-救済の書-
地球原生期の2章 ナカマ。
七瀬(ななせ)は家から外に出て昼の空を見上げた。
重い雲が天を覆い辺りは暗かった。
強い風は七瀬の身体を冷たく打った。手が凍えそうだ。
数日前に村を出た従事達はまだ帰ってこない。無事に帰ってくるだろうか。それともやはりあの神の都に潜入し、生きて帰って来ることは不可能なのか。
帰ってきたら、皆に暖かい衣服を編んであげよう。
そして、またいつものようにフラッタとアリカが周囲に見せ付け、見せられた従事が意味有り気な視線を七瀬に送るのだ。
七瀬はそれを流し、またみんなで笑い生活する。貧しくてもいい。
だけど、それはもう適わない、七瀬は昔から持っていた本を抱き締めた。ここにはたくさんの物語が刻まれていた。七瀬はいつもこの本を手にしていた。
「処刑方法は斬首だ。斬首とはクビを切断することだ」
ポテチの処刑宣言だけで、縄で縛られた三人はまるで陸に打ち上げられた雑魚のようにぶるぶると震え上がった。情けないとポテチは思ったが、一つだけ付け加えた。
「だが、少女を殺すのは好ましくない。彼女は生かそう」
その一言で少女ははっと顔を上げた。
だが、男二人は情けなくも震えていた。
縛られた従事は芋虫のように身体を捩った。だが自らを縛る縄が緩むことはなかった。
処刑される。
ここで死んでしまうのか。
アリカは助けてもらえるらしい、それが不幸中の幸いだとも思った。
小さい頃から何度も死ぬ妄想をした。
死ぬとどうなるのか。意識はどうなるのか。途絶えるのか。脳へ血液が送られなくなり、その機能を止めた瞬間、全ての記憶を忘れ見知らぬ赤ん坊となり生まれ変わるのか。
死ぬのは仕方ない。
覚悟の上での窃盗だった。だけど、もう一度七瀬に会いたかった。
もう会えない。
彼女と一緒になる。もう彼女という『飴』は手に入らないのだ。
「この女は助ける約束だが、もう一人も助けてやろう。このご時世だ。女一人では精神的にも負担は大きかろう」
従事もフラッタも顔を上げた。
ポテチは騎士らしく、慈悲深い眼差しをこちらに向けていた。
「この女の恋人はどっちだ?」
「俺だ…」
従事が口を開くよりも素早くフラッタはそう答えた。
もう駄目だ。従事はここで殺されるのだろうと諦めた。
「そうか。女、お前に選ばせてやる。どちらを生かして欲しい?」
絶対に選んでもらえる筈がない。
アリカといくら仲が良いと言っても、それはあくまで友達としてだ。恋人が大事に決まっている。
従事は項垂れた。フラッタが申し訳なさそうに自分を見ているのが従事には辛かった。
だけどアリカはいつまでもどちらも選ばなかった。泣いているだけだった。
「どっちかだけなんてやだ…。どっちもじゃないとやだ…」
従事は胸が一杯になった。
なんと優しいのか。フラッタを今すぐにでも選べば、自分と恋人は助かるのにまだ選べないのだ。そうなのだ、アリカはそんな割り切った考えができる少女ではない。
従事はもう良いと思った。アリカが自分を選ばなくても構わない。選んでもらえるはずもなかったのだが、もう良いと思ったのだ。
「答えろ、女。答えぬのなら両方のクビを斬り落とすぞ?」
選ばせてはいけない。
アリカにどちらかを選ばせたと後悔させてはいけない。今後生きるにしても、どちらかを見捨てたなどと言う罪の重荷を背負わせてはいけない。
従事は覚悟を決めた。
「僕を殺せっ。アリカちゃんにはフラッタが必要なんだ! 僕を殺せっ! 残酷なことをするんじゃない!」
「黙れ盗人が。女は生かして返すが、ただし罪人には永久の罪悪感を背負わせる」
従事は顔面を殴られ黙らされた。
とても痛かった。
ポテチはアリカへと向き直った。
「さあ選べ。選ばねば両方のクビを刎ねるぞ」
アリカは涙で顔をびしょびしょに濡らしていた。頬から垂れる涙が地面へと吸い込まれていく。
「あたし殺して、二人を帰してあげてっ…」
「駄目だ」
「やだ…やだっ…どっちかなんてやだ…」
ポテチは鋼のような拳で大木を殴った。
無数の葉が落ち始めた。
「葉が落ち切るまで時間をやる。その時どちらも選べないなら両方のクビを刎ねる。分かったな」
落下する葉は待ってくれない。
一枚、一枚と確実に大地へと返って行く。
この葉が落ちるまでの命か、そう思い従事はじっとそれを眺めた。
従事はフラッタの顔を盗み見た。従事に対して申し訳なさそうな顔をしていた。
これは物語ではない。
都合の良い正義の味方が現れなければ、強力な打開策もない。
クビが斬れるとニンゲンは死ぬのだ。
そして葉は落ちきった。
アリカはずっと泣いていた。閉じた目からは際限なく涙は零れ続けた。
「さあ、どっちを殺す? 答えろ女」
「…っ」
泣きながらだけど、アリカは言葉を発した。
「よく聞こえん。もっと大きな声で言ってみろ」
「ジュージくんを助けてください…」
従事はフラッタの顔を見た。
呆然としていた。
彼はずっと黙っていたが、自分が選んでもらえると思っていたのだ。
恋人なのだから。
「どうした? 恋人じゃなくていいのか?」
アリカはクビを縦にこくこくと振った。
「ア、アリカっ! な、なんでだ! 俺よりジュージの方が大事だったのか? お前は俺が世界で一番大事じゃなかったのかっ?」
アリカは目を背けて、ごめんなさいと何度も謝っていた。
「女。どっちを助けたいかではなく、どっちを殺して欲しいか言え」
ポテチが悪魔のようだった。
アリカは泣きながらだけど、吹っ切れたのかすぐに答えた。
「フラッタを…殺してください…」
「アリカアアア!」
フラッタの声には怒気すら混ざっていた。
当たり前だ。
膨れ上がったフラッタの怒りは空気さえ震わせているようだ、
「誰を殺して、誰と誰を助けて欲しいか言え」
「…フラッタを殺して、私とジュージくんを助けてください…」
「理由を言ってみろ」
「ジュージくん、死んじゃったら……あ、あたし、やだ…死んで欲しく…ない…」
「ジュージとやらは、恋人のフラッタよりも大事か?」
アリカは泣きながら頷いた。
フラッタは大声で喚いていた。従事はフラッタを可哀想だと思った。
「口で答えろ」
「ジュージくんの方が大事ですっ…」
ポテチは部下に命じた。
「それでは嫌われ者のフラッタとやらの処刑を始める。ここでジュージとやらを殺せば、この女は全てを失うのであろうが、情けだ。それは勘弁してやる。これでも俺は騎士だ。約束は守ろう」
縄で縛られたフラッタは芋虫のようであった。
皆の前に転がされた。
「この嫌われ者のクビを斬れ、神官キコリよ」
「はは〜」
キコリと呼ばれた神官がオノを手に、フラッタの前に立った。小さな眼鏡を掛けた神経質そうな顔をした細面の男だった。
黒光りする重量質のオノは、ニンゲンのクビなど容易く斬り落とすだろう。
「うへへ。この神官キコリ様のホーリーアックスが今からお前のクビを斬り落としてやるぜぇ」
この処刑は誰にも止められない。縛られているフラッタにも逃れる術はない。
「アリカっ……アリカっ…! お願いだ……俺のことを好きだと言ってくれ…」
フラッタはこれから殺される。
これが最期の言葉となるのだ。
「お、俺はもうし、し、死ぬ…。う、ううう、嘘でもいい。好きだと、言言言言言言言言言言言言言ってくれ…嘘でもいいっ…」
「す、好きだよっ…」
「も、もっと言ってくれっ! 俺はもう死ぬ! 最期の情けをくれっ! 振られてもいい! 死んでもいい! 死ぬ最期の瞬間まで俺のことを好きだと言い続けててくれっ」
「す、好き! フラッタ好き! ごめんなさい! 大好き! 好き!」
「ありかぁぁ。好きだぁぁぁぁ!」
フラッタも泣いていた。
アリカは狂ったようにフラッタに「好き」と連呼していた。
「そ〜れっ」
神官キコリは嬉しそうに斧を振り上げ、振り下ろした。
断頭の刃が今、正にフラッタのクビに振り下ろされる。早くなんとかしなければ、このままでは本当にフラッタのクビは斬り落とされてしまう。
従事は脳みそを光速可動させ、必死にアイデアを考えた。
フラッタを救う方法を考えることにした。
「アリカァ!」
「フラッタアアアア! 好きっ! 好きっ! 好きっ! 好きっ! 好きっ! 好きっ! 好きっ! 好きっ!好きっ!好きっ!好きっ!好きっ!好きっ!好き!好き!好き!好き!好き!」
「ああああああ! アリカァ! ア、アリかあああ」
「好きーーーーー!」
キコリの斧がフラッタのクビに迫る。
このままではフラッタは死んでしまう。もう駄目だと従事は諦めた。
「うへへー。死ね〜〜」
キコリのオノの刃はフラッタのクビへと減り込み、あっさりと貫通した。
切断面から大量の血が辺りに撒き散らされた。
それでもアリカはまだ「好き」を連呼していた。フラッタのクビに向かって泣きながら好きと叫んでいた。
神官キコリはガッツポーズを取った。
「うおおおおお! 召し取ったりぃぃぃぃ!」
胴体と泣き別れたフラッタのクビを手に吠えるキコリは雄々しかった。
フラッタは死んだ。
神殿騎士団が去ったあと、従事とアリカはフラッタの亡骸を大地に埋めた。胴体と頭は別れていたが、もちろん同じ場所に埋めた。
そして墓を作った。
あれからまた陽は沈み、昇った。だけど、アリカはずっと墓にしがみ付いたまま立ち上がらなかった。
従事はなにも声を掛けることはできなかった。もう行こうとも言えなかった。
「…ごめんなさいっ…ごめんなさいっ…ふらったぁ…」
アリカはずっと泣いていた。
従事にはアリカに罪はないことは分かっている。自分にも罪はないことは分かっている。だが現実としてフラッタを死なせてしまった。
フラッタは神殿騎士団ではなく、自分とアリカを憎んだのではないか。そんな考えが従事の心の中で燻っていた。
三日三晩、アリカは泣き続けた。
四日目の朝、ようやく立ち上がった。
「ごめん、ジュージくん…」
「平気かい…?」
「平気…。平気じゃないのはあたしじゃないから…」
震えていた。
従事はどうしたら良いか分からず、アリカの肩を抱き寄せた。
震えを止めてあげたかった。
自分の命を救ってくれたアリカの心の負担を、一緒に背負ってあげたかった。
「ジュージくん、帰ろう?」
「ああ」
フラッタの墓に背を向け、従事とアリカは村へと歩を進めた。
従事は一度だけフラッタの墓へと振り返り、頭を下げた。