『AntennaBible 〜アンテナバイブル 預言者〜』
第5章 Antenna Bible(最後の玲二 最期の未来)
まだ記憶だけは連続していた。
『―――玲二』
弱々しい未来の声で再び目が覚めた。
分かっている。また新しい身体に記憶を植え付けられたんだ。
もう放っておいて欲しかった。
もう玲二としての記憶は植え付けられるのは嫌だった。
四人目の玲二を演じる気はなかった。
『――お願いです。玲二―――私の声を聞いて――――立ち上がって』
薄っすらと目を開けると、半透明な未来の姿があった。
「……何…だ…? 随分と薄い…な……どうしたんだ………」
『…こころにやられました。私はもう消えてしまいます』
「そうか……。じゃあもういいだろう。俺の事は放っておいてくれ」
『……玲二』
「それは俺の名前じゃない」
未来は首を振って言った。
『いいえ、貴方は玲二です』
「やめてくれ」
『やめません! 貴方は玲二です! 肉体の違いなんかよりも、今貴方にある記憶の方が、私にとっては大切なんです!』
「お前に俺の何が分かる?」
『何だって分かります!』
「この厭な胸のモヤがお前に分かるのか」
『私だって身体なんかないんです!』
未来は泣いていた。
『私だって……ただの記憶の塊が宙に漂ってるだけなんです……!』
「そうか……」
『玲二。全部話します。もう隠し事はしません。だからお願いです! こころのためにも、貴方のためにも立ち上がってください!』
「……俺のため…だと? ならもういいんだ。放っておいてくれ。そうだ。俺に幸せな夢をみせてくれ。俺ならそれで満足だ」
『駄目です! 私には貴方とこころを本当の意味で幸せにする義務があります!』
「…お前は一体何なんだ?」
『私はこころがソラに支配された時、彼女から分離した精神体です』
「そうか」
『玲二! お願いです! 私の話を聞いてください!』
「もういいんだ。いい加減俺を休ませてくれ…………」
頬を殴られた。
痛くはなかった。未来を見返すと、彼女は烈火の如く勢いで怒っていた。
『いい加減にしてください! 甘えるのも大概にしてください! 拗ねていれば私が優しくするとでも思ってるのですか!』
「誰もそんな事は言ってない…・・!」
『言わなくても私には分かります! 貴方は私がいつも優しくすると思ってる!』
未来はまた泣いていた。袖で拭いても拭いても、未来の涙は止まらない。
『私がどうして泣いているか、貴方に分かりますか?』
「……何でだ?」
『貴方が情けないからです』
未来は泣きながら侮蔑の言葉を吐き捨てた。
『私は自分で自分が可哀想になってきました。一体、私は何の為に生み出されたのか。貴方がこういう人だと知っていたら、こころも私を生んだりはしなかったでしょう』
「何だと……!」
『怒ったんですか? でも取り消しません! 私もこころも貴方という人間を誤解してました。悲惨です! 最低です!』
「いい加減にしろ!」
ついカっとなり、未来を掴み上げてしまった。苦しげに声をあげる未来。それでも、未来は非道く見下した視線を投げ掛けていた。
「く……! いいだろう。お前の知ってる事を全部話してみろ。聞いてやる」
『聞くんですか? 今の貴方にそれだけの資格がありますか?』
「言ってみろ!」
未来は少し息を整えて、冷静な様子に戻って口を開いた。心なしか、先程よりも更に透けて見えた。
『まず言っておきます。こころは今でも貴方を待っています』
「玲二を、だろう」
『貴方をです。そして、私の言うこころとは、彼女の精神の奥底に眠るこころの本心の事を指しています』
「何故、俺なんかを待つ? あいつは俺……いや、前の玲二を否定した」
『貴方がソラに仇なす者だからです。聖者のこころが、貴方を排除しようとしたからです。本当のこころは貴方を待っています』
気付けば、まだ未来を握り締めていた。顔色が悪い。手を離し未来を自由にしてやった。が、以前のような覇気はなく、すぐに床に落ちてしまった。
玲二は未来をそっと両手で拾い上げて聞いた。
「おしろでリブラを襲ったのはお前か?」
『はい。その為に、あの時ソラとして招かれていた貴方を過食でコロす事になりました。すみません。でも、あれ以外に貴方をソラから解放する手段もなかったんです』
「ソラとは一体何なんだ? 何で俺がソラになれたりするんだ?」
『私にも分かりません。おそらく、ひとみ達も知らされていないでしょう。唯一、ソラと対話を許された聖者のこころだけが知っている筈です』
「こころの分身のお前にも分からないのか?」
『私にはソラの声なんて聞こえませんもの』
「そうか」
『私はもう一つ、貴方に謝らなければならない事があります』
「何だ?」
『電波塔でひとみを尋問していた時の事です。私は貴方を興奮状態にさせ、ひとみをコロさせようとしました。私の存在をこころに伝えさせないために』
「もういい。済んだ事だ……」
『もしも、私が貴方の記憶を操作したら、こんなに悩む事もなかったとか思いませんか? でも私はそれをしませんでした。以前にも言いましたよね? 貴方が本気で何かを実行しようとすれば、私にそれを矯正する権限はありません。それは、玲二に玲二らしく生きて行動して欲しかったからです。それが例えどんな結果になろうとも。だから、私はなるべく貴方の精神を自然に近い状態に維持してきました。電波塔の事はすみませんでした』
「……済んだ事だ」
未来はもう消えかけていた。
目頭が熱いと思ったら泣いていた。
「もういい。未来、一つだけ教えてくれ」
『何ですか?』
「教えてくれ。俺は玲二と名乗ってもいいのか……? 俺はミサイルに当たって死に、過食で死に、そしてまたミサイルで死んだ」
未来は手の中でくすりと笑った。
『貴方は玲二です』
「未来……!」
消えていく。『玲二』の手の中で未来が消えていく。
「未来っ……! 消えないでくれ! 俺はお前といたい! お前とこころと三人でいたいんだ!」
『泣かないでください』
未来はそっと玲二の目元を拭った。
『大丈夫ですよ。私はこころから生まれたもう一人のこころ。形は消えても、大きな電波に呑まれ、宙を漂い、またこころの中に混ざり、彼女の中に生まれます』
『こころを宜しく頼みます』
「また会えるのか……?」
『はい』
未来は消えた。
気付いた時、玲二は暗い大地の上に立っていた。
天は赤と黒のモヤに入り乱れ、地は荒れ果てていた。燐の匂いが鼻をくすぐると思えば、地面は何かに焼かれていた事が分かった。
風が吹く度に禍々しい獣の声が聞こえてくる。
数百メートル先で何かが宙に浮いている。
巨大なステーションだ。あれが『おしろ』だ。
あそこにこころがいる。
玲二は焼けた大地に歩を進めた。
こころと未来に会うために。
「…………」
思い出した。こころが以前、頭のアンテナから玲二の携帯電話に通話を掛けてきた事を。
玲二は右手の中に妄想の携帯電話を造りだした。
番号をプッシュする。誰かに教えられた訳でないのに、この番号で正しいという奇妙な確信があった。
相手を呼び出しているコール音が受話器から聞こえる。
『――――――はぃ―――』
出た。
「こころだな? 聞こえているな?」
『――――また――貴方―――まだいたの―――――貴方に―――――こころなんて―――呼ばれる覚えは――ない――わ―――』
「聞け。俺は玲二だ」
『――――違う―――』
「違わん。いいか、よく聞け。俺は今からお前の所にいく。お前のアンテナをへし折りに行く。俺が最初の玲二だった時、お前が俺の部屋に飛び込んできた時、俺はお前のアンテナを切る事が出来なかった。今度こそ切り落としてやる」
『――――いいわ――――来なさい―――――今度こそ―――――ニ度と蘇らないよう―――貴方の記憶は――――私が粉々に消し飛ばして――――あげる―――』
「お前こそ首を洗って待っていろ」
電話は消滅した。
*
ソラ=ソラ=ソラ=ソラ
ソラ=∞
ソラを崇めなさい
ソラに至りなさい
聖者のこころ>忠実なソラの僕達へ
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