-天使のデザイア- アンデッドヒロイン
1章 再戦
天使となった泉と旅をしたのも、今では随分と昔の思い出となった。
戦いに敗れ、泉との仲も壊れた。
ハヅキは誰も寄り付かない場所でゆっくりと時間をすごしていた。
悲しい時を送っていたハヅキに優しくしてくれた少女もいた。
「状況を整理しよう。つまりお前はメガアクマになっているわけか?」
ハヅキはそう、自らの『恋人』に問いかけた。
少女はこくこくと、首の肉が千切れる勢いで頷く。何度も何度も頷くので、その度に体液が散った。
世界は更に破滅した。
生き残ったニンゲンは次々にメガアクマへと改造され、新たな仲間を求め、まるで吸血鬼のように犠牲者の首へと噛み付いていった。
メガアクマは増えていく。
そして、ハヅキの前に変わり果てた姿の恋人が現れた。
『はははは早くあああなたも私達のなななな仲間ににににににに』
メガアクマはハヅキの首筋に噛み付こうとした。
ハヅキはそれを振り払う。
「まあ、落ち着け。俺はお前の男だ。お前が現在生きているのか、死んでいるのかは分からん。大変ショックを受けている。民間人の俺にはこの場を解決する相応しい手段は今すぐには思いつかん。とはいえ、お前はまだ動いている。なんらかの手段で蘇生の可能性があるかもしれん。だから俺は可能な限り落ち着いている」
『はははは早くうううう仲間ににににににに』
もはや少女にハヅキの声は届かないのか、呂律の回っていない口調で襲い掛かってくる。
ハヅキは大きく息を吸った。
そして怒鳴った。
「木葉(このは)! 俺の言うことが聞けんのかっ!」
木葉。
ハヅキの今の恋人の名は泉ではなく、木葉と言う。
腹から吐き出した怒声は激しく部屋を振るわせた。
それまでハヅキに食い付こうとしていた木葉もびくりと制止した。
「お前が耳を傾ける相手は誰だ! 顔も知らぬメガアクマの親玉か! お前はこの俺を信頼して、今までついてきたのだろう! アレは嘘か! この俺とメガアクマとどちらが大事なのだ!」
ぶるぶると木葉は首を横に振った。その仕草はメガアクマではなく、正しくハヅキの恋人、木葉のものであった。
「分かれば構わん。怒鳴ってすまなかった。俺はメガアクマというものをよくは知らんが、そんなものに噛まれた以上、お前もタダでは済んでいないのだろう。だが、慌てるな。絶望したらそこで終わりだ。メガアクマの親玉を殺せば解決するのなら、この俺が何らかの手段を持って殺してやる」
昔、このような感情をもってメガアクマと戦った時があった。
信仰心は忘れた。だからもう奇跡も行えない。
この体たらく。
もしも、今でも脳内少女がいたら、なんと罵ったか。
泉を失い、心が死んだ時から彼女もいなくなってしまった。
地上の支配者はニンゲンではなく、メガアクマである。
ニンゲンはメガアクマの目から逃れ、隠れ住む時代となったのだ。
「少しは落ち着いたか」
木葉はこくりと頷いた。
その動作だけで首が捥げそうになった。
「あまり動くなよ。どうもお前の肉体は腐っているらしく、無理に動けば身体が千切れる。しかし、ニンゲンの生血を啜れば一時的に身体は回復するんだったな?」
木葉はとても悲しそうな顔をした。
「木葉、よく聞け。俺は今日、鶏肉を食った。鳥は食ってよくて、人は食ったらいかん理由はない。もちろん命は大切なものだが、お前には代えられん。それに命を粗末にしているわけでもない」
木葉は落ち着いてはいるが、ぼうっとハヅキの顔を見ている。
「ふむ、少しテストだ。木葉、一足す一はいくらだ?」
『…に、にに……二……?』
「では三〇掛ける三〇はいくらだ?」
『…あ…あぁぁ…?』
「なるほど。メガアクマに噛まれたせいか、今のお前は思考力を欠落しているな。答えは八〇〇だ。では、今後しばらくの判断はこの俺が受け持つ」
ハヅキは立ち上がり、コートを羽織った。
「――今のは『九〇〇だよ』って突っ込むところだぞ」
『あああうう?』
「まあいい」
時間を無駄にするわけにはいかなかった。
『ああ…ああああ…?』
「木葉」
『うぁ…?』
「この俺が信頼できるか」
『う…うぁ…う…ん…』
「メガアクマを殺すのが目標ではあるが、まずはお前にニンゲンを食わせる」
『あーーあーーー!』
多少は落ち着いていた木葉だった故に、これからニンゲンを食うという事実が彼女を悲しませているのだ。
「お前の気持ちは分かる。しかし、お前はこの俺を悲しませて平気か?」
『うあーー! うあーーー!』
「では少々の非道徳な行為は耐えてくれ。決してお前の嘆きは無駄にせんことを誓う」
『うぁ……?』
「安心しろ。俺がお前を守ってやる」
そう言い、ハヅキはメガアクマとなった木葉を連れ、我が家から出撃した。
夜の空気には湿った死臭が混ざっていた。
しんと静まり返り、もはやゴーストタウンと化している。
確かにハヅキはこんな臭い、なるべくなら嗅ぎたくはないが、まあ、所詮ニンゲンの肉の腐った臭い。生ゴミだと思えば我慢もできた。
「む?」
道路の真ん中を堂々と歩くハヅキと木葉の前に、一匹のメガアクマが現れた。元は近所の主婦だった女だ。顔も見覚えがある。
「さっそく出たな」
『グギガー!』
メガアクマ(主婦)はハヅキを獲物だと思ったのだろう。
応戦せねばならない。
「木葉。お前は安全な所に下がっていろ。俺はメガアクマの強さを確認する」
『グギガー!』
メガアクマが飛び掛ってくる。
かつて、メガアクマと戦った時、ニンゲンであるハヅキは手も足もでなかった。
「――――」
今のハヅキは違う。
泉と破局して以来、心が冷たくなった。敵を殺すことに躊躇いなどなかった。
ハヅキは慌てず、騒がず、用意してあった金属バットでメガアクマの胸を強打した。
『グギガァァ!』
ぐちゃりと肉の潰れる感触がハヅキの手に伝わった。しかし、元主婦だったメガアクマはまるで意にも介さず、再び起き上がりハヅキへと向かってくる。
「思考能力が落ちている代わりに、ニンゲンよりもずっと頑丈になっているのだな」
ハヅキはそれでも慌てない。
敵をよく“視た”。
「動きは単純だな。俺はケンカは素人だが、それでも武器さえあれば、この程度なんとかなるな」
ハヅキは今度は主婦の頭をバットでぶん殴った。
『ぐぎがああああああああああ!』
バカン!とスイカのように主婦の頭は割れた。脳味噌を飛び散らせ、メガアクマは吹っ飛んだ。
ぴくぴくと痙攣している。
「ふむ、なるほど。やはり命令器官は脳であったか。一つ賢くなった。お前と戦えて良かったと思うよ」
ハヅキは主婦に近寄り、もう一発金属バットをメガアクマの頭に振り下ろした。
ぐちゃりと潰れた。
死んだ。
ハヅキはメガアクマの死体に頭を下げ、一礼をした。死ねばニンゲンもメガアクマも鶏もない。
「よしよし。確かにザコと侮っていい相手ではないが、サシでの戦いならなんとか勝負になるか」
ハヅキは振り返った。
「木葉。メガアクマは食えんのか?」
『あーうー』
食えないらしい。
「そうか、仕方がない。ではニンゲンを探すか」
ハヅキは木葉を連れ、再び夜の街を歩き続けた。
「む?」
今度はメガアクマが三匹ほど、なにかにタカっていた。
どうやら『食事中』らしい。
ハヅキは「よし」とガッツポーズを取った。現在、この町のニンゲンで食事中のメガアクマに出会って喜ぶ男はハヅキくらいのものだろう。
「さすがの俺でも生きているニンゲンを殺すことは、僅かだが抵抗があった。まあ、しかし、既に殺されて食われている途中ならしょうがない。な?」
木葉にそう言い聞かせ、ハヅキは足音を立てずにメガアクマに近寄っていった。
あまりにも無謀。あまりにも無策。
その常識外れの行動はメガアクマにすら反応を遅らせた。
ハヅキの先制攻撃。
メガアクマが気づいた時にはもう一匹目を殺すことに成功していた。
ばか!っとハヅキの振った金属バットが、メガアクマの頭を叩き割ったのだ。
『ぐぎがああああああああああああああ!』
メガアクマが叫び声を上げる。
「ふん」
ハヅキは落ち着いて考えた。こんなに騒がれては、敵の増援が来るかもしれない。さっさとこの二匹を始末し、木葉にニンゲンを食わせねばならなかった。
魔物の群れは驚き戸惑っている。
勝った。ハヅキはそう確信した。
驚き戸惑っている間に二匹目の頭をバットで叩き割った。
『ぐぎがあああああああああああああああああ!』
さすがに残りの一匹も身の危険を感じハヅキに向かい合ったが、それは先ほどの主婦と同じ結末を辿った。一対一での戦いならハヅキは余裕を持って敵の頭を殴り割れることができた。
ハヅキは勝利した。
「よし、なんとかなるもんだな」
ハヅキは額の汗を拭い、そして迅速にメガアクマが集っていたモノへと近づいた。
男だ。当然だが死んでいる。
既に幾つかは食われたのであろう、身体の部位が幾つか喪失していた。
「木葉、気は進まないかもしれんが、こいつを食ってくれ」
『うあー! うあー!』
木葉が嫌がる。
「木葉、確かにお前は優しいやつだ。ヒトを食ってまで生きたいとは思えんかもしれん。しかし、お前までいなくなったら、俺はどうしたらいいのだ」
ハヅキは恥も外聞もなく、大地に膝をついた。
そして、額を地面にこすりつけた。
「この俺は滅多なことでは頭を下げん! しかし、この俺の土下座に免じ、今ひとたび、お前の主義主張を俺のために曲げて欲しい! 俺にはお前が必要なのだ! お前は俺の大事な木葉だ! もう誰も失いたくないのだ!」
『うああああああああああ!』
それでも木葉は躊躇している。
時間がない。木葉の身体の腐敗も進んでいるし、新たなメガアクマが来るかもしれない。
「木葉! 乱暴するが許せよ!」
ハヅキは立ち上がり、木葉を死体へと引きずっていった。
そして、死体の血肉を引きちぎり、無理やり木葉の口に突っ込んだ。
『あああああああああああああああああ!』
「食えー!」
肉を木葉の口の中に押し込む。
それらが飲み込まれたと確認し、次の肉を木葉の口に押し込んだ。
とにかく食わせ続けた。
木葉は泣いていた。
腐っていた肉体は、以前のように瑞々しい少女のものに戻っていた。声帯も戻っていた。
しかし、普通に喋られるようになったはずなのに、木葉はハヅキに口を聞いてくれなかった。
「怒っているのか?」
木葉は答えなかった。
ただただ泣いていた。
「確かに非道いことをした。だから、この俺を殴って構わん」
『ううう!』
木葉は振り返り、そして思いっきりハヅキの胸にしがみ付いて泣き始めた。
『バカ! バカ! 私、ヒトを食べちゃったじゃん…! もう、ニンゲンじゃないんだよ! 死んじゃってるんだよ! 私のことなんかもう忘れてよ…!』
「そうはいかん。この俺はお前を守り抜くという約束をした。ニンゲンを止めればその約束が無効になるという事もあるまい」
『だってもう戻れないんだよ! ずっとニンゲンを食べ続けるしかないんだよ!』
ふぅむとハヅキは顎に指を当て考えた。
「つまり、今までと食料の種類が変わっただけじゃないのか?」
その言葉でついに木葉の感情は頂点に達した。
『ハヅキはいつもそうなのよ! なんでそんなに冷静でいられるのよ! 女の子の気持ちなんかこれっぽっちも分かってないんじゃないの!』
「ぬ…」
確かにハヅキは女性の気持ちには鈍い。
「すまない。心無いことを言ってしまったかもしれない。しかし、俺はまずは、木葉と仲直りがしたい。木葉はどうだ? 俺と仲直りをしたくないか」
「――――」
今まで怒っていた木葉は急に大人しくなり、俯いてしまった。
『別に怒ってたわけじゃない…。悲しかったからハヅキに八つ当たりしちゃったんだ…』
「構わん。事情が事情だ。八つ当たりすることも特別に許す」
『なんでそんなに偉そうなのよ、あんたは!』
がすっと木葉の拳がハヅキの鳩尾に叩き込まれた。
「よし。元気になったか」
『うわ、効いてないし…。むしろ、ハヅキのほうがニンゲンじゃないみたい…』
「お前の心はもっと痛かろう。この程度の痛み、受けてやろう」
『バカ…』
木葉はがすがすと何度もハヅキを殴った。
悲しいだけではなく、嬉しくもあり、木葉の頬は涙に零れていた。メガアクマになっても涙腺は機能しているようだ。
もしも、この世界に神様がいるのなら、ハヅキを幸せにして欲しいと木葉は願った。それが今の木葉にとっては一番の願いだったのだ。
ハヅキが幸せになれない理由を木葉は知っていた。ハヅキの心の中にはずっと思い出の少女がいる。