-救済の書-
狭間の1章 覚悟。
水と食料を持たせ老人は洞窟から追い出した。夜になったので従事もスプライトも眠ることにした。
過去に飛ばされてから二日目の夜だ。
今頃になって従事は、永久に七瀬に会えないのではないかと不安になってきた。
怖かった。
七瀬のいない人生に価値はない。夕日と七瀬の笑顔を思い出した。まるで刻印のように夕日とあの時の笑顔は従事の脳みそに刻まれている。
「――――」
また頭が痛んだ。
七瀬と一緒に木の実を取った。一緒に食事を取った。七瀬と一緒にいたい。他にはなにもいらないのに、それが叶わない。
死ぬまで七瀬と共に笑っていたかった。それは他の何者でも代用は利かないのだ。
七瀬を探し出せる確立は絶望的だった。
七瀬も時間移動したかどうかも分からない。どの時代に飛ばされたのかも分からない。この地球のどの地域にいるのかも分からない。地球にいるという保障もない。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
悲しくなり、拳で壁を撃った。
生きていた証が欲しかった。
七瀬に認められたかった。
従事は洞窟から出た。
夜の森を前にし、力の限り叫んだ。
ざわざわと森が揺れた。そう見えた。獣達が反応したのか。この声が七瀬に届くならそれで良かった。
たとえ百獣の王が牙を剥いて襲ってこようとも、戦いの先に幸福があるのなら勝利を捥ぎ取る。だが、もしもこの世界に七瀬がいないのなら、いかなる努力でも壁は乗り越えられないのだ。
「従事」
振り返ると、スプライトが洞窟の入り口に立っていた。
「…どうしたんだ。トイレかい?」
「……。叫び声が聞こえたから様子を見に来たのです」
むっとした表情のスプライトは従事の隣に立った。
「七瀬さんに会いたいのですか?」
「ああ」
「時間移動していないのかもしれませんよ」
「分かっている」
スプライトは肩を竦めた。
「一つだけ確実に会う方法があります」
ありえない言葉を口にしたスプライトに従事は振り返った。
「どうしたらいいんだ! 教えてくれ! 教えてくれ! 教えてくれ! 僕はなんでもする! どうしたら七瀬と会えるんだ!」
スプライトは懐からメダルを取り出した。
「このメダルの力で私達が生まれた時代まで延命するなら、再び会うことができるでしょう。かなり長い時間を生きなければなりません。その間に貴方の彼女への好意も揺らぐかもしれませんね」
「そんなことはない。僕は自信がある。決してこの想い変わらぬと」
「そうですか」
スプライトは黙った。それから少し悩んでいたようだが、意を決したように続きの言葉を発した。
「しかし、私にも延命しなければならない理由があります。このメダルを聖都にお返ししなければなりません」
「ああ」
「しかしメダルは一枚。貴方か私か、メダルの力を使えるのはどちらか一方のみということになります」
「どうしたらいいんだ?」
「私はこのメダルを手放すつもりはありません。どうしても貴方がこのメダルを必要と言うのなら、腕力で奪い取ってください」
スプライトの言葉は一つの境界線だった。
味方のままでいるか、敵になるか。
フラッタを思い出した。
アリカに強いられた残酷な選択。生きられるのはどちらか一方だ。
「スプライト」
「なんでしょう?」
「僕は非道いやつだと思う。君を倒してでもそのメダルを欲しがっている」
「非道くありません。このような話を持ちかけ、貴方の心を揺さぶった私こそ非道い。しかし、これから先を生きるのに、私は貴方がいつメダルを奪いにくるのか。貴方が死ぬまでそれを警戒し、守り通す自信はありません。だから早いうちに、情が移りきらないうちに決着を付けようと思ったのです」
「情が移ったヒトが死ぬのは悲しいもんな」
またフラッタを思い出した。フラッタが死んだ時は悲しかった。
「ただ。私は貴方に負けるつもりはありません。奪うというのなら全力で掛かってきてください」
スプライトはそう言い残し、洞窟の中へと戻っていった。
「――――」
従事は空を見上げた。
未来の世界では見ることのできない美麗な星空だった。
ポテチを思い出した。
スプライトの強さがポテチと同等であるとするならば、それは究極と呼んでも差し支えのない高さの壁だ。
だが、従事は先程の決意を思い出した。
例え相手が百獣の王であろうと、その先に希望があるのなら戦って勝つ。
「――!」
七瀬のことを考えると頭が痛んだ。
夕日で頭の中が真っ赤になり、頭の中が七瀬の二文字で一杯になった。膨大な量の七瀬という二文字は従事の脳みそを破裂させるかの勢いで駆け巡った。
従事は大きく息を吸い、吐き、思考を落ち着けた。
洞窟の奥へと進む従事の心は未だ揺らいでいた。
出会った頃のようなスプライトに対しての敵意はもうない。親しみも覚えた。そんなスプライトとこれから戦うのだ。戦いを回避することはできる。従事が一言、「メダルは諦めるよ」そう言うだけで、全てが丸く収まるのだ。
それでも従事は戦うことを選んだ。
七瀬と会いたかった。
アリカがフラッタを捨ててまで、従事を選んでくれたのはこんな心境だったのかもしれない。本当は皆幸せなのが一番だ。
スプライトは洞窟の奥で正座し、散らかった聖都の宝物を一箇所に寄せ集めていた。
振り向きもせずに声を掛けてきた。
「戦う覚悟はできましたか?」
「ああ」
「いつでもいいですよ」
従事は銀の棒のスイッチを入れ、輝く翼のようなアーチを出現させた。未熟な従事には強力すぎる張りの弦に矢を掛け、スプライトを狙った。
スプライトは振り返らない。
背を向け、宝物の片付けをしていた。
分かっている。
この矢を放った瞬間が戦闘開始となる。
穏やかなスプライトが牙を剥くのだ。
平時が静かであるが故、スプライトがソードを抜いた時の恐ろしさは想像し難かった。ただ、容赦なくあの老人をばらばらに斬り捨てたのは覚えている。アリカのクビを撥ねようとしたことも覚えている。
「――――」
ここで死ぬならそれも良い。
――逃げれば一生後悔する。
矢を放った。