『AntennaBible 〜アンテナバイブル 預言者〜

 第4章 Magical Doll(脳みそと精神)


 

 暗い陽の下。

 砂っぽい大地の上で目が覚めた。

 ・・・・・・・・

 記憶が纏まらない。何があったのか、ゆっくりと思い出そうとした。

 玲二。そうだ。これが自分の名前だ。だが、何かしっくりとこない。

 名前は玲二、合っている筈だ。

 身体を起こそうと思った。

「……?」

 思っただけで、玲二の身体は自動的に起き上がった。気がした。

 妙な感覚だ。まるで夢の中にいるかのように身体に実感がない。感覚がないわけではない。何かを触ればちゃんと感触もある。

 立とうと思えば、やはり自動的に立ち上がった。そこには一切の疲労を伴わない。

 未来。そうだ、確か玲二には未来というパートナーがいた筈だ。彼女を呼ぶ事にした。

(…………)

 ぐにゃりと風景が歪んだ。

 駄目だ。彼女は現れない。いくら呼んでも現れない。

 周りを見渡した。

 誰も居ない。何もない。砂ばかりの続く世界だ。

 とりあえず、移動しようと思った。身体が動く。

 しばらく歩き続けた。

 砂ばかりの世界に立方体の建物を見つけた。

 立方体の建物。

 興味を惹かれ、中に入る事にした。

 また、ぐにゃりと何かが歪んだ。

 ここは一度入った事がある。

 人肉工場―――そんな物が頭に過ぎった。

 似ている、だがここは工場じゃない。もっと違う何かだ。

玲二は意を決して中に踏み込んだ。

 耳鳴りがして、大きく景色が弾けた。

 

 都市にミサイルが落下し、玲二が死ぬのが見えた。

 過食で死んだ玲二を見た。

 

 

『―――二、玲二!』

 顔をぺちぺちと叩かれ、玲二は次第に意識が戻ってきた。

 目を開ければ、玲二の真上に浮遊している未来の姿があった。

「……未来。未来か!」

『きゃっっ?』

 勢いよく起き上がり、未来を両手で掴んだ。未来はするすると玲二の両手の隙間から抜け出してしまった。

『びっくりさせないでください』

「未来、お前どこにいってたんだ! 呼んでも出てこなかったぞ!」

『私だって色々あるんです。玲二の面倒ばかり見ていられません』

「なに? お前は最初にこう言わなかったか? 俺の内側に住む者だと。そんな奴が俺の呼び掛けに応えられないとはどういう事だ」

『……色々とあるんです。私的にトップシークレットです』

 答える気はないらしい。問い詰めても、玲二には未来をどうこうする事はできないので素直に諦める事にした。

 改めて周りを見渡すと、ここはいつかの怪しい部屋だった。未来と初めて会った場所だ。窓の外を見れば、やはり青い何かが歪曲した気味の悪い世界だった。

「俺はどうなったんだ? 何でここにいるんだ?」

『玲二、こころを助けにいきますよ』

「もちろんだ。だが、その前に質問に答えてくれ。俺はどうなったんだ。まさか、またタイムスリップしてしまったのか?」

『その通りです。貴方は再び五〇年間眠っていました』

「一体どうなっているんだ。何でこんなに時間がぽんぽん飛ぶんだ?」

『私に聞かれても困ります。それよりも地上に戻られますか?』

「…………」

『玲二』

「……分かった。戻ろう」

 玲二がそう答えると、また視界が混濁していった。

 

 目を覚ましたそこは見覚えのあるマンションの一室だった。

 玲二の部屋だ。

 カーテンを開き、窓の外を見渡した。ビル群の立ち並ぶ都心だった。これも毎日見ていたあの光景だ。

 部屋の中を見回しても、その全てが記憶にあった。間違いない。ここは玲二の部屋だった。

「…未来、これはどうなっているんだ?」

『玲二、私が何でも知っていると思ってません? 私だってびっくりしているんです』

 何がどうなっているのか分からない。玲二は玄関の扉を開け、外に飛び出した。

 敵がいた。頭から携帯電話のアンテナを生やした男が廊下に寝転がっていた。男は玲二の足音を聞き、のろのろと起き上がろうとする。

 玲二は反射的に、いつの間にか手にしていた銃で撃ってしまった。

 手に反動が返ると同時、男の眉間に穴が空いた。一瞬の事だった。

 男は静かにコンクリートの床に倒れる音を聞き、玲二は自分の右手を見た。銃はもうない。

 撃ってしまった。今までのような暴発ではない。ほんの一瞬だが、玲二は間違いなく敵をコロそうと思って、引金を絞ってしまった。

 だが後悔はしていない。この男は敵だったのだ。放っておけば仲間に連絡されて、更に多くの者達と戦わねばならなくなる。あえて後悔する点を挙げるならば、この男を味方にして情報を引き出せなかった事だ。玲二はそう思う事にした。これは戦争だ。人間とアンテナの戦争だ。

「……?」

 足下の死体が奇妙な音を立てていたので、それを見た玲二は目を見張った。

 ずるずると――

 死体は何かに引きづられるように玲二の部屋へと移動していた。血など床に残さない。玲二はその後を追った。

 部屋に戻った玲二は死体のすぐ側に何かを見つけた。二つある。

 一つは今この男に生えていたアンテナ、見ると男はアンテナが引き抜かれており、脳天からは血が溢れていた。

 もう一つは黄色く輝く球体だった。玲二がそれに手を伸ばすと、球体は唸り、そして玲二の中に入り込んできた。まるで、手の平をナイフで裂かれ、そこから液体を注入されるような、そんなくすぐったい不快な感触だ。

 それは男が生前、アンテナとしてソラに飼われていた時の情報だった。この男が現在どんな命令を受けていたか、最後に他のアンテナと情報を交わしたのはいつか、あるいはこの男の個体としてのデータや履歴などが入っていた。

 大した情報はなかった。全て玲二が知っている事ばかりか、取るに足りない個人データばかりだ。どうして、五〇年経って世界が玲二の知っているものに戻っているのかも知らない。考えてみれば、末端のアンテナなのだからそれは仕方がないのかもしれなかった。

「…………」

 玲二は己の能力に驚愕した。そして、反射的に相手をコロしてしまった理由も分かった。もはや、仲間にする必要性すらなかったのだ。情報ならこのように収集できる。アンテナと戦うにも、末端の力では役に立たない事も明白だ。

 もう一つ残っているアンテナ。これの使い道は瞬時に理解できた。玲二はアンテナを手に取り、再び外へと出掛けた。

 晴れていた。太陽なんてどのくらい見ていなかったのだろう。頭上には眩しすぎるくらい輝いていた。それでも寒い。季節はいつなのだろう。冬なのだろうか。

 街一杯にアンテナを生やした者達が寝転がっている。玲二はアンテナを掲げた。誰も動かない。仲間だと認識してくれたようだ。

 いや、一人だけ起き上がる女がいた。頭の上にはパラボラアンテナが生えている。

 玲二は手元のアンテナを見た。細く、貧弱な携帯電話のアンテナ。なるほど、これでは騙せないらしい。

 玲二は敵が動くよりも早く、その女の眉間を撃ち抜いた。

 女は声もなく倒れる。それと同時、地面に寝転がっていた者達の何人かが起き上がりかけた。

 玲二は素早く始末した女に駆け寄り、頭のアンテナに手を掛けた。ズルっと血で滑る音を立てて、まるで雑草のような感触でアンテナは抜けた。女の脳天からは血の噴水が巻き起こる。

 血に染まったアンテナを頭上に掲げた。立ち上がりかけたアンテナ達がまた地面に倒れた。上手く騙せたようだ。

 とりあえず上位のアンテナは手に入れた。携帯電話の方は捨てようと思ったが、未来に止められた。

『まだ敵は貴方の存在に気付いてないと思います。そのアンテナがあれば、倒した者に成り代わって敵と定期的な連絡を取り合う事により、彼らの死を隠し通せるかもしれません』

「……こんな目の前で敵の司令官を撃ちコロしたんだぞ?」

 辺りを見回せば、アンテナ達が所狭しと地面に転がっている。

『大丈夫だと思います。ここにいる人達が信じられるのはアンテナだけです。現に先程起き上がりかけたのに、今はまったく微動もしません』

 確かに動かない。それどころか何か命令を下せば、実際にその通りに動きそうな気さえもした。

『玲二。とりあえず、この人の持っていた情報を吸い出しましょう』

「……そうだな」

 玲二はすでに絶命している女に意識を向けた。女の身体から黄色い球体が浮かび上がってくる。玲二がそれに触れると、あの不快な感触とともに、女の情報が体内に流れ込んできた。

 この女の支配していたアンテナの数、またその地域。ランク。そういったデータが主だが、ある情報が玲二の目を引いた。

「未来! 今のをもう一度見せてくれ」

『はい』

 未来がその情報をピックアップしてくれる。

 それはこころの姿だった。

 今から四十八時間前、こころはこの女の前を通りすぎ、西へと歩いていったようだ。もっと詳しい情報も欲しかったが、これ以上は何も出てこなかった。

「未来」

『はい』

「行くぞ」

『はい』

 玲二は再びこころを求め、西へと向かった。

 ここからでも見える。以前、こころが住んでいたアパートのある辺りには巨大な電波塔が聳え立っていた。

 

 ひとみは電波塔の最上階で色々と考え事をしていた。

 みんな、特にこころなんかは自分の事を情緒が安定していないとか非道いこというけど、そんなことはない。思慮深いんだと思う。今だって考え事をしている。

「…………」

 何となく下界を眺めていたら、気になるものが視界に入った。

 玲二だ。繁華街を通って西に向かっている所だ。こころの住む電波塔に向かっているのだろう。それはいい。

 だが、肩に止まっている小さな少女は何だろう。

 こころに情報を送ろうとした。

「―――――――――!」

 少女がこちらに向かって微笑んだ。

 送信エラー

 

 繁華街を歩きながら、ふと玲二は思った。そういえば、以前こころはこの繁華街から玲二の携帯電話に通話した事があった。

 そんな話を未来にしようとしたが。

「なあ未来……」

 だが彼女はあさっての方向に視線を送っていた。

「どうした、何かあるのか?」

『……え? あ、いえ。どうしました?』

「…いやいい」

『それよりおなか空きません? 目覚めてから何も口にされてないでしょう?』

「そうだな」

『あ、玲二! ほら、あそこあそこ! コンビニです。何か貰っていきましょう!』

 玲二は訝しげに首を傾げて店の中を覗き込んだ。誰もいない。いや、実はアンテナが生えた連中が寝そべっているのかもしれないが、とても店として機能しているようには見えなかったし、そもそも玲二には何故ここが以前の街と同じ造りをしているのかさえ分からない。

『早くいきましょう、玲二』

「…本当に食い物があるのか?」

『ありますよ』

「何でそう思う?」

『前向きなんですよ』

 まあ、腹が減っているのは事実だ。仕方なく玲二はコンビニへ向かった。

 扉の前に立てば自動的に開いた。電力は生きているらしい。そういえば、店内はちゃんと電灯がついている。

 床に転がっていた店員らしき女がむくりと起き上がった。無論アンテナが生えている。

 ――いらっしゃいませ

 手にしたパラボラアンテナからそう聞こえた気がした。

(未来。食べ物はありそうか?)

 棚に並ぶ缶詰の列を見渡しながら、玲二は胸中未来に聞いてみた。

『多分……。実際に口にしてみないと分からないですけど』

(どうやって売ってもらうんだ? 奪うのか?)

『あんまり乱暴な事はされない方がいいと思いますけど。私がそのアンテナで会話ができるようにしてますから、上手く交渉してください』

 交渉といっても、玲二には支払う物など何もない。が、いずれにせよ、食料は手に入れなくてはならない。気は進まないが、玲二はアンテナを差し出してコンタクトを試みた。

 ――四二〇〇ポイント溜まっております。お好きな品をお持ち帰りください。

(未来。どういう事だ?)

『何だか点数が溜まってるみたいですね。その点数以内のものなら貰って帰ってもいいんじゃないですか?』

(どれがいい? 俺には全部同じに見える……)

 多量の缶詰が並んでいるが、全部色が同じで文字も見当たらない。ただ、缶の表面には何かの印が張られていた。

『玲二。ちょっと、それにアンテナを向けてみてください』

(……? こうか……ん?)

 ピっと音が鳴り、玲二の頭にイメージが沸いてきた。品物の値段、品質、効果。

(なるほど。便利なものだな)

『実はさっき、敵からこういう情報を得てたんです。まあ、情報が多すぎて玲二を混乱させても仕方がないので黙ってましたけど』

(ふむ。これは食えるらしいな。これにしよう。量も多い)

 洗面器のような大きさの缶詰だ。これだけあればしばらくもつだろう。見たところ、栄養バランスも取れているようだ。

 玲二はその品物を両手に取ると、ポイントが二八〇〇にまで減算された事が表示された。

 ――ありがとうございました

 一体、あの店員は何のためにいたのだろう。玲二は首を傾げた。

『まあまあ、これでごはんにありつけるんです。あ、ほら玲二、あそこ。陽当たりもいいし、あそこでごはんを食べましょう』

「ああ。そうしよう」

 陽当たりのよい所で未来とご飯。缶詰は上の出っ張りを引けば簡単に蓋が開く仕組みだった。

『早く食べましょう』

「随分と嬉しそうだな。顔がにやけているぞ」

『分かります? 私だっておなかが空いてるんですもの。ああ、でもこれでやっと色々、人間として足りなかった物が補われるんです』

「缶詰だけどな」

 巨大な缶詰を膝の上に起き、蓋を開けてみると、缶一杯に白いゲル状の何かが入っていた。匂いはしない。

 蓋の裏に付いていたスプーンで一口食べてみた。

 吐いた。

 

「……なんだ? この泥水に巣くう、アメーバ―みたいな不快な味は? 柔らかくて、絶妙に甘いようなまったりとした味で、後味が非道くて、油こくて、しつこくて、胃の中に溜まるこの不愉快な食べ物は」

『アメーバ―なんて食べた事ないでしょう?』

「例えだ。それくらい非道い味だ」

『でも食べないと栄養不足で倒れてしまいますよ? 私の見た所、これは非常に栄養値が高くバランスもいい食料です。私はこれで満足です』

「……食うのが俺だからだろ」

『仕方ないですね。これでどうですか?』

 膝の上の缶詰が突然熱くなってきた。同時に食指をそそられるシチューの匂いが玲二の鼻腔をくすぐる。

 缶詰の中身はビーフシチューになっていた。

『これなら玲二も満足でしょう?』

「……幻なんだろう? これがくそ不味いアメーバーである事に違いはない」

『そんなの気の持ちようです。栄養値は高いんですから、何も気にしなくていいです。さあ、食べましょう』

 確かに何かを食べなくては、そのうち倒れてしまうだろう。仕方なく玲二はそのシチューを啜った。

「……美味い」

『当然です』

 だが実際はアメーバーなわけで、それを幻で誤魔化して食べているわけで、果たしてそれが人間として正しい事なのだろうか。

『いいんです』

 良いらしい。

 

『さておなかもふくれた事ですし、こころのいる所に向かいましょう』

「そうだな」

 蓋はもう一度閉じられるタイプになっていた。上にある出っ張りを押すと空気が抜け、また真空状態に戻ったようだ。まだ四分の三は残っている。これで残った分を腐らせずにすむ。

 玲二はゴミ箱に落ちていた紐で、巨大な缶詰を背中に括り付け立ちあがった。

『重くないですか?』

「せっかく貰ったんだ。置いていくのも勿体無いだろう」

『まあ玲二がそれでいいんでしたら……。断っておきますけど、その缶詰を軽いと思わせるような幻は作りませんからね。以前にも言ったように、あまり矛盾点が生まれると身体と脳に悪影響を与えますから』

「仕方がない」

 まるで亀の甲羅のように缶詰を担ぎ、玲二はこころの待つ電波塔へと向かった。

 

 玲二の目の前には超大な電波塔が聳え建っていた。遠くで見た時とはまるで違う。天を突き刺すかの勢いのその塔は高く、先端が見えなかった。

 高さだけではない。

 金属板を合わせて造られた電波塔は頑強で、そして美しいまでの光沢を放っていた。

 身体にじんじんとした振動が響く。電波塔からの圧倒的な情報の送信量が、近くにいる玲二の身体を震わせているのだ。

 入り口には、建物と同じ電波塔型のアンテナ達が門番のように立ちはだかっていた。

『玲二、今までは敵の目を誤魔化してこれましたけど、ここから先は戦いを避けられそうもありません。主な理由としては敵のアンテナが玲二の持っているものよりも上位であること、そして敵がより強力ということは、他のアンテナ達に連絡を取られる前に仕留める事が難しいという点が挙げられます』

「分かった。つまり全滅させねばならないという事だな」

『それだけではありません。最悪、こころと一戦交える事も覚悟しておいてください。これまでの情報によると、彼女は極めて強力なアンテナを植えられています。この世界の四強の一人、聖者のこころとして、唯一ソラの声を聞く事のできる彼女は預言者とも呼ばれているそうです』

「何とかするさ」

 玲二は入り口に歩を進めた。

 敵兵がこちらに気付き、戦闘体制に入った。

 以前は敗れた相手だが、今度は負けられない。

 玲二は右手を振るい、数台の妄想戦車を造り出した。

 

 こころは己の庭が騒がしい事を怪訝に思い、電波塔の窓辺から下界を見下ろした。

 見えない。

 やはり、こういう事はひとみの担当だ。こころには今、下で何が起きているのか分からない。

「…………」

 だが、待てども待てどもひとみからの連絡はなかった。

 

「行け!」

 玲二の声と共に戦車は火を吹き、門番達を粉砕した。

 いや、煙が晴れたそこには変わらず人影があった。ダメージはあったようだが、一撃で始末できる程甘くはないらしい。

 敵の頭上に幾本もの杭が現れた。

 あれは危険だ。以前も玲二はあれにやられたのだ。

「―――――!」

 空気を裂く音とともに、玲二に向かって杭は一斉に飛来した。

 一本、二本!

 玲二は身を捩ってそれを避ける。

 玲二が攻撃を避けている隣で妄想戦車には杭が突き刺さり、それらは次々と破壊されていった。それでも玲二は攻撃を避けるしかない。反撃のチャンスが訪れるまで待つしかない。

 だが、何本目かを交わした時、突如左腿に激痛が走った。

 杭が突き刺さっていた。それはしっかりと玲二の脚を大地に縫い付け、動きを完全に封じている。

 そして、脚に視界を移した一瞬に、玲二はそれが失策であった事に気付いた。

 次に前を向いた時には右脚に、腕に、胸に杭を撃ち込まれ玲二は絶叫した。

 だが、負けられない。

 こんな雑兵を相手にしている暇などない。

 一刻も早くこころに会いたかった。

 玲二は吼え、痛みにも構わず全身を貫いている杭を薙ぎ払った。

 痛みに立ち止まっている訳にはいかない。耐えられる。これくらいの痛みならまだ戦える。

 玲二は再び妄想戦車を呼び出した。

 出現した戦車に即座に敵の杭が撃ち込まれ破壊される。

 構わず玲二は戦車を造り続けた。

 一台破壊されれば、二台造り。

 二台破壊されれば、三台造り続けた。

 玲二は吼え、精神の続く限り戦車を造り続けた。

 どれくらい造り続けたか。

 数百台にも上る戦車が塔を完全に包囲していた。

 玲二は息を吸い込み、命じた。

「撃て!」

 一斉に砲門が開き、入り口付近に固まっていた門番達を今度こそ粉砕した。

「門は開いた! 行くぞ!」

 玲二の合図と共に、戦車はキャタピラ音を鳴らせ、次々と電波塔の中へと進入していく。

 塔の中から砲撃音が鳴り響いた。

 このまま制圧できる。玲二はそう思った。

『玲二! あれ!』

 未来が戦車の群がる一角をピックアップして叫んだ。

 紅白の着物を纏った華奢な男の子が、戦車を次々と踏み渡りながら電波塔の入り口に向かって走っていた。

 玲二も知っている。あれはひとみだ。

 ――何故、知っている?

 そんな疑問が沸いた。

 一緒に遊んだ覚えがある。一緒に飯を食べた覚えがある。

 それがどこでだったかが思い出せない。

 だが思考は未来の叱責で止められた。

『玲二、なにをぼうっとしているのですか! 彼を止めてください! このまま行かせては危険です!』

「どういうことだ?」

『私は一時的にひとみに妨害工作を掛けて、こころへの送信を止めていました。だから、こころはまだ今の事態を知らない筈なんです。でも、ひとみが直接こころに会えば全ての情報が伝えられてしまいます』

「分かった」

 玲二はまだ塔に入っていない戦車達に、ひとみの足止めを命じた。ただし、コロさないよう、狙うのは脚だ。

『玲二! 情けを掛けて勝てる相手ではありません! ひとみはこころと並ぶ、敵の四強の一人なんですよ!』

「黙れ。お前は俺にあいつをコロせというのか」

 玲二はまだ覚えている。彼らと暮らした僅かな日々を。

 ――駄目だ。

 記憶が混乱している。そんな事あるわけない。ひとみと一緒に遊んだ覚えなどある筈ないのに。

「……く」

コロせる筈などない。

 それでも未来の言う通り、このままいかせるわけにもいかない。

 玲二は戦車砲の発射を命じた。

 全車両の砲台がひとみに狙いをつける。

 ひとみが足を止めて、こちらに振り返った。邪気のない笑顔を浮かべている。

 玲二は一瞬躊躇したが。

 一斉に戦車砲が放たれた。

 ひとみは着物の両袖から二つの棒状の何かを取り出した。その二つを胸の前で繋げると、一本の槍が出来あがった。

 ひとみが槍を頭上に掲げ回転させた。

 一閃。

 飛び掛かる砲弾の全てがその一振りで薙ぎ払われた。

 更に一閃。

 その場にいた戦車は全て上下真っ二つにされ、消し飛ばされた。

 ひとみは玲二に向かってにこりと微笑むと、電波塔の中へと駆けていった。

『追ってください! ひとみをこころに会わせないでください!』

「分かった」

 玲二は頷きひとみの後を追った。

 入り口である物を見つけ、玲二は立ち止まった。

 先の尖った小さな金属片だ。ナイフのような鋭さがある。

 いくら敵の力が強くても、現実に心臓や脳が停止すれば、彼らの力を止められるかもしれない。

 それは、つまり相手をコロす事を射程に入れた考え方だ。

 さっきはひとみをコロせないと言った。けれど、今の玲二の妄想の力でひとみを止めるのは難しい。

 こころを助けるためには。

 ひとみをコロす事も覚悟に入れ、玲二は金属片を拾った。

 

 

 自分が何に迷っているのか、玲二にもよく分からない。

 ただ、ひとみを傷つけることには抵抗があった。

 

 ひとみは玲二の前では余裕を見せていたが、内心では首を傾げていた。

 玲二の力に対してではない。彼の肩の上に座っていたあの少女だ。

 彼女と目を合わせたあの瞬間、ひとみはこころに情報が送信できなくなった。

 こんな事は始めてだ。仕方なく走ってきたら、今度は塔は戦車に取り囲まれていた。

 とにかく、こころに現状を報告しなければならない。

「――――?」

 ひとみは後ろを振り返った。

 視界には誰もいない。けどひとみには眼には『視』える。

 玲二が追ってきている。

 今度はさっきとは違う。玲二の中に僅かな殺気が含まれている。

 いざとなったらひとみをコロす気でいる。

 悲しかった。

 玲二が自分に刃を向けようとしているのが、胸に痛く突き刺さった。

 

 塔の中はすでに進入した戦車の残骸と、ここを守っていたのであろう敵アンテナの死骸がそこらに転がっていた。玲二はそれらを踏み越えて走る。

 複雑な機械で構成された通路は十字に入り乱れ、各所に設けられた階段が更に玲二を迷わせる。

「未来、どっちだ?」

『こころのいる場所は分かりませんけど、ひとみはこっちに向かったようです』

「何故分かる?」

『ここを』

 未来が床の一点をピックアップした。

 微かに砂が付いている。

「なるほど。お前は便利なやつだな」

『はい。ただし視界に入ってる分だけですからね。もっと多くの情報が欲しいなら、なるべく多くの物を見渡しておいてください』

「分かった」

 ともかく玲二はひとみを追った。

 相手はアンテナの四強らしいが、それでも走っているのは生身の子供だ。未来によると段々と追いついているそうだ。

 階段を昇り続けた。

 何階まで上がったか。角を曲がった所で、紅白の着物をはためかせて駆けている後姿を見つけた。

 ひとみだ。間違いない。距離は一五メートル強。

 玲二は右手に銃を造り出す。狙うのは脚だ。

 走りながら銃を構える玲二に、ひとみは振り返った。いつのまにか、その両手には槍が握られていた。やはり、追跡していた事は気付かれていたようだ。

 ひとみが槍で軽く空を突くような動作をしてみせた。

「……うぉっ?」

 いきなり右手に構えていた銃を撃ち抜かれた。

『玲二! ただの槍ではありません! 強力なイメージの塊なんです!』

「分かってる!」

 割と広い通路だ。

 玲二は右手を振り、隣に妄想戦車を呼び出した。

 キャタピラとエンジン音が通路の中に響く。

 砲台の照準がひとみを捕らえると同時、ひとみは再びこちらに振り返り、槍で一突きした。

 戦車の胴体に風穴が開き、次の瞬間には大爆発を起こした。

 玲二は構わず後を追い続ける。

 奇妙だった。

 ひとみは玲二が造ったイメージは破壊してくるが、直接玲二を狙ってくる事はない。

 こころに会うなら、玲二を攻撃した方が確実だ。ひとみにはそれだけの力がある筈だ。

(……! どこかに誘っているのか……?)

『どうでしょう? とにかく向こうに攻撃の意思がないのならチャンスです。このままいけば追いつけます。誘うつもりなら、その前にカタをつけられます』

 玲二は吼え、全力で駆けた。

 ひとみとの距離はみるみる詰まっていく。

 それでも、ひとみは攻撃してこない。

 角を曲がり、階段を昇り、とにかく追い続けた。

 息も上がっているが、今ひとみを逃がす気はない。もう少しで追いつく。

 後、三メートル……!

 一際大きく吼え、玲二は身体中の血管がはち切れんばかりの勢いでひとみに手を伸ばした。

 二メートル……!

 一メートル……!

「……っ! このっ……!」

 最後の瞬発力を得るために、全身の筋肉をバネのように収縮させ飛び掛った。

「――――!」

 両手がひとみの細い腰をしっかり掴んで、玲二はそのままひとみを押し倒した。

 勢い余って廊下を転がり、壁に激突した。

 頭を打ち激痛とともに、軽い眩暈を覚えたが、すぐに未来が止めてくれた。

 ひとみが起き上がり、逃げ出そうとしている。

 玲二はすかさず、走りかけたひとみの足首を掴んだ。細い足だった。

「――?――――!」

 バランスを崩したひとみは、ばたばたと両手を振り回し。

「――――あ?」

 そのまま無様に顔面から廊下に突っ伏した。

 

「さて、と」

 玲二はひとみを妄想の紐などでは縛らなかった。そんな事をしても、ひとみなら簡単に千切られるだろう。

 ひとみは着物姿だったので帯を無理やり外し、それを拘束具として縛りあげた。

 何から聞こうか。

 ひとみはびくびくと震えていて、玲二と目を合わそうともしない。

「まず、お前はさっき声を出したな?」

「――――」

「喋れるのか?」

 その小さな顎を無理やり掴んで自分の方に向かせた。目一杯に怯えの涙を浮かべている。もう一押しだ。

 顎を持つ手に力を入れた。

「喋れるのか?」

 ひとみはこくこくと頷く。

「よし。それじゃ返事は口で返してくれ」

 ひとみは頷いたが、玲二は更に顎を握る力を加えた。

「口で返事だ」

「――――は――はぃ」

「では聞きたい。お前は何で俺を攻撃しなかった」

 ひとみは困ったように視線を逸らす。

「目を逸らすな」

「―――あぅあぅ」

「あぅあぅじゃない。何で俺を攻撃しなかった? 何を考えていた?」

「―――だって――――――」

 伏せ目がちに玲二を見上げてひとみは言った。

「――――玲二さん――コロせない」

「何でだ?」

「――一緒に遊んだ人――コロせない―――」

 まただ。

 ひとみも玲二と遊んだという。

 玲二も覚えている。おしろでひとみ達四人と生活していた事を。

 おしろとは何だ?

 駄目だ。記憶が混乱している。

「……く…!」

 玲二はひとみを拘束している帯を力一杯締め付けた。

「――――あ――あぁ――!」

 ギリギリとひとみの華奢な身体が軋みをあげた。絶え絶えにひとみは苦悶の声を漏らす。

「…嘘だけはつくなよ! 本当の事だけを言えよ!」

「―――う―うそなんて―――言って―ない―――!」

 玲二は帯から手を離し、息を荒くしているひとみを見下ろした。駄目だ。取り乱しては駄目だ。

「……次の質問だ」

 玲二は極力冷静になろうと努め、静かに聞いた。

「俺とお前は何処で遊んだ?」

「――――――?」

 ひとみが訝しげな目で玲二を見る。

「どこで遊んだ?」

 玲二が再度強く問うと、ひとみはびくりと振るえ、涙声で返してきた。

「――――お―おしろ―――」

 その答えがまた玲二の感に触った。

「そんな事は知っている! おしろって何なんだ!」

 怒りに任せてひとみの襟首を締め付けて玲二は怒鳴った。

 ――何故だ?

 何故こうも怒りっぽいのだ。

 今、身体は興奮状態にある。どうなっているのだ。

(未来。今は大事な時だ。多少の悪影響は構わん。この興奮状態を抑えてくれ)

『はい』

 未来が頷くと、玲二の身体は幾らか冷えた気がした。多少は精神にゆとりができたのが自分でも分かった。それでも、まだ胸の奥には滾る物がある。

 玲二はひとみから手を離し、なるべく優しく問い掛けた。

「おしろって何だ? 言え」

「――――お―おしろは―――――おしろ――」

 もう我慢の限界だった。怒りに任せてひとみを殴ろうとした矢先、後ろから声を掛けられた。

 女の声だった。

 玲二は振り返る。

 それは、ずっと捜し求めていた恋人の姿だった。

「……こころ」

 こころは一歩一歩詰め寄ってくる。そこに大きな怒気を撒き散らしながら。

「――――非道いのね―抵抗しないひとみにつけこんで――こんなに苛めるなんて―」

「お前を助けるためだ!」

 玲二は間髪入れずに返した。

「―――私は―――リブラだけでなく―――ひとみまで傷つけた貴方を許さない―――」

 こころはこちらに、正確にはひとみに近寄りながら言った。

「――――大嫌い」

「……っ?」

 何の前触れもなしに、玲二の身体に巨大な重圧が掛かった。上から下に重い何かが圧し掛かってくる。抵抗もできず、玲二は床に叩きつけられた。

『玲二! 起きてください! こころを止めてください! ひとみに触れさせないでください!』

 未来は叫んでいたが、身体は重い何かに押え付けられ動かなかった。ギチギチと骨と肉が軋んでいる。

 こころが玲二の上を通っても何もできなかった。

 通り過ぎる際、背中を思いっ切り踏み付けられた。ヒールが背中にめり込み痛かった。

 ただ、目だけは彼女を追った。

 ひとみを開放するこころ。

 立ち上がって帯を締め直したひとみは、何かをこころに渡した。

 黄色い球体だ。以前、玲二が情報を抽出していた時のものと似ている。

 それを体内に納めたこころは、僅かに顔をしかめ、玲二を見据えていった。

「――――あぁ―――そういうことだったんだ――――」

 こころはひとみに向き直って言った。

「―――――ひとみ――――――この人は玲二じゃない―――偽者よ―――――可哀想に―――騙されちゃったのね―――」

 玲二はこころの言葉の意味を考えた。

 偽者。

「―――ふぅん――――前におしろに招いた時も――――すでに玲二じゃなかったんだ――――」

 こころが手の平を玲二に向けた。掛かっていた重圧が解かれ、玲二は立ち上がる。だが頭の中には疑問が一杯で、何から尋ねていいのか分からなかった。

「―――未来―貴女ね――」

 こころの腕が輝いたと思うと、そこにはロケットランチャーが搭載され、玲二目掛けて轟音とともに弾丸が発射された。

 あまりの早さに動けなかった。

 右肩の上を熱い塊が通過したような気がした。

 振り返った玲二が見た物は、ロケット弾に釘付けにされた未来の姿だった。

「未来……!」

「―――これを見て、自分の姿を確認したら?」

 こころが冷たい声とともに、玲二の前に等身大の鏡を造り出した。

 玲二はそれを覗き込み、全身の血の気が引くのを肌で感じた。

 知らない男だった。

 鏡にしがみ付いて、上から見ても、下から覗いても、やはりそこに写っているのは知らない男だった。

 自分で顔をぺたぺた触ると、鏡の中の男も同じ動作をする。

「――――未来は――――大気中を飛び回る――――ソラに反逆する――――害電波よ――――――ある固体に取り付き、その固体に玲二だという記憶を植付ける―――――本当の玲二は一〇〇年前に死んだ――ミサイルを落とされて――――私も今まで気付かなかった―――――こんなに姿形が違うのに騙されてた―――――だから五〇年前に――――貴方とは違う二人目の玲二をおしろに招いた――――ソラとして――――――迎えたかった――――貴方は三人目―――」

 こころが鏡を消し去り、怒りのこもった眼差しを向けて言った。

「――――私は玲二が生きているのだと喜んだ―――!―――貴方は許さない―――!」

 また、釈然としない何かが込み上げてくる。ただ、それがどういう感情なのか、よく分からなかった。ただ、理不尽な事を言われているのは分かった。

 後ろから口笛と共に足音が聞こえた。

 リブラ。

 そしてカリスがいた。

 リブラが傾いた天秤を取り出して言った。

「――――真実のカリスへ―――裁きを」

「―――リブラ――まだ私の―――聖者のこころの送信は――終わってない――――彼に――――玲二を語る彼には―――玲二と同じ死を―――」

「―――承諾――その情報は有効――真実のカリスへ―――裁きを―」

 玲二と同じ死を。その言葉が耳に残った。

 玲二と同じ。

 そこに個人の尊重は欠片もない。キレた。

 こいつらを皆ゴロしにしてやる。

 こころは恋人でも何でもなかった。そんなものは、ただの植え付けられた記憶だった。やるせなさや行き場のない怒りを、これ以上胸の中に溜め込むのは御免だった。

 人形のように弄ばれた事をアンテナに、ソラに、未来に償わせてやる。

 カリスが天に手を掲げている。

「―――見せてやろう―――最強のソラの執行人―――――真実のカリスの力を――!」

 耳を劈くような爆音とともに、大気が震えた。

 上を見た。

 塔の中の廊下にいたはずだが、天井は吹き抜けになっていて、天から巨大な何かが落下してくるのが見えた。

 ミサイルだ。

 分かっている。あれはイメージだ。

 イメージでも死ねる事も理解している。

「―――害電波―未来がなければ――――もう玲二の亡霊が蘇る事もない――――――消えて」

 挙句にこころには消えてなどと言われた。

 コロしてやる……!

 両手を架ざし、左右に妄想戦車を呼び出した。

 だが、次の瞬間それらは爆破された。

 コロしてやる!

 懐に入れてあった金属片を握り出し、こころに襲い掛かった。

 その細い喉笛を掻っ切ろうと、右手を振るう。

 が、その腕はこころに掴まれた。掴まれた腕の骨がギリギリと軋んだ。

 こころの左腕にはロケットランチャーが搭載されていた。無防備な腹に向けられている。

 爆音と共に身体のど真中が吹き飛んだ。見るとぽっかりと風穴が開いていた。

 身体に力が入らず、膝が床に落ちた。

「―――――――――――貴方をコロすのはコレじゃない―――――玲二と同じように――――――ミサイルに当たって――――――砕けて死んで―――」

 こころの声が最後に聞こえ。

 身体が灼熱に引き千切られるのを感じながら、意識は朝露の如く霧散した。

 

 

 

 

 

 玲二ぃっ! 死なないでください!

 貴方は死んでない!

 貴方は玲二です!

 

 誰が何と言おうと、貴方は玲二なんですっ!

 お願い消えないでっ!

 れ――――!

 

 

 

 

 害電波『未来』を始末しました

 

 了冫〒ナ + アナタ =了 ナ 勺

 聖者のこころ=ソラ

 玲二 → 死んだ

 

 

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