-天使のデザイア- メガクラックション

章 反射戦闘


 

 木葉はハヅキの戦いを見守っていた。

 ハヅキはニンゲンでありながらアスペタクルの言葉を弾き返した。また、自らの命を投げ出すという「筋書き」をも放棄した。

 まるでハヅキの中に別の誰かがいるような、気色の悪さ。

 木葉はハヅキの勝利を願った。

 だけど、この口の中が酸っぱくなるような不安はなんだろうか。胃が締め付けられ、とても嫌な想像が脳を駆け巡るのだ。

 

 

「おおおおお」

 自らが放った星の炎に焼かれ、ハヅキはもがき苦しんだ。

 膝から崩れ落ちそうになる。

「まだまだ! この俺を只のニンゲンだと思うな!」

 ハヅキは再び悩める剣を振り上げ、命を星から吸い上げアスペタクルへと撃ち込んだ。

 強力な攻撃手段、まともに当ればアスペタクルとて無事では済まない。

 だが。

『この私に無礼を働くなと言ったであろう。返すぞ!』

 がつんっと。

 先ほどと同じように、光の巨大球はハヅキへと跳ね返された。

「うおおおおおっ」

 自らの放った技の爆撃を受け、ハヅキは二度炎上する。

『その程度か』

「まだまだ!」

 これが三度目の正直だ。ハヅキはアスペタクルへと星の光を弾丸として放った。

 ミサイルのように対象を捉え、圧倒的なエネルギーは西の王へと迫る。

『無礼者め。返すぞ!』

 がつんっと攻撃は反射された。

「!」

 ハヅキは悩める炎に焼かれた。

 

 

 倒れたハヅキの傍にアスペタクルが近づいてきた。

『お前にその剣は使いこなせん』

「何故だ…」

『お前は悩んでいないからだ。苦しんでいないからだ。悩める者の苦しみを知らんからだ』

「――――」

 いつか喚姫にも聞かれたことだった。

 泉のことがあって以来、ハヅキは強くあろうとした。しかし、心を強くしていった結果、悩むことを忘れた。

 飛花のような悩める少女の気持ちが分からなくなったのだ。

 ただただ、自らを強くし、木葉や喚姫、皆を守ろうとした。

 アスペタクルはハヅキの頭を踏み付けた。

「があああ」

『痛いか』

「痛い」

『しかし、悩めるニンゲンというのはもっと心が痛いものだ。お前の周りにいる女もそうだ。誰もお前にそんなことを言わなかったかもしれんが』

 ぐりぐりとハヅキの手は踏み躙られる。

『痛かろう。だが、お前が感じるのは所詮肉の痛みだ。心の痛みはこの程度ではないぞ』

 ハヅキは歯を食いしばった。

 やはり、アスペタクルの言うように木葉も苦しんでいたのかもしれない。なにしろ、ハヅキは彼女の前で他の女にも手を出しまくっていたのだ。

 もしも、これが逆の立場で、木葉や喚姫が他の男と『男女の関係』をしていたなら、ハヅキは耐えられただろうか。想像して我慢できないと分かった。

『もっと痛め』

「――――っ」

 

 

 ハヅキは『来てくれるはずもない者』に助けを呼んだ。

 いつもは自分が皆を守ると息込んでいた。

 だけど、心の奥底では自分も大事にされたかった。女を大事にするのは、女に大事にされたいからでもあった。

 ハヅキは今、苦しい局面に立たされている。

 助けて欲しい相手がいた。

 何度もその女の名を呼んでいた。

 けれど、その女にハヅキの声は届かなかった。

 

 

「――――!」

 余計な考えを脳みそから追い払った。

 必ず木葉を助けると誓ったではないか。

 ヒデヨシの仇を討つと誓ったではないか。

 ハヅキは決して約束を違えることはできない。それこそが泉を失った時に立てた己への約束だ。

「確かに俺に悩みはないかもしれん」

『――――』

「メガアクマというのはどれくらい生きられるのか知らんが。少なくともお前は俺よりもたくさん悩んだのかもしれんな」

「――――」

「そして、俺には女の心は分からんかもしれん。アスペタクル。お前はメガアクマと言えど、女ならあいつらの気持ちが分かるか」

『―――。なにを言っている?』

 ハヅキは自分の手の甲を踏みつけるアスペタクルの足を振り払い、再び立ち上がった。

 悩める剣の真の力を発揮するには、ハヅキはもっと悩まなければならない。そしてその力を発動すれば、磨り減らされる命は今までのような微数ではない。地上の多量の命が失われる。

 しかし。

 ここでアスペタクルを倒さねば、更に多くの命が失われることもまた事実であった。そしてハヅキには木葉を助けるという絶対の約束があったのだ。

『無駄だ。お前に悩める者の苦しみなど、分かるはずもない』

「―――そんなことはなかったはずだ」

 魔法の弓と、真っ赤なリンゴを思い出した。

 ハヅキは剣を振るった。

 再び悩みのエネルギーがアスペタクルへと飛んでいく。

『何度やっても結果は同じだ』

「――――!」

 アスペタクルはやはり、容易く光弾をハヅキへとそのまま跳ね返した。

 このままでは再びハヅキは自らの悩みで燃え上がってしまう。

 ハヅキは剣を天に掲げ吼えた。

「悩める剣よ! かつて俺は悩んでいた! あの時、泉を失った時の悩みと苦しみの力!今ここに蘇れ! 命の輝きは全て悩ましい支配下であり、その力を倍増し相手に打ち返せ! くらええええええええええええ!」

 反射された星の輝きを、ハヅキはなんと更に威力を倍増し打ち返した。今度こそ避けようのない痛恨の一撃がアスペタクルへと襲い掛かる。その無茶な反動で地上の五パーセントものニンゲンが命を吸われ死んだ。

 それだけの命の重みを持った一撃だ。

「いけええええええええ!」

 轟音を鳴らし、アスペタクルをこの世から消滅させようとする。通常の倍もの威力を持つ最強の砲撃なのだ。絶対に相手を殺す自信があった。

 二者の悩めるエネルギーがぶつかりあった時、そのエネルギーはより密度の低い方、すなわち悩みの少ない方へと流れ込む。極々自然な物理的な話だ。

『無礼者。返すぞ!』

 がつんっと攻撃は反射された。

「え?」

 ハヅキの脳味噌は一瞬だがフリーズした。

 このままでは人類は敗北する。ハヅキは全人類の命運を賭けてこの戦いに望んだ。この戦いは決して敗北は許されないのだ。

 これはマズいとハヅキの中で危険信号が真っ赤に輝いた。

「跳ね返れ!」

 剣を振るい、ハヅキは光球を更に倍加させ、即ち四倍の威力を持ってアスペタクルへと撃ち返した。

 この無茶な反動で地上のニンゲンが更に十パーセント、命を吸われ死んだ。合わせて十五パーセントのニンゲンが死んだ。

 その命の弾丸が今度こそアスペタクルを焼き尽くそうと襲い掛かる。

『返すぞ!』

 がつんっと攻撃は反射された。

 ハヅキは剣を振りかざした。

「跳ね返れ!」

 地上の二十パーセントの命を消費し、攻撃力を倍増し跳ね返した。合わせて三十五パーセントのニンゲンが死んだ。

『返すぞ!』

 がつんっと攻撃は反射された。

「!」

 ハヅキは息を呑んだ。

 次に跳ね返せば、今度は先ほどの倍として四十パーセントの命を消費する。合わせて七五パーセント消費したことになる。残り二十五パーセント。次はない。

「これがファイナルストライクだ! 跳ね返れえええええ!」

 地上の命の四分の三を消費し、ハヅキは攻撃を打ち返した。

 通常の威力の十六倍。今度こそ勝負を付けるつもりで撃ち返した。

 七十五パーセントのニンゲンが死んだのだ。しかもそれらは生まれ変わることすらできないのだ。だから、絶対にこの一撃はアスペタクルに通じると信じた。

 命はそんなに軽いものではないはずだと信じた。

『返すぞ!』

 がつんっと攻撃は反射された。

「!」

 人類敗北。

 脳裏にそういう言葉が過ぎった。

 

 

 ハヅキは助けを呼んだ。

 死ぬのが怖かったわけではなかった。

 人類全滅も構わなかった。

 助けてほしかったのは、命が惜しいからではなく、相手に大事にされたかったからなのだ。

 この言葉が届くのなら、助からなくてもよかった。

 助かりたいから助けを呼んだのではなく、助けるという行為を受けたいがために助けを呼んだのだ。本当は。

 ずっと愛していた。

 ハヅキが死ぬ程の目にあったなら、もしかしたら彼女は助けにきてくれるかもしれない。

 ハヅキは『神様』に願った。

 初めて応急手当の奇跡を覚えた時のように、純粋な気持ちで祈った。

 ずっと、悩める心を押さえつけていた。

 もし、彼女の為に悩んだのであれば、木葉はどう思うのであろうか。

 木葉は心が死んでいたハヅキを助けてくれた。木葉を始めて抱いた時、ハヅキは確かに寂しさと悲しさを、一時とは言え紛らわせることができたのだ。

 木葉を裏切る思想ではないかという強迫観念が、ハヅキの悩みを押さえつけていた。

 ずっと愛していた。何故なら。

『ずっと愛している』

 そう約束したのだ。

 

 

「ハヅキ! 剣を前に構えて!」

 突如、懐かしい声が耳元から聞こえた。

「――――!」

 この声は信頼ができる。だから言われるまま、ハヅキは剣を前に突き出した。

 ハヅキの横に現れた少女はハヅキと同じく一本の見事な剣を手にし、背には繊細な翼を生やしていた。

 悩める剣と相反する濁った色を持つこの剣、悩ましい剣であった。その悩ましい剣の持ち主はもちろん――。

 たった一つの願いが叶った。

 もしも、神様が一つだけ願いを叶えてくれるのなら。心を許した誰かに己の死を看取って欲しかったのかもしれない。

 メガネが望んだように。

「……いいのか? 俺を助けて」

「馬鹿です、ハヅキ。約束なんて曖昧なモノにいつまでムキになってるのですか。どれだけの命を犠牲にしたと…」

「曖昧ではない。命を犠牲にしたことが悪事であるというなら、その罪は全て引き受けてやる。それでも、俺には後退を決して許せんラインがあるんだ!」

「どれだけの人が犠牲になったと思ってるのですか!」

「俺は言ったぞ。お前らの価値は見知らぬニンゲンの命、百億万個よりも重要であると」

 少女は悲しそうに項垂れた。

「それより、なにしにきた」

「私は貴方に愛されていたと思う」

「ああ」

「私はそれを受け入れ、愛され、喜んだ。確かに私は幸せでした」

「ああ」

「もし、私が貴方にそういった極端な思考を植え付けたのなら……」

「――――」

「私にも幸福の代償を支払う責任がある! 貴方の罪の半分は私が背負う!」

 泉の手にした悩ましい剣が、ハヅキの悩める剣と共にアスペタクルからの光球を押し返し始める。

 今再び、ハヅキと発情天使の二人がメガアクマを倒すために力を合わせたのだ。

「ありがとうよ」

「ハヅキのためじゃない…。私のせいで地上の人々が死ぬくらいなら、私の命を差し出しにきただけです」

 それでもこの場に泉が現れたことが嬉しかったのだ。

 今一度、共通の目的のために共に剣を振るえるのだ。

「悩ましい剣よ! 私の命を吸いなさ……」

「悩める剣に悩ましい剣、二本の名剣よ。命令だ。俺の命を使え、泉の命には決して手を出すな」

「!」

 泉がハヅキを睨んだ。あの大人しい泉がハヅキに対し怒っている。こんなことは初めてだった。

「ずるい…! 貴方は木葉さんに! 飛花さんに! 皆に絶対に絶対に生きて帰るって約束したから、地上の命をあんなに犠牲にしてたんでしょう! 私が来たらもう、みんなとの約束も平気で破るのですかっ?」

「寝ぼけるな。俺は三倍強い。例え―――」

 ハヅキは悩める剣を構え、自らの全てを、肉も骨も魂も誇りも燃やす気迫を持って振り回した。

「二倍の命を払おうとも俺は生存する! そしてお前を死なせることもない!」

 叫んだ。

「―――――――――――!」

 叫び通した。

「――――――――――――――――――!」

 二本の剣とアスペタクルが撃ち返した命の光が接触する。

「!」

 強烈な衝撃がハヅキと泉の身体を押し飛ばそうとする。

 まるで世界が揺れ、軋みを上げているかのようですらあった。水槽に圧迫した水のように、激しい圧力が全身の筋肉、毛細血管を破裂させようとする。

 十六倍に膨張した悩める剣の光弾を、しかし、ハヅキと泉は受け止めた。

『なにっ!』

 アスペタクルが始めて困惑の声を上げた。

『その女は……発情天使か! いつの間にそのような助勢を』

「覚えておけ、アスペタクル。この俺には全人類よりも好ましい仲間がいるんだ」

『戯言を。発情天使の娘よ』

「?」

「死ね」

「……っ」

 アスペタクルの絶対的な命令口調が泉に自殺を促した。

「泉っ!」

 このままではヒデヨシのように、泉は自らに刃を突き刺し絶命してしまう。

「泉!」

「……!」

 泉の悩ましい剣が己の首を掻き切ろうと振り上げられる。

「泉ぃっ!」

「私は…………………………」

 だが、泉はその刃をアスペタクルへと向けた。

「私は、自分の責任を果たすまで決して死ねない!」

 ハヅキは   がいたからこそ、アスペタクルの言葉に逆らえた。それを泉は自らの力、意思の力だけで弾き返したのだ。

 そうだ。清楚であり清純、大人しい少女でありながらも、強く透明な、信念を持った心に少年時代のハヅキは惹かれたのだ。

 二本の剣が徐々にアスペタクルへと攻撃を押し流していく。

 しかし、アスペタクルは笑っていた。

「――――!」

 あの何度も攻撃を跳ね返したアスペタクルの右腕が振り上げられる。

『無礼者め。返すぞ』

「返させるか!」

「返させない!」

 アスペタクルの言葉は正しく『命令』であった。アスペタクルが返すと言えば、命在る者はそれに従わざるを得なかった。

 だけど、二人はその命令に背いた。何度も何度も背いた。

『跳ね返せない?』

 ついにアスペタクルが悩みの炎に焼かれた。

『ああああああああああああああああああああああ』

 絶対の王であった少女は、今悲鳴と共に豪華に焼かれた。

『ああああああああああああああああ』

 ハヅキは素早く悩める剣を振るった。

 命の波動がアスペタクルの後方へと飛び、十字に貼り付けられていた木葉の身体を照らした。

 なんと木葉は生き返った。

 ついにアスペタクルの呪縛から解き放たれ、健康な肉体へと蘇生された。

「―――――っ」

 ハヅキも泉もその場に身体を崩して、荒い息を吐いた。

「勝ったぞ…」

「そうです。ニンゲンが勝ちました…」

 

 

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