『Archer Ether』 あーちゃーえーてる。弓矢と死者、咆哮と発狂、愚者の祭典。
六 誇り
「月架ちゃん、起きて? 朝だよ」
「……」
目覚めた場所はベッドの中だった。
いい匂いがする。ここはスフレのベッドの中だ。
「大丈夫? うなされてたよ?」
神殿は燃えていなかった。
起き上がり窓の外を覗いたけど、世界は平和そのものだった。
「……」
自分の胸を触ってみる。
鼓動している。生きている。
夢だったか。
「月架ちゃん、大丈夫…?」
「うん。あたし、なんでここで寝てたんだっけ」
「さあ? 昨日外から帰ってきたら、ベッドで月架ちゃん寝てた」
「そうなんだ…」
朝日が眩しい。スフレの首から胸に掛けられている護符が、陽の明かりを受けて、反射し、輝いて見えるのだ。
だけど、どうも輝きが偽者くさい。
「ところで、あたし死んでた?」
「へ? なにが?」
「殺されて変な死霊遣いに操られてなかった?」
「夢でしょ」
「そうだね」
そっと自分の懐を伺った。
焼ける神殿からそっと持ち出した護符がある。「懐」というのは服の中ではない。天使に身体に穴を開けられた時、そのまま身体の中に埋めて隠したのだ。
「偽者」
「……」
「Aね、あなたが」
「正解。私はスフレじゃない。ここは現実世界じゃないけど。あなたの脳みその中から語りかけている」
「何処までも私の中に入ってくるのね」
「私の本体を攻撃しないと、あなたは死んでも死ねないよ」
よく考えよう。
まず、自分は本当に月架であるか。
どうか。
もしかしたら、何処かのベッドで眠っている誰かの夢かもしれない。何れにせよ、Aが見えないところから月架を支配しようとしているのなら、このままではなにもできない。
完全に後手に回るしかない。
相手のミスに付け込むしかAに勝てる方法はない。
今までにAはなにかミスをしていないか。月架の脳みそに情報を送ってきたAは、どこかでミスをしなかったか。
よく考え、今まであったことを思い出した。
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA
光が走った。
夜の闇を切り裂く一線であり、一閃の光の矢。光は炎だ。閃光する矢先が八人のガードマンや門に突き刺さり、火はすぐに燃え移った。
「――――」
ガードマン達は混乱の悲鳴をあげた。悲鳴を上げらながらも、彼らもアーチャーだ。すぐに弓を取り、矢が飛んできた方向に構える。
だけど見えない。なにも見えない。遥かな遠方から射撃が続く。闇の中から光だけが走ってくる。一人、一人と撃たれていく。
全滅だ。門から神殿内部に火が燃え広がり始めている。最後に残った男はせめて敵の顔を拝もうと思った。長距離で姿が見えないのなら、せめて己を貫く矢だけでも見たかった。
これだけの攻撃をする者に興味があったのだ、同じアーチャーとして。
――矢が来る
だけど、矢は男の頭上を通り過ぎ、神殿二階部分の壁に突き刺さった。壁が燃え上がる。
「こんばんは。お邪魔します」
目の前に姿を現したのは先日遠征し、帰らなかった少女だった。死んだと思っていた。男はひれ伏した。
月架。最強のアーチャーの名だ。同じアーチャーとしてはどんな神や悪魔よりも敬意を払うべき相手であり、そしていつかその高みに近づきたいライバルであり目標でもある。
生きていたよかった。この少女は村の誇りだ。腐敗した聖職者達が利権を求めて支配しようとする村の希望だ。男もアーチャーという傭兵職故、神殿の警護に力を貸してきたが、こんな日が来ることを願っていた。
「オーブの場所を知らない?」
全て教えた。神殿の構造、護衛の位置、この村を腐敗させる聖職者の名前。そして照明用の閃光矢を天に撃ち上げた。月架の帰還を知らせる合図だ。これで神殿内のアーチャーが月架を攻撃することはない。
ふと撃たれた男達を見た。みな、利き腕や武器を撃ち抜かれただけで、誰一人として致命傷は負っていない。
彼女の健闘を祈った。
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA
月架は首を傾げた。
この部分だけは月架の記憶ではない。
月架は飛び起きた。
「おはよ、月架ちゃん」
「おはよ」
森の中だった。
スフレはずっと傘を差して、月架を抱き締めてくれていた。
「落ち着いた?」
「うん」
月架は起き上がり、歩いてきた道を振り返った。
「決着つけてくる。神殿に戻る」
「私もいくよー?」
「ありがと……。あ、スフレちゃん、これ返す…」
おなかに手を当てた。
指の爪を皮膚に食い込ませ、ぐっと押し込む。
ぶち、ぶち…と肉が破れ、指先がおなかの中へと減り込んでいく。
「痛…」
指先から手の甲が入り、手首まで入る。
おなかの中に埋め込んである護符を掴み、引っこ抜いた。
「返す…これ大事だと思ったから、拾ってみつけておいたの」
「あ、ありがと…」
スフレが月架のおなかに手を当ててくれると、傷は塞がっていく。
作り物の皮膚、作り物の肉、作り物の心臓、作り物の命、作り物の脳みそ。
スフレを見た。真人間のスフレ。
自分を見た。人工生命の月架。
そんなに大差はない。細胞があつまり、器官として機能するだけ。造られ方は問題じゃない。スフレも細胞が分子が原子が結合されて造られているのだ。そう変わりはない。
変わりない。
神殿の門に着いた。
男が寝転がっていた。いつかのガードマンの男だ。
「やあ、こんにちは。よくわかったね。もっともこの姿も借り物なんだけど」
「あたしの中にありえない記憶があったから」
「なるほど。記憶が混在してしまったのかもしれない。ミスをしたかな。僕は自分の姿を持たない。多くの人間の脳みそを渡り歩き、歴史を世界の裏側から操作してきた。今までも、これからも。理想の世界を作り上げる。糧となる人の精神は、残念ながらその過程において破壊されてしまうけどね。そう、この男のように。ワームのように、ルーラのように」
「あの人たちの精神が壊れた? 壊れてなかったよ。あの人たちは弱くない。あたしはアーチャーであって、聖職者も死霊遣いも決して好きじゃないけど、それでもあの人達のすごさは分かってたつもり」
「そうだね。強いね。彼らは。完全には壊れてなかった。ワームなんかは、焼けた神殿で君と出会った辺りから少し壊れていたけどね。言動がおかしかっただろう? 何だよ、駄目女って」
「でも、あの人は聖職者としての誇りが最後の一線で自分を支えていた。ルーラちゃんもそう。なんだかんだ言っても、彼女も自分の職業に誇りを持っていた。あなたみたいなんに操られることに抵抗してた。だからこそ、あたしへの支配も強力じゃなかったんだと思う。もしも彼女が本気であたしを家来にしようってなら、あたしもちょっと危なかったかもね。ここにいるスフレちゃんもそう。誇り、あるよね? なんかに」
スフレの表情を覗くと、うーんと頷いてから、どうだろ、と首を傾げていた。
Aは笑った。
「だけど、もうその二人もいない。君が殺した。あの二人は強いよ、君の言ったと通りさ。プライドの高い人間は最後まで逆らう。いなくなってよかった」
「そうかしら?」
月架の後ろからワームが現れ、天からルーラが降り立った。
「なにっ?」
「みね撃ち、って言葉知ってる?」
Aの表情に恐怖が浮かんだ。
「こうやって大勢の前に姿を見せるのは初めて? 罠にはまったのよ、あなたは」
「……」
「影は最後の最後まで影であるからこそ意味があるのよ」
――男の身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
Aが脳みそから抜け出したのだ。
「逃がすわけないだろう」
ワームが円陣に包まれた手をかかげれば、空中に黒い思念体のようなものが見え隠れした。そうだ、風のオーブが砕けた時に見えた影と同じだ。これがAなのだ。
「なるほど。お前はあのオーブに封印されていたやつか。こうやって復活するために多くの人間を操っていたか」
影が逃げていく。天へと逃げていく。
「……」
いつのまに移動したのか、ルーラが宙で待っていた。
「死んでください」
ルーラは影を鷲し掴みし、首のような場所を絞め、地面に叩き落した。
「……」
地面に落ちたAを皆で囲んだ。
月架は弓を向けた。
「さようなら」
「@@@」
Aは絶叫した。
ルーラがAを踏みつけ、頭を潰した。
風が穏やかになっていく。
ワームがAを蹴り上げ、胴体を真っ二つにした。
大地の裂けが戻っていく。
スフレがAを殴りつけ、全身を殴打した。
氷雨を降らしていた雲が消えていく。
「この! この!」
月架はAの残骸に矢を乱射し、めった刺しにした。
大気に舞っていた火の粉が虚空へと還っていく。