-救済の書-

ミドリの2章 痕跡。


 

 用を足したスプライトは後始末をし、従事の居る場所へ戻ろうとして溜め息を吐いた。

 デリカシーのないニンゲンは苦手だ。

 吹き上がる怒りを理性で抑え歩いていると、自分とは違う足跡を発見した。

 もちろん従事のものでもない。

 ニンゲンの痕跡を見つけた。

 

 

「従事。ヒトの足跡を発見しました」

 戻ってきたスプライトは開口一番そう告げた。

「おなかの具合平気かい?」

 スプライトは怒りか羞恥か顔を真っ赤にしたが、案外辛抱強く黙り込んだ。

「平気です…。それよりもヒトの足跡を発見したんです」

「本当か? 行ってみよう」

「はい、こっちです」

 従事はスプライトの後に続いた。

 スプライトの後ろを歩くと、彼女の背に掛けられたソードが目に付いた。機能美だけでなく、煌びやかな輝きを放っていた。宝物と言っても通じる代物だろう。

 ソードといい、マントといい、スプライトもポテチも他の神殿騎士団とは一線を画していた。

「スプライトは位が高いのかい?」

「?」

「いや、聖都のお偉いさんなのかなって」

「まあ、そうですね」

 スプライトは笑って頷いた。

 地位が高いことを認めても、それは自慢の笑みなどではない。己の責任感と向かい合う自負の笑みだった。

「私やポテチは聖都のアークビショップの一人です」

「アークビショップ?」

「はい。三人と一人の最高司祭です。私やポテチは『三人』の方に当たります」

「一人は別格ってことか?」

「そうですね。まあ、同じ『三人』と言っても、私とポテチではやはりその性質や用途は違いますが」

「まだ若いのにすごいんだな」

「歳は関係ないんです。生まれる前から決まっていましたから」

「そっか」

 やがて先頭を進んでいたスプライトが歩を止めた。

 彼女の足元を見ると、踏み潰された草があった。これはニンゲンの靴に踏みつけられた跡だ。

「これが見つけた足跡です。この時代のものではないでしょう?」

「ということは、スプライトはこの辺りで用を足したのか」

「……。足跡はあっちの方へ続いているようです」

 従事なりの不安を紛らわせるための気の利いた冗談のつもりだったが、スプライトの機嫌を損ねてしまったらしい。

「行こう」

 この痕跡は七瀬かもしれない。

 

 

 ヒトの痕跡は森の奥へと続いていた。

 従事達の時代ではこの辺りは既に森も終わり、聖都へと向かう街道に位置する。足跡も森もまだ続いていた。

「聖都へと続いていますね。私の部下の誰かでしょうか」

「むう…」

 スプライトには悪いと思ったが、従事はこの足跡が七瀬であることを願った。とは言え、スプライトの部下だとしても、頭数が増えるれば今後の七瀬の捜索も楽になるので、どちらにせよ早く誰かを見つけることに異論はなかった。

 この足跡はこの時代のものではない。

 追ってみる価値はあるのだ。

 やがて未来では聖徒の入り口に位置する場所に行き着いた。

 そこは岩肌が剥き出しになった斜面であり、洞穴が掘られていた。

 ヒトの痕跡はその中へと続いていた。

「どうする? 入るか?」

「そうですね。ただし十分に注意を払いましょう。私が前を行きます。この足跡の主が私達の仲間であるとは言い切れません。もし相手が悪意あるイキモノだった場合、戦闘を覚悟しておいてください」

「分かった」

 洞窟の中へとスプライトが入っていく。

 すぐに彼女の背中は闇に呑まれ見えなくなった。従事は慌てて後を追った。

 穴の中は下り坂だった。地面の底へ、底へと続いていた。

「深そうだな…」

「従事、足元に気をつけてください。コケのせいで滑りやすいです」

「大丈夫だ。こう見えても僕は暗い所を歩くのは得意なんだ…うおっ?」

 滑った。

 スプライトの背中にぶつかった。

 スプライトの身体を押し倒した。

 二人で洞窟の奥へと転がり落ちていった。

 

 

 従事は腹に感じる重みで目を覚ました。

 尋常でない重さの正体はスプライトだった。自分は潰れた蛙だと思った。

「すまん、どいてくれ…。ものすごく、重い…」

「し、失礼な…! 重いのは武具を身に着けているからです…」

 スプライトが退くと、従事はようやく身動きが取れるようになった。

 落ち着いて辺りを見渡した。

 暗くはなかった。洞窟の奥底なのにここは十分な灯りがあった。

 スプライトは従事に耳打ちした。「誰かいます」と。

 ここには生活の匂いがあった。散らかった食物の欠片、汲まれた水、など。

 敵か味方かは分からない。

「――――」

 スプライトはソードを二度地面に打ち付けた。

 岩と金属がぶつかり合う甲高い音が洞窟内に響いた。

 暫し待ったが反応はなかった。

「今のは私達の合図です。返事がないということは私の部下ではないようですね」

 スプライトはソードを抜き、奥へと進んでいった。

 彼女が強いことは知っている。だが、小柄なその背を見ていると不安になる。敵は未知なのだ。

 従事も弓を構え奥へと進んだ。スプライトに万が一のことがあれば、自分も生きてはいられない。もはや一蓮托生なのだ。

 二人で更なる奥へと進んだ。

 そこにいたのは、小さな老人だった。

 スプライトはソードを収めず、老人に声を掛けた。

「失礼。私の言葉が分かりますか?」

 老人はにやりと笑った。

 従事は笑わなかった。

 スプライトも笑わなかった。

 

 

 洞窟に備えられた松明は赤々と燃えていた。赤い炎はあの夕日と、七瀬の笑顔を連想させた。柔らかい脳みそに鉄串を刺されたらような、鋭い痛みに従事は汗を流した。

(七瀬七瀬七瀬七瀬…)

 七瀬のことで頭がいっぱいになる。

 

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