『DarkMinotauros 〜神様なんか死ねばいいのに〜

 1.夢見る少女、早夜【神様の声が聞こえた】


 

 

 早夜(さや)は相も変わらず家に居た。

 今日も学校を休んだ。

 昼過ぎに起きて、冷蔵庫の中にあった物を適当に食べ、漫画を読んでベッドの上でごろごろと転がった。

 眠くなったので昼寝をした。昼寝をするから夜眠れない。

 だから朝寝坊して遅刻(or欠席)する悪循環。親は滅多に帰ってこないから「へーきへっちゃら」と言ってみた。

 言ってみただけだ。平気な訳ないのは解っている。

 気が付いたら窓の外は赤く彩られていて、今日も一日なにもせずに終えてしまったことを知った。

 煎餅をかじりながら、人生の殺伐さを噛み締めてみた。

 醤油の味がした。

「はぁ……」

 溜め息を吐いてしまった。寂しい。

 

 

 陽も沈んだので、夕食と入浴を済ませた。

 またベッドで漫画を読んでごろごろしていると、いつものように気が沈んできた。

 今日も誰とも会っていない。太陽の光も浴びていない。

 この衝動は部屋に篭っている限りは治まらない。

 外の空気を吸いたくもなったし、散歩がてらにスーパーに出掛ける事にした。

「ん……」

 家から一歩外に出ると、夜だというのにむっとした熱気が早夜を包んだ。今日も暑い。明日も明後日も暑いらしい。

 けれど同じ『暑い』毎日でも、それは少しずつの変化がある。いつか暑くなくなる日も来る。皆その変化の中で成長していく。

 だけど早夜は変わらない。ずっと同じ。毎日同じ。

 こんな自堕落な生活をしている間は変わらないと自分で思った。所詮人生は醤油の味なのだ。

 煎餅みたいなものだ。

 噛むとパリっと割れる。

 

 

 スーパーに行く途中、なにもない道端に少女がぽつんと立っていた。

 早夜と同じくらいの歳だけど、早夜よりもオシャレで可愛いなと思った。思いつめた表情でナイフを持っている。

 ……。

 知らない顔をして横を通り過ぎる気にはなれなかった。少女は早夜をじっと見ていたのだ。

 怖い。とても怖い。

 少女が近寄ってくる。即座に逃げた。

 しゃっくりにも似たような感覚、心臓が口から飛び出すような驚きと、瞬時に指先まで血が凍りつくような恐怖を覚えた。全身の体温が瞬時に下がったのだ。

 少女が追いかけてくる。

 逃げながら悲鳴をあげたけど辺りには誰もいない。

 ずっと家に篭もっている早夜と、元気そうな少女では体力に差がありすぎた。あっという間に追いつかれた。

 背中にナイフを振り下ろされる。

 早夜は必至に身を捩って避けた。

「きゃあっ……?」

 少女の甲高い悲鳴が耳元で響いた。避けた時に少女と身体が絡まったのだ。

 まともに転んだ。受身も取れず、全身を打撲しながら転がった。

 痛すぎて視界が真っ暗になった。だけど逃げないといけない。殺される。

 すぐに起きて逃げようとしたけど、少女の方が動きが早かった。もつれた拍子にナイフを落としたのか、馬乗りにされ首を絞められた。

「…ぅ………!」

 喉元の動脈をぎゅっと押される。

 喉の奥の舌の付け根を抑えられるような奇妙な感触と、眩暈が早夜を襲った。声も出ない。

「ごめん………ごめんねっ…………!」

 訳が分からない。

 早夜はがむしゃらに腕を振るった。だけどまるで歯が立たない。

「ごめんね……!」

 更に強く喉元を押された。

 視界が黒くなって意識が混濁していく。殺される。

 そんなに苦しくはない。

 よく死ぬのが怖くないなら自殺してもいいなんて思っていた。怖くはない。

 少女の指は冷たくて、首を押さえられるのはむしろ僅かな快感さえあった。意識が天に昇るようだ。

 ぎゅっと絞められる。抱き締められる感覚にも似ていた。

 涙が零れそうになった。

 今まで誰かに抱かれた事なんてなかったのに、最後の最期で少女にぐっと絞められる。まるでこの見知らぬ少女を愛してしまったかのような、そんな奇妙な想いがあった。

 動脈圧迫。

 

 

「うぅ……」

 まだ死んでいない。

 早夜は自分をしぶとい生き物だと思った。こんなに動脈を絞められているのに。もう何分経ったのだろう。

 首を絞められていたせいか、気付かないうちに少女の両腕を掴んでいた。

 ぼんやりとする頭で少女の両腕を押し返そうとした。

 死んでもいいと思ったけれど、一度死に損なうと今度は生きようと思った。さっきみたいに穏やかに死んでもいいとは思わなくなった。

 身体が火照っている。

 然したる抵抗もなく少女の腕を押し返せた。

 その瞬間、首元で止められていた血液が巡り出し、頭が熱く熱く、電流を流しすぎた回線のようにショートし、目の前が真っ白になった。

 そして戻る。

「うぁ……」

 思わず呻いてしまった。止められていた血液が一気に流れ出したのと同じく、全身が震え、力の漲りを感じたのだ。

 軽く地面を蹴ってみた。ボコンっと破裂音を鳴らし土とコンクリートが抉れた。

 実に力強い。体内にエネルギーが駆け巡っている。

 早夜は吠えた。大気がびりびりと震える。

 凄い力だ。自分の体内にあるから分かる。これは神様がくれた力だ。早夜は神様の使いとなったのだ。

 少女と向かい合う。

「来たのね? 神様が」

 少女は魔王だ。疑問に思った瞬間神様に答えを教えられた。だげど人間である以上疑問など山のようにある。疑問を神様が答えてくれると知った瞬間、反射的に複数の疑問を思い浮かべた。全ての答えを与えられた。

 ――発狂しそうになり頭を地面に叩き付けた。

「私は魔界の王様の力を受け取った。神様に選ばれたあなたを殺さなきゃいけないの。わかるよね? 神様と魔王の尖兵として殺し合う代理戦争。嫌だけど代理戦争」

 この少女は敵だ。早夜を殺そうとしている。殺さなければ殺される。死にたくなければ相手を始末するべし………と神様が教えてくれた。

「じゃあ今度は本気でいくよ? さっきは苦しまずに殺そうと思ってた。あなたが可哀想だから。でももう手加減はできない。私だって死にたくないからね。それにね、あなただって私を殺す気でしょう?」

 別に殺したくなんてない。そう思ったら殺したほうが善いと神様に矯正された。

 武器はない。殴りかかった。

「イィィィィィィィ」

 叫んで殴り掛かった。

 

 

 怖い夢を見たのだ。

 その夢は死ぬよりも怖かった。

 疲れていたからベッドに転がって寝たのだ。身体が水を吸った服を着ているかのように重かった。

 ――。

 寝る前には電灯を消した気がした。だけど、ふと目が覚めると明かりがついていたのだ。

 起き上がって消す。そしてまた眠る。

 だけど、次に目が覚めた時また明かりはついていた。

 おかしいと思った。

 疑問に思い、立ち上がって電灯を調べようとした。調べてる途中、意識が混濁し再びベッドに寝転がっていた。電灯はついている。目が覚めた時の状態と同じだ。

 気付いた。

 時間が進んでいないのだ。ずっと短い時間をループしている。延々と同じ三十秒程が繰り返されているのだ。

 怖い。永久に同じ時間が繰り返されるのではないかと思った。地獄だ。

 走って逃げた。

 誰かに助けを求めた。

 けれど三十秒では間に合わず、またベッドに戻される。いやぁと泣き叫んでみたけど無駄だった。

 なにかしても、しなくてもベッドに貼り付けられた。離れようとしてもベッドに戻される。

 永久的に同じ時点に戻され続けた。

 三十秒では短くてなにもできない。その閉じ込められた時間の中でなにかを成そうとしても、例え成し得たとしても、すぐにそれらはなかったことにされる。

 時間が戻った瞬間、その三十秒はなかったことにされるのだ。自殺しても生き返ってベッドに戻っていた。

 結果が生まれないのだ。原因(行動)が結果を生むのなら、結果が絶対的に生まれないと解った時点で一切の行動を取る気力は失せた。

 唯一時間が戻っても連続していたのは思考だった。助けて助けて、と。

 泣いていた。

 時間の牢獄から出してと泣いていた。

 

 

 早夜は泣いていた。

 朝陽を顔に浴び早夜は目を覚ました。路上だった。路上で泣きながら眠っていた。

 起き上がって辺りを見ると、昨日襲ってきた少女が倒れていた。眠っている。

 どこからが夢だったのだろう。

 恐る恐る地面を蹴ってみた。なにも起こらない。身体の中に力が溢れているわけでもない。だけど辺りの路上や壁は倒壊していた。

 どうしたらいいか分からなかった。眠っている少女を放っていくのも、それはそれで怖かった。また襲われたら堪らない。ちゃんと話し合わなければならない。

「……ねえ? 起きて。起きて……」

 うつ伏せで眠っている少女の肩を揺すってみた。少女はうぅっと呻いて顔をあげた。オシャレだった服や髪も今はよれよれで、表情も疲れ果てていた。

「やっちゃった……」

「え……?」

「神様の手下と魔王。覚えてるでしょ? 夢じゃないよ」

 そういう期待も少しはあった。昨日のあれが夢ではなかった、と。

 少女の言葉を聞いて少しの興奮を覚えたのは事実だった。

 今までこの醤油味のような下らない人生を、どうやって最期まで我慢したらいいのか考えていた。我慢する方法を模索していた。

 神様の力だ。誰にも手に入らない力だ。早夜は選ばれた人間なのかもしれない。例えそれが禍々しい力や運命でも早夜はそこに身を投げる。ストレスを溜め続ける現実よりもずっといい。

 選ばれた人間。

 それはとても甘露な響きだ。

「夢じゃない……?」

 早夜は少女の言葉をそのまま繰り返した。だけど足で地面を蹴ってもコンクリートは壊れたりはしない。

「今は朝だから力は出ないよ。夜になったら出るの」

「そうなんだ……」

「私が力を使えるようになったのは三日前。その時から夜になるたびに、名前も知らなかったあなたを殺したい衝動が強くなって……。それで、昨日ついにあんなんなった………」

 確かに早夜は殺されかけた。

 だけど、何故かこの少女を憎いとは思わなかった。新しい世界に踏み出せる、変な言い方をすると仲間意識のようなものがあった。

「えっと………なんて名前………なのかな? なまえ」

 早夜は勇気を振り絞って名前を聞いてみた。

 他人に聞かれたら詰まらない事だと思われそうだけど、早夜は人になにかを訊ねる事に慣れていない。緊張するのだ。

「私?」

 名前を聞かれたのが意外だという表情で聞き返してきた。早夜はうん、と促した。

「宮本あやな。あやなでいいかな……」

「……あ、えっと、あたしは早夜。苗字は………篠木。しのぎさやっていうの」

「うん、知ってる。昨日下調べしてたから」

 殺そうとしていたのだ。それは当然なのかもしれない。

 あやなは「はぁ……」と溜め息を吐いた。

 名前を聞いたのだ。もう一度勇気を振り絞ってみた。

「あ、あのね……?」

「うん………?」

「あ、あたしの家に来ない? なんかお話したい……。だって。このまま帰っても夜になったらまた殺し合いなんだよね? そうなる前になんかお話したいの。なんかいい答えあるかもだし」

「そうだね……」

 自分の家に人を招くのなんて小学校の時以来だ。また緊張した。

 醤油みたいな味だった人生に少しだけ華を添えてみたい。早夜だってたまにはそう思う。

 普段から親が家にいなくてよかった。

 

 

 結局解決策はなにも出なかった。

 夜にはまた闘志を剥き出しにして殴り合いをした。

 なにも考えていない。相手を殺そうと思うだけ。

 とても原子的であり、且つ理路整然と対極の明分化した神様と魔王の代理戦争だ。

 

 

 神様がその昔宇宙を作った。

 だけど神様も神様になる前はただの人間だった。人間が神様になるには悪い心を捨てなければならなかったそうだ。その捨てた心が魔王になったのだ。

 と、なにかの漫画で読んだ事があったのを思い出した。

 

 

2章逝き


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