
確かにヒルダには情も移っていた。ヒルダの死は悲しかった。
だけどフラッタを失った時程、辛くはなかった。何処かの夢に出てきた白姫という女の子が死んだ時程にも苦しくもなかった。関わった時間の長さだ。
「――――」
従事は吐き気を覚え、両手を床に付いた。
目の前で死んだ女の子のために泣いてやることもできなかった。
「誰にでも優しくあろうとするなんて無理よ」
メイフェアは初めて従事に興味を持ったかのように声を掛けてきた。
アリカに優しくしようと、スプライトに優しくしようと、ヒルダに優しくしようと、出会ったニンゲンとは仲良くやってきた。それらは上っ面だったのか。
従事はヒルダのためではなく、自分の情けなさを呪い泣いた。
「ヒルダも馬鹿ね。偶然出会った男に自分の最期を見てもらおうなんて」
「――――」
メイフェアの言葉に怒りを覚えた。従事はメイフェアを睨んだ。
「今度はあなたが相手かしら。いらっしゃい。片手でも十分、このまま相手してあげるわよ」
従事はスプライトから貰った銀の弓でメイフェアを射た。