-デイブレイク-

六 世界を救った。


 

 個人営業の内科では、近場の住人以外の客を呼ぶことは難しい。

 建物は最近改装したおかげで、まだ汚れの少ない白いペンキが清潔感を感じさせ、建物の外装自体もどこにでもあるものと変わらず、特徴のない病院だ。しかし、ここは悪鬼が経営しており、訪れる客も悪鬼妖魔が半数を占めていた。

 織戸紫苑は白衣を着た妖魔の医者と話をしていた。待合室でソファに座っている彼らの周りには、看護婦が人間の老人と世間話をしていた。

「肋骨は繋げたぞ」

 妖魔の医者、連城泰之(れんじょうやすゆき)は、手を開け閉めする。まだ熱を帯びているらしく、ソファに当てたりする。

「さすがは自慢の治癒能力だな。恩に着る」

「まま、こっちも仕事だしな。妖魔は妖魔を直してやる、これが天職ってやつだろ?」

 男性の老人が笑って話に割り込んできた。

「連城さん、また妖魔とかいって。若いのに俺よりさきにボケちまったんですかい。そんなことばっかりいってたら、いつか本物の化け物に食われますよ」

「大丈夫ですよ。逆にこっちが噛みついてやりますんで」

 冗談めかして連城が返し、紫苑にだけ届く小声を出す。

「俺が妖魔だっていっても、ここに来る患者は誰も信じないんだ。だから大ぴらに、まあ冗談っぽくだが、妖魔だって名乗ることにしてんだ。こうすりゃ、妖魔の患者が真偽を確かめに次々に来るんでな。来た奴らは俺のことを重宝してくれて、人間にばれない程度に俺が本当の妖魔だって広めてくれるんだ」

 看護婦は「あの人冗談ばっかりで、なにを信じていいか分からないんですよ」と口を当てて笑った。彼女の生気の色は人間より色が濃く、妖魔なのは一目瞭然だった。

「久しぶりに会ったのに、なんか厄介そうな仕事抱え込んでるな」

 連城が看護婦の尻を見ていう。紫苑は肘で彼を小突いて止めさせた。

「毒なんて曖昧なものをどうやって探せばいいんだろうな」

「そうそう、前に看た患者の話だけどよ。その毒を消すっていう救世主を祭ってる宗教に仲間が絡んでるらしいぞ」

「信者としてか?」

「違うよ。上層部にだ。これこそ小声でいわないといけないが、あの……白い妖魔いるだろ? ほら、数千年生きてるって噂の正真正銘の化け物」

「面倒だな」

 白い妖魔が敵かどうかは定かではないが、なるほど、コーデリアを呼んだ理由が少し見てきた。

 紫苑は紺野が着替えをしている部屋に目をやった。紺野を味方につければ、さらにやりやすくなる。あまり彼女を巻き込みたくないのだが、紫苑とコーデリアでは数が足りない。

 いや、もう一人面白いのがいたな。神剣を持った血気盛んな高校生を思い出す。神下ろしをしてこなかったところを察するに徳はなさそうだが、生気の色は人間には珍しい白だった。あれは力のある証だ。

「なんだ? 白い妖魔のこと知ってるのか?」

「少しだけだ。十年ほど前に姿を消したザイクロンという妖魔のことを知っているか?」

「ザイクロン……ああ、かなり狂ってるヤツだったよな。といっても、俺は患者に教えてもらっただけだけど」

 ザイクロンとは、殺戮という言葉を体現した女だった。悪鬼妖魔人間、全てを殺すことが生き甲斐だった。だが、それは彼女が二四歳の誕生日を迎えた以降の話で、それ以前は真面目に社会人として静かに生活を送っていた。

 当時二十歳だった紫苑は、冷静だったザイクロンと頻繁に会っていた。

 出会いは紫苑が退魔士に命を狙われたときのことだ。その退魔士は業界でも話題になっていた新人で、強さは刀一本で悪鬼を倒せるほどだった。

 駆け出しだった紫苑が逃げていたとき、偶然にも他の退魔士と戦闘してたザイクロンと遭遇した。彼女は傷付いた紫苑を助け、退魔士を瞬く間に退けた。

 二人の退魔士を物ともしない強さに惹かれ、紫苑はザイクロンに弟子入りした。弟子になることは断られたが、訓練はつけてくれることになり、彼女の家に紫苑は入り浸った。

 ザイクロンは上級妖魔だったが、下級妖魔の紫苑と対等に向き合ってくれた。本来ならこんなケースは皆無だが、ザイクロンは紫苑のことがお気に入っていた。

 時が経ち、格闘戦だけならば紫苑はザイクロンを越えた。あとは実戦で鍛えるだけとなっても紫苑は、ザイクロンに会いに行った。

 告白した日のことを思い出すと、紫苑は柄にもなく照れそうになる。ザイクロンが「彼氏欲しい」としきりに零していた時期があった。そのときに咄嗟に口から言葉を零してしまった。

 最初は冗談だと本気にしなかったザイクロンも、日々の紫苑の態度に負けていつしかそれなりの関係になっていた。

 一度紫苑は、野暮なことを尋ねたことがあった。上級妖魔なのにどうして下級妖魔の自分と一緒にいるのか。セムと悪鬼妖魔はお互い関わり合うことが少ない。ましてや上級妖魔ならなおさらだ。周りからは奇異の目を向けら、紫苑は戸惑っていた。

『頭固いね、紫苑君は。今、こうなってるんだから、結局、壁を作ってるのは偏見なんだって』

 思い返せば、紫苑はこの言葉で偏見を捨てた記憶がある。

 出会ってからは誕生日になると毎年二人で祝っていたが、二十四歳のときだけは違った。紫苑はそのとき二二歳だった。

 誕生日にザイクロンに降りかかった不幸は知らない。だが、彼女はその事件によって自らの名を翳し、殺戮を行った。

『紫苑君、もう私のことは忘れてね。でも、一つだけ。私がこうすることで、悪鬼妖魔人間全てが滅びなくてすむんだよ、ってことだけは憶えてて』

 今もさほど強くはないが、当時の紫苑はまだまだ未熟だった。いずれ処刑されるザイクロンを助ける力はなかった。

 結局、紫苑の目の前で、ザイクロンは白い悪魔に殺された。

 過去の思い出は、形を変えることはない。

 今日に至ってもザイクロンを動かせた物の正体は掴めていない。それがどんな驚異だったのかは、年月によって風化され、三十路を越えた今ではあまり興味はない。

 ザイクロンのおかげで世界は救われた。紫苑は頑なにそれを信じていた。それは終わったことだ。そう思っていた。

「世界を浸食する毒か」

 紫苑が呟く。

「なんだよ」

 連城が拍子抜けして笑う。

「白い悪魔かザイクロンの説明をしてくれるのかと思えば、話飛ばすなよ」

 ベストを手に持った紺野・リー・ドリアンが出てきた。紫苑が買ってきた男物のシャツを着ている。下はあまり汚れていなかったので黒のジーパンのままだ。

「お待たせ。先生いつもありがと」

「おうおう、気にすんな。毎日着てくれよ」

 元気な声を出す連城に、看護婦が足を踏んでいく。よくある光景に紺野は楽しそうに笑った。

 

 紺野と紫苑が外に出る。冷房の効いた部屋から出たため、顔が汗ばんだ。病み上がりの紺野を日陰に入るように指示し、帰宅路を歩む。

「おじさん、助けてくれてありがと」

「俺は本家を守る役目がある」

「そんな固いこと、いつも気にしてないじゃないの」

 紺野がつまらなさそうに紫苑の腕に抱きつく。

「暑くないのか? 俺は暑いんだが」

「色気もなにもあったもんじゃないね」

 紺野が不愉快そうに離す。年頃の女に好意を示されて、心の底から素っ気なくできるのは紫苑くらいだろう。仕方なく、話題を変えた。

「狙われた理由、きかないの?」

「だいたいの目星はついている」

「誰の仕業?」つい厳しい声音を出してしまう。また「落ち着け」って諭されるのかな。そう予想し、少し気分が沈んだ。

「一応尋ねるが、心当たりはないな?」

 紺野が頷く。

「俺も誰の差し金かは分からない。だが、襲われた理由はいくつか立てた。一つは俺をおびき寄せるため。理由までは分からないが、俺の戦闘能力を測ったのかもな。二つ目は、お前を殺すため。それはお前の」

 紫苑は言葉を切り、「この話は先送りにしよう。もう少し情報が欲しい」なんていいわけをした。

「おじさん、いいわけのセンスないね」

「仕事のことだ。巻き込んでおいて悪いが、口外できない」

「お前の、に続く言葉はなに?」

「さあな」

「なら、また私が狙われることある?」

 少し意地の悪い質問をした。

 紫苑は顔色一つ変えない。しかし、返事に窮しているのは、内心で困っている証拠だ。

「あるかもしれない」

 紫苑が渋々返す。

「じゃあさ、訓練して。今回の戦闘で思ったんだけど、攻めがイマイチかな、って思って」

 攻めの訓練の必要性を説いていたのは紫苑自身だ。この申し出を断るはずがない。紺野は紫苑に勝ったつもりになり、楽しくなってきた。

「お前の策略に嵌ってやろう」

 紫苑がいいわけじみた弁解をする。そんなところも可愛かった。

「だが、本気でやってもらうぞ。美大も休んでもらうが、いけるか?」

「休むってどれくらい?」

「俺も仕事中だからな、二日で強くしてやろう。二日でどうにか出来るかは、お前次第だが」

 二日なら問題はない。明日は好きな講義があるので少し惜しかったが、それよりも今は現状を掴む必要がある。

「そこで訓練相手だが」

「おじさんじゃないの?」

「いや、人間だ。神剣持ちのな」

 

 

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