DuetNet∩eclopse 〜デュエットネット∧イクリプス〜』 二重引き篭もりと幻想、嘔吐と頭痛の果てに閃きをみた

 Log.7 ガラスのネットワーク


 

 

 紙風は辞めないまでも、結局ネットワークに接続できる時間が激減した。

 仮想都市をつけないと天理と遊べないので、止む無く毎日都市を起動する。故にオーディエと話をする機会さえも少ない。

 頭の中は毎日天理でいっぱい。

 まるで恋をした少女のように、頭の中は彼女でいっぱいだった。

 だけど、これは恋ではない。女の子同士であり、またネットワークの回線越しの関係に生まれた歪んだ好意だ。

 こんな感情、よくないと思っても天理が大好き。

 人間関係が歪んでいても、歪んだ愛情だとしても、それでも天理に優しく愛されたかった。

 

 

 学校の授業を終え、いつものようにシャワーを浴びてパジャマに着替え、今日もあの廃屋の床に座り込む。すっかり現実での生活の時間よりも、この廃屋に座っている時間の方が永くなっている。

 天理が隣で怒っている。

『ホリンちゃん』

『な、なにさ〜……』

『公衆の面前で抱き付かないでって何度も言ってるよね、天理は』

 たかだか抱き付いただけの事で怒る天理に、ホリンも少しむっとしていた。

『いいじゃん、それくらい〜…………』

『天理は嫌だからやめてくださいって言ってるんです』

『む〜…………』

『まあ、それはいいです。で、それも含めて』

『う?』

『ホリンちゃん。最近天理にべたべたしすぎです』

 分かっている事を指摘されてしまうと、言い返えせる言葉が見つからない。

『ふに……』

『いつまでも、天理にばっかついてちゃ駄目です』

『だって……』

『むぅ…』

 傍目にも分かる程天理は困ったというような表情を露にしている。明らかにホリンを非難を向けていた。

『はぁ……』

『あの………てんりちゃん…………?』

『うん?』

『あたし、てんりちゃんに迷惑かけてる………?』

『迷惑ゆーか………だめでしょ、このままじゃあ……。ホリンちゃんは天理がいないとなんにもできなくなってるでしょ、いま』

『う、うん……』

『いいかげん、天理を卒業しなきゃ。ね?』

 今日の天理は厳しい。手厳しい。

 胸が切なくなってくる。

 今の天理へのこの感情がよくないのは分かっている。だけど、この“好き”という感情を矯正されるのは辛かった。

『ちょっとは荒療治しないとね……』

『あらりょうじ…………』

『はい。お話はこれだけです。じゃあ、天理はどっか遊びにいってきますね』

『あ、う、うん……』

『……ごめんね、ホリンちゃん』

『ううん……』

 辛かったけど、天理がそう言うならそれに従う。天理の言う事はちゃんと聞く。

 ここで駄々をこねて嫌われたくなかった。

 だけど寂しかった。

 寂しくてまた涙が零れた。

 

 

 欲求不満だった。

 天理がネットワーク上に来る回数が減ってきた。だから欲求不満。

 理由を聞いてみることにした。

『ねえねえ、てんりちゃん〜?』

 リレーターで話しかけても、なかなか返事が返ってこない。

『てんりちゃん、いない〜………?』

『あ、ごめん。取り込み中でした』

『ん、と〜……………。忙しい〜……?』

 また返事が来るまで時間が掛かる。

『んー。多分大丈夫』

『うんー…………。てゆーか、最近忙しいの〜………?』

 やはり返事が遅い。

 なんとなく片手間で話をしてもらっているみたいで胸が痛かった。

『まあ、なんか私事で取り込んでる、のかな?』

『んっと…………。事情とか聞いたらだめ………?』

『うん』

 なかなか進まない会話だったけど、結局あっさり天理に拒絶されてなにも話してくれなかった。

 

 

 溜息ばかりが出る。

 天理が冷たい。話しかけてもあまり相手をしてもらえない。

 胸の痛みは感じないけど、涙がぽろぽろと零れてくる。

 欝な気持ちになる。

 心がどんどんと暗くて冷たい底の方に沈んでいく。

『や♪ 元気ぃ?』

 びくりと心臓が高鳴った。

 リレーターを起動していたのだった。

 オーディエに突然話しかけられて、あまりの驚きに全身からどっと冷汗が噴き出した。

『んう? ホリンちゃん、いない?』

『あ、いるいるっ。います〜っ』

『お? なにしてるの♪』

 返答に困った。

 なにもしていない。なにもせずに落ち込んでいるだけだった。

『なんもしてないです〜………』

『んー? 今日も落ち込み中?』

『落ち込んでない日なんかないですよぅ……』

『あらら☆』

『はにゅ………』

『んーっと? ちゅーしてほしい?』

『いらないです〜………』

『ガーン……!』

『はぁ〜…………』

『ん、じゃあなにがほしいのかな……?』

『わかんない………』

『ふふ〜☆ お金? お菓子?』

『うー……。ひやかしならほっといてよぅ………』

 せっかくオーディエが慰めてくれているのに、それでは癒されなくて、オーディエに申し訳なくてバツが悪くなってきた。

『で、どうしたの?』

『ふにぃ〜………』

『ふにぃ、って。それもなんか可愛いね♪』

『うぅ〜。てんりちゃんにべたべたしすぎだから……。荒療治する言われたです……』

『ああ、そんなこと天理ちゃん言ってたね。聞いた聞いた♪』

『なんか、あたしダメかも……』

『天理ちゃんから離れるのが辛いの?』

 もちから離れるのが辛いの?』

 もち不安はあった。

『あのね〜……』

『うん?』

『こないだ、あたし、ある人とネットデートしたんだけどね〜……』

『ふんふん』

『あたしはてんりちゃん以外でも、その人やおーでぃちゃんが好き〜。すっごく好き……』

『わお♪ うれしい☆』

『おーでぃちゃん〜……!』

『うに?』

『おーでぃちゃんはなんだかんだいってもやさしいもん……! あたし、その優しさに甘えちゃいそうでこわいもん…………』

『うふふふ〜☆ いつでもおーでぃちゃんの胸に飛び込んできていいんですよん♪ 頼られると嬉しいひとです☆』

 オーディエは大好きな友達だ。

 天理と比べてどっちが大切かとかではない。どっちも大好きだ。だからこそ、天理の代わりとして甘えるのは嫌だった。代用品みたいな接し方はしたくなかった。

『おーでぃちゃん……』

『どーしたの?』

『あのね、こわいのはね……』

『うんうん』

『今回あたしがてんりちゃんに甘えて甘えてこんなんなったから……。今度またおーでぃちゃんに甘えて、おーでぃちゃんにまたてんりちゃんとおんなじコトしちゃって迷惑掛けそうでこわいの……』

『ああ、そういうことね』

『あたし……。てんりちゃんにも、おーでぃちゃんにも………。重荷にはなりたくない……』

『んー。友達を重荷なんて思ったりしないよ、私』

『うん……』

『だいじょーぶ、ホリンちゃん?』

『ちょっと取り乱しちゃってるですね、あたし……………。大丈夫………』

『もっとラクな考え方しないと身体もたないよ?』

『心配かけてばっかでごめんなさい〜………』

 奇妙な気分だった。

 なにが奇妙なのかはよく分からない。

 強いて挙げるなら、ずっと天理にばかり面倒みてもらっていたのに、こうやってオーディエに優しくしてもらう事に違和感を感じない事だ。極々自然に悩みでもなんでも話せる。

 オーディエに抱き締めてもらいたかった。

『うふふ☆ なんかものほしそうですね、ホリンちゃん?』

『はぅ……』

『ん? 言ってみて♪』

 少し躊躇ったけど、勇気を出して言ってみた。

『なんか震えがとまんないです……。ぎゅーっと抱き締めて欲しいです…………』

 また馬鹿な事を言っているのは自分でも分かっている。リレーターというソフトを使ったネットワークの回線越しに抱き締めて欲しいなどと、おかしな事を言っているのは重々承知している。

『こうかな?』

 それでもオーディエは馬鹿にはしなかった。

 ちゃんと聞いてくれた。

『ぎゅぅぅぅーーーーーっっ☆』

『ふぁ…………!』

 それは文字だけだったが、実際に両腕が締め付けられるような感じだった。

 ぎゅっと身体を抱き締められたような気がした。

 届いたのはオーディエの想いと優しさと文字だけだが、胸が熱くなって涙が止まらない。オーディエの胸で泣いているような気さえした。

『えぐえぐ。ありがと………おーでぃちゃん〜………』

『ふふ……☆』

 嬉しかった。

 

 

 姉が酒に酔った状態で深夜に帰ってきたので、穂梨は姉の肩を持って居間に連れていった。この姉を見ていると、とても健全な女子高校生とは思えない。

 そうも思ったが、穂梨は自分も真っ当な女子中学生とは言い難い事を思い出した。学校行っている時間以外はほぼパソコンに向かい続けている。

 今日の姉は辛そうだった。

 酔った勢いで穂梨の胸をぽかぽかと殴ってくる。

 辛いなら泣いたらいいのに。

 姉にそう言ったら、姉はもう辛くても欝になっても泣かなくなったと答えた。

 以前、姉はよく泣いていた。今はもう泣かなくなった姉。

 好きな人がいたらしい。

 嫉妬して、人を困らせて、その好きな人にも迷惑かけて、毎日泣いていた。

 酒のせいか穂梨が聞いたら姉はなんでも答えてくれた。辛かったこと、悔しかったこと、悲しかったこと、失敗して恥ずかしかったこと。

 そして、ネットで人を好きになったこと。

 分かったことは、今、穂梨が体験している事と似たようなことを姉も体験した事があるのだ。

 穂梨は姉に今の天理との問題を全部素直に話した。普通の人に聞かれたら、馬鹿にされてもおかしくないような話だ。ネットワーク上で、しかも女の子を好きになっている。けど、姉は馬鹿にはせず、ちゃんと話を聞いてくれた。

 誰でも辛い事はあるのだと思った。穂梨の前では酒を飲んだりあっけらかんとしていた姉も、口には出さないだけで色々な事を体験しているのだ。

 紙風もネットワークを出来なくなると言っていたが、それはどんな気持ちなのだろう。穂梨から見たら紙風と会えなくなって寂しい、という感情はあった。だけど、紙風はネットで知り合っていた全員と会えなくなるという事なのだ。

 穂梨は紙風の立場を自分に置き換えて見た。天理やオーディエと永遠に会えないなどと考えたらぞっとする。

 天理やオーディエも、穂梨には感じさせないだけでなにか悩みがあるのかもしれない。

 姉はもう泣かなくなったといった。悲しくても欝になっても泣かなくなったといった。

 それは悲しいことのような気がした。

 

 

 いつだったか、天理にこんな事を言われた。

『ホリンちゃんは強くなれるよ……』

『そっかな………』

『うん……』

『でも、あたし…………。すぐ落ち込むし、てんりちゃんやおーでぃちゃんに愚痴ばっか言ってるし………。弱いですよ………?』

『人に愚痴が言えるのは強いことだよ……』

 強くなんかない。

 優しい天理やオーディエに甘えてるだけだと思う。

『天理には愚痴を言える人、聞いてくれる人がいないです』

 痛々しい発言だった。

『あたし、てんりちゃんの愚痴聞きたい……』

『んー……』

『あたしじゃ………だめかな……』

『……前、親友の話したでしょ?』

『うん……』

 親友なんていない。天理はそう言っていた。

『天理は天理が本当に心から信じられるヒト、大好きだと思えるヒトに愚痴とか悩みを聞いて欲しいです……。どうでもいい人に愚痴きいてもらっても仕方ないでしょ』

『うん……』

 どうでもいい人。

 言葉のアヤなのは分かった。天理が心から好きになれる人以外では、天理は悩みを相談する気なんてないという意味だ。

 だけど、“どうでもいい人”というのが言葉のアヤだとしても、その中に自分が入っていると思うと胸が痛かった。

『……あたし、てんりちゃんの親友になりたい…』

『はっきりいってムリです』

『……はぅ…』

『ホリンちゃんに天理のなにがわかるんですか?』

 なにも話してくれないからなにも分からない。

 分からないからという理由で拒絶されるのは嫌だった。

『ホリンちゃんの見ている天理はネット上でちょっとだけ見える表面的な天理でしょ。ホントの天理なんてわかんないでしょ? ううん、リアルの友達でもそう。天理は誰にも自分の本当の心なんて見せない。見せる気もない』

『なんで……?』

 好きな人の心が冷たい。

 前にもちらりと垣間見えた天理の心の冷たさが、今また露になっている。

『それが天理の生き方です』

 誰にも心を開いてくれない天理。

 テレビでこんなニュースを聞いたことがあった。

 中学生で親友のいない生徒が日本中で三割もいるらしい。そんな生徒は自分をこの世界で必要だと思っていないそうである。

 自分が大切に思えないから、平気で他人をも傷つけられる。近日の少年犯罪をそのように分析している番組があった。

 ニュースを見た当時、現役中学生の自分は「そんなばかなことないでしょ」と一笑しただけだった。

 穂梨もホリンも自分が好きなのだから。だからニュースを一笑に吹した。

 どんなに非道いことをしても、好きな人を困らせても、それでも自分が好きだ。

 誰にも言っていないことがあるけど、穂梨にも夢があった。こんなふうに家に閉じこもってばかりだけど、それでも夢があった。

 オーディエは以前、誕生日の時に音楽を贈ってくれた。オーディエは音楽を作る人になりたいらしい。頑張っている。

 穂梨も頑張っている。

 そんな一生懸命な自分が好きだ。

『てんりちゃん、自分が好き?』

『……こんなふうに素直になれない自分が嫌いです。はっきりいって死ぬのが怖くなかったらすぐにでも自殺してますよ?』

 涙が出た。

 いつものような胸の痛みや吐き気から生まれる涙ではない。

 悲しかった。非道い答えを言う天理が悲しかった。

『そんなのいや……!』

『………』

『だって、あたしが好きになったてんりちゃんが、そんなふうに自分を思ってるなんていや……!』

『ごめん……。少し感情的になっちゃった……』

『あたし、てんりちゃんのことなんにもわかんないけど…………。でも、そんな自殺してもいいなんて言わないでよ………!』

『うん………』

 天理に説教しているみたいで嫌だった。

 天理はいつも完璧だった。

 優しくて、芯が強くて、困った時には助けてくれた、悲しい時や辛い時には癒してくれた。

 だけど、それは天理の優しさに甘えていただけだった。

 天理だって苦しむ時もあるし、悲しむ時もある。それを感じさせないだけだった。

『ごめんね、ホリンちゃん。暗い話で』

『ううん……』

『だから天理は弱いんです』

 涙が出た。

 無力を感じた。天理が好きなのにその支えにさえなれないのが辛くて涙が出た。

『あたし、天理ちゃんの親友になりたい…………!』

『…………』

『知りたいです、てんりちゃんの悩みとか』

『……天理は自分に甘えてくる人には甘えたくないの…………』

『…じゃあもう甘えない……!』

『うん……?』

『だってそんなの悲しい……! 誰にも甘えられないなんて……!』

『それは大きなお世話だよ、ホリンちゃん?』

『涙とまんないもん……! 天理ちゃんがそんなこというとっ!』

 天理はいつも優しい。

 甘えさせてくれる。

『ホリンちゃん……』

『うぇ………?』

『もう天理なんかのために悩まないでください……』

『そんなこといわないでよぅ………!』

『ごめん……』

『はう…………』

『ちょっと天理、なんか今性格が破綻してますね。ホリンちゃんを悩ませてる。ごめん』

『ううん……』

『こう見えても天理もちょっと動揺してるのね……』

『なに………?』

 なにに動揺しているのか。

 聞くのが怖かった。そして少しの期待もあった。

 それは天理が今まで心を隠していたからだ。その一部が露になったからこそ感じるのだ、恐怖と期待を。

『ホリンちゃん……?』

『は、はい……』

『天理は来月辺りでネットやめちゃうかもです……』

 

 取り乱さない。取り乱したとしても、それは天理には見せられない。

 もう天理を困らせたくない。

 

『うん……』

 

『家庭の事情ね』

『うん……』

『それで天理、今日は慌てちゃってホリンちゃんにもキツいこと言っちゃってました。ごめんね……?』

『ううん………』

 

 天理だって苦しんでいるのだ。

 苦しくない人なんていないのだ。

 

『ホリンちゃん?』

『なに?』

『伝わってるかどうかわかんなかったけど………。天理もホリンちゃん大好きだったんだよ……? 天理の可愛い大事なお友達……』

『わかってるよぅ、それくらい……』

 

 天理はいつもホリンのことを大事に想ってくれていた。それが分かるからこそ、天理を好きになっていたのだ。

 

『……天理がいなくても、ホリンちゃんが大丈夫かどうか……。それが気掛かりなのです……』

『へーき……』

『うん……』

 

 

『ありがと、ホリンちゃん………』

 

 

 

 この時に覚悟を決めた。

 天理が自分を好きだと言ってくれるのなら、たとえどんな方法を取ってでも天理を幸せにしてあげたかった。安心させてあげたかった。大きなお世話といわれてもそうしたかった。

 手首を切り落としたら、自分と天理が幸せになれるなら切り落とす。

 

 

 それだけの覚悟を持って、これからネットワークをする。

 そう決めた。

 

 

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