-デイブレイク-

四 繁華街の死闘。


 

 紺野・リー・ドリアンはいわゆるハーフだ。母型がイギリス人で、父親が日本人だった。外見はどちらにも偏らなかったが、髪と瞳は薄い茶色で、背は同級生よりも頭一個分は高かった。

 小学校の頃はハーフだと苛められたし、中学校になれば身体の成長が早かったことで男子から人気が出て同性から非難を受け、と高校にあがるまで散々な学校生活を送ったが、自分の血にコンプレックスはなかった。

 現在美大に進学した彼女だが、高校まで友人がいなかったわけではなく、むしろ男女ともに友人は多かった。紺野なりに一生懸命クラスメイトと交友を深めた結果でもあり、何もしなくても声をかけられることも多かった。

 友人はどこか病気がちな彼女を心配し、友人以上にどこか姉や兄のような気分で接していた。苛めに屈しない意志の強さに惹かれた友達もおり、妹や弟のような気分で接するものもいる。

 これらは人の多面性を表した例なのだろう。共通しているのは、友人は紺野に魅力を感じているという点だ。これらに囲まれ、紺野は血に関して文句は微塵もない。

 人並みに幸せだ、そう信じている。

 唯一、どうしても耐えられなかったのは、セムという種族に生まれたことだ。人間界で人間として教育を受けた彼女は、同じ人間を食べることが信じられなかった。セムだが、紺野の信念では、自分は人間だ、と強く思っていた。

 だが、幼少の頃に見た、同じ年頃の少女のセムが人間を食べる光景を目撃し、紺野は自分が化け物だと認めるしかなかった。

 だが、悪鬼妖魔との付き合いは薄い。セムとも数人は親しくしているが、人間に偏見のない者とだけだ。

 極力人間を食べていない。いや、正確には紺野は高校まで人間を食べているつもりはなかった。死骸でも多少の生気は残るもので、栄養は少ないが市販の動物の肉で生気を採っているつもりだったが――

 深夜のことだ。スタンドランプだけを付けた部屋でテスト勉強をしていた彼女は、父親が外出するのを目撃した。最初は怪しんだものの、最終的に散歩か買い物だろうと判断したが、帰宅した父の姿を見て不思議に思った。

 父親は大きな黒いビニール袋を持っていた。重そうななにかが入ったそれを家に入れる。紺野はこっそりと階段から玄関を覗いた。

 母親と父親がいた。

「ご苦労様。これで朝食が作れるわ」

「多分、紺野の好みだと思うけど大丈夫かな?」

 父親が靴を脱ぐ。

「ほら、先月のは不味いって云ってただろ? もう近くでは取り尽くしたかも知れない」

 密かに父親は人間を狩り、それを娘に与えていた。それが病気がちだが、問題なく生きられた理由だった。

 紺野は足音を立てないように部屋に戻り、布団に潜り込んだ。震える身体を必死で抑え、言葉にならなかった憎悪の言葉を吐き続けた。

 紺野は感情を爆発させなかったが、その日を境に親の料理を食べなくなった。バイトをし、食費を稼ぎ、自分で購入した食品だけを口にした。

 両親とは何度議論をしても、自分はセムだが人間だ、という認識を頑なに持ち続けた。やがて親戚を巻き込んでの騒動となった。

 なんでも紺野の家系はセムの本家だそうだ。彼女が死ねば血が滅びると説得されても、知ったことではない。騒ぐ大人達の中で当時二十代後半だった織戸紫苑は「俺は人間を食べるが、彼女の意志に賛同しよう。彼女は人間だそうだからな」と鶴の一声で全員を沈黙させた。

 セムの守護者である彼は、本家の次に発言力と能力を持っている。紫苑が出てきたときにはすでに本家の者は諦めており「好きにしろ。ただし、死ぬことは許さん!」と幕を閉じた。

 この件で紺野は紫苑に好意を抱いた。恋愛にはほど遠いが、人の意見を聞ける話の分かる者だ、と柔軟な思考に惹かれ、たまに彼の古本屋に遊びに行くようになった。

 紫苑は食事と食事の期間が長く、他のセムと比べて狩りをしない方だ。するとしても、情報屋の仕事時の後始末の手段というケースが多い。そんな点も好印象だ。

 

 紺野・リー・ドリアンは友人に頼まれたイラストを描いていた。本職は油絵だが、彼女は絵の関係ならばなんでも着手していた。インターネットのデザインを依頼され、パソコンのマウスを動かして絵を描いていた。デスクトップが白を基調とした淡い蛍光色で埋まっていく。

 目が痛くなり、休憩がてらに紫苑にメールを送った。明日会いたい。そんな些細な文章だ。携帯電話をなくす癖が紫苑にはあり、現在は持っていない。パソコンに転送したので返信は明日の朝だろう。朝にメールをチェックするように紺野が口うるさくお願いしてある。

 メールが待ち遠しいと感じるようになったのは久しぶりだ。携帯電話を購入し、始めて友人に送ったとき以来の気持ちだ。当時は嬉しくて、意味もない会話を続けてしまったが、紫苑とのやりとりは淡泊なものだ。今回の場合だと「三時頃は客がいない。一時間だけ相手できる」なんて味気も色気もない返事だろう。だが、文字を打つ紫苑の姿を想像するだけで、楽しくなのはどうしてか。

 長時間椅子に座っていたせいか、体中が金属になってしまった気分だ。固いくせに曲がりやすい。

 服装はTシャツに短パンだったが、黒のジーパンに焦げ茶のベストを羽織り、着替えを済ませた。気分的には、もう少し明るい色を着たかったが他の衣類は洗濯かごの中だ。

 壁時計は、午後九時を指している。

 ドアノブを掴んだ瞬間、目眩がした。力が抜け、その場に屈み、暫くじっとする。給料前だからとここ数日の食費を削ったしわ寄せがここで現れたか。

 最近体重計に乗っていないが、また痩せたに違いない。人間の肉を食べていた頃はスリムなことを羨ましがられたが、今は心配される始末だ。

 深呼吸をし、ゆっくりと立ち上がる。よし、と声を出して紺野は紫苑の家に向かった。

 太陽は落ちたが、まだ空気が冷えていない。今年は海に行っていないことを後悔しつつ、繁華街を歩く。

 すれ違う人間を観察する。たまに紛れている悪鬼妖魔を発見し、変装の上手さに感心した。親から教えてもらった話では、数十年前は上級の悪鬼妖魔かセムしか人里を歩けなかったらしい。上級は人間の姿に化けられるし、セムは元々人間タイプだ。

 メイクの者もいれば身体の細胞を魔術で変化させた者もいる。魔術技術ともに進化しているということか。

 紺野は自動販売機で飲み物を買った。受け取り口から缶を採るために屈んだとき、少しだけ後ろを窺った。

 悪鬼がこちらを見ている。外見は風俗風の女性だが、滲み出る生気が人間よりを黒ずんでいた。

 なにが目的か。戦闘には慣れていないが、紫苑から防衛の訓練は受けている。防いで逃げる事に関しては、紫苑より上だと自覚していた。

 微かに動悸がし、空腹を強く感じる。飲み物を飲んだせいで、胃を刺激してしまったようだ。

 気付かぬ振りをして歩き出す。現在の状態では、逃げることもままならない。家まで行って紫苑に追い払ってもらうか。

 甘い考えだった。

 紺野の側に五階建ての縦に細長いビルがあった。突然、そこから爆発音がした。最初の爆発は小さく、ガラスが割れただけだったが、すぐに二回目の爆発が起こって炎上を始める。

 紺野が頭上を見たときには、真後ろに悪鬼がいた。紺野は黙って相手の発言を待つ。

 周りが騒ぎ始める。消防士を呼ぶサラリーマン、ただ騒ぐ女、腰を抜かせている酔っぱらい、誰もが蠢く中、紺野と悪鬼は止まっていた。

「怖がらないのね」

 悪鬼の女が囁く。

「それとも震えて声が出ないだけかしら?」

「いつから尾行してたの?」

「そうね、一ヶ月前くらいからだったと思うけど、忘れちゃったわ」

「爆発させたのはあなた?」

 女は答えない。おそらく返事はイエスだ。

「目的は訊かないのね」

「興味あるのは生き延びることだけだもの」

 紺野は素っ気なく答える。こんなケースでは無駄口憎まれ口は極力抑えること。それが紫苑に教えてもらったことの一つだ。

 爆発音がもう一度聞こえた。さらに炎が空を照らす。赤く染まった景色は、暁を思わせる。

「ビルに入りなさい」

「誰かいい人がいるの?」

 つい憎まれ口を叩いてしまう。紫苑がいればなんというか。

「ふふ、誰でしょうね」

 勝率を割り出せない。相手の能力が見抜けないだけでなく、相手はこっちの格闘能力を知っている。

「早く入りなさい。人間、殺すわよ」

 攻め方も習えば良かった。後悔が脳裏を過ぎり、即座に覚悟を決めた。

 紺野は燃えるビルに入っていく。こんな日が来るのは覚悟していた。だが、あまりに突然で威圧的だった。ビルで待ちかまえているものは一体どんなことか。

 吹き抜けになった一階のフロアはあまり広くない。受付のカウンター、エレベーター、二階に続くエスカレーターがあるだけだ。非常階段へ続く扉が隠れるようにエスカレーターの脇にあった。

 ビルは企業のものだ。夜間のおかげで人は少なかったと見える。残業していた数人の社員が早々に転がるように逃げだす。人気が消えたことを確認し、紺野は振り返って受付のカウンターに腰かける。

 悪鬼は本性を現していた。さっきは女の形をしていたが、今はただの男の鬼だ。身体は二回りも大きくなっており、頭にはいびつに折れ曲がった角がある。肌の色は黒の混じった黄色で、浮き出た血管が音を立てて脈打つ。

「女に化けるなんて悪趣味」

「他者の趣味にケチを付ける方が悪趣味だと思うぜ、俺はよ」

 声はガラガラで、しゃべり方も変わっている。

「しかし、やけに素直に入りやがったな。やっぱお仲間は大事か? 人間さんよ」

「人のものを勝手に燃やすようなやつを見逃せないから、かな」

 嫌みなやつだ。紺野は地面に足をつける。

「一応訊いてあげるけど、目的はなに?」

「悪鬼は秘密主義だぜ」

 悪鬼が適当に返す。

「そういうの嫌い」

 紺野が先に動く。非常階段の扉を開けて階段を上る。図体のでかい悪鬼ならば入れないと思っていた扉を壊して追ってきた。期待していなかったが、その事実を確認し、少しイライラした。

 悪鬼の身体と自分の身体を見比べる。小枝のような腕と丸太並の腕では力量は明らか、議論の価値はない。

 フットワークもあちらの方がよさそうだ。空腹の紺野と準備態勢の悪鬼では話にならない。全てに置いて不利ならば、利点を生み出すしかない。火事で天井が崩れないかと期待したくなるが、そんな強運があれば今頃は紫苑の家に着いているだろう。

 悪鬼が跳躍し、先回りをする。地響きがし、紺野は柵に寄りかかった。

「リアル鬼ごっこは楽しいか?」

「興味ない、かな」

 柵を跳び越えて四階に下り、ドアを蹴り開ける。中は机の並んだ広い部屋だった。慌てて下に降りようとしたが、やはり跳躍で先回りされ、仕方なく二階に飛び込んだ。

 二階は広いエントランスで、ちょっとした憩いの場所らしく、店内カフェがあった。一階に続くエスカレーターを囲むようにテーブルと椅子が壁沿いに並べられ、一階を見下ろせるようになっている。

 さっきよりは動きやすい。だが、エスカレーターの前に陣取った悪鬼をどうやって退かるかが課題だ。外に行けば、悪鬼妖魔は目立つ行動は避けるため、追ってこないはず。

 悪鬼は、手で発電した雷を辺りにばらまいた。十もの雷の線を避けたが、第二波が紺野のベストをかする。肩に開いた穴を見て悪鬼を睨む。

「あんたは裸だからいいんだろうけど、こっちはそうもいかないのよ」

「はん、減らず口を! 余裕じゃねえか」

 両手で雷を飛ばす。紺野は難なく回避するが、有効な攻撃手段を編み出せず、焦りを感じた。

 試しに殴りかかってみるか。雷を屈んで避け、姿勢を低くしたまま、つんのめるように前進した。一瞬で間合いをつめ、腰をきかせて腹部を蹴りつける。反動を利用し、今度は軽く一回転してイスで横っ面を殴りつけた。

 反射神経で身体を捻って横に飛ぶ。間一髪で雷の進路を見切れたことは合格点だが、攻撃の結果は赤点だった。

 悪鬼は平気な様子で手の平の雷をこねくり回して遊んでいる。打撃でダメージを与えるのは不可能だと学習できたが、なんと有り難みのないことか。

 紺野は自分でも気付かぬうちに微笑んでいた。

 上の階で爆発が起こった。イスやテーブルが倒れる音がうるさい。炎が二階にも移り、室温があがる。

「そろそろ脱出しないと俺も不味いぜ」

 言葉とは裏腹に、悪鬼は愉快そうに舌を出す。赤みがかかった身体は、黄色と混じってさらに黒ずんで見えた。

「一緒に手でも繋いで出ない?」

「遠慮するぜ」

 紺野が悪鬼の前まで行き、跳び蹴りをする振りをして悪鬼の頭に乗っかった。即座に一階に飛び降りようとしたが、足を捕まえられ壁に投げ付けられた。骨が折れる鈍い音がし、空気が圧迫されて言葉が出なかった。テーブやイスがクッションになったおかげか、折れたのは肋骨だけのようだ。現時点に置いては致命傷と同等の怪我だ。

「雷か殴り殺し、どっちが好きだ?」

「SMは嫌い、かな」

 中指を立て、紺野は素早く立ち上がる。

「そろそろ終わらせないといけねえな」

 一階から悲鳴が聞こえた。逃げ遅れたもののなんとか一階まで辿り着いたと思われる社員が悪鬼に怯え、その場に立ち尽くしていた。悪鬼に睨まれ、走り出すが、先回りされ、頭を鷲掴みにされる。

 紺野が一階に飛び降りる。社員は悪鬼の手を叩き必死に逃れようとするが、悪鬼は男を左右に揺らせて楽しんでいる。

「その人離してよ。関係ないじゃないの」

「世の中、ギブアンドテイクだよな。こいつを離したらなにしてくれるんだー?」

「なにが望み?」

 紺野が苛立って壁を殴りつける。

 悪鬼は男を壁に投げつける。紺野は全速力で走り、男を受けとめたが、壁に挟まれその場に倒れ込んだ。社員は情けない声を出し、すごすごと逃げ出す。

 悪鬼の高笑いをききながら、紺野は意識が落ちていくのを感じた。

 

 織戸紫苑が駆けつけたときには、ビルは四回目の爆発をした。消防車はまだ来ていない、一回目の爆発から三分。建物から逃げ出した社員が、必死に上司にいいわけをしている。

 毒の調査でこんな事件と遭遇するとは思えなかった。紫苑は情報収集を中止し、ことの成り行きを見守ることにした。

 この濃い赤みを帯びた炎は悪鬼妖魔のものだ。紫苑は野次馬に紛れた彼らを盗み見る。酔っぱらいに偽装した悪鬼は携帯電話で話していた。あれは同業者で、この町のことなら全てを把握している。探しても見つからなかったのは、ここにいたからか。

 カップルが会話している内容を盗みぎき、紫苑は割って入った。

「失礼。今の話を詳しく聞きたいんだが」

「え? ああ、さっき女が入っていったような気がするんだよ」

「あ、それと、なんかもう一人女の人が入っていったよね。なんかキャバクラ嬢みたいな人」

 派手好きの悪鬼のやりそうなことだ。誰かをここに連れ込み、処刑しているのだろう。紫苑は情報通の悪鬼を捕まえ、人気のないところまで引っ張る。

「あ、奇遇ですねえ」

 赤い顔に愛想笑いを浮かばせ、悪鬼がいった。

「今日も仕事ですか?」

「ビルの中にいるのは誰だ?」

「タイムリーなネタですからね、高いですぜ」

 適当に紙幣を掴ませ、事情をきいた。

「セムの女と悪鬼の男か」紫苑がビルを見る。

「助けにいくんですかい?」

「どうかは知らんが、はぐれ者ならば助ける義務はないな」

 悪鬼妖魔の中で戦闘能力が最弱の部類に入るセムは、同族から同族扱いされていない。大半のセムはつまらない差別を無視しているが、中にはそれをよしとしない者もいる。そんな彼らは悪鬼妖魔と組んで悪行をはたらく者が多く、セムからはぐれ者と称されて少々煙たがられていた。

 紫苑はビルの前に戻り、人々の会話に耳を傾けた。大した情報は得られないが、内部に残っていた人間の言葉から察するに、どうやらティモの炎の玉が使われていたことが分かった。

 遠距離操作の放火は足が着きにくい。事件を未解決で終わらせる上手い方法だ。

 頬を切った会社員が出てきた。彼は「逃げろ!」と騒ぎ立て、人々の肩を突き飛ばしてビルから離れようとする。紫苑は彼を捕まえ、彼の頬を打った。

「落ち着け。もうじき消防車が来る」

「んなもん、役にたたないぞ! 警察、いや機動隊呼べ!」

「どうして機動隊なんかを?」

「ば、化け物が……で、でも女の子が助けてくれて……ああ……」

 紫苑はパニックに陥った会社員を人に任せ、燃えているビルの隣の建物に入った。人間を助けた、という点がどうにも解せない。日本在住のセムならば全員知っているが、人間を好んで助けるような者は一人しかいない。

 屋上まで登り、炎上するビルに飛び移る。煙に隠れて紫苑の姿は地上からは見えないはずだ。口を抑え、素早く一階ごとに探して回る。

 蒸し暑く、煙で視界がきかなかった。セムと悪鬼の生気を下の方で感じる。二階に辿り着くと、一階に悪鬼の後ろ姿を確認した。黄色い肌の悪鬼は、雷を扱うことよりも肉体の強靱さで有名だ。

 悪鬼の足下には、予想通りに紺野・リー・ドリアンがいた。

「最近の若者は世話が焼ける」

 そこまでいい、紫苑は内心でほくそ笑んだ。若い頃の自分も同じ風に思われていただろう。

 紫苑は静かに近付き、全力で彼の後頭部を蹴りつけた。悪鬼は声を上げぬまま、吹き飛びエレベーターの中に突っ込んだ。

 首の折れた音も頭蓋骨を砕いた感触もなかった。やはり素手では倒せない相手らしい。そうそうに紺野を回収して引き上げることにした。彼女を肩に担ぎ、悪鬼の投げた雷を身体を反らして避ける。 

「止めておけ。お前に勝ち目はない」

「いうじゃねえか、セムのくせによ」

 悪鬼がタックルをしてきた。紫苑は足払いで対処したが、これが失敗だった。悪鬼をそれを利用し、一階に落ちた。起きあがって出口を塞ぐ。

「逃がさねえぞ」

「誰の差し金で、この跳ねっ返りを狙っている?」

「悪鬼は秘密主義だぜ」

 悪鬼が口を歪める。

「最近は嘘つきが増えたな」

 紫苑は紺野を隅に寝かせた。

「武器が欲しいところだな。お前の角でももらうか」

「ぬかせ!」

 悪鬼が雷を身体に纏い、格闘を挑んできた。紫苑は難なく避けるが手は出さなかった。触るだけで感電して再起不能になるだろう。

 紫苑は辺りを捜索し、壁を砕いた。崩れた瓦礫の中で手軽そうなコンクリートの欠片を取り出す。不格好な道具だが、過去の人間は石で肉を切っていたことを考え、気にしないようにした。

 紫苑は残っていたコンクリートの欠片を蹴り、それをカモフラージュに悪鬼の後ろに回り込んだ。首筋をコンクリートで殴りつける。微かに手応えを感じたが、コンクリートは砕けてしまった。

「さすがは悪鬼だな。手が痺れる」

「お前こそ、セムのくせにやるな。でもよお、手ぶらだったのがお前の敗因だぜ!」

 悪鬼が全身に纏っていた雷を前方向に散らせた。紫苑は畳返しの要領で地面を砕いて、吹き上がったコンクリートで防御した。

 が、紺野の存在を失念していた。助けようにも間に合わず、無数の雷が彼女を襲う。

 悪鬼の高笑いが響き渡る。紫苑は急いで紺野の元に向かおうとした、瞬間。

 悪鬼の頭が地面に落ち、角が刺さる。垂れ流れる血が悪鬼の皮膚を黒く塗られていく。

 頭を踏みつける足は細い。焦げ茶色のベストを着、黒のジーパンをはいた、紺野そっくりの女が冷めた顔で紫苑を目をやる。瞳の色は紺野とは違い、赤黒い。黒目の奥に隠れたギラギラ光るものは、なにかに飢えている。

 女は悪鬼の肉を指で削ぎ、口に入れた。音を立てて必死に貪る。息を荒くし、高い声で笑い声をあげる。

「またお前か」

 紫苑は紺野の元に向かい、彼女を担いだ。

「好きなだけ食ったらすぐに消えろよ。俺以外にお前を見せるわけにはいかない」

 女は食事に夢中できこえていないようだった。紫苑は彼女がしっかり耳を傾けていることを知っている。それは数度の邂逅の末、ようやく学習したことだ。

「お前が食事をしていれば、あいつはこんな風に出てこなくてもすむのだがな」

 気を失った紺野はいいわけをしなかった。

 

 

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