-デイブレイク-
一 毒。
織戸紫苑はあくびをかみ殺し、コンビニで雑誌を立ち読みしていた。夜中故、客の姿はなく店員は棚の商品を並べている。
「いつからだ?」
紫苑が雑誌で口元を隠す。
「分かんないんです。この頃、ずっと付きまとわれてて」
店員が紫苑に背を向けたまま答える。
「心当たりは?」
紫苑がガラス越しに目だけで外を見た。道路を挟んだ先の駐車場に二人の若者が座り込んでいる。店で買った商品を地べたに広げ、しゃべっている。
「先月にこの近くで食べたんですよ。OLだったんですけど、美味そうな肌だったんで……多分、それを見られたかなんかしたんだと思います」
紫苑が雑誌をめくり、目当てのページを探し当てる。そこには二週間前、この町で起きた猟奇的な殺人事件の記事があった。バラバラにされた女性の遺体が、ゴミ袋の中に入れて捨てられていたのが発見された。遺体のパーツが部分的になく、未だに犯人もパーツも見つかっていない。
「近場は危険だと、親に警告されなかったのか?」
「されてましたけど……中学の頃から狙ってたんですよ。すれ違うたびに美味そうって思ってて……」
躾がなっていないな。店員は紫苑の兄の息子だ。年始めにたまに会うくらいで、あまり印象になかったが、どうも豪傑の兄と比べると頼りがない。
「食べないなんてワガママこねるやつよりは、まだマシか。まあ、良い。今回だけ助けてやる」
安堵の息がはっきりと聞こえた。よほど怯えていたのだろう。
「あの、大丈夫ですか? 若いけど二人もいるんですよ」
声が微かに震えていたが、彼は知らぬ素振りを続ける。
「怖がるな。さて、一分で帰ってくる、そっちで処理の支度しておけよ。あと、これ借りるぞ」
紫苑は雑誌を持ったまま、自動ドアをくぐった。生ぬるくて湿っぽい空気が肌に触れ、かすかに汗ばんだ。指先で額を拭い、二人の若者に近付く。
二人は紫苑を確認すると、談笑を止め、目の色を変えた。若いとはいえ、ある程度は場数を踏んだらしい。だが、この距離になるまで気付かないのは、紫苑のコントロールが上手くなったのか、やはり若造だからか。
金色のスポーツ刈りの男が腰あげ、こちらを睨む。こっちがリーダー格らしい。もう一人のメガネの男は遅れて立ち上がり、ポケットに手を突っ込んだ。
「なんか用か?」
メガネの男が威圧するようにきいてきた。ポケットに入れた手を意味ありげに動かせる。
「美味そうだ」
金髪の男の皮膚から湧き出る黄色い湯気のようなものを認め、紫苑はほくそ笑んだ。
紫苑がメガネの男に雑誌を投げつけ、すぐさま金髪の男に詰め寄り首を掴んだ。メガネの男が雑誌を避ける頃には、金髪の男は宙にあげられて喉が握りつぶされていた。
メガネの男は無音の悲鳴を押し殺し、ポケットから取りだした赤い玉を紫苑に投げつけた。小物とはいえ、やはり戦いには慣れているらしい。
紫苑は、金髪の男で赤い玉を防いだ。赤い玉は身体に触れると、気化するように形をなくし、燃え始める。
「最近は面白い技を使うやつが増えたな」
紫苑は口元の端をあげ、メガネの男を燃え盛る身体で殴り倒した。
メガネの男は車に頭を打ち付けて動かなくなる。コンビニの店員がバケツを持ってこちらに来た。紫苑は金髪の身体を地面に置き、店員に消火させた。
「本当に一分でしたね」
憧憬に満ちた表情を浮かばせ、店員がいう。
「凄いですね、二人が一瞬で」
紫苑は賛美を無視し、金髪の男の皮膚を囓った。黄色い生気を発していたので、てっきり好みだと思ったのだがとんだ勘違いだった。
――前食べた男は青い生気だったが美味かったな。
何度も試しているが、やはり生気の色だけで好みの判別は不可能らしい。
「おじさん、もう片づけても大丈夫ですか?」
店員がゴミ袋を広げる。
「そうだな」
言った瞬間、紫苑はメガネの男を睨む。一見、後頭部が割れて血を流し、息絶えているように見える。
「お前は、こいつのどの部分が好みだ?」
「え? そうですね……僕は肉より血ですかね。生き生きとしてて今すぐにでも殺――」
店員の顔が青ざめる。
紫苑がメガネの男に攻撃をしかける。が、そこに身体はなく、店員の後ろに移動していた。
「さすが……長年退魔士を狩っているだけあるねえ」
先ほどと声音が違っている。男性特有の低い声ではなく、女性に近いものになっていた。
「でも、ちょっとツメがあまいんじゃないかい?」
「最近は本性を隠すのが上手いやつが増えたな」
店員は目を見開き、その場を動けないでいた。顔の真ん前にメガネの男の刃物のように尖った指があったからだ。
「で、人間に化けてなにをしていた? まさか、こいつを狩りに来たわけじゃないだろ」
「セム(SEM)であるお前に依頼だよ。これは悪鬼妖魔としてのお前を見込んでのねえ」
「悪鬼妖魔として、ね」
紫苑は言葉を繰り返す。
「引き受けないとはいわせないよ。ただでさえ少ない同胞を失いたくはないだろう」
「仕事の内容にもよる」
怯える店員を見、言葉を付け足す。
「まず、そいつを離してやってくれ。このままだとまともに話もできない」
嘲笑するようにメガネの男の目を細め、店員を解放した。紫苑は死体の処理を任せ、メガネの男に着いていった。
この世にはセムと呼ばれる種族がいた。分類的には、人間とは違う悪鬼妖魔と呼ばれる化け物に属するのだが、外見の特徴は人間がベースである。ただし人間より身体能力が高く、寿命も数十年ほど長い。しかし、セムは短命の物が多く、現代では絶滅寸前にまで陥っている。
理由は名が表す通り、慢性的な『精神エネルギー低栄養状態』だからだ。彼らは定期的に生きた人間を食べる必要がある。動物でも多少の栄養は取れるが、古来より彼らの主食は人間だ。人間を食べないものと食べるものでは、寿命に三倍の差が出る。
セムという名が付いた由来は、セムの始祖だったものが健康状態で皮肉なジョークを云っていたことから悪鬼たちに命名された。
紫苑とメガネの男はマンションの一室に入る。ワンルームの狭い部屋で、ソファと机だけが寂しげに置かれていた。二人が向かい合って腰かける。
「脅すような真似をしてすまないねえ」
メガネの男が首筋を台所に置いてあったタオルで拭う。
「ま、ちょいと人気のない場所で話がしたくてねえ」
「内容は知らないが面倒そうな話だな」
紫苑が軽く息をつく。
「その前にさっきの金髪のやつだが、あれはお前の知り合いか?」
「ああ、そうさ。ちょいとあんたの手際を見てみたくて、妖魔がいるよってあいつに吹き込んだんだよ。数日だけの付き合いだったけど、なかなか強かったし、なにより可愛いやつだったねえ」
「で、用件は?」
「用件は簡単さあ。うわさ話を調査して欲しいんだ」
「俺は何でも屋ではないんだがな……」
「副業だろ? 古本屋の旦那」
メガネの男が甲高く笑う。口元の皮膚が剥がれ、紫の鱗のようなものが姿を現す。
「この世のどこかで強力な毒が生まれたってうわさ知ってるかい?」
「毒?」
「毒といっても正体は不明さ。ただ、それは地球を滅ぼすなんて噂が立っててねえ」
メガネの男が少し顔を近づけ、声のトーンを落とす。
「人間の噂なんか馬鹿げてて信じないけど、これがもしうちらの仲間がやったことなら捨て置けないことだと思わないかい?」
「こんなときだけ、仲間呼ばわりをされるのは癪だな」
紫苑が素っ気なくいった。
「セムは同胞じゃないなんて、お偉いさん達がいってることさ。下っ端にとっちゃ、どうでもいいと思わないかい?」
「で、俺が調査員に選ばれた理由は?」
「一番人間と接触しやすいだろ? それに人間になにか掴まれても、人食いのセムなら処理の仕方が上手だしねえ」
「それはセムを選んだ理由で、俺を理由じゃない」
「偏屈だねえ」
メガネの男がタオルを台所に放り捨て、苛立った声をだす。
「あんたが優秀だってことで納得しときなよ」
なにかを隠していることは明白だったが、紫苑は納得した振りをした。もったいぶるように背を深くソファにもたれさせ、一つ提案をだした。
「引き受けるのは良いとしよう。だが、ここで気になるのは報酬だな」
「報酬はあんたの望みの物。成功させすればなんでも用意するよ、今回の仕事は、小物のわたし個人の依頼じゃないからね」
メガネの男はディスクをテーブルに放った。
「この中に、わたしが調べた情報が全部入ってるよ。あとはよろしく」
「お前が調べたのか?」
「ああそうさ」
「お前がやっていた仕事を俺に引き継げとはどういうことだ?」
「情報は一日ごとに報告して欲しい」
メガネの男は質問を無視した。
「連絡先はそこに入ってるさ。ついでにわたしの経歴も全部ね」
「お前の個人データなんか入れた意味は?」
「わたしの名前はティモ・トールキ。しがない小物悪鬼さ」
メガネの男はそれ以外なにもいわなかった。
最近の古本屋のチェーン店は盛り上がりを見せているらしいが、個人営業の古本屋は相も変わらずさっぱりだ。数日に一回来る数少ない常連客か、ほぼ一回きりの客が来るくらいで、閑古鳥が鳴くとはこのことである。
並んでいる書物は大衆向けとはほど遠く、歴史書や学問の専門書と重苦しいものばかりだ。扱っている商品に問題があるのは承知していたが、紫苑は頑なに新しい種類の本を追加する気はなく、あまりこの店に人間を引き寄せたくなかった。
涼しい鈴の音が鳴り、ドアが開く。うちわで顔を扇ぎながら常連客の男が入ってくる。三十代前半で、カッターシャツを着ていた。営業中なのか、黒いトランクを持っている。
「頼んでた本届いてますか?」
本棚に囲まれた狭い通路を通って、カウンターに来る。通路に積んで置いた本を蹴飛ばし、愛想笑いを浮かべて慌てて直す。
紫苑は足下に置いておいた紙袋を渡した。
「さすが、仕事が速い」
男は金を払い、中身を確かめた。くすんだ灰色に近い白い表紙の本で、題名はどこにもない。印刷が落ちたのではなく、最初から書かれていない。
「さすがに悪鬼妖魔の書物を取り扱ってるのは、少ないですからね。重宝します」
「最近はネットがあるだろ?」
「あれはダメですよ。そりゃ、買えますけど配達するときに奪われる可能性がありますから。この手のは自分で取りに行かないと、ね」
悪鬼妖魔の本とは、主に数千年も前に書かれた歴史的な資料のことを差す。今回男に譲ったのは、今日までの悪鬼妖魔と人間の関わりを纏めた本だ。全部で何冊あるのかは、紫苑も把握していないがとりあえず集められるだけ集めた。
「で、そっちの方はどうだった?」
「正直あんまり分かりませんでした」男は本をしまう。「数時間で調べられることなんてたかが知れてますよ」
彼に連絡を入れたのはティモと別れてすぐだったが、そのときにはすでに外は明るくなっていた。
「どこまで分かった?」
「ティモ・トールキの正体ですよね」男が胸ポケットから手帳を取り出す。「種族は妖魔で蛇型のタイプですね。仲間内からは情報通で通ってて、結構やり手だったそうです。階級的にはランクDで雑魚以下です。まあ、捜索能力は高かったようで重宝されていたようですが」
「あいつの所属するチームは?」
「いや、フリーですね。もちろん同種の蛇型と連むことはあったみたいですが、大抵は一人だったみたいです。人間にも同種にも友人は少なく、家族もいませんね」
「バックについてるのは?」
「バックに……誰がついているかは不明です。えっと、毒の件ですけど、そんな噂ほとんど流れていません。僕の兄が、ランクAじゃないですか、兄に聞いてもそんな情報は知らないっていうんですよ」
男がペンで頭を叩く。
「つまり?」
「まあ、怪しい、ってことです。バックが誰か分からない、いや、バックなんていない可能性がありますね。毒ってなにかの例えなんでしょうが、それも正体不明ですし。……やっかいな仕事受けましたね」
男が帰り、紫苑はノートパソコンでティモの資料を改めて見ることにした。
毒の噂に関しては、人間に聞いた話を纏めたものだった。
毒とは地球の全ての生命を食い尽くすもので、地球を覆い始めているという。毒がどういったことを差しているのかは定かではなく、ガス、液体、人間、悪鬼妖魔、などがあげられ、様々な憶測が流れている。
聖書の人類滅亡に似たもので、この世には毒を浄化する救世主が現れているらしい。救世主を祭った宗教が密かに結成され、信者を増やしているという。だが、肝心の救世主は姿を隠したままで、沈黙を保っているそうだ。
馬鹿げた話だが、そんな噂は本当にあった。インターネットでもいくつかの掲示板でその話題が上がっており、また知り合いの探偵業の人間からも確認をとった。
しかし、ティモの情報以上のネタはない。しょせん噂、と切り捨てるにも情報が少ないのが現状だ。
ティモ・トールキの情報を読み直す。経歴といっても履歴書程度のものだ。ティモは一九五二年に北欧で生まれた。妖魔の大半は海外で生まれている、紫苑は日本生まれ育ったが、始祖はイギリス生まれだ。現在の本家は、日本産のセムと結婚し、日本がセムの拠点としている。
ティモは何でも屋として世界中を回っていたが、現在は日本に腰を落ち着かせていたらしい。理由は、救世主を捜すためだ。日本に救世主がいると睨んでいたらしいが、資料には理由は書かれていない。これをどう捉えればよいものか。
鈴が鳴った。紫苑は顔を上げ、ドアを見ると客が来ていた。パソコンの開いていたウィンドウを閉じた。午後には店終いをした方がよさそうだ。