-救済の書-
地球原生期の1章 処刑。
既に体力と気力は尽き、陽も沈みかけている。
これ以上、森を進むのは危険だった。
従事(じゅうじ)は折れた大木の上に腰を下ろし、大きく息を吐いた。仲間の二人も土の上に座り込んだ。仲間は男と女だ。
二人はいつも隣に座りあう。
森を進む時もいつも寄り添っている。それは二人が恋人だからだ。従事はどうしようもない疎外感を覚える時があった。
「どうしたの、ジュージくん?」
アリカに声を掛けられた。
従事は思ったことを言うわけにもいかず、なんでもないと答えた。
「景気の悪い顔するなよ、ジュージ。せっかくここまで逃げたんだ」
ポケットから水筒を取り出し、フラッタはラッパ飲みをした。
「俺たちゃ奴等、神殿騎士団を出し抜いたんだ。誰も俺たちを捕まえることなんざできねえって。盗ったお宝をさ、金に換えて村に帰りゃーよ。村は救われるし、そうなりゃお前も村のことを忘れて七瀬(ナナセ)に告白できるだろ」
フラッタは小指を立てて笑った。
そうだ、従事には幼い頃から想いを寄せている七瀬という少女がいる。
七瀬と恋人になりたい。一緒になりたい。添い遂げたい。恋人になってアリカとフラッタのようにヒトに見せ付けたい。勝ち組になりたい。セックスしたい。
胸が切なくなった。
「…そうだね」
従事が頷くと、アリカとフラッタは優しく笑い頷いてくれた。
この二人も同じ村で育った仲間だ。
従事の幸せを望んでくれている。アリカとフラッタが仲良きことを妬んではいけない。
大事な仲間だ。
アリカが微笑んで言った。
「あたしたち、ずっと一緒だよね」
ずっと一緒らしい。
フラッタは水を汲みに川へと向かった。
従事はアリカと共に枯れ枝を集めることにした。
「もう真っ暗だ…」
アリカは額の汗を袖で拭き、天を見上げた。
鬱蒼と茂る木々の間から見渡す空は、すっかりヒカリを失い夜の訪れを表していた。
森の中は闇に近くなっていた。
まるで木々の陰には悪魔がいるようだ。不気味だ。沈黙に耐え切れず、従事はアリカに声を掛けた。
「アリカちゃん」
「はいはい?」
「フラッタとうまくいってる?」
アリカはうんと笑って頷いた。
「そっか。よかった」
「あはは。ジュージくんもあたしのこと愛してー?」
「それは不味い。そしてアリカちゃん、その発言は不謹慎だよ」
「そっかな…」
「冗談だろうけど、フラッタが聞いたら傷つくよ」
「そうかも…」
アリカは項垂れた。
だけどすぐ明るくなった。
「ごめーんね。やっぱ私はフラッタのものだから、ジュージくんにはあーげないっ」
「うん」
また枝を集めた。
アリカが枝を拾うために身を屈め手を伸ばすと、薄着のため彼女の腕の付け根がちらちらと見えた。
奇妙な気分だった。
確かに従事には七瀬という好きな少女がいる。だが、やはり同じく幼い時から一緒だったアリカのことも好きなのだ。
アリカのことはフラッタよりもよく知っているつもりだ。彼よりも古い付き合いだ。
嫉妬が無いと言えばそれは嘘だった。
「はあ」
額の汗を拭った。
アリカも同様に汗を拭っている。
「ジュージくん、枝集まる?」
「努力して集める」
二人でこうして行う共同の作業は楽しかった。フラッタに対して優越感を得る。だけど、アリカとフラッタの関係はどうなのか、従事には想像するしかない。
従事が寝たあと、隠れてセックスしているのかもしれない。だからいつも最後まで眠れない。そして朝は一番早く起きないと落ち着かない。また、自分だけが別行動を取るのは不安になる。
フラッタを水汲みに行かせたのも従事だ。
(そんなことする権利ないのにな)
あるわけがない。
自分が嫌になった。
ましてや、従事には村に好きな少女がいるのだ。
(女なら誰でもいいのかよ、僕は)
更に自分が嫌になった。
枝を集めて戻ると、フラッタは満タンになった水入れを地面に置いて待っていた。
「おっせーよ。まちくたびれたよ」
「ごめん」
「ごめんごめんー。枝なっかなか集まんなかったの」
アリカがにこりと笑うと、フラッタも毒気が抜けたようだ。
三人で夕食の準備をすることになった。
「なにたべるー?」
フラッタはにやりと笑った。
「これを見ろ」
ごろんとフラッタは従事とアリカの前になにかを転がした。
それは彼が討ち取ったであろう猪の子であった。従事もアリカも歓声を上げた。
肉だ。
フラッタは二人に尊敬の眼差しを向けられ、血のついたナイフを天に架ざした。
「ふふん。どうだ、恐れ入ったか。俺様の愛刀ライトニングベインの一閃で始末だぜ」
何処にでもありそうなナイフは彼の愛刀であり、ライトニングベインという名前らしい。
覚えておいてやることにした。
食事も終わり、焚火を囲んでの作戦会議の時間となった。薪の弾ける音と自分達の声しか音はなかった。
動物も見あたらない。
だが、未知の悪魔が三人を視ている。従事はそんな視線を感じずにはいられなかった。
「ジュージ、聞いてるか?」
フラッタに言われ、従事は我に返った。
そうだ、大事な作戦を練る時間だ。
追っ手の神殿騎士団に見つからぬよう、盗品を金に換えねばならないのだ。
「ごめん」
「まあいいや。んでよ、こいつは俺の見立てだが、あいつらは俺達があっちの川辺に逃げ込んだって思ってるよな。まさかこんな悪魔の森に逃げ込むとは思わんだろ」
焚き火などしていては敵に見つかるのではないかと従事は不安になったが、フラッタは大丈夫だと笑い飛ばした。大丈夫らしい。
フラッタは得意げに自分の意見を続ける。
従事はアリカの方を見た。詰まらなそうに見えるのは気のせいだろうか。
「で、よ。このまままっすぐ森を突き抜けると俺たちの村に着くだろ。でもその前にお宝を金に換えなきゃいけない。ここから東に進みこの町へ入る」
フラッタが差したのはカの有名な自治都市だった。そんな都市にいって盗品を売るなど敵にすぐ見つかるのではと従事は危惧したが、フラッタは「そんなヘマはしない」と笑って言った。
「ここで金を手に入れたら馬でも買って村まで一気に戻ろうぜ」
従事とアリカは特に反論もなかったので「あい」と頷いた。名案と思わなかったのも事実だ。
「さあ、今日はもう休もうぜ」
フラッタの提案で今日はもう休むこととなった。
「じゃあ、僕は見張りしてるよ」
「おお、いつもすまねえな」
「ジュージくん、ありがと。あとで交代するねー…?」
「うん」
フラッタは大木を背に、アリカは草の上に寝転がった。
余程疲れていたのか二人はすぐに眠ってしまった。従事の視線は寝転がるアリカへと行った。無防備だ。
二人とも静かに寝息をたてていた。
今ならアリカの身体を触っても誰も気づかれない。
「……」
従事は詰まらない考えを頭から振り払った。
それは二人への裏切りだけではなく、大好きな七瀬への裏切りでもある。確かにニンゲンは異性に惹かれるようにできてはいるが、それを解放しっぱなしではただの馬鹿だ。
(僕は馬鹿じゃない)
従事はそう自分に言い聞かせ納得した。
悶々としていて眠れそうもない。
朝まで見張りを続けることにした。
何時間経ったか。
朝陽はまだ遠いのか。
さすがに従事も眠くなってきたところでアリカが起きた。
「見張り…こーたいする…」
「アリカちゃん、まだ眠いんじゃない?」
「へーき…。ジュージくんは寝て…」
だが、今のアリカにとても見張りが務まるとは思えなかった。
「じゃあ、アリカちゃんがしっかりと目が覚めるまで少しお話でもしていようか」
「うん」
アリカは手の甲で瞼を擦った。無防備な寝起きの姿に従事はどきりとした。
邪な考えを頭の隅に追いやり、従事は話を振った。
「アリカちゃんはこの仕事が終わったらどうするんだい?」
寝ぼけているアリカが目を覚ましやすいよう、頭を働かせるよう従事は質問をぶつけた。
「なにしよ」
「フラッタと一緒になるんじゃないのかい?」
「わかんにゃい」
アリカはフラッタのことがそれほど好きでもないのか。そんな考えが脳裏に過ぎった。
だったら何故恋人なのか。
そう聞こうとした。
「―――!」
従事とアリカは腰から小型弓を手に取り、構えた。
囲まれている。
「フラッタ、起きるんだ」
従事の声にフラッタはすぐに飛び起きた。愛用のナイフを手に構えた。
「敵か? 神殿騎士団の追手か!」
「そうらしい」
「どっからでもかかってきやがれ! この俺のライトニングベインが貴様らを片っ端からズタズタにしてやるぜ……うお!」
突然、四方から無数の影が彼に飛び掛った。
「このやろー!」
ライトニングベインが敵の一体のクビを凪ごうと横に一閃された。
だが、所詮ナイフの刃は敵の鎧を貫くことは適わず、フラッタの攻撃は容易く弾かれた。
敵の拳はフラッタの鳩尾に減り込んだ。
「…ゲ、ゲボバ……」
フラッタは胃液を撒き散らし、成す術もなく組み伏せられた。
従事もアリカも動けなかった。
リーダーらしき若い男が強烈な威圧感を持って、二人の前に立ちはだかっていたのだ。
夜の闇にも負けない輝かしいメタル製の鎧とマントは正しく地位の証であった。胸のネームプレートには『ポテチ』と刻まれている。この男の名前だ。
ポテチは拳を二度振るった。
「ふん! ふん!」
それぞれ一発ずつが従事とアリカの顔面に炸裂した。
「げふ」
従事はやられた。
「きゃん」
アリカはやられた。
従事達は全滅した。
従事は目を覚ました。
陽は昇り始めていた。木々の隙間から差し込む天のヒカリは眩しかった。気絶させられたまま眠っていたのだ。
「……」
身体が動かない。
全身を縄で雁字搦めにされていた。クビだけを動かし辺りを見渡すと、同様にアリカとフラッタも縄で括られ地面に転がされていた。
「アリカちゃん、フラッタ! 大丈夫か?」
アリカとフラッタはクビを横に振った。
大丈夫ではないらしい。
「目が覚めたか、盗人」
頭上から声がしたからクビだけを上に向けた。
朝陽を受け、尚一層輝きを持った鎧の主はポテチであった。
夜は分からなかったが、こうして見るポテチは若かった。従事達よりも少し年が上といったくらいだった。
「僕達をどうするつもりだ!」
「処刑する」
ポテチは笑いもせずに言った。
従事も笑わなかった。
誰も笑わなかった。
これから処刑されるらしい。