『DarkMinotauros 〜神様なんか死ねばいいのに〜

 3.病室逝き【世界って穴だらけだよ】


 

 

「イィイィイィイィイィイィイィイィ」

 叫ぶ。

 叫んで相手の心臓を叩き潰そうと、早夜はあやなに拳を振う。

 夜の世界は思考さえも暴力と死が吹き荒れた。なにかを探そうにも、意識は目前の敵を始末する事に集中させられる。

 それでも頑張って探してみた。

 世界の繋ぎ目を。神様と魔王が力を送っている道を。

 なにも見えなかった。

 余所見していたら魔王に憑かれたあやなに殴られた。

 死にかけた。

 

 

「……早夜ちゃん、大丈夫?」

 あやなに肩を揺さぶられ目を覚ました。

 朝陽が眩しい。

 路上で寝ていたから背中が痛いのはいつもの事だけど、今日はそれ以上に首が痛かった。

 あやなに殴られた首筋がずきずきと痛む。

「首が痛い……」

「平気……?」

「へーき」

「うん……」

 あやなの頷きには元気がない。

 早夜を傷つけてしまった事に傷ついているのだ。

「あんま気にしないでね、あやなちゃん……?」

「ん……。わかった……」

 渋ったようだけど、あやなは頷いてくれた。表面的だけかもしれないが、あやなは分別があるのだ、いつも。

「今日も早夜ちゃんのおうちに行ってもいい?」

「うん」

「んー……。私が早夜ちゃんを傷つけたことは気にしないようにする……。で、それは別問題として、怪我は大丈夫……? くび」

 あやなに言われ、そっと首に手を当ててみた。ずきっと痛んだ。

「いたた………!」

「だ、大丈夫っ……?」

「うぅ……」

 触れると痛い。あまりの痛さに、鼻頭がつんとなり、目に涙が滲んだ。

「後で家にいったら、私がみてあげる」

「うん……………あ」

 あやなに手を取られ立ち上がった時、揺らぎを感じた。

 視界が一瞬にして真っ暗になる。

 その間になにかが大きく足元から揺らいだ。身体が傾いた。地震だと思った。

 徐々に光が戻ってくる。

「え……?」

 視界が開け、辺りを見渡してぎょっとした。

 穴だらけになっていた。

「え?」

 黒くぽっかりと空いた穴。

 空中にも地面にも壁にも、目の付く至る所にたくさんの穴が空いていた。最初、黒い丸紙が張り付けられているのかと思った。

 世界は穴だらけだ。なにもかもが壊れそうだった。

 目を擦って、もう一度見た。穴は空いている。

 その穴から液状のなにかが漏れてきている。この世界にあってはいけないなにかが漏れてきている。

 なんだ、これは。

「あやなちゃん……?」

「なに?」

「穴あいてるの、見える……?」

「……あな?」

 見えていない。辺りをきょろきょろしている。

 世界は穴だらけ。ボロボロだ。いつ壊れてもおかしくない。そして、穴からは世界にあってはならないものが流れてくる。

 恐ろしい話だ。

 早夜は穴をじっとみた。

 ぐじゅぐじゅと湿った音を鳴らし、液体は侵入してくる。

 液体は二種類あった。タールのようにどろどろとした漆黒の液体と、アイスクリームが溶けたような白くてどろどろした液体。

 どちらも粘り気の強い液体だ。

「早夜ちゃん、なにを見てるの? なにか見えるの?」

 あやなに声を掛けられても、早夜にはどう答えたらいいのか分からない。ただ、この液体は何処かで見た事があった。

 穴の中を覗いた。暗くてなにも見えない。だけど他の世界に繋がっている、この穴は。

「あやなちゃん……」

「ん?」

「あのね、ここに穴があるの……」

「……あな?」

「そう、穴」

 あやなは怪訝な顔をした。

「私には見えないよ……」

「あいてるの、穴……。あちこちにいっぱい。そこからへんなのがはいってきてるの、この世界に」

 あやなは少し考えていたようだけど、やがてゆっくりと頷いた。

「わかった。私には見えてないだけで、早夜ちゃんには見えるのね?」

「うん」

「信じる」

「ありがと……」

 神様や魔王に憑かれているという前提が始めて役に立った。おかげで不思議を信じてもらえた。

 もしも神様や魔王の前提がなければ、あやなは早夜の話を信じてくれただろうか。信じてくれたと思う。

 そう考えるとやはり神様も魔王も役立ったわけではなかった。いないほうがいい。神様や魔王が今すぐ死ぬのなら死んで欲しい。

 神様が死にますように、と。祈ってみた。

 

 

 穴だらけの世界の中。その世界の中にある早夜の部屋の中。

 あやなに夢のこと、昼や夜など世界の分別の事を話していると、また不意に吐き気を覚えた

「うぅ………」

「早夜ちゃんっ?」

「大丈夫……」

 例えば今見ている光景が夢でないと言い切れるか。

 神様や魔王、世界、穴。そのような訳の解らない力が幅を利かせるこの世界。生まれてから今まで培ってきた常識と一切の整合性がない。

 この現実だと思ってる世界こそ夢ではないか。神様や魔王は元より、あやなと友達になれた事そのものが夢だと考えたら涙が零れた。

 夢の中でこれは夢だと気付く事はある。

 自分の知っている常識と整合性がなければ夢だと割りきれるだろう。

 逆に現実だと断定する事はできない。例え常識と整合性があったとしても、それは整合性のある夢でしかないのだ。

 だけど、整合性がなければ、少なくとも夢だと決め付ける事はできる。

 今の現実に整合性はない。

「いやあっ……!」

 泣き叫んで壁を殴った。

 拳が痛い。

 壁を殴ると拳が痛い。これは整合性のある事象だ。今は一つでも多くの整合性が欲しかった。だけどこの痛みも、神様や魔王、世界、穴に比べるととても小さな痛みだった。

「早夜ちゃん! 落ちついて!」

 あやなに後ろから抱き止められた。

「落ちついて、早夜ちゃん…………」

「うん……」

 整合性がないと決め付けるのは愚考だと思う事にした。

 人類が世界の隅々まで見極めた訳ではない。神様や魔王がいないと見極めた訳ではない。

 もしかしたらいるかもしれない神様や魔王が、何らかの判断基準から早夜とあやなを選んだ。

 穴や世界に関しても、人類が気付いていないだけで、世界とはそういう作りなのかもしれない。

 大丈夫。

 まだぎりぎりの崖で整合性は保たれている。

「へーき………。ごめん、あやなちゃん……………」

「早夜ちゃん。なにもかも自分の中に溜めちゃダメだよ……?」

「ん……」

「怖い事があったら相談してくれたら嬉しい……。てか、相談してくれないと悲しい……。私も意図的に今日死ぬかもしれないとか、そういう話題は避けてきたけど……。暗くなるもんね、そういう話。でも早夜ちゃんが独りで苦しむくらいなら、ちゃんと聞く」

 あやなは優しい。

 いつも早夜を気遣ってくれる。

「……あやなちゃんも怖い事とかある?」

「うん?」

「こわいこと」

「んー………?」

 あやなは少し考えたあと、答えてくれた。

「あるよ」

「どんな?」

「いっぱい」

「たとえば?」

「早夜ちゃんと同じ………かな……。明日死んじゃうかもしれない、殺しちゃうかもしれない。全部が夢かもしれない。魔王ってなに? とかね」

 見せていないだけで、あやなも苦しんでいた。

 不安に潰されそうなのは早夜だけではない。だからこそ、想い通じ共感を得られるのだ。

 

 

 そっと穴に手を伸ばした。

「大丈夫? 早夜ちゃん」

「危なそうだったらやめる」

 液体が漏れてくる穴。

「早夜ちゃんの考えがあってるなら、その穴の向こうには夜と夢があるのよね? 世界が侵食されているのね……?」

「どうなのかな……」

 溶けたアイスクリームのような、白い液体を吐き出し続ける穴に手を伸ばした。勿論怖いから液体には触れないように。

 穴を手が通過しようとした瞬間、手が見えないなにかにぎゅっと締め付けられた。痛くはない。

 穴が歪んだ。

 構わず更に手を推し進めた。

 歪む。穴が歪む。壊れそうだ。

 恐ろしい。

 これ以上手を進めたら穴が裂け、世界が壊れてしまう。

「……」

 世界が壊れるとなにか不都合があるのか?

「あやなちゃん。これ以上手を伸ばしたら、世界が壊れるかもしれない」

「……壊れるとどうなるの?」

「穴が裂けちゃうの。永遠と死が、今以上にこの世界に侵食する。この昼の世界の象徴である不安(未来への可能性)がなくなるの。永遠と死によって。もしかしたら私がまだ見えていないだけで、他の世界のものもドボドボ流れてくるかも……」

「それは…………ちょっと……」

 そもそも何故突然穴などが見えるようになったのか。

 何故世界を感じられるようになったのか。

 今日首を怪我した時から穴が見えるようになった。世界は神様に憑かれた時から感じ始めていた。

 まだ穴は壊れない。

 もう少し手を伸ばせば真実が掴めるかもしれない。

「早夜ちゃんっ……?」

 あやなの制止を振りきって、手を押し進めた。

 びりびりと穴が破れる感触が手を伝った。

 

 

「おめでとう」

「え?」

 白い部屋にいた。

 さっきまであやなと一緒にいたはずなのに、気が付いたら白い部屋のベッドの上で寝ていた。

 声を掛けたのは老人だ。

 早夜の顔を覗いている。

 早夜はベッドの中で上半身だけを起こし、辺りを見渡した。

 ここは病室だ。老人は医者の格好をしている。

「え……?」

「君はずっと眠っていたのだよ」

 眠っていた。

 確か世界を乗り越えるべく、手を伸ばした。

「記憶が混乱しているようだね……?」

「きおく……」

「君はずっと眠っていたのだよ」

「ねむっていた……。あやなちゃんは…………?」

「私の知っている限り、君の交友関係にあやななどという子はいないよ……」

 あやなと友達になれた事も夢。

 早夜は必至に医者に説明した。

 穴、世界、神様や魔王、あやなの事。

 口にしている内に馬鹿馬鹿しくなってきた。非常識な事を言っている。だけど医者は笑ったりはせずに、真剣に早夜の話を聞いてくれた。

 神様や魔王等、不条理な力が幅を利かせている世界よりも、今いるこの世界の方が現実味があった。

 いや、その世界において、今いる世界が現実だと実証する事は誰にもできやしない。

「もう少し眠っていたまえ。君はまだ起きたばかりで混乱しているのだ」

 眠る事にした。

 医者の言う通り極力なにも考えないようにして、精神を落ち付け瞼を閉じた。

 

 

 目が覚めたのはまた病室だった。

 てっきり、昼の世界で目が覚めるとばかり思っていた。やはり、あれらは夢だったのか。

 今医者はいない。出掛けているのだろうか。

「早夜」

「え……?」

 いつからいたのか、部屋の片隅に線の細い女性が立っていた。

 綺麗な女性だった。

 だけど悲しそうな表情をしている。泣いているのかもしれない。

「誰……?」

「それは言えない」

「……」

「早夜」

「はい?」

「あの医者に騙されないで」

「え?」

「あの医者は昼の世界も夜の世界も、夢の世界も、他の世界も全てを自分の手に落とそうとしている。貴女を使って」

 心臓を捕まれた気がした。

 あの世界での出来事が夢ではない。

 病室の扉の外から足音が聞こえてくる。

「医者が帰ってくるわ……! いい、早夜? あやなと力を合わせて。貴女は世界を混ぜる力を持っている。医者はその力を恐れている。自分の領域にまで侵食しかねない貴女の力を恐れている。間違えないで。世界は決して一つだけとは限らない。一つの真実と、その他の虚像できているんじゃない。それらの多くが真実なのよ………」

 ドアノブが回転する。

 ガチャリと扉が開こうとする。

「目を閉じて、早夜。寝たふりをして。今はこの世界から離れなさい」

 女性に言われたように目を閉じた。

 すっと意識が遠のいた。

 

 

 頭がずきずきと痛む。

 うっすらと目を開けると、あやなが心配そうな顔で覗き込んでいた。

 ここは早夜の部屋だ。早夜はベッドで寝かされていた。またこの穴だらけの世界に戻ってきたのだ。

「あやなちゃん。ごめん、あたし心配かけてばっかだよね……」

「ううん……」

「あたし、頭おかしいのかな。へんな夢なのか、現実なのかわかんないけど、またへんな世界にいっちゃってたの」

 解らなくなってきた。

 医者を倒す。あやなと力を合わせて医者を倒す。

「ね、あやなちゃん……?」

「うん……?」

「よくわかんないんだけどね………。もしかしたらあやなちゃんに力をかして欲しいことあるかもなんだけど。その時はお願いしていい……?」

「うん、いいよ」

 医者を倒す。

 あの医者が神様。女性が魔王。そんな気がした。

 なにも解らない。解らない事の方が多い。

 解らない事ばかり考えていると、頭が痛くなってくる。

「あやなちゃん、ちょっと寝ていい………?」

「ん……? いいよ?」

「でも寝るのが怖いの。ここにいて欲しいの……」

「……大丈夫。ちゃんといてあげるから」

「うん……」

 ぎゅっと手を握ってもらいながら眠った。

 手を離されると、また何処か違う世界に、あやなのいない世界に飛ばされそうで怖かった。

 手を握ってもらえると少しだけど安心できた。

 

 

 願望の世界。

 あやなと幸せに生きる世界。

 昼は少しの不安があるし、夜は寂しい。たまには怖い夢もみる。

 だけどあやながいる。

 そんなに大きなことを望んでいるわけではない。

 ほんの少しの幸せが続く世界がいい。

 そんな世界に住みたい。

 

 

 眠ろう。

 いつもの永遠の夢ではなく、今日は別の夢を見れるかもしれない。

 願望の世界に生きる夢を見たい。

 あやなに手を握られていると、そんな夢を見れる気がした。

 

 

4章逝き


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