-デイブレイク 後章-
九 魔術師二人。
医務室は既に満員だ。
開いている部屋のベッドにホリティを寝かせ、コーデリアは額の汗を拭った。疲れきった身体は日常行動にさえ疲労する。反面、ホリティは先の激戦を忘れさせるほど、穏やかな顔で寝息を吐いていた。
背中に刺さるような視線を覚えコーデリアは振り返った。斜に構えたフィントロールは彼には似合わない満面の笑顔を浮かべ、コーデリアとホリティに視線を投げかけている。
「おうけいおうけい。好きにして構わんぞ。お前さんは今回のMVPだからな。多少の我侭も俺は口うるさく言うつもりはない。この部屋も貸そうじゃないか」
「ありがとう」
「けどその女を無罪放免、というわけにもいかんだろ。そいつは多くの命を奪った」
その目は明らかに処刑を訴えていた。
「ホリティを殺したいですか?」
「当たり前だ」
「それは適わぬ話と思ってくださいな」
コーデリアがあっさりと決断を下すと。フィントロールは歯軋りした。口には出さないが、フィントロールは明らかにコーデリアを警戒している。信用していない。彼だけではない。この基地にいる妖魔も人間も多くはコーデリアの帰還を歓迎はしていなかった。
所詮、異質なるものと認識されたのだろう。
紺野は妖魔でありながら人間社会で育った。人間にも妖魔にも、その双方に必要とされ、また友を作る。
対する己は人間でありながら、その身は妖魔をも駆逐する戦闘力を植えつけられた強化兵。傭兵が必要とされるのは戦の時だけだ。戦が終われば強い力を持つコーデリアは忌み嫌われる。
「さて、レディの寝姿をこれ以上、殿方に晒してはホリティも可哀想というもの。お部屋をお借りした件は感謝しますが、少し退席して頂けないかしら」
「ああ」
フィントロールは舌打ちし、部屋から出て行った。コーデリアは息を吐き、ベッドの隣の椅子に腰掛けた。
「――敵を作ってまで私を庇うの?」
「あら?」
ホリティは目を覚ましていた。寝転がったまま、コーデリアの顔を覗いていた。その表情には憎悪も親愛もなかった。ぼうっとコーデリアの目を見ていた。
「起きていたのですか」
「起きてた」
ホリティの表情には憎悪はないけれど、その代わり不満は浮かべていた。
「どうしました?」
「別に」
「駄々っ子のようですわね」
コーデリアが笑ってそう言うと、ホリティはそっぽを向いた。
「負けて悔しいだけ。どうせなら、勝った貴女は負けて這い蹲る私に『地面に這い蹲る貴女はまるでゴキのようですわね』くらい言えばいいのに。威張りもしないし」
「まだゴキに拘ってるのですか」
ホリティの顔が赤く染まる。やっと人間らしい表情になった彼女にコーデリアは少し安心した。
「いや、だって、その、ゴキは…」
「いえ、もうゴキの話は良いです。さて。私、フィントロールさんにも嫌われてしまったことですし、もうここにはいられないですね」
「そうなの?」
「そうなのです」
コーデリアは椅子から立ち上がった。出るにも元よりこの身は手ぶら。支度もなく即座に旅立つこともできるだろう。
聴覚も徐々に回復の兆しを見せていた。紺野達の会話は先ほどから聞こえていた。紫苑は息絶えたようだ。後の箱の始末は紺野が片付けてくれるだろう。もはやこの身に役目はない。
旅立ちの支度をするコーデリアにホリティは声を掛けてきた。
「ねえ、コーデリア」
「はい?」
「行く宛はあるの?」
「それが全く」
ホリティと戦うために数多の戦に身を置き勝ち抜いてきた。その目的を果たした今、術べきこともない。
「私も御一緒していい?」
「どうして? 貴女、私のこと嫌いでしょう?」
「ん…。嫌いなのかな。どうだろ…」
「嫌いではないのですか?」
ホリティは何やら思案していたようだが、やがて笑った。
「もう嫌いとかそういうのよくわかんない」
「ホリティ」
「ん?」
「貴女、笑ったことないでしょう?」
ホリティは頷いた。
「楽しいことは少なかったな。ずっと貴女を殺す殺す殺す殺す死んでしまえって考えて生きてたから」
「物騒ですね。では後ほど私が上手な笑い方を教えてあげましょう」
コーデリアがにこりと笑い掛けてやると、ホリティは少し驚いたようだった。
「では、少し用事を済ませてから行くので、先に門の所で待っていてくださいな」
ホリティは頷くと、部屋から出て行った。
彼女の退出を見届け、コーデリアは口を開いた。
「どうぞ。出てきてください」
「むう…」
コーデリアが足元に目をやると、ベッドの下からバツの悪い顔をした大樹が這い出てきた。
「やっぱ気づかれてたか」
「この馬鹿者め。寄りにも寄って女子の寝台下に潜伏するとは何事か! わらわは恥ずかしいぞ! 情けない、大樹!」
「うるせー。ミナが誰か来るから隠れろって言ったんじゃねえか」
「寝台の下はいかん! いかんぞ! それくらいはわきまえぬか!」
まあまあ、とコーデリアは口を挟んだ。
「んで。お前さん、行っちまうのか?」
「ええ」
「そか。まあ、俺が口を挟むことじゃねえな」
「最後になりますけど。貴方達には感謝しています。結果論になりますけど、貴方達があの炎の妖魔を倒してくださったおかげで、私はホリティに勝つことができた。貴方達がいなければ、それも適わなかったでしょう」
「おう」
「なに、役に立てたのなら何よりじゃ」
コーデリアが笑うと、大樹も笑った。
「あと、もうひとつ」
「ん? なんだ?」
「貴方達とお話する機会、そう数は多くなかったけれど、でも楽しかったです」
「おう。俺もだ」
「いつかの約束覚えておられますか? 情報屋で貴方が妖魔の倒し方を聞いていた帰りの事です」
大樹は首を捻る。ミナは「女子との約束を忘却するとは何事か!」と怒った。
「じゃあミナは覚えてるのかよ」
「勿論じゃ! 一緒に美味しい喫茶店に行く約束であろう!」
ミナに言われ、大樹はようやく「あー」と口を開いた。思い出したようだ。
「機会があれば、その時は宜しくお願いします」
「おう」
「三人で茶を飲むぞ。飲もうぞ!」
可笑しな二人だった。コーデリアは自然と笑みが毀れた。ホリティには笑ったことはないでしょう、とは言ったがコーデリア自身とて笑うのは久しい。
「それでは。ホリティを待たせているのでそろそろ失礼しますね」
背を向けかけたコーデリアにミナは声を掛けてきた。
「そうじゃ、コーデリア」
「はい。なんでしょう?」
「いや恥ずかしい話なのじゃが。この大樹。本当に恥ずかしい話なのじゃが、友人が一人もいなくてな。できるならばいつまでも良き友であって…もががが!」
大樹は木刀を床にばんばんと打ち付けた。
「何をする! わらわの心遣いを!」
「下世話っつーんだ、そういうのは」
コーデリアはまた笑ってしまった。裏表がなさ過ぎる真っ直ぐな二人を見ていると、己は作り笑いばかりが上手くなってしまったな、と反省した。
「ええ。恥ずかしいながら私も友人と呼べるヒトは少ない。このような身で宜しければ、御二人には仲良くしてくださると嬉しいものです」
「おう。なんか言い草は気になるが、俺は友達だと思ってたぞ」
「では、また会いましょう。ごきげんよう」
そう口にし、コーデリアは背を向けた。
あの下級妖魔のティモには感謝をしても良いだろう。決して無駄な時を過ごしたとは思わなかった。
部屋を出て校内を歩くと、やはりコーデリアを好ましく思っていない者達の視線が突き刺さる。だけど、心は晴れやかだった。
門ではホリティが待っていた。
彼女は怒っていた。
「遅い」
「ごめんなさいね」
むーとホリティはコーデリアの顔を覗き込んだ。
「なに。なんかいいことあったの?」
「ありました」
「なに?」
「詮索は無粋ですよ」
コーデリアは門から外に出た。ホリティも追ってくる。
毒は未だ蔓延しているが、己の役目は終わった。後は紺野達が終わらせてくれる。
ホリティの人生を歪めてしまった。多くの時間を奪ってしまった。
それが負い目だった。償いができるならなんでもしよう。
「ホリティ」
「なに?」
「友達いる?」
「…さぁ」
そっぽを向くホリティを見て思わず吹いた。自分も大樹もホリティもこの戦に参加した者は友人の一人もいなかったのだ。紺野はどうだったのだろう。彼女ならいたかもしれないな、とは思った。
コーデリアは振り返った。大樹とミナだけがコーデリアを見送ってくれていた。
手を振り、背を向け歩いた。