-デイブレイク 後章-
五 因果応報。
塔まで来たが、一体何が出来ていただろう。ヴァジルとの戦いでは、コーデリアの足かせとなり、こうして大樹に助けてもらっている。
塔だけではない。この年まで生きてきたが、全てに置いて他人にお守りをしてもらっていた。両親も紫苑もいなくなり、自立を迫られ、どうにかやってきたつもりだったが、勘違いも甚だしい。
ここで落ち込むこと自体が情けないが、溢れる感情は乱れ狂い、抑えられない。
「どうしようかな? コーデリア火傷してるから手当したいんだけど……」
「そうだな……て、お前も大丈夫か?」
身体のあちこちが擦り剥き、血が出ているが大したことはない。
「私は少し休めば、大丈夫です」
コーデリアが目を開ける。
「よっしゃ、ここで少し休むか。ゴールは近いけど、まだなんかありそうだしよ」
身体には優しいが、精神には厳しい話だ。紺野は考えすぎないように、紫苑のことを聞いてみた。
「あいつと会ったのは……世界がこうなるちょっと前だ。知ってると思うけど、あいつ自分の死期を悟ってただろ? 俺に二人に手を貸すように頼んできたんだ」
「……死期?」
風邪を引いたのかも知れないな。見舞いに来た開口一番に言い、紫苑は浮かんだ汗を拭っていた。重傷だったため、思考がまともに動かなかった紺野はそれをいすっかり信じ込んでいた。
「あいつ……何も言わなかったのかよ」
大樹が苛立った声を出し、地面を睨んだ。
「……おじさんらしいかな。誰にも弱みを見せないところは」
分かっていたことだが、紫苑の目は自分以外の誰かに向けられており、一度として入り込む余地はなかった。親に教えてもらった、死別した噂の彼女だろうか。
誰であっても彼女の代わりになることは不可能だ。そして、頼ることや弱さを見せることが苦手でもあったのだろう。死期を知ったあの時ですら、あんな方法でしか他人に告げなかったのだから
「私はもう動けます。先を急ぎませんか?」
コーデリアが紺野に言い、起きあがった。彼女は何かを感じ取ったのかも知れない。紺野に手を差し伸べ、腕を引っ張る。
「行くか」
木刀を肩に乗せ、大樹が先に進む。コーデリアが続く。紺野は後ろを歩き、紫苑のことを想った。
無能のうえ、すぐに落ち込み、妖魔のくせに人間だと辻褄の合わない心情を持っている情けない者だが、このまま拗ねたまま終わりたくない。頑張ろう。そう思う気持ちだけは捨ててずにいよう。
これしかないからなあ、と紺野は頬を伝った血を拭い、自嘲気味に笑った。
痩せ細った男は最上階の部屋に着いたが、ホリティの居場所を見つけられずにいた。
最上階の部屋は下と違い、何もなかった。真っ白な空間は果てしなく広い。
男は己の能力の場所を探したが、魔力の壁に遮られ、探知できなかった。地下ということは分かったが、どうやって行けばいいのか。
ホリティから杖を取り返さなければ、この妖魔の身体を乗っ取った意味がない。タイムリミットは一、二時間ほどか。それが過ぎると、持ち主に身体の自由を返すことになる。
――奪い返さねば。
男は手の平から深緑色の液体を生み、手の平を傾けて地面に流す。床は溶け、大きな穴を作る。液体は次々に下の階の床を破壊していく。
男が飛び降り、一階に着地する。周りには悪鬼妖魔人間の死体が転がっており、男は戦士達に哀れみを抱いた。
「これもあのガキのせいだな」
ホリティはどんな気持ちで魔力をばらまいたのだろうか。なかなか興味は尽きないが、食らってしまえば全てが明確になる。
死体はもうウンザリだ。一刻も早く、柔らかい肉や生気を腹に入れたい。
近付いてくるに人間と魔力の固まりがあった。男は角を曲がり、その者達と対面した。
先ほどの人間の少女と、魔力で作られた人の形をした女がいた。身体の持ち主の記憶には、セムの紺野が作り出した分身とある。
「おじさん?」
少女が目を丸くして立ち止まった。
「おじさん?」
女が男をじっと見つめる。驚いているだろうな、と男は口元で笑い、二人の側に寄った。
「まだこんなところにいたのか」
「あまり死体を見せるわけにはいかないでしょ」
女が不機嫌そうに答える。紺野の分身らしい配慮だ。
「この先にはかなりあるぞ。とはいえ、ここを通らないと出口にいけないがな」
「先に掃除していくわ。ところで、あなたは誰?」
「お前のよく知っている男だろう?」
女は興味をなくしたのか、少女に待っているように告げ、死体を始末しに向かった。すれ違い様に「あの子に近付くと殺すわよ」と囁いたのが男には愉快だった。
「少し時間がかかるようだな。その間に聞きたいんだが、ホリティはどこにいるか知っているか?」
「ホリティ様? ホリティ様は、いつも地下の研究室にいるってみんなが言ってた。でも、どこに研究室があるか知らない」
「地下に行く方法は?」
「どこかにあるって聞いたことあるけど……あ、そうだ。おじさんにこれあげる。私はもう覚えちゃったから」
少女がお尻のポケットに入れていた地図を差し出す。地図には一階と二階が詳細に記されていた。一階に用途不明の部屋がいくつか存在し、どれもが立ち入り禁止区域だ。
「ありがとう。これでホリティに会えそうだ」
男は少女の肩を軽く数回叩き、別れを告げた。
「さて」
掌から再び深緑の液体を吐き出し、壁を溶解した。
最短距離でホリティの部屋へ向かおう。
転移のヒカリに乗ったホリティは最上階の部屋に舞い降りた。
「――」
白くただ広い部屋だ。
あるのは階下に繋がる階段だけ。塔はここで終わりだ。
このなにもない部屋で終わりだ。
「嘘ですけどね」
誰もいないのに口零した。
ここは巨大な転送空間だ。遥か天空に浮かぶ白色の君の居城に通じるたった一つのロードだ。ホリティは笑った。妖魔というのはどうも時代錯誤な考えをする者が多い。君主に忠誠を誓うといった封建思考もその一つだ。飛行機や宇宙船を使えばこんな転移空間を使わずともいけるだろうに。
とは言うものの現在地上は壊滅している。天空城に行くにはやはりこの転移の間から城へ跳ぶしかない。
階段が騒々しい。間もなく侵入者が到着するだろう。
「コーデリア――」
自然と彼女の名を口にした。間もなく彼女は仲間と共にここに現れる。その時、自分はどういう表情をするだろう。
ホリティは頭を振った。叙情は苦手だ。彼女のことになると、つい周りが見えなくなる。初めて会った時もそうだった。
正直、憧れさえあった。たった一人で何千といる敵陣に駆け込み、圧倒的な強さで殲滅するその姿に。彼女と戦い、敗北した自分に対する慈悲に。
あの時、コーデリアに差し伸べられた手を幼いホリティは振り払った。悔しかった。強いくせに、驕らないその性格が憎かった。
コーデリアはホリティの持っていない多くのものを持っている。強さ、可憐さ、優しさ、余裕。そして仲間。
如何なる努力を熟せば、彼女に追いつくのか。
丁度、階段を三人が駆け上がってきた。
いつかの精霊剣を持った男、セムの女。そしてコーデリア。案外、その顔を見ても喜んだり、怒ったりはしなかった。抑えた。コーデリアの前では如何なる時も余裕でありたい。
「ホリティ」
声を掛けてくるコーデリアに、ホリティは「ごきげんよう」と返した。
そのコーデリアの前にセムが立ちはだかる。
「ちょっとあなた!」
「なんでしょう? ちなみに私の名はフリージアのホリティと申します。以後お見知りおきを」
「知ってるわ。あなた、自分がなにをしているか知ってるの? 白色の君は世界を毒で滅茶苦茶にしようとしているのよ。それでもあなたは人間なのに妖魔に協力するの?」
「ええ。君主の下なら魔術の更なる研究にも都合がいいですわ」
さらりと口にすると、紺野の顔に怒気が混じった。単純な女だと思った。
ホリティは続けて言った。
「それに巨大な敵は内部から切り崩すに限る」
三人に緊張が走った。ホリティが始めて口にした野心に警戒を覚えたのだ。
それでもセムの女は喰いついてくる。
「そのために何人の人間や妖魔が犠牲になったと思っているのよ」
「…これでも少ない方よ。白色の君が完全に現界すれば、正しくこの地上は地獄と化す。今出ている犠牲なんて目先だけの端数のようなものですわ」
にこりとホリティが微笑むと、女の怒りは絶頂に達すると思いきや、案外平静になった。
「どちらにしても、あなたはここで倒すわ。こんな至近距離で対峙したら魔術師のあなたでは勝てないでしょ? 降参するなら今のうちよ」
「そうね。あなたはともかく、そちらの精霊剣を持った男のヒトも強そうですしね。あのヴァジルを倒したのでしょう? しっかりその勇士は見させて頂きましたわ」
「――」
ホリティが出した『ヒント』に、コーデリアの表情が変化した。さすが彼女はフリージアの歴史にも知が深い。
「つべこべ言ってても仕方がねえ」
少年、大樹という名前だったか。彼が剣を振り一歩前に出た。
「敵だっていうなら痛い目見てもらうしかねえだろ。お前には借りもあったしな」
「ええ。どうぞ。三人纏めてで宜しいですよ」
「いばるつもりはねえんだが。俺達はあの側近野郎にも勝ったんだ。お前に勝ち目があるとは思えねえけどな」
「私がヴァジルより弱いと言い切れるならその見解も間違いじゃないんですけどね。つべこべ言っても仕方ないのでしょう?」
「ああ」
「結構! かかってきなさいな!」
――大樹の剣に桜色の魔力が集中する。
セムの女が右へ左へと跳ぶ。
「魔術師っていうのは肉体は一般人と変わらないのでしょう? これで終わりよ!」
先に射程距離に入ったのはセムの女だ。ホリティの目の前に現れ、鳩尾に手刀を突き込んでくる。
襲い掛かってくる紺野にホリティはにこりと笑いかけた。
紺野の指先がホリティの鳩尾に突き刺さる。
ぼきりと骨の折れる音が響き、紺野はその場に蹲った。
「ああああああ」
指を押さえ蹲る紺野をホリティは見下し侮蔑の笑みを浮かべた。
「前の戦いで学習しましたの。あなたのように早いのを相手できるように、予め自分の身体を魔力でプロテクトしようかと。とりあえず一人目にとどめを刺しましょうか」
ホリティの右手に輝く光球が生まれた。ヴァジルの使った小太陽を模倣した魔術だ。これも彼の戦いを見て学習した。
「死になさい」
「待て!」
ホリティは煩わしそうに大樹へと振り返った。大樹の持つ精霊剣は舞い散る桜吹雪のように、桃色の息吹を周囲に吹き放っていた。
圧倒的な破壊力を持った魔力の塊だ。あのヴァジルを一撃で葬るだけのことはある。
大樹は剣を振り架ざした。
二度見て完全に理解した。ヴァジルを葬ったこの桜色のヒカリは触れたものを分子から分解する。いかなる防御力もその防御力を構成する分子、要素から分解されれば耐え切ることなどできやしない。だからこそヴァジルは圧倒的な破壊力を誇る炎の魔力もろとも消されたのだろう。
「いくぜえ!」
「言ったでしょう? あなたとヴァジルの戦いは覗かせてもらいましたの。その剣のシステムも見切ったわ…………ディスペル!」
ホリティは毒の杖を大樹の剣に向け、解呪の魔術を放った。
「げ…」
「なぬ!」
大樹と精霊剣の驚愕の声が同時にあがった。溢れる程吹き上がっていた桜色の魔力は、断水の如くその噴出を止めてしまった。
「その手の神器には力を吐き出す『ポイント』がありますの。そこにフタをし、今出ている魔力をディスペルすると。架の高名な御中桜も力を失うでしょう」
「だったらぶん殴ってやるっ!」
それでも大樹はただの木刀に成り下がった元神剣で殴りかかってくる。
「馬鹿者! 機を間違えるでないわ!」
精霊の叱咤も遅い。ホリティが生み出した光球は大樹の胸に減り込み強烈に弾けた。剣を手にしたまま少年は吹っ飛ぶ。ホリティはついでに足元に蹲るセムの女も光の魔術で吹っ飛ばした。
サッカーボールのように二人は吹っ飛びフロアの壁まで転がっていく。