-救済の書-

永劫の1章 歩く力。


 

 従事は目を覚ました。

 夜空に浮かぶ満面の星々が目に飛び込んできた。永い奇妙な夢を見ていた気がする。

 従事は右を見た。

 左を見た。

 スプライトは従事の隣で眠っていた。二人は生命のメダルにクビを繋ぎあっていたのだ。

「ここは、何処だ…」

 世界は焼けていた。大地は絶えず震え、ひび割れ、熱いマグマが噴き出し、赤茶色く燃えていた。

 だが世界の終焉という気はしなかった。創世を思い出した。

「スプライト、スプライト」

 従事は多少乱暴とも思ったが、スプライトの頬を叩き起こした。

「う…」

 やがてスプライトはゆっくりと目を開けた。従事はスプライトがちゃんと生きていて安心した。

「従事…ここは」

「僕にも分からない。ここは地球なのか」

 スプライトは天を仰いだ。従事も天を見上げた。地上は灼熱の炎が滾る地獄になっていようとも、夜空に浮かぶ星は変わらず輝いていた。

「一応、地球らしいですが…」

 スプライトは顔を曇らせた。ポケットからなにかを取り出した。

「測定器を見てみると、四十九億年前となっていますね…」

「なんだと…」

 従事もスプライトの持っていた機械を覗いた。確かにここは創世記の地球だった。

「どうなっているんだ」

「わかりませんけど…従事…!」

「む」

 スプライトに手を引かれた。

 大地が割れていく。ここは危険だった。

「従事、早く! 不老不死ならマグマにも耐えられますが、メダルが溶けてしまっては機能も損なわれてしまいます」

「ああ…」

 何処に逃げると言うのだ。

 逃げ場のないニンゲンはどうすればいい。アリカを思い出した。フラッタを思い出した。

 

 

 火よりも熱い灼熱のマグマが迫ってくる。熱い炎は夕日のようだった。

 あの時の夕日のシーンが――。

 思い出されない。

「――?」

 頭に過ぎったのは六芒リンカという少女が、七瀬と一緒に見る夕日のシーンだった。日記を通じて見たあのシーンが頭に蘇る。その日記は何処で読んだのか。思い出そうとし、頭が割れるように痛んだ。

 スプライトに手を引かれ、従事は我に返った。

 従事とスプライトは走って逃げた。

 だが、ヒトの足では逃げ切ることも敵わず、やがて追いつかれた。

「スプライト!」

 スプライトを死なせたくはなかった。七瀬を守るために温存した命だったが、今はもう目の前で大事なニンゲンが死ぬのは見たくなかった。

「従事…!」

 こんなことで守れるとは思わなかった。だけど、従事はスプライトをマグマから守るように抱きしめた。

 アリカに焼かれた時、七瀬を庇ったように。

 

 

 次に従事が目を覚ましたのは、古びた小屋のベッドの上だった。

 また時間や場所を移動してしまったのか。

 従事はベッドから起き上がり、窓や戸を開けようとしたが、残念ながら開かなかった。

「起きたかね」

 いつの間にいたのか、従事の背後には白髪の老人が椅子に腰掛けていた。老人なんて皆似たように見える。いつかの生命のメダルを盗み、スプライトの怒りを買った老人を思い出した。

「そうだ、スプライトは?」

 従事は辺りを見渡したが、狭い小屋の中にスプライトの姿はなかった。

「僕達はマグマに飲まれそうだった。貴方が助けてくれたのか」

 老人は笑った。

「ワシはなにもしとらん。ここを作ったのは従事、お前じゃて」

「作った? 爺さん、ぼけて頭がプリンにでもなったのかい?」

「なんてことを言うんじゃ。そもそも老人の姿をしている必要もあるまい。これでどうじゃ」

 老人の身体と衣服が蠢き、絶世の美少年へと姿を変えた。

「おお…」

「どうだい、老人である必要はないんだ。ただ、ボクは老人になるまで生きたからね。あの姿が今までの積み重ねというかんじがして落ち着くんだ」

 声まで若々しくなっていた。

「変身できるのか?」

「ここは『枝の世界』だからね」

「枝?」

 美少年はそれには答えず立ち上がった。

「どうだい、僕は格好いいだろう?」

 ただ、中身は老人だったのだ。如何に格好よくとも、それではヒトを魅了できない。

「どうだい、僕は格好いいだろう?」

 格好いいらしい。

 

 

 美少年は老人の姿に戻った。

 従事は老人に頼んだ。

「さっき『枝の世界』とか言っていたが…差し支えなければ、教えて欲しい」

 老人はなにもないところから、一本の枯れ枝を出現させた。枯れ枝は七瀬やスプライトと木の実集めをした時のことを思い出させた。

「これは枝じゃが……。便宜上これを樹と呼ぶことにしよう」

「ああ」

「これが本来の世界の歴史じゃ。そして、大樹には無数の枝が生えている」

 老人は枯れ枝を従事の前に架ざした。枯れ枝からは更なる細かい枝が分かれていた。

「無念や執着、夢、願望なんかが強すぎるとな、歴史が分裂するんじゃ」

「どういうことだ?」

「例えば、ある少女が大事な友人を亡くし、自分の中に閉じこもった。この少女は皆が幸せだった時代だけを夢み、やがて衰弱して死んだ。本来の歴史ではその友人も死んでいるし、少女自身も死んでいる。だが、ここで枝分かれする。確かに客観的には少女は死んだ。だが、本来の歴史とは別に、少女自身の主観では死なずに分岐した『奇跡の未来』へと進み始める」

 従事は笑った。

「世界には過去から未来まで無数のニンゲンがいたんだ。そんな簡単に世界が生まれては、この世は世界だらけになってしまう」

「所詮それは枝に過ぎん。本来の歴史から離れすぎた妄想の世界はやがて腐り落ちる」

「なるほど、永続的に増え続けるものでもないのか」

 従事は老人の言葉を思い出した。

 この小屋は枝の世界、そしてここを作ったのは従事だと言った。

「つまり、ここは僕が作った枝の世界で、本来の歴史上にはない場所なのかい?」

「そうそう。飲み込みが早いの」

「じゃあ質問だ。本来の歴史では僕はスプライトと一緒にマグマに飲まれて死んだのか。いや、それよりもっと前にアリカちゃんの火に焼かれて死んだのか?」

 老人はクビを振るった。

「本来の歴史に従事などというニンゲンはおらん」

「うん?」

「君が生まれた世界そのものが、まず枝の世界だ」

「そうなのか」

「そうなのだ」

「……。どの時期で本来の歴史から分岐したんだ?」

「お前さんらの世界で文明最長上と呼ばれている時代じゃ。本来の世界に魔王なぞおらんよ。本来の歴史ではあの後、地球の文明は更に発達し、ニンゲンは宇宙へと進出する」

 六芒リンカ。従事の頭に夢で見た少女の名が過ぎった。

「随分と長い間、枝の世界が維持されているんだな。千年以上か。しかし、僕は文明頂上時代以前の過去の世界へ飛ばされたぞ」

「普通の枝は数年で折れるんじゃがのう。お前さんが飛んだ世界の説明はあとでしてやるが、それは別の枝の過去の世界じゃな」

「じゃあ、僕は枝の中で更に枝を作ったってことか」

「そういうことじゃ。もっともお前さんが作った枝はここだけじゃがの」

「マグマに飲まれた時に作ったのか。つまり、あの世界では僕はマグマに飲まれて死んでいるわけだ」

 老人は頷いた。

「その前にアリカちゃんの炎に焼かれた僕達は未来の世界から原始時代に飛ばされた。これはどういうことなんだ」

「ワシが何故お主の作った枝の世界に居るのかの」

 従事はクビを捻った。従事がこの小屋ごと、老人を作ったわけではないようだ。

「稀にな、枝の中の時間と空間を自由に飛びまわり、また枝から枝に飛び移ることができる者がいる。もっとも本来の歴史には干渉できんから、ハエのように飛び回るだけだがの」

「干渉できないのか?」

「うむ」

「どうやっても歴史は変わらないのか? 時間や空間を移動できるのなら、例えば本来の『樹の世界』の何処かの時代に飛び、そこで誰かを殺したとする。それでも歴史は変わらないのか?』

「本来の世界にワシらが飛んだ瞬間、その世界は『本来の歴史とは異なる世界』になる。歴史にワシらはおらんかったわけだからな。つまり、ワシらが樹の世界に飛んでも、その時点でワシらは樹から弾かれ、ワシらのいる場所は『枝の世界』になるというわけじゃな」

「なるほど。平たく言うと本来の歴史には飛べないのか」

「まあ、そういうことじゃが…。枝の世界を自由に飛び回るワシらをよしとせんものがいる。本来の歴史は破壊できんが、枝の世界なら歴史の捏造は可能じゃ。ワシらの力をダークエナジーと呼ぶ者もおる」

「ダークエナジー…。僕と一緒にいた聖騎士の女の子もそんな言葉を使っていたな」

「ダークエナジーは紛れもなく悪じゃ。ダークエナジーを持つ者は枝を腐らせかねん。それらを狩り、各世界を守り抜くのが聖都のアークビショップ達だ」

「アークビショップは時間を飛びまわれるのか。僕と一緒にいたスプライトというビショップはなんで僕を置いて未来へ帰らなかったのだろう」

「お前さん、過去の世界に独り置き去りにされたかったのか」

「されたくない」

「情けだったのじゃろうて。その時はお前さんもダークエナジーを持っておらんかったようじゃし。やつら三人と一人のアークビショップは全ての時間と空間に存在する。悪しき者を滅ぼすじゃろう」

「つまり、僕はその悪者か」

「ワシもな」

 老人は笑った。

 

 

「僕はこれからどうしたらいい?」

 途方もない話だった。

 七瀬に会いたいがため、彼女を追い求めていた。永い時間の果てに辿り着いたのは世界の害虫になるという末路だった。

「なにをしても構わん。お前さんはもはや時間や空間の束縛から解放された。本来の枝に帰って静かに暮らすも良し、別の枝に住むも良し」

「話が大きすぎてよくわからないな…」

「ではワシに力を貸してくれんかの? ワシがお前さんに会いに来たのも、一つ頼み事があったからなのじゃ」

「なんだい?」

「お前さんはダークエナジーを持つ者の中でも、珍しい力があるらしいの」

「なんだ、それは?」

「枝の世界、即ち妄想の世界の産物を、本来の歴史に捻り込む力があるらしい」

「うん?」

「普通はそんなことはできん。先にも言ったがワシらの場合、例え本来の歴史である『大樹の世界』へ飛んだとしても、その時点でそれは『本来の歴史』とは違う筋を通る、すなわち枝の世界へと分岐進化してしまうのじゃ」

「ああ」

「だが、お前さんは本来の歴史にいた」

「僕は枝の世界、すなわち誰かの妄想の世界で生まれたニンゲンじゃないのかい?」

「その通りじゃ。だが、お前さんは本来の歴史に一度姿を現している。そこである少女と出会っている」

「そんな覚えはないな」

「これから先に取る行動かもしれん。ワシはお前さんの、枝の世界のアイテムを、本来の歴史に持ち帰る能力に期待しているのだ」

「なんかよくわからんが、あんたはなにをしたいんだい?」

「ワシは帰りたいんじゃ…。こんな能力など捨て、ニンゲンに戻り、樹の世界で家族や妻と時間を共有したいんじゃ。短い時間でもいいのじゃ…。だが今のワシは樹の世界へ帰ろうにも、弾かれてしまうんじゃ…」

「なるほど。僕に出来ることなら可能な限り協力しよう」

「おお」

 老人は喜んでいた。

 ヒト助けが出来て、従事も嬉しかった。

 

 

「では、なにからしたらいいのだろう」

「まずは様々な枝の世界を飛び回ってみなされ。世界の仕組み、ジャンプの仕方を覚えてくるが良い」

「どうやって飛ぶんだ?」

「目を閉じて世界の流れを見てみ」

 従事は言われた通り目を閉じた。そして無数の時間や空間、世界を心の中に引き寄せた。過去や未来、無数の空間、あらゆる世界を一望するこの能力、従事が過去にあった誰かも持っていた。誰かは思い出せなかった。

 従事は適当なポイントを一つ選び、そこへ向かって飛び込んだ。背に生えた幻の翼は時間でも、空間でもない軸をも飛び越える。それは高次元への道でもあった。

 

 

「気をつけなされ。本来の世界のアークビショップもワシらと同じく世界を移動する力を持っておる。ワシらは常に狙われていることを忘れてはならんぞ」

 

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