-デイブレイク-

九 ??????????


 

 紫苑は紺野を庇うように立ち、巨大な人間の魔女と向かい合った。噂には聞いたことがあるが、あれは恐らくフリージアの大魔導師だろう。妖魔すら凌ぐ凶悪な魔力、流石は真の十裏魔術家と言ったところか。

 この場に居合わせた者は皆、共通の敵として彼女を捕らえているだろう。

 たしかに、彼女の魔術は驚異的だ。

 本気を出せば、この街ごと壊滅させることも出来るだろう。

 しかし。

 自然に、紫苑は苦笑していた。

「あなただけはずいぶん余裕のようですね」

 ホリティは紫苑に杖を向けると、視線を強めて言った。

 それに答えず、紫苑は両手を垂らすとホリティと向かい合った。

「では、まずあなたから殺すことに……」

 言葉を最後まで言えず、ホリティは自分の喉を押さえた。

「かっ……ああっ」

 苦しそうにうめきながら、その場に崩れ落ちる。わけがわからず見つめる大樹たちの前で、ホリティはのた打ち回る。

「迂闊だったな」

 そう言って近づく紫苑に、ホリティは苦しげに杖を向けるが、次の瞬間にはその杖も奪われる。紫苑の見た所ホリティは魔術にのみ特化しているが他の能力は普通の人間だ。恐らく大樹より劣る。

 ならば話は簡単だった。

「ボタンを飛ばして気管を詰まらせた。人間なら激痛を感じるはずだ」

 手に持ったホリティの杖を観察しながら、紫苑は言う。

 長々と口上を述べるのは、魔術師にありがちなミスだ。特に研究室に閉じこもっているような輩は、戦闘経験というものに乏しい。

 いまだ咳き込んでいるホリティに視線を移すと「物騒な杖だ」と呟いて手にした杖を真っ二つにへし折った。

「これで大げさな魔術も使えないだろう。そもそも街中でああいう事をするのは常識的には頭の悪い行動だな」

 憎悪の表情を紫苑に向けると、ホリティは喉を押さえたまま光に包まれて消えた。

「逃げたか……」

「ずいぶん呆気なかったなぁ。さすがはセムの実力ナンバーワンてところか」

 情報屋が紫苑に近づいてきたので、とにかくこの場の後始末を任せることにした。

「退魔士のギルドに連絡して、情報操作を頼めるか。少々被害者が多いが」

「まあ、今回はただの妖魔が起こした事件とは毛色が違うみたいだしな。サービスしてやる」

「頼む」

 大樹は自分の木刀を見つめている。紺野をコーデリアに預けると、紫苑は大樹の傍に寄った。

「精霊は大丈夫か」

「ああ……」

 紫苑を一瞥すると、大樹は木刀を見ながら呟いた。竹刀袋に木刀をしまい、紫苑に背を向けた。

「お前との決着はまた今度だ」

 どこかへと立ち去る大樹を見送って、紫苑は小さく溜め息をついた。

 面倒くさい事が多くなってきた。紫苑には、今回の事件がひどく不吉なもののように感じた。

「おお。とにかくここは俺に任せて、あんたはその嬢ちゃんを何とかしたらどうだ?」

 携帯電話でどこかに連絡をとっていた情報屋は、紫苑にむかって言った。退魔士の後始末が来るときに、妖魔の紫苑と紺野がいるといろいろとまずいということを、遠まわしに言ってきているのだ。

 紫苑は頷くと、とりあえず家に帰ることにした。ここの所情報集めや戦闘のせいでろくに睡眠をとってないことを思い出して、急激に眠くなってきた。

 とにかく、今は寝ることが大事だ。

 

 翌朝。大樹は珍しく学校に顔を出した。

 疲弊したミナを神主に預けるとしばらく清めの儀式をするとの事で、そうなると何の力もない大樹は仕事どころではない。

 思う所もあり、大樹は数ヶ月ぶりに高校に来たというわけだ。

 久しぶりの学校は、妖魔と戦っている事を忘れるほど平和と退屈に満ちていた。授業に出る気はないので、二年生の教室には向かわず、三年生の教室のある最上階へと向かう。

 ホームルーム前に目的の教室に向かい、入り口にいた上級生に声をかける。

「古刀先輩いるか?」

 いきなり下級生に声をかけられ、その上級生は面食らったようだが、大樹の質問の意味がわかったらしく苦笑いして答えた。

「ああ……熊なら裏山だよ。また山篭りしてるって七味ちゃんも嘆いてたし」

「そうか……ありがとよ」

 大樹は校舎を出ると、学校の裏山に向かう前に剣道場に寄ることにした。朝練が終わって正面入り口は閉まっていたので、裏に回った。

 剣道場の窓は、鍵が開いたままだ。

「ここも変わらねぇな……」

 呟くと、一息に窓を乗り越える。道場内は明かりがついていないので薄暗かったが、窓からの光である程度は見渡せる。

「三年席に二つだけ……今年は新入部員がいなかったのか」

 道場の隅に置いてある防具を見て、大樹は剣道部時代のことを思い出した。邪剣使いと言われていたが、どうしても勝てなかった部長。それに反発して部活を辞めてしまった。

 今考えると子供だったなとは思うのだが、それにしても部長は強すぎた。妖魔と戦うようになってわかるが、その強さはそこいらの退魔士よりも強い。

 何か秘密があるのだろうと、こうしてさぐりに来たというわけだ。

 木刀や竹刀が乱雑に挿してある入れ物から、適当に木刀を見繕う。一振り取り出すと、道場の真ん中で軽く振ってみる。考えてみると、口うるさくしゃべらない木刀というのも久しぶりだ。

 一人苦笑すると、木刀を構えた。

 背筋に当たるほど大きく振りかぶり、一気に振り下ろした。

 風を切る音が、冷ややかな道場に響く。

 体を慣らすように何度も木刀を振り、やがて大きく息を吐いた。

「よし」

 木刀を持ったまま窓から外に出ると、裏山に続く道を歩く。

 部長の古刀修一郎は、出来れば会いたくない相手だった。邪剣使いと言われた自分とは違い、真っ当な剣を振るいながら、それでいて超人的な身体能力で県下ではトップクラスの実力だと言われている。

 理由はそれだけではない。

 古刀は学校でも有数の変わり者で、授業も出ずに裏山で一人練習に明け暮れている。生きる化石とか、現代最後のサムライとか、生徒の間では何かと有名だったのだ。

 練習に夢中になりすぎて、試合に出なかった事も多々ある。そのせいで全国大会を逃したことすらあった。本人は気にしていないようだったが、その余裕すら大樹は気に触った。

 道を外れて、林の中を歩く。このあたりは国有林で、ほとんど手入れはされていない。三十分ほど歩くと、どこからか木を打つ音が響いてきた。

 大樹は木刀を握る手に力を入れて、足を速めた。

 茂みを掻き分けると広い場所に出て、そこにその男はいた。ぼろぼろの剣道着がはためき、どこにでもある木刀が振るわれる。それでも、その一撃を見たものは重戦車の砲撃を想像するであろう凄まじいものだ。

「古刀先輩……」

 大樹の声は重い打撃音で掻き消える。古刀の周囲には打ち倒された木が山積みになっていた。ここの広場は最初からこうだったのではなく、古刀が木を倒した練習の後だったようだ。

 大樹の視線に気づいたのか、古刀は手を休めてこちらを見た。

「おお、浦賀か」

「……久しぶり」

 古刀は木刀を置くと、近くの枝にかけてあったタオルで汗を拭いた。

「まあ、座れ。湧き水を汲んであるから飲むか?」

 適当な切り株に座り、大樹はカップを受け取った。話し出すきっかけもなく黙り込んでいるが、古刀は深緑を見上げたまま何も尋ねてこない。

 水に口をつけると、大樹は体に染み渡るようなうまさに少々驚いた。

「うまいか。上流の湧き水だ。水道水じゃあこうはいかないだろ」

 うれしそうに古刀は言って、自分も水を飲み干す。

 大樹が水を飲み終わるのを待って、古刀は木刀を持って立ち上がった。

「さて、やるか」

「あ?」

 不思議そうに見上げた大樹に自然な笑顔を向け、古刀は木刀を一振りした。

「話があるんだろう? これで十分だ」

 事も無げに言ってのける古刀に、大樹は苦笑した。そして自分も木刀を握ると、コップを置いて古刀と向き合った。

 大樹の構えを見て、古刀はふむ、と頷いた。

「ずいぶんと、鍛えられたようだな。いい構えになってきている」

「まあな。だが、まだ足りない」

「だろうな」

 直後、古刀の木刀が大樹に振り下ろされる。直前で見切り、体をずらす。後ろの木に気をつけながら、距離をとった。

「本気で来てくれよ。先輩。じゃないと意味がねえ」

 古刀は口の端を上げ、上段に構えを変えた。そのとたん大樹に向かって強烈な気が重圧となって覆い被さる。

 それは殺気ではなかった。今の大樹にはわかる。古刀の気は剣気と言うものだ。ただの殺気ならそこいらのチンピラでも出せるが、古刀のものは質が違う、もっと大きな何かだった。

 そして、それこそが、古刀と大樹の強さの違いなのだろう。

 大樹は大きく息をはき、剣先を頭上に掲げた。

 同じ上段同士の構えとなり、真剣勝負のような緊張感が周囲に満ちた。重く、何かに誓いを立てるかのように、古刀は口を開いた。

「古刀修一郎……まいる」

 そして、大樹の特訓は始まった。

 

 紫苑の家の近くに十階建てのマンションがある。紫苑とコーデリアは屋上に行き、ホリティと闘った繁華街の様子を窺っていた。

「どうだ?」

 紫苑が聞く。

「さすがに日が経つと警察の数も減ったようね」

 目を細めていたコーデリアは振り返る。入り口のドアに凭れていた紫苑が彼女に近付いた。

 ホリティとの遭遇から三日が過ぎた。

 原因不明の集団失神事件。日射病に似た症状に見舞われ、特定の場所にいた人々が病院に運ばれた。これだけが新聞に小さく取り上げられ、追加の情報は今日まで出ていない。エーギルが上手く話を合わせてくれ、退魔士の集団が圧力をかけてくれたようだ。

「十裏魔術家の女は、お前を狙っていたようだな」

「そうですね」

 コーデリアは微笑むだけで何も言わない。なにやら因縁的なものを含んでいるらしく、他者の割り込む隙間はなさそうだ。

「何も言いたくないならそれでも構わないが、一つだけ聞こうか。あの女はどうして現れた?」

「私を殺すため、かもしれませんね」

 コーデリアという人間の人格を紫苑は計りかねていた。生における決定的な何かを失っているように思えるが、心の奥底、いや、彼女の身体から遙か彼方に大切に保管しているようにも思える。それがホリティと関係があるかを探るのは下世話なようだ。

「紺野さんの体調はどうですか?」

「さすがは『御中桜』の精殿だと感心したな。みごとに紺野の妖気を射抜いている。今の彼女は人間並みに回復力が低下して、しばらくは毎日医者のヒールを受けないといけない」

「退院はいつ頃かしら?」

「一週間はかかる。それでも本調子ではないだろうが」

「一週間ですか。随分早いんですね」

「医者は俺の大学時代の知り合いなんだが、あいつのヒールは凄くてな。瀕死の怪我でも一日で直したことがあるな」

 ザイクロンの死を看取った時に受けた怪我は、今でも身体に残っている。紫苑は何気なくシャツの襟を摘み、風を送り込む振りをして胸から腹に伸びた傷跡を見た。

「決して早いというわけではありませんね。さすがは神気。あなた達には、最高の毒というわけですわね」

「だからあんな木刀でも俺たちを斬ることが出来る」

 コーデリアは腕を組み、もう一つ質問をした。

「もう一つよろしいかしら? 聞こえてしまったので悪く思わないでくださいな。雷を扱う鬼を殺したのはどなた? 聞いていたところ、どなたかが助けに来たようでしたけど」

「紺野に言わないと約束できるなら教えても良いが」

「もし、紺野さんに話せばどうなるのかしら?」

「言わなくても、分かるだろ?」

 コーデリアは吹かれた風に目を細め、髪を押さえる。

「あいつはもう一人の紺野だ。セムには、稀に他の妖魔達に引けを取らない特殊能力を持って生まれるものがいるのは知っているか?」

「セムの始祖がそうだったと聞いております」

「セムの始祖は、元々ただの人の形をした低級妖魔だった。だが、始祖は自分の体液を使って神気に対抗できる鎧のような膜を作ることが出来た。始祖のおかげで当時の退魔士は相当狩られたらしい。今も俺たちがある程度の権威を得ているのは、始祖のお陰だとその当時から生きている悪鬼から直接聞いた」

「紺野さんは始祖の直系の末裔でしたよね。では、彼女もその特殊能力をお持ちだと?」

「紺野も特殊能力を持って生まれた。紺野はもう一人の自分、ただし戦闘力は桁外れに強い自分を生み出すことが出来る。だが、彼女自身はその能力に気付いていない」

「では、その能力をどうして紫苑さんが知っているでしょうか?」

「もう一人の紺野は過保護でな。紺野に非常事態が起こるとーー良くあるのは極度の栄養不足になることだがーー自ら具現化し、人間を狩って食っている。その現場に出会したことがある」

「もう一人の紺野さんが食べても、紺野さんの栄養にならないのでは?」

「俺たちの主食は生気だ。生気を消化しないうちに本体の身体に戻れば、栄養は本体のものだ」

 コーデリアは考え込むように、視線を空に向ける。

「あの時助けに来たのは、本体のピンチを察したもう一人の紺野さん」

 紫苑が頷く。

「もう彼女は本体に戻られまして?」

「多分な」

 いつ戻るのかは、もう一人の紺野以外誰も知らない。

 二人は紫苑の家に戻った。三時のおやつです、と甥が自作したプリンを持ってきた。それがなかなかの出来でコーデリアが褒めると彼は、嬉しそうに笑った。いい加減追い出そうかと真剣に悩む紫苑だ。

「さて、紫苑さん。お互いの腹の探り合いはここまでとして。そろそろ毒についてディスカッションしてみませんか?」

「捜査を始めて一週間程経つが、何か掴めたか?」

「耳を傾けていますけど、何も入ってきませんわ」

「俺もだ。遠くの知り合いにも捜査してもらってるが、なかなかどうして」

 解せないのは、情報を掴んでいないこちらを狙う悪鬼共だ。無関係の紺野を狙い、コーデリアを襲い、ついには十裏魔術家まで登場した。彼らの行動の理由が読めない。

「……神剣を持った人間が、俺を狙うのはどうしてだろうな」

 紫苑は疑問に思っていたことを呟く。

「なにやら依頼があったようですね」

「誰からだ?」

「退魔士のお仲間ではないの?」

「仕事の紹介はそこかも知れんが、依頼主は?」

「分かりました。そのことにも注意を払っておきます。では、私も一つ質問が。エーギルさんが私たちを助けようと駆けつけてくれたこと……どう思います?」

「ティモに頼まれた。もしくはあいつ自身に何か目的がある。俺が思うに後者の方が納得いくな」

「どうしてですか?」

「俺はあいつを捜していて紺野と出会ったわけだが、あの日、エーギルは俺から逃げ回っていたらしい。いつもの場所にあいつはいなかったし、それに昨日会いに行った時、俺の気配に気付くと逃げたからな。で、気配を消してそこから離れてやるとあいつはのこのこ帰ってきた」

 もう一度近付けば逃げたことも紫苑は付け足した。

「情報屋が客から逃げるなんて面白い話ですね。毒の情報を売りたくないということかしら?」

「そうかも知れない。だが、あいつは毒を摘む俺たちを助けようとしているのに情報を与えないとは奇妙だな」

「時期が早い。そう判断されたのでしょう。実は毒なんて物はなくて、別の何かと向き合わせたい。そんな思惑がおありかも」

 毒が存在しないとすれば、毒の情報を蒔いたのは誰か。紺野を狙ったことはどう関係するのだろうーー真っ先に考えたことに紫苑は鼻で笑ってしまった。コーデリアが不思議そうに首を傾げる。

 過保護なのはもう一人の紺野だけではない。

「足で稼いでこないとどうしようもないな」

 紫苑が腰を浮かせる。

「どこにいかれるのかしら?」

「紺野に会いに行く。そのあとは情報収集だ」

 

 

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