-救済の書-
ミドリの3章 イノチ。
スプライトはソードを構え、眼前の“敵”を睨み付けた。
身体の中の血がこの老人を敵と認めた。
何故、敵だと思ったのか。理屈では分からないが、それ以上に信じるに値する直感がスプライトに危機を知らせていた。
「ニンゲンが来るのは珍しいな。見た所、未来から飛ばされてきたようだの」
「――」
言葉は通じた。
自分たちの素性を悪の賢者に見抜かれたようで、スプライトは背筋に冷たいものを感じた。
「貴方は何者ですか? どうして私達が未来から飛ばされたと分かるのですか」
「衣服を見れば分かるだろう。この時代ではそんな物は作れんわ。娘さん、あんたの脳みそはまるでプリンのようじゃの」
老人はからからと笑った。
気分を害する笑いだった。
「何者ですかと問うているのです。答える気はありませんか? 友好的な関係を築くつもりはありませんか?」
「怒るな怒るな。可愛い顔が台無しじゃぞ」
スプライトは大きく息を吸い、吐いた。
肺に酸素が満たされ、体内に戦闘の準備が整った。
従事は頭の痛みを堪え、スプライトの腕を掴み静止した。
「スプライト、落ち着いて…」
「従事。あの老人は危険です」
どうして、と問うよりも先に老人はまた笑った。
「なるほど。娘さんは聖地のビショップか。ワシとは相性が悪いかもしれんな。察するに五千年辺り先から飛ばされてきたんじゃないのかい?」
「あんたも未来から飛ばされてきたのか?」
従事は冷静さを失ったスプライトに変わり、老人に尋ねた。
老人は頷いた。
「そうじゃ。ワシはお前さんらよりも更に先の未来から、ここよりも更に古い過去へと飛ばされたんじゃ」
「なんでだ?」
「話せば長いんじゃが、ワシのいた時代から四〇〇年程前に古の魔王が甦ったんじゃ。ニンゲンは何百年も奴と戦った。ようやく復興しかけた世界は焼き払われたよ。ただでさえ少ないニンゲンの多くが死んだ。聖都に立て篭もったワシらは最後まで抵抗した。だが可笑しなことがあったんじゃ。奴の吐いた暗黒の炎に包まれたワシらはこの過去の世界に飛ばされた」
「ワシら?」
「この時代よりも更に数千年前にワシらは飛ばされた。ワシ以外は皆、老衰したよ」
スプライトは片手で従事を退がらせ、老人に尋ねた。
「貴方の時代では医学は発達しているのですか? 私達の時代ではニンゲンの寿命は良く持ったところで一世紀です」
老人はクビを横に振った。
「お前さんらの時代より廃れておるよ。あれは地獄の未来じゃ。国も村も目に付くものは全て焼き払われ、聖徒ももはや都というよりも避難地区じゃな。ありゃダメだ」
ならば何故この老人は今よりも更に千年前に飛ばされ、今尚生きているのか。
「ワシな、実は不老不死になったんじゃよ」
老人は声を出して笑った。
「聖都の地下には色々なお宝があっての。どれもが一国一城の家宝に匹敵するもんじゃ。昔からよく盗賊があれら宝を狙っておってのぅ。多くは捕まり斬首されたもんじゃが、混乱中ならどうってことなかったわい」
老人は懐からメダルを取り出した。
それは従事が未来の世界で、アリカやフラッタと共に盗んだメダルと同じものだった。
「聖都のお宝にも色々あるが、その中でも最重要アイテムとして、三枚と一枚の大メダルというものがあっての。アークメダルとも呼ばれておる。魔を封じるメダル。永遠の生命を得るメダル。強力な進化発展を促すメダル。そして、更なる奇跡を生み出す最後のメダル。これらは聖徒の最高司祭にだけ使うことを許された力じゃ」
得意気に話す老人の言葉を聞きながら、従事はそっとスプライトの顔を伺った。
「――――」
怒っていた。
「つまり貴方は聖都の至宝に手を付けたのですか」
「あたりめえじゃ。お前らビショップがあの悪魔を倒してくれりゃそれでいいんだが、普段偉そうな顔をしながらも、非常時には己の安全ばかり考えて、悪魔から逃げてばかりじゃねえか」
「そうですか。私の時代の聖都のニンゲンは皆立派でしたが」
「まあ、結局ワシは一介の盗賊だったのに、この生命のメダルの力によって不老不死を手に入れた。あの悪魔もワシを殺すことはできなかった。不死身のワシは辺境の村では最強の勇者とも呼ばれたもんよ。そら、気持ちよかったぜ。平民には手に入れることのできない名誉だ」
「私は未来の僧侶が愚かだったとは思いません。メダルの力を得た貴方は悪魔を倒せましたか?」
「いいや。殺されこそしなかったが、奴の吐く炎に包まれ過去へと飛ばされちまった」
「そういうことです。そして結果として未来の世界でメダルは一枚失われた。貴方の愚かな独断の為に聖都は更に悪魔との戦いにおいて苦戦を強いられることでしょう」
スプライトはソードを抜き、老人へと一歩一歩と詰め寄っていく。相手の正体が分かった今、スプライトにはもう恐れがなかった。
老人は飛び上がった。
「な、なんじゃお前さんっ。な、なにをする気じゃっ」
「貴方の事情も特殊、命まで奪おうとは言いません。ですが邪な心を持つ貴方はメダルの所持者に相応しくない。私が主に届けるので、お返し願います」
「バカを言うなっ! メダルを手放せば永遠の命も消える! この老いぼれの身体では、あと数年で老衰してしまうわ! だいたいお前は何様じゃ! メダルはお前のものでもないだろう! きえええ!」
「私は聖徒のアークビショップの一人ですが?」
老人はまた飛び上がった。
「ア、ア、ア、アークビショップっ? ただのビショップじゃないのかっ? な、なんでこんなところにいるんじゃっ」
老人ははっとした。
「も、も、もももももしや、お前は四〇〇年前、魔王と最初に戦い、行方知れずとなったと言われている、で、伝説のアークビショップ、す、すすす、スプライトかっ?」
「後世で私はどのように伝えられているのか存じませんが、多分そのスプライトです」
「ぎょえーっ」
老人は後ずさり、自分で作ったであろう家具を散らかした。
「ゆ、許してくれっ。このメダルが無ければ、ワシは老衰してしまうんじゃっ」
「ニンゲンはいつか地に返るものです」
スプライトが前に詰めれば、老人は後ろへ退がる。やがて老人の背は壁に当たった。
そして、かっと目を見開いた。
「千年を生きたこのワシが、いかにアークビショップとは言え小娘に遅れを取ると思っているのかっ? ワシは千年も生きてるんだぞ! きええ!」
「それを物の怪というのです」
「だまれぇーっ」
老人は懐からナイフを取り出しスプライトに飛び掛った。
――従事はアークビショップ、ポテチと戦った時のことを思い出した。
彼の圧倒的な戦闘能力を思い出した。従事達は成す術もなく全滅したのだ。
「抵抗するのなら仕方がありません」
従事にはスプライトの前に無数のヒカリが走ったように見えた。
それは剣閃だ。洞窟内の灯りを銀の聖剣が反射したのだ。
「@@@」
老人の悲鳴が響き、手足胴体クビがばらばらになって床へ散らかった。
だがそれら肉塊は一つに結合し、再生しようと蠢きだした。そして再びニンゲンの形となり、スプライトの前に立った。従事はそれを見ていて、アメーバーみたいだなと思った。
「なるほど。メダルの力を得た貴方は、悪魔でさえも殺せなかったと言っていましたね」
「そうじゃぁ。悪魔に勝てないものがワシに勝てるわけないわ」
老人のクビからは、紐で結わえられたメダルがぶら下がっていた。
「私達とその悪魔の違いは分かりますか?」
「あ? なんじゃ?」
「私達がそのメダルの効果を知っていることです。悪魔はメダルの力で貴方が不老不死の力を得たことは知らなかったのでしょう? 先にメダルを奪取すれば良いのです」
スプライトは従事をちらりと見た。
従事は頷き、片手弓を老人のメダルに向け弦を引いた。老人はクビを傾げている。
矢を放った。
クビから掛けていた紐を撃ち抜き、メダルは床に落ちた。そのまま転がりスプライトの足元へと至った。
「あ! か、返せっ! ワシのメダルっ!」
スプライトは迫る老人を金属のブーツで蹴飛ばした。老人はボールのように転がっていき、洞窟の壁にぶつかった。
「あっ。大丈夫ですか? もう再生できないんでしたね…手加減し忘れました…」
老人はぴくぴくと痙攣していた。
老人をやっつけた。
勝利した従事達は洞窟内を調べた。
洞窟内からはメダル以外にも、多くの宝物の小物が転がっていた。磁石のようなものから、天秤のようなものまで何に使うのか分からないものも多くあった。老人を締め上げると、全部自分が盗みましたと白状した。勿論スプライトは激怒した。
「けっこう色々あるな。なあ、スプライト」
「はいはい?」
「七瀬やあんたの部下を探すのに便利なアイテムとかないかい?」
スプライトは「うーん」と唸り、辺りを見渡した。
「殆どが効果のない美術品ですね。これとこれは使えそうです」
地面からスプライトが拾ったものは小さな四角い箱と、一本の銀製の棒だった。
四角い箱を開けると、中にはパネルと無数のボタンがあった。スプライトは慣れた手つきで操作した。
「それは?」
「通信機のようなものですね。神殿騎士団は皆、証となるものを騎士に昇格した時に頂きます。その証に反応します。地球内であれば、神殿騎士団の位置を特定、または周囲の音声と映像を収集できます」
「監視機じゃねえか、そんなの…」
「そういう言い方しないでください」
パネルに表示された文字を見、スプライトは顔を曇らせた。
「どうした」
「反応は私だけですね…。神殿騎士団はこの時代には私一人しか存在していません」
「七瀬はどうだろう」
「どうでしょう。このアイテムではそれ以上のことは分からないです…」
スプライトは銀棒を従事に手渡した。グリッドが真ん中にある不思議な棒だった。
「これは貴方にお貸ししましょう」
「なんだこれ」
「グリッドの部分にスイッチがあるでしょう? 押してみてください」
「押してみる」
途端、強烈な勢いで棒は弾けた。
両端は翼のように広がり、反り、弓の弧となった。美しい銀糸の弦も掛けられていた。
その弧の形、弦の強靭さ。これは正にアーチャーなら誰もが夢に描くという理想のフォルムだ。
「小型収納可能な大型弓です。またスイッチの押し方一つで弓の大きさも調整できます。アーチャーの貴方には理想的なアイテムでしょう?」
「おおお…」
棒がボウ(弓)になった。
ボウがボウになった。とても面白かった。
強力な弓が手に入り、従事は大満足した。