-デイブレイク 後章-
六 消えない想い。
コーデリアは動けなかった。
紺野の指が折れ、ミナの力が封じられ、二人がヒカリの魔術で吹き飛ばされるのを目の前にしながらも動けなかった。
ホリティはこつんと杖を床に打った。
「賢明ね。すぐには飛び込んでこなかった」
「私達とあの炎の妖魔の戦いを見た、なんて仰られたらちょっと、ね」
フリージアの強力な魔術を生む理念の一つが『学習』だ。彼女達は見たものを己の知識として役立てる。新たな戦術を立てるまで飛び込むのは愚作だった。
「コーデリア」
「はい、なんでしょう?」
「私、貴女に勝ちたかった」
「ええ」
「悪事も背徳もたくさん犯した。強くなれるならなんでもした」
どこまでも真っ直ぐなホリティにコーデリアは優しく笑い掛けてやった。
「強くなれましたか?」
「見せてあげますわ」
――ホリティが杖を天に架かげる。
巨大な炎がホリティを取り巻いた。
「これは…」
ヴァジルの妖炎と瓜二つの炎がホリティの膨大な魔力によって生み出される。
「見て仕組みさえ理解し、それが魔力体であるならば私はエミュレートできる。こんなこともできましてよ」
ホリティの炎と混ざり、桜色のオーラが彼女を取り巻き始めた。分子分解の魔力の嵐だ。
「ミナさんの力…か」
「貴女に勝つためならなんでも致しましょう」
赤と桃の魔力がホリティの掌サイズまで収縮する。火蜥蜴と桜の精の魔力塊が彼女の手の中で弾けている。
「そんな借り物の力で私に勝てたとして満足?」
「目先だけの誇りなんて私は要らない。貴女に勝つことが最優先よ」
コーデリアはホリティに向かい、初めて構えを取った。
「もう一度負けないと分からないのね」
「相変わらずの余裕ですね。結構! 受けなさい! 我が積年の妄執!」
ホリティが光球を放つ。
――情報取得の開始。
コーデリアは全身のキャプチャを使い、ホリティの放ったヒカリの分析を開始する。
光球の攻撃能力はヴァジルの火炎弾をも遥かに上回っていた。更にはミナの分子分解の能力が先端に付加されている。
圧倒的な速度で迫るヒカリを回避する術はなし。
避ける必要などない。
ヴァジルとの戦いではホリティが何処かから視ていると知っていたから全力が出せなかった。彼女に学習されては勝ち目をなくしてしまう。
今こそこの身の力を全て解放し、ホリティを打ち負かす。十裏魔術家アンドレアルの強化兵の誇りに掛けて。
「ホリティ」
「――!」
「貴女をもう一度負かせるわ」
「できるものならやってみなさいな!」
――オーバードライブの開始。徹底したエネルギー効率を計算から弾き出す。
コーデリアの視界が赤く染まり、タキオンを含めた全ての粒子が減速、データを分析、取得されていく。
迫り来る炎と桜のヒカリのベクトルを読む。
読み切った。
赤く染まった世界では全ての動きが鈍る。己の身体とて例外ではない。視界はヒカリの速度を追いながらも、肉体は重くついてこない。
それでもコーデリアは強引に腕を前に架ざした。ヒカリがコーデリアの手に触れる。
強烈に弾けた。
「く――」
掌に感じる強い圧力。
触れた部分の分子がスプラッシュされそうになる。それでもコーデリアは分子分解が始まる直前、ヒカリのベクトルに力を加え、ホリティの攻撃魔術を斜め後ろに逸らした。
ホリティに驚愕の表情が走る。けれどすぐに彼女は冷静になった。
「そうね。作った魔力を投げて攻撃するなんていう柔(やわ)な戦い方で貴女を倒すなんてことが間違ってる」
「だったらどうするの?」
減速されたコーデリアの視界の中、尚ホリティは平素の動きを持って向かい合う。彼女は毒の杖を手放した。減速した世界では杖の落下速度も緩く、床に落ちたそれは鈍い音を鳴らした。
ホリティの両手にヒカリの魔力が集中する。
「貴女を倒せるのは、作った魔力を直接叩き込む肉弾戦のみ!」
「――!」
コーデリアは完全に意表を着かれた。
なんと魔術師のホリティが、強化兵のコーデリアに対し走り込み、直接攻撃を仕掛けてきたのだ。
――その動き、どこまでも光速に近く。
コーデリアの目の前に現れたホリティは眩い右拳を叩き込んでくる。心臓をもぎ取られそうな、正しく剣のようなヒカリの拳をコーデリアは右腕で受け止めた。
「く――」
その声はどちらのものか。
受け止めたコーデリアの掌は御中桜の分解魔力により塵と化し始め、またホリティの腕も限界までのブーストに耐え切れなくなり炎の妖魔の魔力が弾け炎上し始める。
コーデリアもホリティも互いに消失した肉体を最低限の魔力で即座にリカバリし、反撃を開始する。
「ホリティ!」
コーデリアはホリティ目掛けて拳を繰り出す。もはや力のセーブは必要ない。残った生命力も攻撃力も全てこの戦いに費やす。
ホリティはコーデリアの拳を受け止め、その部位を破壊されながらも、反撃に切り返してくる。反撃しながら破損した肉体を治癒する。攻撃はできる時にしなければいつまでも攻撃できない。この戦いはそういう戦いだ。
昔、コーデリアはホリティに勝った。
コーデリアにその気はなくとも、ホリティには大きな負い目になったのだろう。良い勝ち負けではなかったのだ。
誤りはなにか。
勝者と敗者の溝。すれ違った二人の想い。
コーデリアは決めていた。
今度こそ正しくホリティに勝つと。
「コーデリア!」
ホリティの叫びが聞こえる。
思案していても戦いは進む。もはや戦術などない。攻撃を繰り出し、相手の防御を上回った数値だけダメージを与え、相手の反撃を防御し防ぎきれなかった数値をダメージとして喰らう。
ホリティは漲る魔力を拳に集中、コーデリアを打撃する。命中時、接触箇所から魔力を通過させ内部から彼女の腕を、あるいは防御が間に合わず胴体に入った場合は胴体を分解し、周囲を発火させる。
それでも彼女は即座に破損した肉体を修復し、反撃を開始する。
やはりコーデリアも御中桜の性質を見切っていたのだ。全てを分解するスプラッシュに対し有効なのは失った部分の素早い回復だ。この方法ならば魔力が尽きるまで耐えることができる。
刃物のようなコーデリアの拳がホリティの右腕を切り落とした。切断された腕を再生し、ホリティは拳を撃つ。コーデリアの胴体に風穴を開けるも、彼女はすぐにダメージを癒し反撃してくる。
――何故。
何故、コーデリアの魔力は尽きないのか。
フリージアの大魔導師の名を持つ自分は階下の信者や妖魔から半永久的に命の摂取を続けている。無限に近い魔力の貯蓄を持って戦いに望んでいるのだ。対するコーデリアは小さな己の身に蓄えた魔力のみで攻撃に回復に使い回している。
この戦いの場を選んだ時、既に己の勝利は確定していたはずだ。後は勝利に向かい、手を一つずつ打つだけだったはずだ。
「コーデリアぁァ…!」
何故彼女は倒れぬのか。
いや、もう終わる。この消耗戦の殴り合いも後は十にも満たぬ数の攻防で幕を閉じる。コーデリアは魔力が尽き、強化兵としての機能を失いリカバリもアタックもできなくなる。
――十手前も同じことを考えた。
その十手前も。これが彼女の最期の力だと見切った。なのに彼女は未だ魔力が尽きず、傷を癒し、攻撃を繰り出してくる。
「――」
ホリティは焦れた。自分の魔力が先に尽きるのではないか、
己の魔力とて有限だ。階下の信者や妖魔の魔力とて無尽蔵ではない。だがありえない。永久的な貯蓄ではないが、何千といる人間や妖魔の総魔力数がコーデリアの体内の貯蓄より少ないなどありえない。
「なんで倒れないのよ…!」
憎々しい。
こうまで圧倒的に自分が有利な状況を作り、尚倒せないコーデリアの強さに。そのコーデリアに必至に抗う己の無力さに。
「――私は」
コーデリアの唇が動く。
打撃音、炎上音、消失音、再生音に掻き消されそうな声だけど、ホリティの耳にはしっかりと聞こえた。
「――ホリティ。貴女を今度こそちゃんと負かす。そして、貴女の気持ちにケジメをつけさせてあげる」
「その自身の強さを前提とした思考こそが、そもそもの元凶だと知りなさいな!」
コーデリアはもう限界の筈だ。だが、ホリティは詰まらない考えを捨てた。この女は致命傷を与えない限り、何度でも拳を放ってくるだろう。
ならば撃つ手は一つのみ。
「――見せてあげるわよ…!」
炎の魔力も桜の魔力もただの牽制だ。
コーデリアを倒す魔術はもう決まっている。いつかの繁華街で試し撃ちしたあの破壊魔術。あの時は未完成故、御中桜の精に受け止められたが精霊クラスの力の根源を知った今なら完成させることができる。
ホリティは後ろに跳び、床に落としてあった毒の杖を拾い上げた。
コーデリアはすぐに飛び掛ってくる。
ホリティは杖を振りかざし、階下の妖魔や信者から限界まで魔力と生命力を吸い上げ始めた。
「――!」
さすがのコーデリアもこちらへの接近を止め、最後の攻防に備え構えを取る。
コーデリアを倒す。ホリティは禁忌の領域の呪文を口にした。
「我が――」
我が杖は毒の化身。
火よ水よ風よ土よ万物よ、命の源よ。
汝らは猛毒に冒され、だが毒の世界では毒は毒でなくなり。
それこそが真の世界の元素となる。
「なるほど。毒の正体が少しは分かったわ。世界を作り変える構成要素。即ち今ある世界にとっては異物ということね。世界の異物」
「ええ。それこそが白色の君の望む世界。かつてこの世全ての毒を封印した箱があった。決して開けてはならなかった毒の箱。それこそが白色の君の世界そのものよ」
「貴女はその箱を開けたのね」
そう。
強力な力と知識を学習、理解するために開けた。この身は白色の君の側近、火蜥蜴のヴァジルの能力さえラーニングした。開けた価値もあっただろう。
「箱の中の世界はゆるりとこうして現界してきた。あとは白色の君が降臨するだけ」
だが興味のない相手だ。
我が宿敵は目の前の強化兵のみ。
「世界を売ってまで手に入れた毒の力。見せてあげるわ」
塔は巨大なパイプだ。下層から最上階にいるホリティまで滞りなく魔力を吸い上げる。そして集中、収束した人間妖魔数千体の力が杖の中で結合反応を起こし弾ける。
ばちばちと魔力弾ける杖を握るホリティの姿は雷の使者のように見えただろう。
眩い魔力を帯びた杖は、杖というよりも剣のようでさえあった。だからホリティはこの剣をオーラブレードと呼ぶ。
「コーデリアっ!」
「――!」
「我がフリージアの能力は力の流動。在るモノからは力を吸い、吸った力は爆裂へ! これがホリティの破壊魔術、オーラブレード! 受けなさい!」
ホリティは破壊の魔器を振り上げ、そしてコーデリアを一刀両断するように振り下ろした。
悪魔の破壊兵器を架かげ切り掛かってくるホリティを、コーデリアはキャプチャーに捉えリードする。
ずっとホリティには負い目を感じていた。もっと良い勝ち方はなかったのか。
所詮この身は戦士だ。ヒトの心に感動を与える詩人ではない。ホリティの心を歪ませた原因も自身にあるのだろう。
だからこそここで決着を付ける。
魔力など遠に尽きている。頼れるはこの筋力のみ。
――口を開き、息を吸う。
たった一握りの酸素を肺から全身の筋肉に送り、この身に最後の指令を出す。全力を持ってホリティのオーラブレードを砕く。
「ホリティ!」
思考も呼吸も血液の循環も心臓も鼓動も、アタック以外の全ての処理を止めた。余分なメモリはない。
オーラブレードを振り下ろすホリティには絶対の自信があった。
この剣の暴力的な力、ホリティさえ見たことも聞いたこともない。造り出した己でさえ驚いている。
妖魔の君主ならば或いはここまでの力も捻り出せるのだろうが、地上に現界している生物のキャパシティは大きく上回っている。
故に防げる者など無し。
ましてやコーデリアはこの剣に対し、拳で殴りかかってくる。負ける要素は皆無だ。
「コーデリアッ!」
だけどホリティは見た。
彼女の右腕に宿る力を。
話に聞く宝玉の君の側近、魔知の妖魔。アンドレアルの家系に力を与えた至高の英雄。架の妖魔の姿が一瞬だがホリティの目に映った。
だが、それがどうした。
立ち塞がる者は何者であろうとも纏めて切り落とす。
コーデリアは何も考えない。
右腕に残った力をオーラブレードに叩き込み、へし折り、貫通し、ホリティごと叩きのめすだけだ。
アタック以外の処理はいらない。全ての機能はダウンさせた。情報の取得も計算ももはや必要ない。このアタックのためにここまできたのだ。
「コーデリアっ!」
「――!」
だけど停止した筈の聴器はホリティの声を聞いた。
「――ホリティ――――――!」
自然と口が音を発した。記憶すら停止し、アタックに全てを賭けたのに彼女の名前だけは覚えていた。もう勝ち負けはいい。撃つだけだ。
剣が振り下ろされる。
拳を叩き込む。
「―――コーデリア――!」
「ホリティ…」
寸分違わずコーデリアの拳は魔杖を真っ二つに叩き折り、ホリティの胸を貫いていた。
「私の…勝ちよ……」
コーデリアはホリティの胸から腕を引き抜いた。
ホリティはそのままコーデリアに倒れ掛かってきた。コーデリアは彼女の身体を受け止めた。細い魔術師の身体は抱きしめるだけで今にも折れそうだった。
この小さな身体で多くの命を踏みにじり、憎悪し、生きてきたのだろう。
コーデリアはホリティの傷口を見た。思考の手間を省くために自動再生の魔術を掛けていたのだろう。傷は癒え始めている。
「私、また負けたんだ…」
ホリティは涙を見せなかった。コーデリアを睨みもしなかった。
「何度でも負かしてあげましょう。貴女が歪みから解放されるまで」
コーデリアはホリティの髪を撫でようとして、己の腕が動かないことに気づいた。
「よく言う。自分だってぼろぼろのくせに…」
「そうね」
身体の多くは既に機能していない。口を開くことにさえ処理能力が鈍りを見せる。
「昔は――私も子供だった。勝つことが全てであり、負けた貴女の気持ちなんて考えたことはなかった――――」
「コーデリア…?」
もう少し話したいこともあった。
だけど少し疲れた。自然と体重をホリティに掛けてしまう。無防備になったコーデリアをホリティは撃たなかった。