-デイブレイク-
終 ヒカリ。
ティモは見晴らしのいい丘の上から、崩れ落ちる塔を眺めていた。妖魔の王を祭る狂気の建築物は、噴煙を巻き上げ水に濡れた角砂糖のようにゆっくりと溶けてゆく。
宝玉の君に命じられた指令は、どうやら無事に達せられたようだ。地上に現れた魔力の断片は、天空城に至る前に誰かが滅したのだろう。力あるものを集め、差し向けた労もこれで報われる。白色の君に従っていた妖魔たちも、君主との接点がなくなった以上、しばらくは大人しくなるだろう。
にやり、とティモは満足げに笑った。
作戦はほぼ完璧だったといえる。宝玉の君の手駒は全く損害がなく、依頼をした妖魔と人間だけで白色の君を封じることが出来たのだ。
完全に崩壊した塔を見届けて、ティモは振り返った。
「ご苦労様でした。あとは任せても構いませんね?」
声をかけた先には、一人の老人が立っていた。白装束の正装をした神主の老人だった。
油断なくティモに視線を向け、顔をしかめた。
「ミナ様の御力ならば数年で浄化は終わる。他の神族の方に御助力願えは、すぐにでも終わろう」
「安心しました」
「誤解するではないぞ。今回だけ、利害が一致したということで協力しただけじゃ。本来なら我々と貴様らは敵同士。事態が収まったのなら、早々に己が主のところに戻るがよい」
不愉快さを隠そうともしない神主の言い方に、ティモは苦笑して頷いた。
「そうさせてもらいましょう。白色の君が完全に消滅したわけでもないので、こちらもいろいろすることが残ってますのでね」
転移の魔術を起動して、ティモは考えた。今回の事件で、妖魔や魔術といった裏の存在を隠し切ることは出来なくなるだろう。
そうなれば、表立って人間と妖魔の戦いが起こる。それは史上最大の戦闘になるだろう。そのときに間に合うように、宝玉の君の戦力も増強しておかないといけない。
生き残ったセムの女は、果たしてどちらにつくのだろうな。
魔術が発動して、ティモの体は空へと飛んだ。
毒の影響がなくなり、数ヶ月が過ぎた。
ミナの力だけでは足りず、他の神族の力を借りたため、思いのほか自体の収拾は早かった。
紺野はパソコンの前に座ったまま眉間を押さえた。
問題はその後だ。街一つが正体不明の毒物により壊滅状態になったこと、巨大な謎の塔。生き残った人々が目撃した異形の生き物たち。
裏の世界の存在は、いっきに人の知る表の世界となった。
人間は妖魔を恐れ、退魔士の協会は国によって軍組織に格上げされた。事件の当時は世界のあちこちで妖魔と人間の争いが起こり、いまでもそれは続いている。
わたしにできること。紫苑の言った、精一杯生きること。
それは、人間と妖魔が共存できる世界を作ることだ。
確かに一部の妖魔は人間の生気を喰らって生きるが、コーデリアの知り合いや十裏魔術家の協力をとり、現在人間の生気に代わる代用品も研究中だ。
だが、それが完成するまで何もしないで待つというわけにはいかない。
「おじさんと、約束したんだから」
紺野が呟いたとき、玄関から誰かの呼ぶ声が聞こえた。紺野は立ち上がり、入り口のドアを開けると、大樹が古本を掻き分けて入ってくる所だった。
紫苑のいなくなったあと、紺野は家を出て古本屋を引き継いで暮らしていた。紺野にとって様々な思い出が残る場所だったので、潰してしまうのが嫌だったのだ。
「どうしたの? また喧嘩でもあったの?」
紺野が尋ねると、大樹は木刀を担いだまま舌打ちした。
「ポジティブの野郎が暴れてんだよ。今退魔士の連中が押さえてる」
「あんな妖魔は浄化してしまったほうが世の中のためじゃ。人間だけでなく、妖魔の側にも迷惑がかかる」
ミナがずいぶん立腹したように呟く。
「ああぁ……無茶はするなって言っておいたのに。あいつも兄に似て考え無しなんだから」
脱力したように紺野がため息をつくと、大樹は苦笑いを浮かべた。
「とにかくすぐ来てくれよ。ありゃ誰かが仲裁しないとえらいことになる」
「わかったわ。案内して」
ジャケットを羽織るときに片腕に痛みが走る。治してもらった右腕は、まだ馴染んではいないようだった。それでも、戦闘にならなければ多少の無理はきくだろう。
人間と妖魔の橋渡しができる紺野は、いざこざが起こるたびに仲裁に駆け回ることになった。大変な仕事だけど、誰かがやらなければいけないことだ。
それに、大樹とミナも手伝ってくれている。
玄関を出て、古本屋を振り返った。無人になった店内を紺野は静かに見つめた。
「……いってきます。おじさん」
ささやくように紺野が言ったとき、遠くで爆発音が聞こえた。
「おいっ! やばいことになってるぞ。急げ!」
「はいはい!」
急かすように大樹に言われ、紺野は慌てて走り出した。自分がやるべきことはまだまだたくさんあるのだ。
デイブレイク、完。 |