-デイブレイク-
八 十裏魔術家。
「誰だ!」
大樹の前に現れたのは赤い服を着た異国の少女だった。
「こんばんは」
大樹と目が合うと、少女は挨拶しにこりと微笑んだ。この気品、どこかで見たことがある。だけどそんな挨拶も場の緊張を解く言葉にはならなかった。ただの人間ではない。
少女の右手には禍々しい一振りの杖が握られていた。
「大樹。あの杖、ただの棒切れではないぞよ」
「ああ…」
寧ろ異様な気配は少女ではなく、あの杖から感じたのではないか。人間でありながら、これ程までの狂気を感じさせる者も少ない。悪鬼妖魔の妖気さえ凌ぐ。
「誰だ」
大樹の二度目の誰何の問いに少女は「失礼」と頭を軽く下げ詫びた。
「お初お目に掛かります。私、十裏魔術家の一つ、フリージアの大魔導師ホリティと申します」
コーデリアは町中の音を拾い上げている。
古本屋の二階で眠りながらも、大樹と対峙した女の言葉を聞き逃さなかった。
――現れた。
「アンドレアルの女の魔力を感じたから探ってみたら、また面白い獲物が掛かったものだわ。精霊剣?」
大樹の片眉が跳ねた。アンドレアルの女。コーデリアのことだ。
そうだ。ホリティと名乗ったこの赤い服の少女はコーデリアのような温かみこそ皆無だが、感じる気品や優雅さは彼女のそれに似ているところもあった。
「なんだ、お前。コーデリアに用事あるのかよ」
「殺そうかと。場所をしっているなら教えてくださいな。接触したのでしょう? あなたからはぷんぷんとあの女の魔力を感じますわ」
カツン、とホリティは杖の尻をコンクリートの地面に打った。まるで静寂が波を打つかのように、繁華街に異質な緊張が走り沈黙した。大衆が向かい合った大樹とホリティに注目した。
喧騒溢れる筈の繁華街が重く冷たい空気に満たされる。
「おい、まさか、こんなとこでやりあおうってわけじゃないよな」
「私は構いませんわ。あの女を殺すことさえできれば万事良し」
「言うと思うか。何故、そんな偉そうな態度でモノを聞かれて教えにゃならんのだ」
ホリティは「あはは」と可愛らしく笑った。
「結構」
ホリティは笑いを収め、大樹に向け杖を架ざした。
「このフリージアの大魔導師に楯突くというならそれも良し。だけどその代償は命では済まないと思いなさい」
「ガキが何言ってやがる。痛い目見ねぇうちに家帰って寝ろ。夜も更けてるぜ」
そう軽口を叩いても、大樹には余裕がない。
ホリティは今まで闘ってきたどんな相手とも異質だった。妖魔ではなく、妖魔をも上回る人間。強いていうならば、やはりその強さの秘密はコーデリアに通ずるものがあると思った。
「仕方ないですね。性には合わないですが少し暴れて誘き寄せるとしますか。白色の君からの始末命令は『毒』を探る者全て。ここにその秘密があると知れば、ゴキは餌に群がるでしょう。ゴキというのはゴキブリのことですよ」
再び、ホリティは杖の尻で地面を打つ。静かな繁華街に木を叩く音が響いた。
――魔杖が歪む。
「なに…」
歪んだのは杖ではなかった。視界だ。ホリティの周辺は陽炎のようにヒカリが屈折し、揺らめく。歪んだ光景は見るだけで頭の芯に鈍い痛みを覚えた。
大樹は耐え切れず、頭を抑え片膝を付いた。それでもミナだけは手放さなかった。
『おおお…』
大樹だけではない。
この繁華街にいる全ての人間が頭を抑え、呻き、地に片膝付いた。
あの杖だ。杖から発する魔気が生けるものの『生』を赦さんと、死の空気を振りまいているのだ。
「エネルギー充填完了」
ホリティの声が聞こえた。
違う。
大樹は感覚薄れ行く中で見た。あの杖は死を振りまいているわけではない。生を吸収しているのだ。
「ご名答。さて、すこし飛ばしますわよ! しっかりとその精霊剣で塞ぎなさい。手を抜くと……死ぬわよ? これが十裏魔術家の力よ」
大衆は遂には倒れ始めた。
命を根こそぎ奪われた生物は死ぬしかない。
周囲にいる何百という人の命を吸収し続ける悪魔の杖は、はちきれんばかりにエネルギーが充填され、いままさに爆発せんとばかりに震撼していた。
ホリティは頭上で杖を回転させ、構えた。
「いくわよ」
「待て!」
あんな強大なエネルギーをこの場に叩きつければ、死ぬのはミナの加護を受けた大樹ではない。周囲に何百といる人間だ。
止むを得ないのか。こんな女にコーデリアの居場所を話していいのか。ホリティは力溢れる魔杖を振りかぶった。
大樹の手にした精霊剣が唸りを上げた。
「仕方あるまい」
ミナが剣から和服のヒト型へと変わる。既に今日三度目の現界だ。彼女とて残り力は少ないはずだ。ミナの姿を確認したホリティは尚、攻撃のモーションをキャンセルしない。杖を振り下ろす。
「我がフリージアの能力は力の流動。在るモノからは力を吸い、吸った力は爆裂へ! 見なさい、これがホリティの破壊魔術、オーラブレードよ!」
ホリティは叫び、殲滅の魔器を地面に振り下ろそうとする。
無論破壊されるのは地面ではない。地面ごと町が破壊されるのだ。
「させる訳にはいかぬ!」
「おい…!」
大樹の静止も間に合わず、悪魔の杖を振り下ろすホリティにミナは正に神速を持って走り込んだ。
ホリティ本体を倒しても杖の爆裂は止められない。危険だが杖を撃つしかない。ミナもそれが分かっているだろう。
ミナが接近間合いに入る。
ホリティが杖を振り下ろす。
ミナの拳が魔杖に繰り出される。
ホリティは構わず杖を振り下ろす。
世界が終わった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ」
その声は誰のものだったか。自分の声か。敵の声か。
力一杯、ホリティは杖を振り下ろした。
だけど期待したような爆裂は起きなかった。杖を振り下ろす瞬間、和服の女が走り込んで来た。神気を帯びた彼女は恐らくは精霊。あの精霊剣か。
「――――」
杖は片膝着いた女が両手で挟むように受け止めていた。聞いたことがある。これが架の有名な白刃取りか。
杖は破壊の成果を上げることなく、和服の女の掌に挟まれ先程充填した力を無くしていた。女も力を使い果たしたのか、白煙漂う中膝を付いたまま立ち上がらない。
「ミナ…」
あの精霊剣の持ち主か。変わり果てた精霊の姿を見、放心し立ち尽くしていた。
「安心しなさいな…。生きてるわ。そう簡単に精霊を殺せやしない…」
そう、精霊は強い。
しかもこの剣の精は底辺の精霊ではない。力を交えて分かったが、恐らく創生に関するクラスの精霊だろう。なんらかの理由で十分な力が発揮できぬらしいこと、そして近日の力の乱用により彼女は力を落としていた。運が良かったのだ。
一息を吐き、剣の精霊から杖を取り上げた。動かぬ精霊を少年へと蹴り飛ばし、辺りを見渡した。
静寂だ。
人は皆倒れ、昏睡状態だ。命までは奪っていないが意識の在る者はいないだろう。いるならば力のある者だ。
この地には多くの力を感じていた。コーデリアもその一つだ。ホリティにはあの白い妖魔の君主に尽くす義理はないが、今しばらくは神殿で研究を続けたい。毒を追う者は皆殺しにしなければならない。
放った二匹の妖魔は容易く敗れてしまった。やはり妖魔等に任せて良いものではない。
「さて」
ホリティは少年に向き直った。
「これだけ派手に暴れれば、毒に関わった者は雁首並べて現れるでしょう。あの女も現れるでしょう。ほら、さっそく二人きた」
ホリティと少年が振り返った先には二人の妖魔がいた。男と女。セムだ。
「名前を聞きましょう。私はフリージアの大魔導士ホリティと申します。あなた方は?」
「紫苑だ。こいつは紺野だ。見るからに毒々しい杖だな」
「ええ、その毒についてお調べかしら」
「その通りだ。これも仕事だからな」
「OK、殺します」
「だが俺達以外にも客はいるようだがな」
紫苑が顎で示す。
あれだけ派手にやったのだ。この地に根を張る勢力は残らず顔を見せるだろう。害虫を苦しめる白い煙のように。
筋肉隆々の男だった。人間か。恐らくは退魔士だろう。
「十裏魔術家フリージアのホリティか。かー、ついてねえな」
男は頭をくしゃくしゃと掻いた。名乗らないその態度が感に触った。
「おっと、失礼。情報屋のエーギル・ヘブリングという。以後お見知りおきを」
「本当に情報屋なのかしら」
「まあ、本業は退魔士なんだけどな」
「でしょうね。情報屋という立場を利用して、毒に関わる者を有利に誘導することが目的だったかしら」
「とは言っても、今ここで戦わないとせっかく撒いた種を全滅されかねないからな。言っとくが、この俺様の目が黒いうちは毒なんか巻かせるわけにゃいかねえ」
「やっぱり、ゴキは焙り出すのが一番ですね」
こんな男も先程のセム達もどうでもいい。まとめて殺すだけだ。
「相変わらずゴキに拘って生きているのかな、貴女は」
――来た。
ホリティは振り返った。
「ごきげんよう、ホリティ?」
「ごきげんよう、コーデリア」
数年振りに瞳を交えたけれど、やはり彼女は憎たらしい程に可愛らしかった。確かに落ちぶれた家系の党首は以前のような豪華絢爛な振る舞いはできないだろうが、それでもホリティにはない気品を備えていた。それが悔しい。
ホリティは心を落ち着かせ、辺りを見渡した。
先程の少年と、精霊の女も立ち上がる。
「どうすんだ、お前囲まれたぞ」
「多勢に無勢とは正しくこの事じゃな。観念せい」
ホリティは息を吐き、周囲の敵戦力を確認した。
セムは女の方が手負い。人間も一人は手負い。精霊は消耗状態。強化兵はメンテナンスが滞っている。五体満足なのはセムと退魔士だけだ。
「愚か過ぎて笑ってしまいました」
先ずはコーデリア以外を全部殺そう。