『Archer Ether』 あーちゃーえーてる。弓矢と死者、咆哮と発狂、愚者の祭典。

 三 原生


 

 

 意識は途絶えていなかった。まだ現世に残留しているようだ。

「月架ちゃん」

 スフレが抱き締めてくれていた。月架のおなかに手を当てて摩ってくれていた。穴は塞がっていた。

「スフレちゃんが治してくれたの?」

「治したんじゃなくて、月架ちゃんのおなかに溜まってた綺麗で神聖な力を取っただけかな。そしたら、あとは月架ちゃんが自分で自分を治したよ?」

 脳みそが痛い。治したのは自分ではない。ルーラの力で治されているのだ。そう、月架は死者なのだ。今でこそ、スフレの腕に抱かれているけれど、二人の溝は激しく深い。

「月架ちゃん、死んじゃったの……?」

「死んじゃいました……」

「こうやってお話できるのは今だけなの……? 月架ちゃんは役目が終わったら、また死んじゃうの…?」

 涙が出てきた。

 そうなのだろう。ルーラが役目を終えた月架を生かしておくとは思えない。任務が終われば塵に返される。任務を放棄したら今この瞬間に塵に返される。

「スフレちゃん……あたし、消えたくない。あんまり覚えてないけど、死んでる間ってすごく苦しいの。心臓とか脳みそが溶けるように、だんだん自分が消えていくの。あたしっていう人格とか、アイデンティティがなくなっていくの…。ええっと、そんなものなら百歩譲ったら我慢できる…。スフレちゃんと会えなくなるの、やだ……」

「うん……」

 スフレは辛そうに頷いた。そうだ、彼女にはどうしようもないのだ。なにを言ってもスフレを困らせるだけだった。

今、月架の命をどうにでもできるのがルーラなのだ。彼女がその気になれば、今この瞬間にだって月架を塵にできる。

 

 

 AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA

 AAAA 受信したエナジーの中から有益な情報を発見しました AAAAAAA

 AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA

 

 

 スフレは沈んでいる。沈んでくれている。月架のために悲しんでくれているのだ。

「なにかいい方法ないのかな…」

 そうだ。閃きがあった。

「スフレちゃん、ちょっといいことを考えてみた…」

「うん?」

「あたしはもう死んじゃった。それはどうしようもないこと。だから変な死霊遣いに操られちゃってる。なんでかっていうと、もう自分一人の力では生命を維持できないから。誰かに助けてもらわなくちゃいけないの」

「うんうん」

「さっきの天使いたでしょう?」

「あの女の子?」

「うん。あのコの心臓みた?」

 あの天使は人工生命だ。仮初めの命を生命無きものに与え、人形とする生命創作。

「見た。お兄さんが昔から作ってたのね、あれ。私も手伝ったことあるよ」

「スフレちゃん、あの心臓使える?」

「多分……」

 

 脳みそが痛い。

 

「スフレちゃんのお兄さんを追っていったら、またあれを出してくる思う。その時、あたしはあの天使を殺さず、そのまま心臓を抉り出すから……。スフレちゃんはあの死霊遣いがあたしを完全に死滅させる前に、心臓をあたしの胸に埋め込んで…。あたしは独りじゃ生きられないけど……でも、スフレちゃんの使い魔くらいにならなれる思う……」

 スフレの表情は晴れない。

「月架ちゃんは本当にそれでいいの…? 月架ちゃん、物になっちゃうってことだよ?」

「へーき」

「平気なんだ……」

「変な死霊遣いに使われるならスフレちゃんのが百倍いいよ…。スフレちゃんが嫌じゃない、ならだけど…」

「うん…」

 死者なのに希望の光が見えた気がした。スフレの一部になる。考えると少しどきどきとした。

 スフレはいつも優しい。今回も優しい。

 嬉しかった。

 

 

「スフレちゃんっていつも優し過ぎ…。だから好き…」

「あら、嬉しい」

 あははっとスフレは笑う。

「あたしの好き、ってどれくらい伝わってる…?」

「多分、月架ちゃんが想ってる事がそのまんま伝わってる思うー」

「伝わってるんだ…」

「うん」

 少し物欲しげにスフレの顔を覗いてみた。スフレは少し困ったような表情で笑っている。

「…私、そういうのは駄目だからね?」

「うん…」

「そういう趣味はないのです」

「はーい…」

 脳みそが溶けていく。溶けて固まり、不定形になり、彼方からエナジーを受信する。これはルーラの予期したことか。それとも一度でも死を見た魂が感じる幻か。

 生き返ってから、ずっと脳みそが変調を訴えている。不明瞭な恐怖が胸の中に渦巻いている。

「ところで、月架ちゃんは三日間も眠っていたんだよ。ちょっと外見て。すごいことになってるから」

 見てみよう。

 

 

 月架が眠っていたのは神殿の一室だった。きっとスフレが匿ってくれたのだろう。誰かに顔を見られぬよう、控えめに窓から外を覗いてみた。

「うわ…」

 世界は業火が地を焼き、氷雨が宙を吹き荒れていた。

 大地は割れ、裂け目からマグマが吹き上がり、天からは矢のような氷と雨が強烈な勢いで降り注ぎ、建物や木を打ち砕いていく。

 そして異形の化け物が溢れ人を襲い、捕まった人間は頭からばりばりと齧られていた。

「なにこれ」

「月架ちゃんが壊した三つのオーブはね。実はこの世界の大地と炎、水を守護するものだったんだよね。それが壊れたから地面は裂け、炎が飛び、天からは狂ったように水氷が乱れ落ちる。そして封印された悪魔達が暗黒から回帰する。四つのオーブのうち三つが割れたからこうなってるの」

 

「そう」

 

 部屋の中央に黒い人影が降り立った。ルーラだった。

「こんにちは、みなさま」

「はい、こんにちは」

 スフレが首を傾げていたので、「この人がルーラだよ」とこっそり教えてあげた。

「残った風のオーブが砕けた時、腐りの風が世界を覆い、生き物は死滅していく。そして、最後にして究極の悪魔が蘇える。そのときこそ、人間は私達、闇の眷属の……ええっと、なんて言うのでしたっけ、そう、家畜。家畜のように、延々とエナジーを作り続けるために。世界の中央にはまるでイグドラシルのように、巨大な歯車を作ります。人間はその巨大な歯車をぐるぐると回す。エナジーを生産するのです。発電するのです。素敵です」

「馬鹿ね」

 月架は弓を絞った。

「……!」

 矢を構える動作さえ見えなかったのだろう。ルーラが始めて表情を見せた。恐怖と焦りを。

「人はそれを地獄と呼ぶのよ!」

 矢が飛んだ。

 肉眼では捕らえきれないほどの速度で飛んだ矢。だけど当てはしなかった。矢はルーラの左腕と胴体の間を通り、叩きつけたように壁に刺さった。

 ぱらぱらと砕けた壁の破片が床に散らばる。

「ごめんね、つい矢を撃っちゃった」

「…危ないですね。私もついあなたを塵に還してしまいそうでした」

「そうだった。ひとつ言っておこうと思ったの」

「はい、なんでしょう?」

「あなたがあたしを塵に還す、その最期の一瞬」

「はい」

「あたしも死霊遣いに操られたひとを相手にしたことあるから分かる。あなたがあたしを塵に還そうとして、完全にあたしの身体が崩れ落ちるまで若干のタイムラグがある思う」

「…二秒もかかりませんよ」

「二秒あれば矢を何発撃てると思う?」

「あなたから遠く離れた場所から塵に還すことだってできますよ」

「どうせ死ぬんだったら、あたしにだって覚悟があるよ。今、あたしはあなたをロックオンした。あたしにはアーチャー最大にして最期のスキルがある。自分の魂、誇りを矢として撃ち込む。相手がどれだけ離れていても、暗黒の世界であっても、彼方の世界であっても絶対に外さない。あたしの魂とアーチャーとしての誇りを最期の矢にする。もちろん、あたしの魂は潰れて、天国に逝けないどころか死霊にすらなれない。誇りも無に消える。だけど、あたしはそれでも、刺し違えてでもあなたを殺す……。あ」

 目頭が熱くなり、涙が頬を伝った。知らぬ間に泣いていたのだ。

 止まらない。自分が可哀想になってきたのだ。

「分かりました。私も無下にあなたを消したりしませんから。だから、そう子供みたいに泣き喚くのは止めなさい。誇り高い最強のアーチャーなのでしょう?」

「う、うん……」

 諭されてしまった。不思議な気持ちになった。

 ルーラが去った後も、月架は床にぺたんと座っていた。

 すごく疲れた。そもそもルーラはなにをしにこの場に現れたのだろう。本当に不思議だ。

 

 

 AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA

 AAAA 脳みその中に害虫を発見しました AAAAAAAAAAAAAAAA

 AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA

 

 

「スフレちゃん。あたし、脳みその中に害虫とかいるのかも」

「へ?」

「あ、ううん。なんでもない」

 また妙なことを考えてしまう。この溶けて不定形に再構成された脳みそはまともな思考ができないのか、と疑ってしまう。

 溶けて不定形に再構成された。

 そんなこと誰が言っていたのか。自分で自分の脳みそが見えるわけはない。ルーラから聞いたわけでもない。

「……」

 情報源が分からない怪しい知識が月架の脳みそにある。そういえば、知恵さえも不明瞭な場所から沸いた。天使の心臓を胸に埋め込めばいいという知恵。

 

 

 AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA

 AAAA 余計なことを考えてはいけません AAAAAAAAAAAAAAAA

 AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA

 

 

「うるさああああああああああああああああああああああああああああああい!」

 矢を放った。黙れと叫んで矢を放った。

「きゃあっっ?」

「あっ」

 矢はスフレの頭上を掠めて壁に突き刺さった。あやうくスフレの脳みそを撃ち抜くところだった。

「ご、ごめんなさい、スフレちゃんっ……」

「ど、どうしたの…?」

「…なんか頭の中、AAAAAってのがいっぱいになって、変なメッセージ受信してた」

「そっか…」

 壊れてしまった。のかもしれない。

 苦しくなってきた。胸が。心が。悲鳴をあげている。

「…う…うぅ……」

「大丈夫?」

「うん…」

 なんで死んだあとまで苦しまなければならないのか。

 

四 晴天回帰


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