『DarkMinotauros 〜神様なんか死ねばいいのに〜

 2.ロアと宇宙、世界の壁と侵食【歪曲してきた】


 

 

「早夜ちゃん、大丈夫? 早夜ちゃん?」

「うん、平気……。怪我した思ってたとこ治ってる」

 朝になって二人一緒に倒れていて、先に起きた方が恐る恐る相手を揺さぶる。目覚めの声を聞いた時、今日も二人無事だったと安堵するのだ。

 でも明日もそうとは限らない。

 明日はどちらかが死んでいるかもしれない。奇妙な揺らぎの上に成り立っている、一時だけのぎりぎりの友情の煌きなのだ、これは。

「あやなちゃん、うち来る?」

「いく」

 朝路上で目が覚めた後、あやなを家に招く事が多くなった。

 昼間の間にあやなを殺したら、自分は死なずに済むとは思わない。あやなを殺したくない。だけど、あやなを救うために自分から死ぬこともできない。

「今日、早夜ちゃん誕生日だっけ?」

「うん」

「じゃあ、あとでなんか買ってあげる」

「ありがと」

 今日は本当は誕生日の祝いをされたくて、あやなを招いたのだ。あやなが応えてくれて嬉しい。

 いつかどちらかが死ぬ。

 だけど、あやなと友達にならなかったらよかったとは思わない。この楽しかった思い出をなかった事にはできない。

 時間が戻る事を想像すると気持ち悪くなる。今まで起きた結果がなくなるのだ。よく見る嫌な夢を連想する。

「早夜ちゃん? どうしたの?」

「ちょっと……」

「うん……?」

「あ、ちょっと夢思い出したの……。前いったあの夢」

 あやなには余り隠し事はしていない。聞かれたことは心の中の事でも多くは話した。

 あやなとの仲の親密さの要は、いわゆる『秘密の共有』なのだ。

 誰にも言えない神様と魔王。二人だけの秘密。

 秘密の共有はその秘密が強ければ強い程、信頼が硬くなる。特に生死に関わるものなら尚更だ。「実はお父さんは病気で死んだことになってるけど、本当は私が殺した」など。相手がその秘密を受け入れてくれた時、それは信頼の強さの証にもなる。自分の急所とも言える秘密を相手に晒すのだ。

 神様と魔王の秘密は急所ではないが、それでも大きな連帯感は生まれた。

「早夜ちゃんはその夢嫌いなのね」

「怖いよ……」

「死ぬより怖い?」

「死んだことないからわからないけど………その夢の中のあたしは死にたいって思うようになるの、最後には」

 あやなは「ふーん……」と頷き話はそこで打ち切られた。

 いつもの日常。

 死の足音がいつも近くに聴こえてくる日常。

 人生は醤油味、という言葉を思い出したら煎餅を食べたくなった。

 

 

「早夜ちゃん、これどう?」

 あやなは早夜のために服やアクセサリを見繕ってくれた。けれど早夜にはどれがいいのかよく分からない。

 あやなのように流行に敏感ではないのだ。

「ん、と……。服は別にいいよぅ。こういうの高いもん。そんなのおごってもらうのも、なんか悪いし」

「だめだめ、お金の問題じゃないの。早夜ちゃん、女の子なんだからちゃんとオシャレにも気をつかわなきゃ。ほら、こんなのとか?」

「ん……」

 まるであやなの着せ替え玩具のように、片っ端から試着させられた。買い物がこんなに疲れるとは思わなかった。

 でもあやなと一緒のショッピングは楽しい。

「ほら、早夜ちゃん?」

「わ……?」

 鏡の前に立たされてドキりとした。

 可愛い。最初自分だとは思わなかった。鏡の中に写った早夜は見違えていた。

「かわいい……」

「あはっ。自画自賛?」

「そ、そうじゃなくて………」

「あはは、冗談冗談。早夜ちゃんはかわいいよ。でもね、どんなモノだって磨かなきゃダメ。磨かないと可愛く見えない。逆に言えばね、どんなコでもちゃんと磨けばそれなりに可愛くみえるものなの。磨くことを忘れたらダメ。あと豆腐をタワシで磨くみたいな不釣合いな磨きもダメね。あ、別に早夜ちゃんが可愛くないって言ってるんじゃないからね? 早夜ちゃんは大丈夫、かわいいから。プリ撮ろ、プリ」

「う、うん」

 生まれ変わった早夜。可愛い自分は今までの自分とは違う、世界が開けた気がした。だけど、その新しい自分の寿命はそう長くはない。

 今を精一杯愉しむ。それしかできない。生きている間は精一杯の生を謳歌する。それが生き物だ。

 楽しさと寂しさがない交ぜになって、目頭が熱くなり頬を涙が伝った。自分達が可哀想だと思ったら涙が出たのだ。

「早夜ちゃん?」

「ご、ごめん……」

「悲しいんだ?」

 あやなとの遊びには一つの暗黙の決まりがあった。

 一緒に遊んでいる間は悲観しない事。最悪の結末の可能性を口にしない事。だけど泣いてしまった。

「ごめんなさい……」

「しゃーないなぁ。早夜ちゃんは………。まあ、今日は誕生日だし許してあげる」

「う、うん……」

「でも、今日だけだよ?」

「うん……」

 今日だけ。

 あやなはいつも明日があるように言う。常に死と隣り合わせなのに前を見ている。それは素晴らしい事だと思う。だからあやなが眩しく見えるのだ。

「早夜ちゃん、大丈夫?」

「平気……」

「ちょっとお話しよっか?」

「おはなし……」

「そ、お話」

 そのままコンビニに連れて行かれた。ジュースをおごってもらい、店の脇に座り込む。パックのオレンジジュースにストローを挿して吸った。酸っぱい。

「私だってねー………」

「ん……?」

 ジュースを吸っていると、あやなはぽつりぽつりと口を開いた。

「当たり前だけど死にたくないし、早夜ちゃんを殺したくない。結構ヤなこと想像しちゃって、独りでいるときなんか泣いてトイレで吐いたりしてる。んー……」

「うん………」

「んー、まあ……」

「うん……」

「今までお互いあえて避けてきた話題だから、なにから話したらいいかわかんないかも……」

「うん……」

「やっぱお話っていっても難しいよね。話して解決することは少ないもんね」

 夏の青い空の下、太陽に照られながらコンビニの脇に座ってあやなと色々喋った。

 好きな音楽や漫画など。

 だけど今日はいつもとは違う。触れてはいけなかった生死の話題も解禁されていた。だから本当になににも縛られず自由な会話を愉しめた。

 結局話の内容は他愛もないものが多かったけれど、いつもより親密な会話ができた。

 

 

 ちりちりと肌を照りつける太陽。たまに吹く微風。行き交う人々。視界一杯に並んでいる建物。

 それらは早夜とあやなとは別の世界のものに見えた。

 早夜とあやなの隣には常に死がある。死に取り付かれている。周りの生の世界とは違う。

 違う。

 それも違う。

 死なない生き物なんていない。早夜やあやなは常に死と隣り合わせだけど、例えば目の前を歩いている人だって三秒後に車に跳ねられて死ぬかもしれない。暴走した誰かにナイフで刺されて死ぬかもしれない。突然病気に掛かって死んでしまわないとも限らない。

 誰だって死に取り付かれている。

 早夜達を周りから切り離しているもの。神様と魔王の戦いは超高次元の戦い。

 昼間とはいえ三次元生命から超高次元生命に進化をしかけている二人が、回り(周りorまわりorマワリ)の世界から遠ざかって見えるのは至極当然の話である。

 早夜は頭を振った。

 今おかしな考えが頭を過ぎった。病んでいるもの、それは思考だ。常に死の恐怖に脅かされている。

 昼間から思考が乱れている。夜になったら思考を神様の色に染められるのはいつもの事だ。今は昼間なのに乱れかけた。

 夜の力が昼間に浸食しかけている。

 背筋がぞっとして冷や汗が噴き出した。

 

 

 あやなとは毎夜殺し合いを続けている。ほんの些細なことでどちらかが死ぬ可能性だってある。

 このまま永久に決着が着かなかったらいい。たまにそう思う。

「う……」

「早夜ちゃん?」

 永久。

 永久という単語に吐き気を覚えた。結果の出ない原因(行動)が死よりも怖い夢。

 さっきは夜の力が昼間に浸食していたけれど、今は死の恐怖も恐れもない。永遠が怖かった。

 ここは夢ではなく現実なのに、夢のように永遠を死よりも恐れた。夜の世界が昼の世界に侵入したように、今度は夢の世界が夜と昼に分断された世界に侵入してくる。

 吐き気が止まらない。吐いた。

「早夜ちゃんっ?」

「うぅ……」

「大丈夫っ?」

 嘔吐する事によって、胃から侵入してきた夜と夢を出そうとした。

 夜と夢という異物を追い出したかった。

 だけど出るのはオレンジジュースだけだ。胃液と混ざって酸味と苦味が口内に満ちた。

「大丈夫……。落ち着いた……」

「本当……?」

「心配かけてごめんなさい……」

「それはいいんだけど……。早夜ちゃん?」

「ん……?」

「どんな時でも自分に押し潰されたらダメ、ね?」

「うん」

「例え私を殺すことになったとしても、早夜ちゃんは生きなきゃダメだよ?」

「それは………わかんない………」

 あやながいない世界なんて信じられない。

 不安定な昼の世界でも、死と隣接した夜の世界でも、永遠の夢の世界でも、あやながいるならそれでいい。

 あやながいなくなる事を考えたら涙が止まらない。

「また泣くし……」

「ごめん……」

 

 

 誕生日の夜も殺し合いをした。

 神様と魔王の代理戦争は暴力的で、早夜もあやなも傷つく。

 だけど僅かな傷なら癒される。互いに牽制を放ち合い、必殺の一撃を拳に乗せて相手の急所を狙う。

 夜の世界は常に死と隣接している。一秒後にはどちらかが死んでいるかもしれない。そんな危険が連続し続ける。

 

 

 死んでしまおうかな。

 死んでしまおうかな……。朝になって、まだどちらも無事だったら自殺しようかな。たまにそう思う。

 死にたくはないけれど、それであやなの命が救われるなら、と。

 夜が終わり昼の世界に入る前、早夜はよく夢を見る。

 ベッドの上に永遠に拘束される夢。なにをしても三十秒経てば元に戻される世界。

 舌を噛み千切って自殺した。

 生き返っても何度も自殺した。

 首を吊って死に、ベッドの横に置いてあったハサミで喉を刺して死に、親指で自分の目玉を刺して脳を抉って死んだ。

 死んでも平気なのだ。どうせ生き返るのだ。死にまくった。死を体験しようとした。死とはなにか。死ぬとどうなるのか。

 これは新しい試みだ。

 人は死を体験できない。生きている人間は誰も死を体験した事がない。

 夜の世界の死が、夢の世界に浸食し始めていた。この二つの世界が混ざり始めたからこそ、早夜は死を体験できた。

 何度も死んだ。

 

 

 朝、路上で目が覚めた。あやなも隣に倒れている。呼吸をしている事を確認してほっと胸を撫で下ろした。

 全身に鳥肌が立っていた。

 夢の中で何度も死んだ。早夜は今は生きているけど死に取り付かれている。

 生きている今、死がどんなものだったか明確に頭の中で再現する事はできない。頭では理解できない。だけど体験した。

 死は不快の極みだった。思い出しただけで強烈な嘔吐感でいっぱいになる。

 吐きまくった。

 胃の中が空っぽになっても吐き出そうとした。

「早夜ちゃんっ!」

 目を覚ましたあやなが背中を摩ってくれた。苦しい。死ぬとこんなに苦しいのだろうか。

「どうしたのっ? 大丈夫っ?」

「うぅ……」

 思い出しただけで嫌悪が胸に広がり、悪寒が胃液を逆流させた。

 なにも考えないよう努めた。

 死を体験したのは夢の世界の話だ。現実で死んだわけではない。

「大丈夫……。落ち着いた……」

「昨日もそう言ってたでしょ! 全然大丈夫じゃないじゃん! どうしたのっ?」

 解らない。

 夜中にはっと目が覚め、夢でみた恐怖に震えた事はある。

 目が覚めた直後は夢がまだリアルな状態だからだ。だけど時間が経つに連れ、夢特有の不条理な部分を頭の中で理解し、見つけ出し、それを夢だと決める。

 夢だと決まった瞬間に恐怖からは解放される。ああ、あれは夢だったんだなと。

 では、いつまでも夢が覚めない人間はどうなるのだろう。

 恐怖が持続するのだ。見た夢を夢だと割り切れないのだ。

 泣きながら嘔吐していると、あやなが後ろからぎゅっと抱き締めてくれた。あやなは死からは守ってくれないけれど、恐怖からは守ってくれる。

 

 

 朝陽が昇った。

 昼になり、太陽がアスファルトと早夜とあやなをチリチリと照らしても、早夜は立ち上がる気にはならなかった。

 あやなも早夜が起き上がるまで、優しく抱き締めてくれている。

 あやなに優しく包まれながら平穏を探した。

 死と隣接した夜の世界。

 永遠に苦しむ夢の世界。

 あやながいなくなった先の世界(未来)。

 残った昼の世界は不安定だ。いつも足元がぐらついている。簡単に夜の世界や夢の世界に浸食されるし、いつあやなのいない世界に化けるか解らない。

 神様の世界や魔王の世界というものもあるのだろうか。

 これらの世界にもしかしたら早夜とあやな、二人とも生き残る方法が隠されているかもしれない。そんな淡い期待もあった。

 神様の世界と魔王の世界。

 あるとしたら何処にあるのだろう。何処から早夜とあやなは力を送られているのだろう。

 夜の世界が一番近い気がした。

 夜の世界に踏み入れた瞬間、神様と魔王の力が濃くなり、死と隣接するのだ。

 神様や魔王の世界があると決め付けているわけではない。だけど何処かから力と意思が送られているのは間違いないのだ。

 それを解き明かす。

 たくさんの吐き気の中で一つの目標が見えた気がした。

 

 

 

3章逝き


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