『AntennaBible 〜アンテナバイブル 預言者〜

 終章 FieldChaos(贖罪)


 

 終章3部 死のリブラ

 

 こころは部屋に残った。彼女なりにやれる事はやるつもりらしい。こころの話によれば、もう時間もあまり残されていないそうだ。

 玲二が部屋から出た時、ひとみはいなかった。いや通路の角に隠れてこちらを伺っていた。

「何をしているんだ?」

 玲二は角まで歩いて聞いてみた。

「――――あぅ――脅かそうかなって―」

 ひとみが玲二の方をちらちらと見て言う。

「そんな場合じゃない。急ぐぞ」

「――――カリスさんの所?」

「何で分かる?」

「―――僕は―――万象のひとみ――だよ?―――この世界で起こっててわかんないことなんてないよ―」

「では案内してくれ」

「――うん」

 ひとみに先頭を歩かせながら、玲二は部屋を出る時こころと交わした会話を思い出した。

 

 

「お前。まだ全部を納得しきってないな?」

「―――――」

 こころは涙を拭って玲二に言った。その目はどこか濁っていた。

「――――ソラは――やっぱり私の理想だったから」

 それきりこころは黙り込んだ。玲二も追及はしなかった。ただ、玲二もこころも、もう昔のような関係には戻れない気がした。

 

 

「―――あれ?」

 分かれ道でひとみが立ち止まった。

「どうした?」

「――――道が変―こんな道――知らない」

 突然、辺りが薄暗くなり、どこからか声が聞こえてきた。

 

―――でもね―――この世界の中で――何が現実で――何が妄想か―――今の貴方にその区別がつく?―――ふふふ――例えばこのロケットランチャーはどうかしら?――――貴方のその四角いのは?―――このおしろは?―――アンテナは?―人間は?――私は?貴方は?未来は?玲二は?全部妄想かもね?

 

 それはさっき、こころが玲二に言った台詞だった。声は続いた。

 

―――――誰にも区別なんてつかなくて当たり前――――――私以外は

―――全ての判断を司る私以外は

 

「リブラか」

 

―――――あはは――でもね――人がいっぱい死んでるのは現実――――これだけは紛れもない現実―――はは――ヤな世界よね――

 

――――嘘よ――夢現を判断できるのは私だけ

―――だから―――『真実のカリス』の行動は――いつも正確

 

「どこにいる?」

 

――ひとみやこころに勝った――貴方に――――勝てる気はしないけど

――――ニ対一だし

―――それでも時間稼ぎくらいは―――できそう

 

 突然視界が開け、目の前には無数の扉が現れた。周りを見れば、そこは巨大な迷宮になっていた。

「これは……妄想か?」

「―――わぁ―――迷路だぁ」

 呑気な事を言うひとみの頭を殴りながら、玲二は叫んだ。

「何のつもりだ、リブラ!」

 ゆらりと空間が軋み、魔女のような少女が現れた。

「―――こんにちは」

「この妄想を解け」

 右手に『四角』を造り出して、玲二は脅しを兼ねて言った。が、リブラはまるで表情を変えない。

「――――いや――ソラの邪魔は――させない」

「リブラ! お前は俺とこころのやり取りを見ていたんじゃないのか! だから俺とあいつの会話を知っているんだろう! ならソラなんてなかった事も知っているだろう!」

「―――ある―――ない――――は私が決める――――こころはたまに―――害電波に侵されて変になる―――そのために私がいる――――忠実に―――――ソラの意志を汲むために」

「だからソラなんてないんだ!」

「――――あるわ」

 ふっとリブラは姿を消した。と思えば、遥か前方の扉の前にいた。扉を開けて逃げていく。

 

―――正しい道を『選ぶ』の

――――選べるのは私だけだけど

 

 玲二とひとみはその場に取り残された。

「どうしたらいい?」

「―――えっとね―――リブラちゃんを倒せば妄想は消える筈だよ」

「だが、こころの話では時間がないそうだ。散々急げと言っていた」

「――――急いでるの――玲二さん――?」

「地球が割れるんだぞ!」

 ひとみは無邪気に首を傾げている。

「―――困るの?」

「当然だ」

 玲二の言葉にひとみはくすりと笑った。

「――――いいよ――それなら僕がリブラちゃんの相手をしてあげる」

「何?」

「―――こんな迷路――絶対解けないように出来てるんだからリブラちゃんも言ってたもん選べるのは私だけってでもね僕がリブラちゃんの相手してたらこんな大きな幻造ってる余裕はないと思うなその間に玲二さんは先に言ったらいいじゃない―――――ほらこれがカリスさんのいる場所」

 ひとみから黄色の球体を受け取った玲二の頭に、おしろの中の見取り図が展開された。現在地、そしてカリスのいる屋上。

「―――その代わり一個だけお願いがあるんだけどぉ」

「何だ?」

 ひとみはまるでお菓子を頂戴とでも言うように答えた。

「――――キスして」

 玲二はひとみの頭を『四角』で殴り付けた。

「―――痛ぁ」

 涙目になって恨めしそうに玲二を見上げるひとみ。

「悪質な冗談だ」

「―――あぅ―――冗談じゃないのに―――僕―玲二さんが好き――なのに―――」

「初耳だ」

「――――始めて言ったもん!」

 ひとみは玲二の腕にしがみ付いて、おねがいおねがいをしている。

「キスとは何か知っているのか? 愛しい者に手向ける最大の祝福をキスという」

「――――知らなかった」

「そういう事だ。他のお願いにしろ」

 ひとみはうーっと唸る。

「―――バカにしてるでしょぉ―――僕の事―――」

「そんな事はない」

「――――僕本気なんだよ――なんでも言う事聞くよ―――こころさんみたいにワガママ言ったりしないよ―――ねぇ―――ねぇってば玲二さん!」

「…他のお願いでは駄目か?」

「―――――駄目――他のじゃリブラちゃん相手にする気になんない」

「うーむ……」

 玲二は頭を捻り、そして名案を思いついたので口にした。

「ではこうしよう」

「―――なに?」

「これをポイント『1』としよう。『3』ポイント溜まったらキスだ。『5』ポイント溜まったらもっと凄い事ができる」

 ひとみの顔がぱーっと明るくなった。

「―――うん!―――それでいい!」

 ひとみは頷き両袖から棒を取り出し、一本の槍を造りあげた。

「――――それじゃ―――いってきます!」

「……待て」

 大ハシャギのひとみを止め、玲二は言った。

「…怪我をせずに戻ってくる事が条件だ」

 はーいと返事し、ひとみはリブラの跡を追っていった。

 玲二はぽつんと一人になった。

 それから数秒後。

 玲二はおしろの通路にいた。カリスを求め、屋上を目指した。

 

 ひとみは扉ばかりの怪しい世界の中、リブラと向かい合っていた。己の身長程の槍を持つひとみに対し、リブラは小さな天秤を右手から下げているだけだ。

「―――――ひとみ―――あの人が好き?―」

「――人の話盗み聞きしないでよぉ!」

 リブラは何かを思い出すように言った。

「―――帯で緊縛プレイ―――好き?―――縛られて感じたの?―――だから――寝返ったの?」

「――――誰がぁ――――はにゃ?」

 気付くとひとみはロープで雁字搦めにされていた。

「―――ほら―――ぎゅっと締まる――」

「――いっ?」

 きりきりとロープがひとみを締めつけ始めた。

「―――痛っ!―――痛い痛ぃーっ!」

 ひとみが悲鳴をあげると、リブラは更にロープを締めた。

「―――――痛い=気持ちいい?」

「――――痛ぁぁ―――ぃ――いい加減にしてよぉ!」

 強引にひとみが身体を捩って暴れると、ロープは音を鳴らして千切れて消えた。すかさず槍を構えるひとみに、リブラは冷たい目を向けた。

「―――他のプレイがいいの?――羞恥プレイとか」

「――ヤだよ――そんなの――!」

 ひとみは頭上に槍を掲げ一閃させた。

 横凪ぎの真空の刃がリブラの首目掛けて飛びかかる。

「――――私とあなたの力はそう変わらない―――けど」

 リブラは口笛を吹いていた。

 刃がその首を狩る瞬間、リブラは身体を屈めてそれを避け、ひとみの方に『移動』した。

 駆けるではなく移動だ。その動きはさながら魔女の如く。床を滑るようにひとみに接近してくる。

 リブラの懐からキラりと輝く何かが見えた。天秤だ。

 ひとみは近づくリブラに何度も槍を突き出すが、彼女は口笛を吹きながら余裕で攻撃を避け迫ってくる。

「―――――な―――なんでぇ?」

 ひとみは焦った。どうして攻撃が当たらないのだろう。

 そうこうしている内にリブラは目の前にいた。ひとみが何かをする前に、脳天を天秤で殴打された。

「―――――!」

 頭蓋骨が陥没しそうな激痛が鼻頭をつーんと襲い、思わず涙が滲み出る。頭を抱えた瞬間、腹部に冷たいものを突き立てられた。

 身体の中に金属の異物が侵入してくる感触に、ひとみは吐き気を覚えた。

 見下ろすと、天秤の尖った部分がひとみの胃の下辺りに突き刺さっていた。血が滴っている。

 肉の裂けるような痛みが伝わってきた。

「―――――ぁ―」

 膝が笑い、倒れかけたひとみの身体をリブラが片手で支え、あいた右手がひとみに刺した天秤を捻り回した。

「―――痛ぁ――――ぃゃぁ―――や――めてぇ―――」

「――――痛いの?」

「――――――」

 痛いからやめてと言いたかったが、口からは空気が漏れるだけだった。

「――――どうして――負けたと――思う?」

 ひとみにはリブラの質問の意味が分からなかった。ただ、純粋にリブラの方が強かったから負けたのだと思っていたのだから。

「――――口笛」

 リブラはひとみを嬲る右手の動きを休めずにそう言った。

「―――ひとみは口笛のリズムに乗って――私の都合のいいように動いてくれた」

「――――あ」

 はっとするひとみ。

「――――もう遅いけど」

 またぐりぐりと刺し込んだ天秤を捻って、ひとみを責めたてた。ひとみの身体は人形のようにリブラにもたれ、いいように嬲られるだけだった。

 意識が完全に闇に落ちる直前、リブラが何か囁いていた。

「―――――――」

 

 

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