-天使のデザイア- セクタ・イービルデッド

3章 妄愛の果て


 

 昔、ニンゲンは神様と天使に助けられ、地球の支配者として君臨していた。

 高度文明、数多の奇跡。

 だけど天使が何処から来たのかは誰も知らない。メガアクマが何処から来たのかも知らない。

 情報制御された社会の中ニンゲンはなにも知らずに生きてきた。一見支配者に見え、なにも知らされていなかった。

 まるで、巣から解放されたあの二人のように。

 

 

「ここは敵の巣窟だから、迅速に安全な場所まで逃げないと」

「ああ。すまない、泉。俺にはメガアクマと戦う力はないんだ」

「それは仕方ないです。今は私任せでいいので急ぎましょう」

 泉は拷問質の扉を蹴破り、廊下に躍り出た。そのまま弾丸のような速度を持って走り出す。

 ハヅキも泉に遅れを取らぬよう、地下監獄を走った。高速で走る泉の背中を必死になって追い、地上目指して走った。

 天使になっても泉は可憐であった。長く美しい髪と天使の衣服をはためかせ走る後ろ姿は、この暗い地下においてもまるで太陽があるかのように輝いていた。

「グギガー!」

 また一匹太陽のヒカリに釣られゴキブリのようなメガアクマが現れたが、発情天使泉の戦闘能力がゴキブリに劣るはずもない。瞬く間にゴキブリはスクラップにされ床に転がった。

 泉は地上目指して走る。ハヅキも走る。階段を昇る。また狭い廊下を走る。やがて重い扉に当たった。

「邪魔です!」

 泉の強固な蹴りは鉄の扉を紙のように破り飛ばした。

「―――!」

 眩いヒカリが扉の外から刺した。

 馴染んだ灰色の空、炭化した地面。そして立ち並ぶメガアクマの街。そうだ、地上への扉が開かれたのだ。

 ハヅキは泉に続き、広場へと踊り出ようとした。

「?」

 泉が外に飛び出した後、ふっと出入り口に現れ、ハヅキの道を遮った少女がいた。

 天使を助ける時に声を掛けてきたカチューシャの少女だ。

「あんたは…」

「外に出るのですか? すごい数のメガアクマですよ。覚悟がなければ引き返すことをお奨めしますが」

「あんたは誰だ?」

「さて。誰でしょう」

 カチューシャの少女は惚けた。

(マリー、俺の記憶の中にこの女はいるか?)

『ちょっと待って』

 マリーはハヅキが過去に出会い、脳みそに刻み付けたニンゲンから、目の前の女を検索する。

 容姿、声、性別、体格などから、情報を絞り込む。だが、該当するニンゲンは一人も見当たらなかった。

 このカチューシャの少女と出会ったのは、天使の少女を助けた時が初対面だ。

「あんたの正体は気になるが、俺は急いでいる。泉だけを行かせるわけにはいかないんだ」

 ハヅキはカチューシャの少女を残し、外へと飛び出した。

「大事な者を持つから人は陰鬱にもなる」

「――――」

 少女が口にした言葉に、ハヅキはどきりとした。

 泉を失ってからのハヅキは、心の何処かに痛みを持っていた。もし、ハヅキが泉のことを好きでもなんでもなければ、あんなに苦しむこともなかったであろう。

「だけど、それを恐れて大事な者を作らないのは臆病です」

 振り返っても、もうカチューシャの少女は姿を消していた。

 

 

「泉、大丈夫か」

「ええ…」

 取り囲む無数の黒いゴキブリのようなメガアクマ共。

 ゴキブリは際限なく数を増やし、ハヅキ達を囲む層を厚くしていく。層は増え、重くなり、やがて景色が見えなくなった。視界にあるのはメガアクマの人壁だ。

 そして、ゴキブリ達の中にはあの長身の黒い男もいた。

 ハヅキを連行したあの男だ。マリーが死ね死ねと叫んでいる。

「これはこれは。発情天使の姫君。ついに現れましたな」

「…誰ですか。メガアクマの王の一人でしょうか?」

「名乗り遅れ、失礼しました。私、王の一人アンキシャスと申します。我々メガアクマは貴女の降臨をお待ちしておりました。最後の抵抗勢力を葬るためです」

 泉はメガアクマと向かい合い、背を向けているためハヅキにはその表情は分からない。だけど敵の名乗りを聞き、泉にも緊張が走ったことは分かった。

「そうですか。考えようによってはちょうどいいです。ここでメガアクマの戦力の一角を削らせて頂くことにします。その前に一応、聞いておきましょう」

「なんでしょう?」

 泉は恐るべきアクマにも、決して一歩も引かずに問いかけた。

「神罰か改心か。お選びください、メガアクマの王よ。改心を選ぶのであれば、その身柄は保障します」

 

 

 泉とメガアクマが戦闘前の礼を交わしている間、マリーはハヅキの視界内に入っている敵の身体能力を把握していた。網膜に映った情報を徹底的に分析する。

 胸の筋肉の伸縮からは肺活量を読み取れるし、瞬きのタイミングを計れば敵の死角を突くチャンスも生まれる。また敵の身体の破損箇所の有無も調べられる。マリーは得た情報を素早くハヅキに伝えた。ハヅキはそれを泉に伝えた。

「泉、俺なりに観察した結果だが。敵は平均六秒に一度瞬きをする。またその肺活量から無呼吸状態で二二〇秒の全力戦闘行為が可能だ。利き腕は右。体内に火気物質を含んでいる」

 泉とアンキシャスは二人してハヅキに振り返った。

「ハヅキ?」

「面白いことを言うな、ニンゲンよ」

「喋ることによって更に能力を分析できるぞ。口から火気が出ている。少なくとも口から火を吐けるらしいな。他にも顎の動きからは筋肉の強さや歯型も予測できる」

 アンキシャスは肩を震わせて笑った。その笑い方から敵の腕の筋力をマリーは読み取った。

「なるほど。卓越した視力と思考能力による敵の戦力分析か。だが、ニンゲンではいかに情報を押さえ、計算能力に優れようとも我らメガアクマとは身体能力が違いすぎる。実際に私がお前を銃撃すれば回避する手段はあるまい?」

 泉はそんなハヅキを庇うようにメガアクマと向き合った。

「勘違いしないでください。貴方の相手は私です。ハヅキ、助力ありがとう。活かして必ず勝ちます」

「発情天使の姫よ。先ほどの問いに対しての答えだが。返事はこうだ」

 敵は部下に対し、手を翳した。

 ――それが戦闘開始の合図だった。

 ハヅキ達を囲んでいた雑魚メガアクマのゴキブリの大群が泉へと殺到する。

「ハヅキ、気をつけてください。私なら敵の攻撃に耐えられるけれど、ニンゲンの貴方はそうはいかないです。難しいだろうけれど、上手く立ち回って」

「心得た」

『こころえたー!』

 泉はにこっと笑った。右手からヒカリが噴き出す。

あの輝く武器だ。

泉の長い髪は宇宙を流れる彗星のように。

 敵の層へと一筋の銀のヒカリが走った。泉だ。敵の群れのど真ん中へと一足で飛び込んだのだ。

 ――泉は吼え、ヒカリを一閃させた。

 たったそれだけで何百といるゴキブリ共を人垣ごと薙ぎ払った。強烈な打撃を叩き付けられ、全身を木っ端微塵にされたメガアクマの何千というパーツが宙に舞った。

 一瞬にして泉の周囲は無人の空間となる。

「ほう…」

 アンキシャスの合図により、周囲のゴキブリが再び泉に殺到する。だけど結果は同じだ。雑魚のメガアクマでは何千体集まろうとも泉を止めることさえできなかった。

 アンキシャスは感嘆の声を上げた。

「さすが発情天使の姫君! 我が軍隊などまるで紙の軍勢のように吹き飛ばされる」

「次はあなたがそうなる番です、アンキシャス!」

 泉は再び一筋の流星となり、眩いヒカリとなり敵へと襲い掛かった。

 無数のゴキブリが層となり身を呈してアンキシャスを庇うが、光に触れた雑魚は一瞬のうちに蒸発しこの世を去った。

 泉のヒカリの剣がアンキシャスを一刀両断せんと、光速を持って脳天に振り下ろされる。

 ――振れた。

 世界が揺れた。まるで大震剣のように、揺れは二人の交差した剣から生じた。有り余る力と力のぶつかり合った余波だった。

 アンキシャスの剣は炎だった。ヒカリの剣と炎の剣、互いが互いの刃を押し合う。

 泉は吼え、アンキシャスもまた吠える。カスのような雑魚のゴキブリ兵はその剣圧だけで、近寄ることは愚か、その場に踏みとどまることも適わず彼方へ吹き飛ばされた。

「アンキシャス!」

「ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ」

 泉は剣を払った。アンキシャスの態勢を力任せに薙ぎ払う。

 そして態勢の崩れたアンキシャスの胴に対し、泉は神速であり高圧の刃を叩き付けた。

 甲高い金属の剣声があがった。

 敵は必死に鉄の剣で受け止めるも、泉の圧倒的な攻撃力を受け止められるはずもなく、二歩、三歩とまた後退する。

 そこへ間髪いれず、泉は追撃を放つ。アンキシャスはもはや攻撃を受け止めるのに必死だ。

「強い! お強い! この私の戦闘能力を超越している! しかも火炎能力を看破された私には虚を付いた反撃も難しい! 私などではとても相手になりませんな」

 泉の猛攻を受け、だけど敵は余裕の表情を崩していなかった。

「だが勝敗は別だ! ピーピルピプピーポッポー!」

 アンキシャスは叫び、己の身を極炎に包み込んだ。一見自爆のようにも見えたアンキシャスを包む炎は、切り込んでいた泉に燃え移ろうとする。

「あたるか!」

 泉は咄嗟に後方へ飛び、アンキシャスの炎を避けた。ハヅキの戦力分析により、炎を扱うことを分かっていた泉には造作もないことだ。

 だがその一瞬。泉の攻撃が止んだ最大のチャンスをアンキシャスは見逃さなかった。足の裏にロケットを組み込んでいるのか、アンキシャスは推進剤を吹かし空中に舞い上がっていく。

「―――!」

 泉は上空を睨んだ。

 アンキシャスの姿は豆粒のように小さくなっていく。

 空中高く昇ったアンキシャスの怒声が街中に響いた。

「発情天使の姫君よ! これは平原の戦闘ではない! 貴女は我が領域に土足で上がりこんできたのだ! 単純な戦闘能力だけで勝てると思うな!」

『ハヅキ…! 危ないわ。来るわよ』

 ハヅキの目となったマリーがアンキシャスを追い、拡大表示する。アンキシャスは笑い、手にした機械のスイッチを押していた。その機械に書かれた文字をマリーは読み取った。

 自爆装置。

 ――急速に足元から熱くなる。爆発する。街が。揺れた。

「ハヅキ!」

 泉がハヅキに飛んでくる。泉がハヅキに手を触れるのと、足元が爆発したのはどちらが先だったか。

 大爆発。まるで世界を焼いたあの火のように、街は業火に包まれた。意識の途絶える間際、マリーは見た。

 街のニンゲンが蒸発していくのを。

 

 

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