-天使のデザイア- メガクラックション

3章 伝説の名剣


 

 夢を見ていた。

 あの最愛の少女ではなく、別の少女の夢だ。

 彼女は煩かった。

 だけど、いつもハヅキのことを心配してくれていた。

 

 

 ハヅキが目を覚ましたのは病室のベッドの上だった。

 首だけを横に向けると、隣で看病をしてくれていた喚姫が椅子に座り、こっくりこっくりと船を漕いで眠っていた。

 ハヅキは己の身体の状態を調べた。左腕はない。縫合手術をされたのか、血は止まっていた。左腕の断面が気持ち悪かった。

 状況を思い出す。

 アスペタクルが現れ、ヒデヨシが死に、ハヅキは左腕を奪われ、木葉も連れ去られた。最悪だ。

 あの強さはやはりニンゲンの手に負えるものではないかもしれない。あんな化け物を相手にどう立ち回れば良いのか、さすがのハヅキも簡単には思いつかなかった。

「ハヅキ、気が付いたのですか」

 喚姫を起こしてしまったらしい。ハヅキも上半身を起こそうとした。

「駄目です。ハヅキは大怪我をしたんですよ。もう少し横になっていてください」

「そうだな…」

 いつものような覇気は生まれてこなかった。

「木葉が連れ去られてしまったか」

「ハヅキ」

「俺は慢心していたのかもしれん。最後まで諦めなければ、必ずや結果を掴めると何処かで楽観的な考えを持っていたのかもしれん」

 喚姫は俯いた。彼女はなにか言おうとしたが、言葉を思いつかなかったようだ。

「左腕を失い、冷静になり、今頃になって恐怖を覚えてきた。あんな化け物にバットで勝とうとしていたとは」

 ハヅキの頭の中には確かにアスペタクルへの怒りもある。ハヅキを慕っていたヒデヨシを死に追いやった彼女は死罪に値する。ヒデヨシのことを考えるならば、ハヅキにはアスペタクルを処刑する義務があった。しかし、もう二度と会いたくないという感情もまた生まれていたのだ。

 それでも。

「あの女だけは許さん。この俺がギタギタにしてやる」

 喚姫の前でだけは強く笑った。

 死を恐れる恐怖は確かにあった。しかし、ハヅキにはそれ以上の怯えがあった。木葉や喚姫を失ってしまうことが恐ろしかったのだ。

 泉を失って以来、ハヅキは歪んでいる。女を失うことへの極度の恐怖。それがハヅキを突き動かすのだ。

「喚姫、悔しいぞ」

「はい…」

「あの女だけは…絶対に許さん……」

 本当は逃げたいのだ。

 だが、女との約束は守らなければならない。木葉は必ず守ると誓った。それは誓いというよりも、もはや呪縛に近い。

 ハヅキには決して女との約束を敗れない枷があった。

『お前はいるだけで価値がある。俺がそれを証明してやる』

 脳内にチラチラと守れなかった約束が過ぎった。ずっとハヅキの心を蝕んでいるのだ。

「―――――」

 気づけば、ハヅキの呼吸は荒かった。残った右手は激しく握り締められ、汗ばんでいた。

 怒りと恐怖が極限にまで達し、興奮しているのだ。

「ハヅキ」

「喚姫。俺は木葉を助ける」

「はい」

「しかし、どうすればあの化け物を倒せるのか思いつかん」

 喚姫は暗い顔をしながらも、思いついたらしい言葉を口にした。

「ここから南に以前、ニンゲンが使っていた都庁があります」

「トチョウ?」

「はい。あまり知られていませんが、その地下には神をも屠る強力な『悩ましい剣』が隠されているそうです」

「?」

 ハヅキはじっと喚姫を見つめた。

 喚姫の言葉がおかしかったのではない。いや、もちろんおかしかったのだが。悩ましい剣とはなんだろうと首も捻った。

「――――」

 ハヅキは今誰と話をしているのか。

「変な名前の武器だな」

「悩ましくていいじゃないですか」

「――よく知っていたな、そんなこと」

「はい。ハヅキが眠っている間に調べておきました」

「そうか」

 ハヅキはどうでもいいかと目を閉じた。

 喚姫がなんであれ、ハヅキはこの少女を信じたのだ。

 悪魔喚起。彼女と出会う時に連想した言葉が蘇った。

「喚姫」

「はい」

「少しでいい。俺の傍にいてくれ」

 喚姫はこくりと頷いた。

「不思議な女だな、お前は」

「そうですか?」

「ああ」

「ハヅキ」

 改まって喚姫はハヅキへと顔を向けた。

「もしも。神様がたった一つだけ願いを叶えてくれるとしたら。なにを願いますか?」

「そうだな」

「願いを増やしてくれとかはダメですよ。ハヅキが心の底から望んでいる願いです」

「――――」

 木葉ではない。ある少女のことを思い出した。

 守れなかった約束。果たせなかった想い。

「過去を改ざんしたいですか?」

「いや」

 最も叶えたい願いはなにかと考え、ハヅキは一瞬だが浮かんだ欲望を心の底へと封じ込めた。

 もし、ハヅキが『誰か』を選べば、選ばれなかった木葉はどうなるのか。

「わからん。すぐには思いつかん」

「いくら考えたってわかりませんよ。ハヅキにはそんなものありませんから」

「――?」

「私と木葉さん。もし、どちらかを殺さなければいけないのなら、ハヅキは選ぶことができますか?」

「なんらかの手段でどちらも殺さない方法を見つけてやる」

「――あなたは選べないんです。誰を裏切るかを」

 そうだな、とハヅキは頷いた。

「誰をも愛しているようで、あなたは誰をも愛していない」

 まるで、喚姫にハヅキの心の中にいるあの少女を見抜かれているような気さえした。アスペタクルでさえ、ハヅキの頭には木葉しかいないと思わせた。

 決して誰にも悟られることはなかった心の奥底の少女の影が、すっとハヅキの表へと滲み出た、そんな気がした。

 

 

 ハヅキは都庁へ旅立つ前に墓を作った。

 ヒデヨシの墓だ。

 豊臣秀吉は織田信長よりも長く生きたと言うが、このヒデヨシは主よりも先に逝ってしまった。

「馬鹿野郎め。俺の許可もなく勝手に死にやがって」

 墓に眠るヒデヨシに対し色々と言ってやりたい言葉もあったが、最初に出たのは憎まれ口だった。

 陽が暮れるまでハヅキはヒデヨシの前にいた。

 これが最期の別れだ。

「ヒデヨシ。これまでの働き、ご苦労であった。ゆっくりと休め。俺はお前のことは忘れん」

 ようやく、ハヅキは労いの言葉を口に出すことができた。

 ヒデヨシもこれで休むことができるのだ。

「そういえば約束があったな。喚姫の作った茶菓子だ。一緒に食うぞ」

 ハヅキは墓の前で喚姫からもらった包みを広げた。

 色鮮やかな菓子と茶の葉が入っていた。ハヅキはヒデヨシと共にその美と味を楽しむことにした。

 

 

次へ進む  タイトルに戻る