-デイブレイク-
三 格の違い。
「ああ――俺はニンゲンを殴りたいんだがなぁ」
個人経営の古本屋。その道路を挟んだ向かいの電柱に寄りかかり、浦賀大樹は呟いた。
夕暮れ時、買い物客のいなくなった商店街に人通りは無く、普段どおりの静けさに満ちている。
大樹は突入前に装備の確認をした。
手には竹刀袋に入れた木刀が一振り。学校帰りで詰襟のままだが、ボタンも外しているし、動きやすさは問題ない。
――どうせ、防具なんて意味ねーしな。
「コラ。ぼやくでない。名誉ある退魔の仕事ぞ。性根を据えぬか」
竹刀袋から声が聞こえた。大樹は声の主に舌打ちして返すと、古本屋の様子を窺った。
先ほど少女が一人中に入っていったが、出てくる様子は無い。喰われたか、同族かどちらかだろう。開店休業とでもいう感じのどこにでもある古本屋で、流行の新古書店に押され、ひっそりと生き残っている店だ。商店街の人間も、まさか化け物が店主だとは思ってもいないだろう。
「しかし、この竹刀袋の中というのは息が詰まっていかんな。やはりわらわのような神木を祭るには、しかるべき台座というものがだな……」
「せめて、赤樫にレベルアップしてから言えよな。桜の木の木刀なんて、折れ易くて使いものにならねぇぜ」
ぶつぶつと文句を言う木刀を、竹刀袋の紐を解いて外に出す。
一見、普通の安物の木刀に見えるそれは、元はどこかの神社の御神木だったという。
神主の老人から譲り受けたものだが、桜の木で出来ているということもあって耐久力は皆無に等しい。しかし、その刀身に宿る精霊は神代の頃より地鎮の神として祭られている樹齢二千年という由緒正しいものだ。
名を『御中桜(ミナカサクラ)』という。大樹は呼びにくいのでミナと呼んでいるが、彼女もその呼び方は気に入っているらしい。
なにがどうしてその御神木が木刀なんぞにされたのか、大樹は知らない。ある日突然老人に木刀を押し付けられ、それまで知ることすらなかった社会の裏の生き物と戦う羽目になってしまったのだ。
今回の仕事もその神主からの依頼で、化け物を一匹、退治するように言われたのだ。
「ふむ……今回の悪鬼はちと手強そうじゃな。外からでも凶悪な瘴気が感じ取れるわ」
「そいつが、鷺洲をやった奴か?」
「恐らく」
本来なら、化け物退治には専門家がいる。退魔士と呼ばれるのがそれだ。
正確には大樹は退魔士ではないが、仕事上何人かには会ったことがある。鷺洲もその一人だった。顔を合わせただけだったので詳しくは知らないが、ミナの見立てではそこそこの使い手だったという。
金髪の、どこにでもいるチーマー風の男だ。
その鷺洲が数日前に行方不明になり、神主の遠見の結果、悪鬼に殺されたとわかった。
退魔士の元締めから頼まれた神主が、大樹の所へ仕事を持ってきたというわけだ。
「本職がやっても勝てないのに、俺がどうにかできるのかねぇ」
「安心せい。わらわがついておる。たかだか悪鬼妖魔の一匹や二匹。微塵切りにして逆に喰ろうてやるわ」
かかと笑う木刀に、大樹は眉間を抑えた。どうにもミナには自信過剰の癖がある。元の大木だったときにはそれこそ街を根こそぎ浄化する力があったらしいが、今ではその力も見る影は無く木刀を通してしか相手を浄化できないのだ。
「戦うのは俺だっつーの……」
多少不安になりながらも、大樹は柄の握りを確かめた。直後、店の中から何かが壊れるような音が聞こえた。
瞬時に神経が張り詰め、戦闘態勢になった。大樹は諦めたように首を振った。
「やるしかねーな」
「そうそう。さもなくば七代遡って末代までの祟りが訪れるぞ」
大樹は再び舌打ちで返すと、竹刀袋をその場に置き、古本屋の入り口をくぐった。
店の中は薄暗く、黄色い蛍光灯がちかちかと漏電していた。
中は普通の本屋だ。どこにもおかしな所は見当たらない。あるとすれば、妙に妖魔や伝承関係の本が多いくらいか。周囲の気配を探るが、大樹には瘴気とやらは感じられなかった。
「奥にいるようじゃな」
ミナの指示に従い、ゆっくり遠くへと進む。無造作に積み上げられた古本に気をつけながらカウンターを越えて奥の扉に手をかけた。
「いかん! 退け!」
ミナの声より先に大樹は後ろに跳んでいた。古本の山を崩し、玄関口までさがった。
扉を突き破るように、一本の手が生えている。手ごたえを感じなかったのか、手はすぐに引き抜かれると、扉が開かれた。
「物騒な客だな。あいにく見てのとおりこの店には金は無いぞ」
そう言って出て来たのは、長身の男だった。病的なほど痩せているが、そのくせ眼光だけは静かな圧力を放っている。目の前に見て、さすがに大樹にもこの男の強さは感じられた。
だが、そんなものを表に出す大樹ではなかった。伊達に巷で『邪剣使い』の異名を取ってはいない。
「残念だな。だったら居直り強盗にでも――」
「観念せよ悪鬼妖魔! 邪悪な貴様らに天誅を見舞う為、天之御中主神の御縁りの神木『御中桜』の精が参上いたした。さぁあ成敗くれてやる故そこへ直れぇい!」
大樹の話を折るように、ミナは時代遅れの口上を述べた。
気分を害したように大樹が舌打ちすると、目の前の男は口を抑えて笑った。
「くっ……まさか、そんな登場シーンを見せられるとはな。どこの餓鬼かは知らないが、ずいぶん時代劇が好きらしいな」
「俺じゃねえ……」
不機嫌なまま、しかし気を抜かないように大樹は言った。切っ先は相手の視線から離さず、正眼の構えだ。
次の瞬間には殺されていてもおかしくはない。いつもは小物を相手にしていた大樹だが、目の前の相手は格が違う。常に相手の視線を追い、状況に対処できるようにしなくてはならない。
「これが本物の悪鬼妖魔ってやつか……」
冷や汗が一滴、頬を伝う。さすがに正面から戦うのは無謀だと判断できた。そもそも正々堂々正面からというのは、大樹のスタイルからは反するのだ。
「何をもたもたしておる! こんな奴は一撃じゃ。ほれさっさと行かぬか!」
隙を窺っていると、ミナが痺れを切らしてわめいた。それに気がついたのか男は「ほう」と感心したように言った。
「なるほど、精霊剣か。駆け出しの退魔士にしてはたいそうな装備じゃないか」
「俺は退魔士じゃねえ。ただの学生だ」
大樹の言葉に、男は少し眉を寄せたがすぐに興味を無くしたように無表情になった。
「まあいい。今日は客が来ている。見逃してやるからどこなりと失せろ」
「あ?」
意外な言葉に、大樹は気を緩めてしまった。次の瞬間、耳元で何かが空を切った。背後で何かが刺さる音がして、頬に暖かいものが伝う。
男は自然体で立ったままだ。大樹との距離は五、六メートルあるが、確かに何かの攻撃だった。
血が一滴、足元の古本に落ちた。
「二度は言わんぞ。次の血が落ちたら殺す。その本も安くはないからな」
男は本気だ。得体の知れない飛び道具が相手では、この店内は狭すぎる。一瞬で思考を切り替えた大樹は、わめき散らすミナを無視し、後ろを振り向かず、脱兎の如く逃げ出した。
「ふん。なかなか頭のいい餓鬼だな」
後に残った男は、そう呟くと部屋の奥へと戻っていった。
紫苑が奥の部屋に戻ると、コーデリアは椅子に座って甥の入れた緑茶を飲んでいた。
「終わったの?」
「ああ。今日は定休日だと言ったら帰った」
「あなたセンスは無いわね」
紫苑が無言で、コーデリアの向かいの椅子に座ると、甥が台所からコーヒーを持って現れた。紫苑の前にカップを置くと、コーデリアの方を向いた。
「コーデリア様。お代わりはどうですか?」
「ありがとう。もう結構よ」
コーデリアが笑顔で断ると、甥はそうですかと言って部屋の隅に座った。
この男には誇りも無いのかと、紫苑はかすかに目を伏せた。今度兄に会ったら、本当に少し躾を考えるように言わないといけない。
「さて、やっと落ち着いて話が出来るようね。あなたはどこまで情報を掴んだの?」
コーデリアは湯飲みを置くと、紫苑に尋ねた。
「なにも。表にも裏にも、それらしい情報は流れてはいない。あくまで噂話程度だ」
「ティモとかいう奴から、何か情報は貰ってない?」
全てお見通しという表情で、コーデリアは言った。さすがに隠す気にもなれず、紫苑はパソコンにディスクを入れた。
画面が開き、文章データが映し出される。
「こっちも似たようなものだが、あいつは仲間の誰かの仕業だと睨んでいる。新聞でも、最近妖魔の仕業らしい事件は増えているみたいだな。どの種族かまでは判別できないが――」
「そう……。じゃあ、さし当たっては情報集めしかないわね」
「一応毎日報告することにはなっている。たいした報告は出来ないがな」
興味なさそうに溜め息をつくと、コーデリアは立ち上がった。
「今日は疲れたから寝るわ。明日、知り合いを当たってみる」
それだけ言って、コーデリアは二階へと上がっていった。
それを見送ってから、甥が近づいてきた。
「あの女……本当に信用できるんですかね?」
紫苑は甥をしばらく見つめ、言った。
「少なくとも、お前よりは役に立つんじゃないか?」
「そんなぁ」
情けない声を出す甥に店の片づけを言いつけると、紫苑は外へと出た。
いつのまにか日は沈み、すっかり暗くなっていた。
妖魔の時間――夜が訪れたのだ。
人通りの少ない道を、紫苑は繁華街の方へと歩き出した。