-救済の書-
地球原生期の3章 ヤクソク。
ポテチは部下を引き連れ、聖都へ帰還していた。
森を抜けると視界も多少は明るくなった。
砂鉄とガラスに塗れた荒野を歩く。ここは戦争の被災地だ。千年前の戦争でこの地球の全ては焼け爛れた。地球は死の世界となってしまった。
ポテチは振り返った。
あの森はなんなのか、以前からも気にはなっていた。何故、この死に絶えた世界でここだけ木々が生い茂っているのか。
悪魔の森と呼ばれているこの地の実態は、聖都の『アークビショップ(三人と一人の最高司祭)』であるポテチにも分からないことであった。
「ポテチ様、どうなさいましたか」
神官キコリはポテチの顔を伺うように尋ねてきた。
「どうもしない」
ポテチはゴマをするこの副官が好きではない。余りにも下品であり、下劣だ。何故このような男が己の副官なのか。キコリを任命した同僚を恨んだ。
重いメタルブーツがケイ素を踏み潰し、聖都へと歩を進めた。
盗まれた『封魔のメダル』も取り戻した。
罪人にも罰は与えた。
だが、この重い雲を見ていると気分は優れぬのだ。
「ポテチ様〜、いかがなさったのですかぁ〜」
キコリの顔を見ていると更に気分が悪くなった。
村に戻ってから一週間が過ぎた。
人口が三十人のこの小さな村ではフラッタは数少ない戦士だった。彼の死には誰もが悲しんだ。村人には「フラッタは敵と戦い見事に散った」と伝えた。
従事が死の大地に寝転がり、ぼうっと寒々しい空を見上げていると隣に本を手にした少女が座った。
七瀬だ。
「元気ない…?」
「いや、大丈夫」
危ないのはアリカだ。
村に着いてからもずっと家の中に閉じこもっている。食事も摂っていないらしい。
「大丈夫じゃない…。顔色悪いよ、従事…」
「そうかな。自分じゃわからないや」
「ムリしないで…」
従事は七瀬にだけは全てを話した。七瀬に話したことはアリカにも黙っておいた。
好きなニンゲン相手に嘘を付くのが嫌だった。というのは詭弁だ。本当は大好きな七瀬と感情を共有したかった。
どうすればアリカが楽になれるか。それを従事は七瀬に相談することで、二人に共通の目的が生まれる。共通の目的を持つと仲は良くなりやすいのだ。
従事は今日も自分が嫌になった。
「七瀬」
「うん?」
「フラッタは死んだ。だけど僕は帰ってきた。僕が生きていることは喜べる?」
「うん。従事もアリカちゃんも生きてて良かった。本当に…」
「もしも僕が死んだなら、アリカちゃんがフラッタを選んでいたのなら、フラッタは生きて帰れたとしても?」
「――――」
答えを窮したように七瀬は黙り込んだ。
愚問だった。
ここで七瀬が頷けばそれはフラッタの命を軽視したように取れる。頷かなければ従事よりもフラッタが生きていればよかったということだ。
神殿騎士ポテチがアリカに選ばせた二択を思い出した。
「ごめん、良くない質問だった…」
「ううん」
七瀬は暗い顔をしている従事を励ますように微笑んでくれた。
「――――」
確かに愚問であった。
だけど、それでも七瀬には頷いて欲しかった。フラッタよりも従事の方が大事だよ、と頷きで良いから認めてもらいたかった。
「僕は非道いやつだな…」
思わず胸中を口に出してしまった。
七瀬は泣きそうな顔になったが涙は流さなかった。従事の隣に来て、頭を抱きしめた。
「非道くない…! 従事は非道くないから…」
「――」
そうだ、こう言われたかったのだ。
七瀬には自分の味方でいて欲しかったのだ。この不安定でいつ死ぬか分からない世界だからこそ、七瀬には認められたかった。己の行いと存在意義を。
「七瀬」
「うん?」
「午後になったら森へ行こう。薬草と食べ物を集めておこう」
「うん、いこう」
七瀬は頷いてくれた。
「もしも僕が神殿騎士団よりも強かったのなら、フラッタを死なせることもなかった。アリカちゃんを傷つけることもなかった」
「じゃあ、これから強くなろ?」
「だけど、フラッタはもう生き返らない。時間は戻らない。壊れたモノが直ることもなければ、死者も生き返らない」
「…うん」
七瀬に頭をぽんとはたかれた。
「強くなって、これからみんなを守ろう?」
「約束する」
守りたかった、七瀬を。
アリカを。
自分を。
悪魔の森は昼間でも薄暗かった。
育ちの良すぎる青々とした木々の葉が、ただでさえ少ない天からのヒカリを更に遮断しているのだ。
油断するとすぐに木の根に足を掬われる。
「七瀬、気をつけるんだよ?」
「ふあいー…わっっ?」
言っている傍から、運動神経の鈍い七瀬は足を根に引っ掛け地面に顔面から突っ伏した。
「い、痛っ…ひゃっ?」
立ち上がった七瀬は足を滑らせ、今度は後ろへと転び無様に尻を木の根に打ち付けた。
「い、痛あぁっ…! お尻が死んじゃうっっ…お、おしり、ね、根っこにぶつけたっ…」
従事は七瀬のあまりの失態に不快な記憶も忘れ、思わず噴き出して笑ってしまった。優しく手を差し伸べてやった。
「七瀬は鈍いね」
「はぅ。非道いぃ…」
土塗れの顔で「むーっ」と膨れる七瀬に、従事は笑った。七瀬はしばらく膨れていたけど、根負けしたように笑った。
「従事って非道いー」
「お詫びに七瀬のことを一生守ってあげるよ」
「はいはい」
さり気の無い告白だったのだが、七瀬には軽く避わされてしまった。
従事は腰から片手弓を取り出し、右手で頭上の木の実を狙った。
「弓なんて使えるの?」
「僕はこれでも村一番のアーチャー(弓戦士)なんだよ」
強いアーチャーになる。
強ければ神殿騎士団にも負けなかった。
今から強くなる。そして七瀬を一生守り抜きたい。
「――――」
片手弓を構えた右手からは、従事にしか見えない『心の線』が空中に現れる。それが矢の軌道なのだ。
この線は心の象徴だ。線がぼやけ目標へ到達していなかったり、震えていたり、ずれていたりするのなら、原因は迷いに他ならない。
今、線は震えている。
七瀬と二人で楽しい時間を過ごす。それはアリカへの罪悪感にもなった。この命が助かったのは彼女の好意の賜物だ。なのにアリカを独り苦しめ、七瀬と戯れる己への怒りだ。
強くなって七瀬とアリカを守る。
線は木の実を吊る蔦へと収束した。
矢を発射する。
発射の際の強烈な反動に従事は現実に返った。
「わー木の実落としたーっ。すごーいっ」
矢は見事に果実を撃ち落していた。
従事が次々と木の実を撃ち落すと、七瀬は慣れた手付きでそれらをバスケットの中に詰め込み始めた。
従事が落として、七瀬が集める。
驚くほど七瀬と息が合っていた。
それは間違いなく楽しい時間だった。次々と木の実を撃ち落した。
「従事、すごいー」
「ははは、それほどでも」
ハハハソレホドデモ。自分でも虫唾が走る言葉だった。
悪魔の森から出ると、すっかり陽は傾いていた。
西の空から来る朱色のライトを目にし、従事と七瀬は歓声を上げた。夕陽は幻想的なほど燃えるように赤く、そして美しく輝いていたのだ。
森を抜けたばかりのここは、まだ足元に草が生え茂っている。従事は草むらに倒れるように寝転がった。
「帰らないの?」
七瀬も隣に座った。目を奪われるような夕陽なのだ。
「陽が沈んだら帰る」
二人だけの時間は貴重だ。
ずっと七瀬の隣にいたかった。
「もう沈むよ。帰ろ?」
「まだ沈んでいない」
そして陽は沈み、地平線の彼方から赤いヒカリは失われていった。
「沈んだ。帰ろ?」
「ああ…」
沈んでしまった。
従事は決して忘れないと決心した。
この時、七瀬と一緒に見た夕日を。七瀬の笑顔を。