-天使のデザイア- 神様

章 飛花


 

 ハヅキはアスペタクルから貰った翼で真っ直ぐ天を目指さず、一先ずは地上を飛びまわった。

 喚姫の言っていたように見渡す限りニンゲンと、ニンゲンの死骸で溢れていた。ただ、ニンゲンも絶滅したわけではなかった。二十五パーセントは生きているのだ。

 飛び回り、ハヅキは目標の少女を探した。

 彼女はアスペタクルの城付近の拠点に置いてきた。この辺りにいるはずなのだ。

 何度も飛び回り、入念に探索した。

 

 

「どうしても行くの?」

『ああ』

 夜空の下、瓦礫に腰掛けたハヅキと飛花は二人でディナーを取ったいた。

 ディナーとは言っても、今のこの世界では大したものは用意はできない。正体不明の肉と、同じく正体不明の木の実だけだ。それでも独りで食べるよりも、誰かと食べる食事はとてもおいしいものだった。

「ハヅキさんが行ったら、あたし、この地上で独りになっちゃう」

「すまん。連れて行けたらいいんだが、この翼もそこまで頑丈ではないからな」

「あたしが太ってるんだね」

「いや、そういうわけではないが…」

 何故、少女というイキモノは太ってもいないのに、自分を太っていると言いたがるのか。木葉も泉もそうであった。

 そう言えば喚姫だけは違っていたな、とも思い直した。

「喚姫ちゃん、神様だったんだね」

「なんとも間の抜けた神様だが」

「――――」

 飛花はなにかを思いつめたように俯いた。

「ハヅキさん、あたしの悪いところ、何処か分かりますか?」

「んー、そうだな…」

 悪い所。そうだ、ニンゲンは皆、良い所と悪い所がある。本当に相手をよく見ていれば、きっと悪いところだって見つかる。それを一緒に良くしていくのが友愛なのだろう。

 然るに、今もしもこの場において、飛花の悪い部分を見つけられなければ、それはハヅキが彼女をしっかりと見ていなかったことになる。

「欠点というべきかはわからんが、そうだな……」

「うん」

「飛花は心が弱い。今でも心の何処かで俺からの愛情を疑っている。もちろん、それは俺にも原因があるわけだが。ただ、お前は俺だけを信じていないんじゃない。お前はニンゲン全部、誰に対してもそうなのだろう。他者に心を開いていない部分がある」

「…………」

「メガネはお前のことを友人だと認めてくれていたと思うか?」

 飛花は表情を曇らせ俯いた。

「自信を持って、メガネがお前のことを好きだったと胸を張れるか?」

「分からない。あたしは彼女を友達だと思ってた。でも、彼女からもそう思われてたかどうかは、メガネちゃんに聞かないとわかんない…」

「それじゃ、メガネが可哀想だろ」

 ハヅキは飛花の頭を優しく撫でた。

「俺は知っている。メガネはお前を大事に思ってたよ」

「ん…」

「木葉はどうだ。お前もあいつとよく遊んでいただろ」

「うん…」

「いいか。時には謙虚なことも必要かもしれん。しかし相手からの愛を疑うことは最大の侮辱だと思え。周囲に愛されることを誇りに思え。それが真の愛情だと俺は思う」

 飛花はこくんと頷いた。

「ハヅキさんは本当によく見てるよね」

「当たり前だ。俺はお前も木葉もみんな大事だ」

「ありがと…。こんなふうに言われてよかった。あたしはハヅキさんに優しくされたかったんだ」

「ああ、俺は優しいぞ。悪魔よりも優しいぞ」

「あたし、 ハヅキさんには幸せになって欲しい。だから………死なないでね」

「大丈夫だ。俺は通常のニンゲンよりも四倍強い。決して死にはせん」

 ハヅキはもう一度、飛花の頭を撫でてやった。

 飛花は涙をぽろぽろと零し出した。

「これで…これで……もう終わりなの? あたし、もうハヅキさんと一緒にいられないの…?」

「飛花」

「あたし……独りぼっちだよ……」

 ハヅキは俯いた。が、すぐに顔を上げた。

「飛花。例え離れ離れになろうとも。俺の心はいつでもお前の傍にいる。死んだヒデヨシやメガネも常に俺の側にいる。約束だ。必ず――――」

 ハヅキは自らの心内をそっと飛花に耳打ちした。

「うん…」

 

 

 地上は天より降り立った神の軍勢に攻撃されていた。

 天使は圧倒的な強さを誇り、役目を終えたニンゲンやメガアクマを駆逐していった。

 これは「早く天界へ上がって来い」という喚姫からの催促なのだろう。

 ハヅキは飛花を安全な場所へと隠し、空へと飛ぼうとした。

「――――」

 ここは最果ての地。

 決して誰も立ち寄らない場所。そもそも、この地には泉も木葉も喚姫もおらず、ヒデヨシもメガネも死んでいる。今さらハヅキを引き止める者などいないと思っていた。

「お前か。生きていたのか」

『久しぶりだな、ニンゲンよ』

 アスペタクルと同様、王である男がまだ残っていた。

『あの時の小僧がここまで成長するとはな』

「なにか用か?」

 この男と話すことなどない。

 かつては敵であったが、今はもう敵でも味方でもない。世界は既にメガアクマのものですらなく、天使の軍勢に焼き払われようとしているのだから。

『アスペタクル様の話は聞いている。天を目指すのか』

「ああ」

『だが、お前では天へは辿り着けまい』

 一笑した相手の言葉に、ハヅキはむっとした。

「何故だ?」

『神の間への道は険しい。ニンゲン、しかも傷ついた身体でいけるものではない』

「? なんのことだ。俺の調子は万全だ。――――っ?」

 ハヅキ達のいる場所に二匹の天使が襲い掛かってきた。

「くっ―――!」

 襲い掛かってきた天使の顔をハヅキはよく覚えていた。

 かつて、あの地下牢にてハヅキに天使のなるたるかを教えてくれた少女だ。ハヅキが応急手当の奇跡を施したあの少女だ。

 今や神の手先として、地上にいる者を殲滅する鬼となっている。

 天使の少女もハヅキを覚えていたらしく、にこりと笑った。笑ったまま、ハヅキの心臓を貫くべく、銀の刃をハヅキの心臓目掛けて突き出してくる。

 ―――見知った少女だ。殺したくなかった。

 もし、あの妄想の少女が聞けば「なにを甘い事を」と怒っただろうか。

 少女は大いなる神の意志を受けている。

 ハヅキの力では殺さずに生き残ることは不可能。

 だから、ハヅキは悩まなかった。

 悩める剣を縦に一閃。

「――――!」

 いつか、ハヅキに優しく微笑んだ少女は、脳天から股下まで斬り落とされた。左右真っ二つとなり、血や内臓を散らかして大地に散らかった。

 ハヅキはあれから非情になった。

 大好きな者を助けるためになら、そうでないものを殺すことができるようになった。

 メガアクマの王にも、別の天使の少女が襲い掛かる。

 だが、さすがに王の力は強大だ。

 久しく見たあの炎の剣を一振りするだけで、天使の少女は焼き殺された。肉の焼ける臭いがハヅキの鼻をくすぐった。香ばしい臭いではあるが、食欲は刺激されなかった。

「これでも俺が五体満足ではないと言うのか?」

 ハヅキは自分が切り殺した少女から目を背けなかった。

 美しかった少女は左右真っ二つという、惨たらしい死体となっていた。これをやったのはハヅキだ。

 ハヅキは決して自分が犠牲にした命のことは忘れないようにした。

『昔、私の部下から贈られたものだ』

 アンキシャスは懐からなにかを取り出した。

 小さな白い塊だ。カルシウムだろうか。

「歯……か?」

 思い出した。

 アンキシャスに捕まった時、天使を庇った罪として、ゴキブリのようなメガアクマに歯を折られたのだ。

 あの時の歯だ。

『神の力は絶大だ。例え歯の一本と言えど、不完全な身体で立ち向かえば死あるのみ』

「それを返しにきてくれたのか?」

『アスペタクル様が望んだことであれば仕方あるまい。が、ただで返すわけにもいかんな』

 アンキシャスはニタリと、実に厭な哂い方をした。

 やはり悪魔だ、この男も。

『お前の旅立った後の地上は私が自由に弄る。それを邪魔せんことだ』

 たったの歯の一本を、あの地獄のようなメガアクマの支配体制と引き換えにしろと言っているのだ。

 せっかく守った地上だったが。ハヅキは目を瞑った。

「………飛花の安全は約束できるか?」

『あの女か?』

「ああ、あいつ一人だけで構わん」

 相手はメガアクマの王だ。もしも、この取引を蹴り、力づくで奪おうとすれば、ハヅキは更なるダメージを受けるだろう。

『よかろう。王として“約束”しよう。あの娘には最上級の待遇を与える』

「ああ」

 こうして誰にも知られない場所で、救世主と悪魔の王の密談は成立した。

 この男もまた、約束を破れぬ性があるのかもしれない。以前は敵であった男なのに、飛花の安全を保障すると言ったアンキシャスの言葉を、何故か信じることができたのだ。

『受け取れ』

 アンキシャスが投げた歯は、アスペタクルに切断された腕のように、綺麗に破損箇所へと戻り、元通りに引っ付いた。

 ハヅキの歯は完全に修復された。

『行くのか?』

「ああ」

 アンキシャスに背を向け、飛び立とうとした。

 だが、その前に地上に言い残した言葉があった。

「飛花、愛している」

『――――』

 ハヅキは跳んだ。

 強烈な瞬発力。圧倒的な速度で天へと上昇するハヅキは、空気の壁の抵抗をまともに顔面に受けた。

 それでも構わず、ハヅキは更に加速し『上』を目指した。

 雲を突き抜け、大気圏を突き抜け、七十億人の夢を突き抜け、泉やアスペタクルが生きた数億、数兆、数京という時間を突き抜け、ハヅキは神の楽園を目指した。

 光速に近づいたハヅキは地上とは時間の流れが変わった。

「―――――――――!」

 地上では飛花が少女から女となり、熟女となり、老女となり、地へと帰った。それでもほんの百年足らず。

 千年を越え、一万年を越え、五千万年を越え、ハヅキは叫びながら神の楽園を目指した。

 アスペタクルの翼とて無敵ではない。五億年を過ぎた辺りから『ガタ』が出始めた。だが、ハヅキは諦めなかった。アスペタクルが『大丈夫だ』と言っている気がしたのだ。

 無限の時を突っ切った。それでもアスペタクルの翼は壊れなかった。

 蝋で固めたイカロスの翼よりもずっと強力な背のそれは、ハヅキに飛翔能力だけではなく、勇気をも託してくれた。

 星とて生きている。

 ハヅキが飛び立った星以外にも、この宇宙には無数の星が浮かんでいた。星が生まれ、やがて死んでいく。ハヅキはそれを何度も何度も、無限の時を無限回数繰り返すように見てきた。

 何処までも宇宙の果てを目指し飛んでいく。

 世界に終着点はあるのか。

 時間に終わりはあるのか。

 大宇宙の中、たった一つの光速物体と化したハヅキは天を目指し、ひたすら跳び続けた。

「――――!」

 やがて、この暗黒の世界に白く輝く階段が見えた。

 ついに辿り着いたのだ、天上の階段に。

 そこにはハヅキを通さんと、天の門番が待ち構えていた。巨大な命を吹き込まれた石造が、逞しい腕を振り上げ、ハヅキを押しつぶさんと迫ってきた。

(いや……)

 ハヅキは喚姫の気持ちとなり考えた。

 彼女はハヅキを通すまいとはしないだろう。ハヅキを試しているのだ。

 無数の時間を体験しても、悩める剣だけは落とさなかった。

「―――――」

 ハヅキは目を閉じ、悩める剣に祈った。宙に煌めく星達から、ほんの少しずつ心と力と悩みを集めた。

 それを全身に蓄え、ハヅキは天の門番を避けるどころか自らぶつかり、天界へと一直進に乗り込んだ。哀れ天の門番はハヅキの特攻に耐えられるはずもなく、バラバラとなり砕け散った。

「喚姫! 俺は来たぞ! 出てこい!」

 天界は巨大な迷路であった。

 この世全ての『ヒトの心』を繋ぎ合わせたような、不思議かつ複雑なパズルであった。だが、ハヅキはそれらを超越するほどの突進力を持って体当たりをした。

 迷宮であったはずの天界を、ハヅキは壁をぶち破り、真っ直ぐに喚姫の下へと飛んだ。

 初めて喚姫と出会った時から、彼女はずっとハヅキの近くにいた。ハヅキの行動を見ていたのだ。神として、ニンゲンとして、女として。

「―――――!」

 ハヅキは最後の壁をぶち抜き、喚姫のいる『神の間』へと飛び込んだ。

 

 

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