-天使のデザイア- メガクラックション

5章 聖戦


 

「お、おかえりなさい、ハヅキ。だ、大丈夫でしたかっ?」

 王国に戻ったハヅキ達を喚姫は迎えてくれた。

 喚姫の目にはクマができていた。眠らずにハヅキのことを心配していたのだろうか。

「待っていてくれたか。ありがとう、喚姫」

「はいっ」

「――――」

 二人が地下に潜っている間も、地上では戦いは続いていた。今やアスペタクルとの戦いもいよいよ大詰めを迎えようとしていた。

 昔、泉と共にメガアクマを追い詰めた時のように。

「それは悩める剣ですか?」

「ああ。悩ましい剣はもらえなかった。しかし、これも神様が用意してくれたという一刀。必ずや力になってくれるだろう」

「そうですね。あ。ハヅキ、こちらへ」

 喚姫に連れられるまま、ハヅキはテラスへと顔を出した。

「――――――――――――――!」

 兵の数が増えている。

 まるで全てのニンゲンがハヅキの前に跪いているかのような大群。悩ましい剣を探しに行く前の何倍にも兵は増えていた。

「ハヅキがメガアクマを倒すために悩ましい剣を探しにいくと発表したあと、皆は生きる希望を貴方に託しました。そうして集まったのがこの兵達です」

「なるほど」

 ハヅキは拡声器を使わず、腹の底から声を吐き出した。

「よく集まってくれた!」

 兵達にハヅキは声を投げかけた。

 見る見る兵の士気は上昇し、いつでも戦いを臨める状態となった。

 ハヅキは悩める剣を天に刺し皆に応えた。まるで音が爆発したかのように、歓声が世界を揺るがした。

「よしよし」

「ハヅキはもう慣れっこですよね、こういうの」

「喚姫がお膳立てを全てやってくれているおかげだよ」

「それもそうですよね。私も苦労してますもん」

「うむ」

 皆に手を振り、ハヅキは自らの部屋へと向かった。喚姫もついてくる。

「アスペタクルに勝つ自信はありますか?」

「必勝の自信はないが…。ただ。やれるだけはやってやる。この剣を握っていると、イメージが湧き上がるのだ」

「イメージ……ですか?」

「ああ。木葉をうまく助けることはできる」

「よかったです」

 喚姫は本当に安心したように胸を撫で下ろした。

「木葉さんには幸せになってほしいですね」

「うむ。俺の女の幸せを祈るのは、俺の女の義務だからな。木葉も喚姫の幸せを祈っているだろう」

「誰があなたの女ですかっ」

 喚姫の突っ込みも、ハヅキはふふんっと一笑に伏した。

「もうっ…。ハヅキは調子に乗りすぎです。そんなことしてたら、女の子に嫌われますよ。女の子はデリケートなんですよ」

「脳みそがデリケートなのか」

「そうです。脳みそがデリケートなんですっ」

「まあそういうな。俺は喚姫が大切だ。だからずっと俺の傍にいろ」

「――――」

 ハヅキは決して少女に嘘はつかないし、約束は破らない。それが泉を失ってから得た一つの正義だったのだ。

「喚姫。お前は不思議な女だよ」

「そうですか…?」

「ああ。強烈な二面性を感じる。もちろん、誰にだって二面性はあるが、お前のはまるで別のニンゲンがもう一人いるかのようだ」

「そんなものいませんよ」

 くすっと喚姫は笑った。

 別のニンゲンが頭の中にいる。それは喚姫ではなく、むしろハヅキではなかったか。

「まあ、約束してやる。俺はお前の味方だし、お前は俺の味方でいられるようにしてやる」

「――――」

「嬉しいだろ?」

「――」

 喚姫はこくんと俯いた。

 

 

 開幕の太鼓を叩く。

 ラッパを吹く。

 そして、聖戦の幕は切り落とされた。

「――――――――――――――――――」

 ニンゲンは右手に左手に武器を持ち、メガアクマの王アスペタクルの城へと突撃していく。

 怒声と歓声、足音と打撃音が地上を血の海に染めていく。

 正しく総力戦だ。

 敵のメガアクマも城を渡すまいと、果敢に飛び出し応戦してきた。ノーブルメガアクマも数匹混ざっているようだ。

「私達はどうするんですか」

「喚姫は俺と一緒に来い」

 ハヅキは飛花を残し、喚姫のみを連れてアスペタクルの城の裏口へと回った。表の兵は全てが囮だ。アスペタクルはあの戦場にはいないだろう。

 ハヅキは一度彼女と相対し性質を理解した。アスペタクルは風情を好む。決して圧倒的な力を見せびらかし、自らが戦場に赴いて決着を早々と着けることはないだろう。

 必ずこの城の玉座にいる。

 二人は敵に見つからないよう、城の最深部へと向かった。

「ついにここまで来たんですね」

「ああ」

「不思議なものですね。初めてあなたとあった時の私なら、アスペタクルに勝てるはずなどないと思っていました。でも」

 喚姫はハヅキの手をぎゅっと握った。

「今はハヅキならなんとかできるんじゃないかって、少しは思えます」

「少しじゃない。あらゆる戦術、努力を駆使すれば、この世に撃破不可能な壁など本当に少ない、俺はそう信じて生きてきた」

「そう…でしたね」

 手を握ったまま、喚姫は俯いてしまった。

「勝てる自信はありますか?」

「もちろん、俺は誰にも負けるつもりはないが、ただ、本来の目的は木葉を敵の呪縛から解き放つことだな」

「そうですね。その悩める剣は別名“命の剣”と呼ばれています。この星の命の輝きが詰まっています。木葉さんがアスペタクルに操作されているのは、木葉さんは既に死亡し、単独で生存するエネルギーを失っているからです。悩める剣の力を解放すれば木葉さんを助けられるでしょう。ですが」

「ですが?」

「それは星の命の力を使うということです。本来、命というのは死すれば地に還り、新たな命に生まれ変わります。悩める剣の力を解放するというのは、その力を使うということです。星に還るはずだった命をエネルギーとして消費するわけなので、使用された命は永久に生まれ変わることはできなくなります」

「なるほど」

「過去、悩める剣と悩ましい剣を天秤に掛け、悩める剣を選んだ勇者達は皆、心優しい方々ばかりでした。他者の命を使うことを悪と思い、自らの命をそのエネルギーに当て世界を救ってきました。ハヅキ、あなたの手にしている悩める剣にはそういった方々の心が宿っています」

「わかった」

 自らの命を捨てる。

 ハヅキは『ニンゲンは死ねばどうなるのだろうか』と考えたことがあった。死ねば全ての感覚が無となり、なにも見えず、なにも聞こえず、なにも感じず、なにも考えられず、生前に築いた性格やアイデンティティなどは消滅してしまうのかと、幼い頃恐怖したこともあった。

 泉が一度死に、天使として蘇ったことも思い出した。

 正直に言えば死にたくない。

 

 

 狭い廊下や階段を進み、やがてハヅキ達は紫の光が彩る、幻想的かつ広大な間へと抜けた。

 建物の中だと言うのに、この広間は命に溢れていた。床や壁には美しい花が咲き乱れ、その蜜を吸う蝶や妖精がダンスを舞うように、ひらひらと跳んでいた。見ているだけで心を持っていかれそうになる。

 ただし、その全てが呪われており、紫色であった。美しく、妖しく、花や蝶、妖精はハヅキと喚姫を部屋へと迎え入れたのだ。

 中央の玉座には少女が腰掛けていた。

 この呪われた世界を支配する絶対的な君主、アスペタクルだ。

『――――』

 アスペタクルはハヅキ達が部屋に入っても、身動ぎ一つしなかった。ハヅキが最強の悩める剣を持ち出しても、彼女は動じない。優雅に待ち構えていた。

『まずは』

 少女の喉が鳴らす、鈴のような声が場を支配した。

 この一声を聞くだけで、生あるハヅキですら死者のように従順になってしまう。それを気力で押さえつけた。

『我が眷属を押し退け、この地まで攻め入った事を褒めよう。大したものだ』

 アスペタクルはグラスを呷る。一挙一動がまるで絵に描いたような美しさ。その絵は見ているだけで熱に魂を溶かされる悪魔の描画であった。

『所詮、この世は戯れよ。神の創りし箱庭でなにを足掻くか、ニンゲンよ』

「そんな御託を並べられてもな。俺はあんたから木葉を返してもらわん限りは引き下がれん。そうそう。腕も返してもらわんとな」

 アスペタクルはくっくっと笑った。

 そして。

「――――」

 立った。

 アスペタクルは玉座から立ち上がり、初めてハヅキと向かいあった。

『いいだろう。ニンゲン、いや全ての生命が神のシナリオに従順であるか、否か。この私自らが見極めてやろう』

 ついに西の王アスペタクルとの最後の戦いの幕が切り落とされた。

 ハヅキは思い出そうとした。かつて泉と共に戦ったアンキシャスの強さを。また実際に戦ったアスペタクルの壮大さを。

 アスペタクルはまず最初に、ハヅキに『死ね』と命じた。

「あ! あ! あ! あ!」

 圧倒的な命令口調に、ハヅキの意思は早くも萎えかけた。

 自らの命を刈り取るべく、己の刃『悩める剣』を心臓へと向ける。

「―――――!」

 ハヅキは叫んだ。

 身体の感情と熱意を爆発させるように叫んだ。

 悩める剣を乱暴に振り回し、ハヅキはもがいた。絶対の王に自殺を命じられたが、ハヅキはその命に背くだけの精神力を総動員させた。

 しかし、それだけではアスペタクルの言葉には逆らえない。

 だから、ハヅキでない、もう一人ハヅキの身体を扱うことのできる『彼女』がアスペタクルの呪縛を弾き飛ばした。

『――っ!』

 吼えたハヅキの価値観は完全に逆転した。今やハヅキの中ではアスペタクルよりも、自らの理想が重要であると刻み付けた。

『―――っ。また貴様か……。何者だ…』

(マ……)

 一瞬だが、ハヅキの中に少女の名前が蘇った。

 だが、すぐに消え去った。

「今度はこちらから攻めるぞ! 悩める星の命よ! この俺に力を貸せ! 世界で最も偉大であり、最も崇高な理想を持ち、強靭な精神を持つこの俺のために命を貸してくれ!」

 ハヅキは自らの命ではなく、悩める剣を使い星の命を吸い上げた。

 溢れんばかりの命の力が凝縮となり、剣に集約されていく。

 剣に収まりきらなかった命の一滴が、朝露のように床にぽとりと垂れた。たったそれだけのことなのに、ハヅキの足元から生命のバラが咲き乱れた。

『その剣は……自らの命を犠牲にすると約束づけられた悩める剣……。何故、貴様は他者の命を躊躇なく使用できる…』

「悪魔が今更この俺に説教を垂れるか! 俺は飛花と約束した! 必ず生還すると! そのために有象無象を犠牲にすることを躊躇などできるか!」

『その剣は自らの命を差し出すという、誰もが守るであろう『悩める暗黙の了解』があるはずだが』

「それがどおしたあああ!」

 ハヅキは悩める剣を頭上に掲げた。

 力を集中した剣はまるで巨大なハンマーのように、圧倒的な重量を備えていた。ハヅキは重さを前に放り投げるように、剣をアスペタクルへと振りかざした。

『――――――!』

 命の光は破壊力となり、王間を駆け抜けた。

 地を砕き、呪われた植物や妖精を巻き込み、敵を飲み込まんと直進する。

 アスペタクルが始めて防御の姿勢を取った。

『この私に無礼な。返すぞ!』

 がつんっと。

 アスペタクルの振るった左腕は、悩める剣の放った光球をハヅキへとまっすぐに跳ね返した。

「ぬおおおっ!」

 ハヅキは成す術もなく、自らの放った攻撃に巻き込まれ炎上した。

 

 

次へ進む  タイトルに戻る