-デイブレイク 後章-

八 受け継いだもの。


 

 紺野は、ポケットに入れた蒼い石を握りしめた。これは別れ際に紺野の分身から受け取った者だ。

「なにかあれば呼んで。すぐに駆けつけるわ」

 おそらくこれが、紺野に残された最後のチャンスだ。戦闘面では役立たずだったが、紫苑だけは意地でも助けてみせる。

 最上階の白い部屋には、男の姿があった。彼は壁に凭れ、腕を組んでいた。

「帰ってくると思っていた」

「おじさんに……身体返してよ」

「じきに返すさ」

「あなたの狙いは何?」

「着いて来れば分かる」

 男の姿が歪む。自分の腕もそうなっていることに気付き、紺野は意味もなく腕で空を振り払った。

 景色が深紫に染まり、やがて真っ白な世界に辿り着いた。全てが同色になり、他の色を持ったものをあげれば、紺野と男くらいだ。

 紺野は、果てのない続く空白の世界に気持ち悪さを覚え、胸を押さえた。

「妖気を纏え。白色の君に犯されるぞ」

 男はすでに深緑の妖気を纏っている。紺野は妖気を纏うなんて芸当は出来ず、息が荒くなる一方だ。

「ここは、どこ?」

「ここが天空城だ。付け加えれば、お前の世界と俺の世界を結ぶ地点ということになるな。これほど白色の君の気が濃いことを考えれば、降臨までそう時間はないな」

「あなたは、白色の君って奴が、いる世界にいたの?」

「そうだ。そちらとこちらでは魔力の成分が違うようだな。そのお陰で俺の魔力は毒物扱いだ」

 息が苦しくなり、紺野は膝を突く。

「さっき、時間ないって、言って、たよね?」

「ああ、あと数十分で紫苑に身体を返さなければ行けない」

 紺野は男の言葉が真実かどうか確かめることが出来なかった。

 声は出ず、身体が痺れ始めた。

「お前が戻ってきてくれて助かったぞ」

 男が紺野を抱き、肩に噛みついた。肉を食いちぎり、音を立てて飲み込んだ。紺野は声が出ないまま叫び続け、身体を震わせる。

「どうやら、セムという種族は相手の生気を吸収して生きているようだな。そして紫苑の情報によるとお前は特殊能力を持っているという。お前の生気を頂けば、回収しきれなかった俺の力を補えるだろう」

 口から垂れた血を拭うことなく、男は紺野を食事を続ける。紺野は無抵抗のまま、身体から感覚が消えていくのを不思議に思った。溢れる血の暖かさは、緩いような暑いような、曖昧で判断できない。

 抵抗したが、無駄な足掻きだった。男は怯むことなく、紺野を食らい続ける。

 

 

 頭がおかしくなりそうだ……。

 食べられてる。

 身体がなくなっていく……。

 今まで私に食べられた人達は、こんな気持ちだったのかな……。

 ああ、なにかな、全く訳分かんない。

 食べられたら、どうなるんだろう……?

 おじさんの血になって肉になって魔力になるのかな?

 この男は顔色一つを変えず、私を貪っている。

 おじさんの皮を被った男に……。

 最後に、おじさんに会いたい……。

 どうやったら会えるのかな?

 何をすれば……。

 まだ、何か出来るかな?

 おじさんを助けられたら……。

 弱い私とさよなら出来る?

 テレビだったか本だったかは忘れた。

 人間は他人を思いやり、助けられる生き物だと言っていた。

 人間になれるかな?

 私はセムで悪鬼妖魔達は、助け合いなんて言葉を知らなかった。

 人間になれそうにもなかった……。

 でも、おじさんだけは、少し違った。

 色んなことを教えてもらった。

 私はもらうだけもらって、何も返せない……?

 まだ終われない……。

 いつか……。

 人間に……。

 なるって……。

 決めたんだから……!

 

 

 紺野はポケットに手を突っ込み、蒼い石を取り出した。

 男に蒼い石を向けると光を放ち、中から細い腕が出てきた。腕は男の胸を貫く。

 紺野がその場に崩れ落ちる。蒼い石から現れたものの正体は、俯せになった紺野には見えなかった。

 紺野の身体を蒼い光が包む。白色の君の気を防ぎ、いくらか楽になった。

 垂れてきた男の血が、紺野の頬にかかる。争う物音が続き、やがて男の叫び声がした。必死に身体を起こし、始めて紺野の分身の姿を確認する。彼女は腕が火傷したように焼けただれていた。男は胸に大きな穴を開け、今にも事切れそうになっていた。

「紺野、もっと早く呼びなさい」

「おじさんは……?」

「紫苑は知らないわ。この男は生きてるようだけど」

 男は冷笑を浮かべている。

「気持ち悪い男ね。なに笑ってるのよ?」

 振り返った紺野の分身の周りには、深緑色の刃が無数に浮いていた。それらに襲われ、彼女の体が切り刻まれる。

 紺野の目の前に首が飛んでくる。真っ赤に染まったそれを見、紺野は呆然とした。

「所詮は、分身か。攻めるのには長けているようだが、防御は疎かだったようだな」

 男が大笑いをする。紺野は首に恐る恐る触れ、なくなりつつある体温を感じた。首を抱きしめ、紺野は歯をかみ締めた。

 ――不甲斐なさ過ぎる……

 男が上半身を上げ、開いた胸を抑える。

「このままでは、体が持たん……早く白色の君の元に戻らないと」

「……させないわよ」

 紺野の胸から首が霧散していく。青い色の塊になった妖気が紺野に帰っていく。

「あなたの目的がなんだか知らないけど……あなただけはこのまま逃がさない」

「なかなか勇ましいな。お互いボロボロだが……さてどっちが生き残るかな」

 紺野と男は立ち上がるが、構えすら取れず、二人してよろめいた。ほとんどなくなった右肩のからぶら下がった思い腕が邪魔に感じ、紺野は思い切って残っていた肉を引きちぎった。あまりの激痛に涙が溢れ出したが、すぐに拭って構えを取る。

「思い切った事をするな。……そういう奴は割と好みだぞ」

「……私は嫌い、かな」

 強がっても様にならず、紺野は右腕の傷跡から流れる血液を横目で見た。いますぐヒールをかけなければ、間違いなく数分後には死ぬ。

 男が口から血を流し、にやにやと笑っている。あちらも保って数分だろう。

 紺野が一気に間合いを詰めた。男は予想していたのか、腕を振り落とすが、紺野の姿が消えた。驚嘆の声を上げる男の股を紺野は滑り、後ろに回り込む。紫苑にも褒められたスピードを始めて生かすことが出来た。身体を起こし、振り返りざまに後頭部を蹴りつけた。すかさず、背を向けた男の心臓を目掛け、突きをした。

 避けられたために腕は心臓を逸れたが、男の体を射抜く。

 始めて肉を刺した感触に戸惑い、紺野はすぐに引き抜くのを忘れた。肉が腕を締め付け、男から離れられなかった。

 焦る紺野に対し、男はなにも仕掛けてこない。しばらく痙攣をした後、動かなくなった。男の体が重心を失い、紺野ごと地面に倒れ込んでしまった。

 深緑の妖気が消え失せ、紺野だけが残った。

「おじさん……?」

 返事はない。怒りに我を忘れていたが、この体は紫苑のものだった。

 ――私が、殺した。

 その言葉が脳裏を駆け巡る。体が震え、嗚咽が口をつく。口を塞ぐこともできず、ただ垂れ流されるばかりだ。

「ねえ、なんで……なにしてんの?」

 男――いや、紫苑は沈黙を保つ。

「早く、遅いよ……ねえ」

 どこか突き反すような話し方を紫苑はしていた。だが、その中には親心といえるような、優しさを紺野は感じていた。何度返答を求めても、期待に答えてはくれない。

 紺野が大声で叫ぶ。背中に覆い被さり、大声で泣きじゃくった。

「――いつまでも心配させるな」

 顔をあげると、男の顔が動いた。苦痛に顔を歪ませているが、叱り付けるように視線をきつくしている。

「嘘……そんな、どうして」

 紫苑が起き上がり、紺野の腕を掴み、体から引き抜いた。

「あまり時間がない。まず簡単に俺に取り付いていた奴のことを説明する」

「は、はい……」

 無理やり紺野を座らせ、紫苑は一息をついて話し始めた。

「俺に取り付いていた奴は、毒の元となっていた妖気を所有していた奴だ。その妖気は白色の君と呼ばれる、別の次元の君主の一部がこの世界に来たものだ。理由は、宝玉の君と言われる……話はややこしくなるが、これも別の次元の君主と勢力争いのために、丁度二つの君主の間に立つこの世界を欲しているわけだ。ここまではいいか?」

「う、うん」

 飛躍しすぎた話を聞かされ、混乱しそうになったが、どうにか気合いを入れる。

「質問される前に答えるが、俺が乗っ取られたのはホリティの杖を折ったときだ。そのときに毒に犯され、抵抗力を奪われてな。あいつの意識が沈んだおかげでこうして意識が戻ったわけだが……」

「じゃあ、またあいつが帰ってくるの?」

「戻ってくる。そして、その時には、俺は死んでいる」

 紺野が口を抑える。

「フォローを入れている暇はないんで次に行く。白色の君の妖気は数百年前に地上に降り立ったようだが、当時の悪鬼妖魔人間達によって封じられた。その影ではロウドローラという宝玉の君の部下の協力もあったようだな。近代になってホリティが生まれ、封印を解いたせいで今の現状があるわけだが……ここまでは分かったか?」

 紺野が頷く。

「一つ聞いていい? おじさんにとり憑いた意思を持った魔力は、どんな目的があってこの天空城に?」

「あいつは元々白色の君の一部だったという話はしたな。目的を果たしたあいつは本体の元に帰りたがっていた。紺野を食おうとしたのは、純粋に妖気の回復を図ってのことだな。妖気を不足させたまま帰るのは、本体に忍びなかったようだな」

 紺野は自分の分身を思い出した。彼女は死んだとき、帰ってきた。妖気とは主の元にいたがるものなのだろう。

「大体の背景は、こんなところだ。で、ようやく本題だが、取り付いていた奴は俺が死んでも生き残る。なぜなら、塔の地下にホリティの研究所があって、その更に地下に男の妖気を封じた箱があってな。元を絶たないことには、紺野の分身のようにいくらでも復活できる。これを完全に浄化するか封印しないことには、解決しない」

「……どうやればいいの?」

 紺野の顔色が変わる。泣き顔で崩れているが、その奥には強い意志を感じさせる。

「少し見ないうちにマシになったな」

 紫苑がにやりと微笑む。

「浄化はミナが出来るけど、封印はどうやるの?」

「世界に散らばった毒を浄化するためにミナの力を温存して置いた方がいいな。おそらく地上を浄化するためには、何十年、いやもっとかかるかも知れないからな。封印の方法は簡単で、開いたままになっている蓋を閉めればいい。強力な浄化の能力を持った者が現れるまでは、紺野、お前の分身を守護者として置いていけ。妖気で作られた分身は、本体が死んでも生き続けられる。さっきのように誰かに殺されるまではな」

「でも、さっき……」

「お前の魔力が回復すれば、あいつも復活する」

 紺野は胸に手を当てた。紺野の分身は納得するだろうか。いつ現れるか分からない存在を待ち続けて、孤独に身を染め、毒の箱を守り続けることを。

「優秀な戦闘力を持ち、長い時を生きられるのはあいつくらいだ。毒にやられたおかげで、悪鬼妖魔人間、全てが絶滅の危機に瀕しているからな。しかも、毒を封じた箱があることをみんなが知ってみろ、瞬く間に奪い合いが始まるぞ。どんな種族も同じように、馬鹿な生き方をしてしまうからな……」

 紫苑は、深手を負いながらも全く息を切らさない。どうして紺野の前では、弱い部分を見せようとしないのだろうか。紫苑の意地を察し、紺野は気付かぬ振りをしていたが、そろそろ我慢が出来なくなってきた。

「もう少しで話は終わる」

 紫苑が紺野の顔を優しく撫でる。強がるくせに必要以上に優しいのが卑怯だと思ったが、感情を爆発させるわけにはいかなかった。苦しいのは彼の方だ。

「なんとかやってみる。でも、どうやって帰れば……?」

「白色の君の妖気を使わせてもらおうか」

 紫苑は傷口に手を当て、紺野の傷を癒した。

「悪いが他の奴の妖気はうまく使えなくてな。腕を復元するなんて器用な真似は出来ない」

「私が無理矢理引き千切ったんだから……おじさんのせいじゃないよ」

 紫苑が微笑み、紺野を抱いた。

「本来ならお前を危険な目に合わせたくなかった……だが、最後にもう一仕事してくれ」

「……任せて」

「……紺野は生き抜いてくれ。この崩壊した世界には、紺野のように人間と悪鬼妖魔の間に立てる者は少ないだろう。世界を崩壊させ、俺の体を利用し、そしてザイクロンを殺した白色の君の思い通りになるのは解せん」

「うん、分かったから、なんとかするから……そんなこと言わないで」

 紺野が紫苑の体に腕を回す。ザイクロンを見ていてもいい。ただ、紫苑には生きていて欲しい。そんな些細な願いすら、捨て去らなければならないのか。

「これは個人的な頼みだが……あいつに体を乗っ取られる前に、俺を殺せ」

 先ほどの肉を裂く感覚を思い出し、紺野は身を固くした。紫苑は本気で言っているらしく、紺野の頭を撫でた。

「出来ない……」

「あいつが帰って来て、白色の君の力が元に戻れば、すぐにでも現界するだろう。俺がセムを守ってきたように、お前も誰かを守れ」

「おじさんを助ける方法はないの……?」

「ないな。すでに俺は死んだ身だ。最後に死に方くらい、選ばせてくれてもいいだろ?」

 紫苑が紺野の目を見る。深く、陰りのある、寂しい色だ。だが、彼の目はどんなときでも力強い意志を感じさせる。セムをその身一つで守り通してきた者に相応しいものだと紺野は思った。

 紺野はゆっくりと紫苑から離れていく。

 紫苑が少し離れたところに、深緑に包まれた円陣を地面に作り出した。ここに入ると塔に戻れるのだろう。

「手加減することないぞ」

 紺野が紫苑の首に手を当てた。紫苑の顔が見ることが出来ない。自然と震え出すのを必死に押さえいる。

「いつもおじさんって冷たいよね。私の心配してたことなんかどうでもいいみたいだし、帰ってきたら帰ってきたらで世界を救えだなんていうし」

 紫苑はなにも言わない。

「ザイクロンさんって妖魔のことも全然話してくれなかったし、今回の騒動だって説明はなかったし……私、怪我してばっかりで……」

「紺野」

 紫苑が落ちていた腕を拾い、紺野に差し出す。立っていられるのもやっとらしく、ついに息が荒くなり始めた。

「……めいいっぱい、生きろよ」

 彼の息づかいを感じるのはこれで最後だった。

 

 

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