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夜は――
仕事の時間だ。
ここは…………必要以上に金を注ぎ込んだ邸宅の中。今はその広いフロアーも染まっている。
血に塗れて。赤く黒く。
音を発するものと言えば、俺と目の前の豚だけ。後は時計の針くらいか。
俺はでっぷりと太ったその腹に………銃口を向けた。
冷たくて硬い銃身は、窓から入る月明かりに照らされ……妖しく光る。俺はこの輝きが好きだ。
この銃は俺の相棒。
こいつだけが俺を守ってくれる。大親友だ。
「ひいいぃぃぃっっ! ま、待ってくれよ、睦月。お、俺とお前の仲じゃねえか?」
豚との仲か。俺は一笑した。
お前なんか……生きてても仕方ねえよ?
「なあ?」
「…な、なん……?」
「死ね」
「……っ!」
引き金を引くと同時……振動が右腕を伝う。音は殆ど響かなかった。
男を調べる。
「…………」
死んでいた。
これで仕事は完了だ。長居する理はどこにもない。
服装を整えると、何食わぬ顔で玄関から帰る事にした。
冷たい冬の風が、俺のスーツの中にまで染み渡る。吐いた息はすぐに真っ白になる。
帰り道……腕時計を見るともう午後の一一時過ぎだ。
寒いな。腹減ったな。
「ふふ……」
これでは化けてるというよりは、完璧にサラリーマンではないか。我ながら可笑しく思える。
そんな事を考えながら公園に差し掛かった所で……。
「お兄さん」
「……?」
声とともに女……というよりも小娘が近寄ってきた。
誰だ? 知らない奴だ。
そっとポケットの中に手を忍ばせた。硬く、冷たい鉄の感触がそこにある。
「おにーさん?」
黒いストレート髪の少女。
まだ、どこかにあどけなさを残した幼顔、けど、それがむしろ可愛く見える。だが、その幼さの中にも瞳だけは静かに、そして奇妙な輝きを持っている……そんな少女だった。
「くす。こんばんは」
それにしても、どこの女子高生だか知らんが、こんな時間だというのにまだ制服姿だ。こんな寒いのに、あんな短いスカートでよく平気だな。
「ふふっ。お兄さん、制服姿が珍しい?」
己の衣服をひらひらと舞わせてガキは聞いてくる。
「ところで、お兄さん?」
「……何だ?」
「私を買う?」
何を言ってるんだ、このガキは?
じーっと俺の顔を覗き込む小娘。ああ、援助交際とやらか?
しかし、俺はガキには興味はない。
「くすくす、お兄さん?」
「何だ?」
「私、ガキじゃない」
「――――?」
何だ?
こいつ、人の心が読めるのか?
「ふふ。私、心なんて読めない。お兄さんが顔に出してるだけ」
「…………」
「人間だもん。人の心なんてよめない」
気味の悪いガキだ。
確かに見てくれは可愛いかもしれんが、これでは売れないだろうな。
「くす。お兄さん、余計なお世話」
「…………」
「私、これで生活してるんだから」
本当に心が読めるんじゃないのか?
「……で、お兄さん。私、買う?」
いらねーよ、こんなガキ。
「結構だ」
「そう……」
ガキは寂しそうな顔をする。
「私、生活できない……」
知るか。
俺はガキに背を向け、自宅へ帰る事にした。
やっと、マンションの下まで着いた。
「…………」
まだ、ついてきやがる。
いい加減、頭にきた。何故、こんな夜更けにガキに付き纏われねばならない?
「……何か用でもあるのか?」
「私、買わない?」
仕方がない。
財布から千円札を取り出した。
「これをやる。だから、さっさと帰ってくれ」
金を受け取るガキ。
「……私、こんなに安くない」
口にした言葉がこれだった。
ただで、金をやるってのに何て態度だ。
「……買ってくれなくてもいいから、一晩泊めてほしい」
「…………」
「外は寒いから……」
家がないのか、こいつ?
「うん。私、『ほーむれす』の人」
「……勝手にしろ」
「ありがと」
ぱあっと顔を綻ばせ、『ほーむれす』のガキはぺたぺたとついてきた。
部屋に入った俺は、まずエアコンの電源を入れた。
外よりはマシだといってもこの季節だ。建物の中でも寒い。
「……さて」
メシや風呂の前にする事がある。無論、拾ったガキの事でもない。
パソコンの電源を入れた。
カタカタと立ち上がるのに少し時間がかかる。その間に拾ったガキの処遇だが……。
「お前はシャワーでも浴びとけ」
「……えっちなことするの?」
「しねーよ。寒いと思ったから気をきかせてやってんだよ」
「くす、冗談。それくらいわかってる」
「ちっ……」
ホントに犯してやろうか、このガキ。
「お兄さん、今ちょっとホンキになった?」
「…………」
「くすくす。冗談」
「……さっさと行け」
ガキを睨みで風呂場に追い払うと、俺はパソコンに向かって腰掛けた。
パソコンはもう立ち上がっている。とりあえずいつものページへ飛ぶ。
ジジジっと機械は音を立てているが、画面はなかなか変わらない。
遅い。
そろそろ、こいつも古くなってきたかな。まあ、もう暫くはいけるか。付き合いが長くなると愛着も沸くものだ。
やっと、画面が表示された。
さて、今日の仕事の成果は……。
睦月 可
「ふん」
それだけ確認すると俺は電源を切った。
「…………」
浴室からはざざーっと、シャワーの音が聞こえてくる。あのガキ、今、素っ裸でシャワー浴びてるんだな。見ず知らずの男の部屋に上がりこんで無防備なやつだ。
「……さて、メシでも作るか」
仕方がないから二人分だ。
冷蔵庫からタマゴを三個とサラダ油を取り出す。まずはフライパンに薄く油を張り、強火で熱する。
油が熱くなるまで時間がある。その間にタマゴをボールに落としよく掻き混ぜておく。そこに、俺特製のダシを入れておいた。
フライパンに火をあてる事、数十秒。
熱された油に絡ませるように、ダシ入りタマゴをフライパンに少しだけ流し込み、中火にする。そのまま伸ばしたタマゴを巻いていき、フライパンの空いた場所にまたタマゴを流し込み、同じようにタマゴを巻く。
ダシ巻きタマゴの完成だ。二つの皿に均等に分ける。それから、炊飯器から二杯米を装っておいた。
「……ふむ」
味噌汁も欲しいな。
確か、鍋にまだ作り置きがあったはずだ。
ガスコンロの鍋の蓋を開けて覗いて見た。二杯分はある。
これも、お椀に汲んでおいた。
準備完了だ。そろそろ、あのガキも出てくる頃だろう。
「む?」
ガチャっと扉が開いた。噂をすれば何とやらだ。
「お前もメシ食うか……って、おいコラ!」
思わず怒鳴ってしまった。『女子高生のガキ』は上下とも下着姿だったからだ。
上の方は大きめ、長袖のシャツなのでまあいいが、下はモロにパンツ一枚だけだ。普通の奴ならば、もう少し恥じらいくらいはあろうに。
「おい、何だ、その格好は?」
「寝る時はいつもこの格好だよ」
「下、下! なんか履けよ」
「はいてるよ、ぱんつ」
「…………」
まあ、別にどうでもよかった。
「まあいい。それよりメシ多く作りすぎたんだ。お前も食うか?」
「…………」
ちろっとガキは食卓を見て座る。
「いただきます」
無遠慮にそう言って箸で卵を摘み出した。
普通、『え、いいんですか?』とか聞かないか?
ぱくぱくと食べるガキ。
「お兄さんは食べないの?」
「…………」
つまらない事で怒っても仕方がないので、黙って食べることにした。
「お兄さん、ごはんおいしい」
「そりゃ結構なことだ」
毎日、自分で作ってんだからな。
「私、お兄さんにずっと面倒みてもらいたい」
大迷惑だ。
「くす、冗談」
殴ったろうか。
「乱暴しないでね」
「…………」
「ふふ。お兄さんの心、本当によく分かる」
単純で悪かったな。
「それは、きっとお兄さんの魂が綺麗な色をしてるから」
「魂?」
「そう。透き通るような淡い蒼……」
はっ。人殺しの魂が綺麗だって言うのか、このガキ。
「くすっ」
ちっ、何が魂だ。
まったく気味が悪い。こうも考えがびしびし当てられるのだから。
「大丈夫。私、怖くない」
説得力ねーよ。
「みんな、私のこと、すごく優しいって言う」
みんなって……このガキ、友達いたのか。
「くすくす。お兄さん、大きなお世話」
「…………」
さて、飯も食い終わったことだし、風呂にでも入ってさっさと寝るか。
そう。朝になれば、こんな気味悪いガキともおさらばできるってもんさ。
暖かい布団の中。
チュンチュン……と、小鳥の囀りが、俺を覚醒させた。
「…………」
誰もいなかった。
ただ、ガキが寝ていたであろう、布団の上には一通の書置きあった。
『お世話になりました』
結局、何者だったんだろうな。やたらと、人の心をばしばしとあてるガキ。
ただ、一緒にいて退屈はしなかったな。
もう一度、書置きを見た。
『お世話になりました』
そうか。
あいつ、帰ったんだよな。
なんか、このがらんとした部屋が寂しいな。
独りっきりってのはよ。
また夜。
夜は仕事の時間だ。
「ま、待ってくれよぉ、睦月ぃ……」
「死ね」
ガチンっと金音が鳴り、俺の銃弾は豚の眉間を打ち貫いた。
また夜が来る。
今日も仕事の時間が来る。
社会の隙間へと影を潜めた俺が、唯一その存在を誇示できる時間だ。
「な、な。睦月、よく考えろよ? か、金はそいつの倍、いや、三倍払うからさ……」
思えば俺は個性のない子供だった。
「死ね」
「……っ」
この仕事だけが俺の価値を示してくれる。
「む、睦月? 何でお前が……ここにいるんだよぉっ?」
しかし、悲しいかな。所詮は汚れた仕事。誰に『俺はこういう仕事をしているんだ』などと言えようか。
「死ね」
結局は誰にも自分の価値を誇示することなどできない。
誰にも本当の俺を見せられない。
誰にも本当の俺を見せられない?
それがどうした?
「む、睦月? 俺達、友達だった、いや、友達だよ……」
「死ね」
俺はずっと独りだった。今更、何を求める?
「お、睦月じゃねえか? な、何だ? 何の冗談だよ? 何だよ、その銃……」
「死ね」
「睦月くんっ! 君は…君はっ!」
死ね。
「睦月っ!」
死ね。
「わ、私が何したって言うのよっ?」
死ネ。
「睦月」
「睦月っ?」
死ネ。
死ネ。
「睦月睦月睦月睦月」
死ネ死ネ死ネ死ネ。
睦月睦月ムツキムツキムツキむつきむつきむつきむつきむつきむつき
シネシネシネシネシネしねしねしねしね氏ね氏ネ
シンジマエ
そうだ、これが俺の人生だ!
誰にも認めてもらう必要などない。
だが、物言わぬ死体と化したお前らには特別に教えてやろう!
光栄に思え 光栄に思えよ。
これが……これが睦月祐作の生き方だ!
靴を脱ぎ玄関の鍵をかけると、フラフラとリビングに向かう。
疲れた。
何も考えずに、ソファに倒れこんだ。
このまま眠りたい。
「…………」
すっきりしない。
何か……すっきりしない。
独りっきりの部屋を見渡して、そんな事を考えていた。
『お兄さんの魂が綺麗な色をしてるから』
魂?
魂って何だ?
そういえば、あいつはじっと俺の目を見て話してくれていた。
俺と目を合わせて話してくれていた。
(会いたい?)
何を馬鹿な。
あんなガキ、こちらから願い下げしたんじゃないか。
それにもう会う筈もない。
「ちっ」
なのに、何故あのガキが脳裏に散らつくんだ!
「くそったれ!」
疲れきった身体をもう一度奮い立たせ、俺は玄関を後にした。
夜の公園に着くと、ダンボーラーの連中が嫌でも目に入る。
あのガキとは、前にここで会ったんだ。
辺りを見渡す。
あのガキは……見当たらない。
少し歩くか。
散歩がてらに公園の中をぶらついてみる。
俺はこんな所で、こんな時間に何をしているんだ?
あいつと会って何をしようってんだ?
分からない。
一周してみたが、やはりあいつはいなかった。
馬鹿馬鹿しい。何を期待しているんだ、俺は。
「くそっ……」
苛々する。
近くにあったベンチに腰掛けた。
冬のベンチは冷たい。
「…………」
眠いな。
そういえば、さっきソファで寝ようとしてたんだったな。
(このまま寝てしまうか)
家に帰ったところで誰かがいるわけでもない。
目を閉じた。
意識が身体の底に、闇に落ちていくのがわかる。
余程、疲れていたのか。
「こんな所で寝てたら風邪をひくよ」
聞き覚えのある声にはっと意識が覚醒した。
慌てて目を開けると、どこぞの女子校の制服が目に入った。
「起きた、お兄さん?」
「…………」
探した時は見つからないのに、諦めたら出てきやがる。
何なんだろうな、お前は。
「お兄さん、私に会いたかったんだ?」
まあな。
お前にはどうせ隠し事なんてできないからな。
「くす」
ガキは口に人差し指を当てて笑みをつくる。少しだけ可愛く見えた。
「さっきからお兄さん、一言も口を開かないね」
疲れているんだ。ほっといてくれ。
「これ、昔のお兄さんなんだ。高校生くらいかな?」
「……?」
ガキが手に持っていたのは……一枚の写真。
懐を探る。ない。
肌身離さず持ち歩いていた写真がなかった。
それは俺の写真か……?
「お兄さん、この頃、将来何になりたかった?」
そんなこと聞いてどうする……?
俺を笑い者にでもしたいのか……?
「何でもよかったさ。若さ故、何にでもなれると思ってた」
ただ……。
「皆が俺を称えてくれるような人間になりたかったな」
「みんなに称えられたかったの?」
「俺でなきゃできない仕事につくとかな」
「…お兄さん、それは」
「わかってるさ。この世のどこを探しても、俺じゃなきゃできない仕事なんてないって事くらいはよ」
それは俺に限った事じゃない。誰もがそうなんだ。
大企業の社長であろうが、総理大臣であろうが、どんな偉い人間であろうが、仮にそいつがいなくても、他のやつがその職種を勤めるだろう。
ただ、ガキだった頃の俺はそれを信じたくなかった。
「それで、今のお兄さんの仕事はどうなの?」
そうだな。
ある意味、俺が望んだものに最も近かったかもしれんな。
「それじゃ、お兄さんは今幸せなんだ?」
幸せ? 何がだ?
「自分の成りたかったものになれる人なんて……そうはいないよ、お兄さん?」
違うな。
「何が?」
これは俺が望んだものに近いかもしれない。しかし、それとは本質的な部分が異なる。
「じゃ、お兄さんの本質的な望みはなに?」
もしも、好きな女でもいたら、少しはマシだったかもな。俺だけを見てくれるそいつと二人で小さな家で過ごす……なんてのも、悪くないかもしれないな。
「でも、子供ができたら、その人はお兄さんよりもそっちの方を見るようになる」
なら、子供は作らないでおこう。
「その人が子供を欲しがるかもしれない」
欲しがらない。
「浮気するかも?」
俺だけを見てくれる。
「毎日、お兄さんばかり見てたら、その人もさすがに飽きちゃう」
大丈夫だ。
「くすくす、お兄さん……?」
何だ?
「そんな人、普通はいないよ」
「そんな事は分かってる! だから、俺はこんなになっちまったんだよ!」
「そんな人がいないから、お兄さんはそうなったの? まるで、世間が悪いみたいな言い方」
「お前に何が分かるっ!」
ガキの首根っこを掴んで、そう凄みを利かせた。お前に何が分かる。
だが、当のガキは涼しい顔をするだけだ。
「くす。お兄さん、恥ずかしいよ?」
「うるせえ!」
そのまま地面にガキを押し倒した。
ドサリ……と、その軽そうな身体が地面に触れる。
ガキの両腕に体重を掛けて押さえつけた。
細い腕だ。もう、逃げられない。
それでも、ガキはまだ余裕ぶった笑みを消しはしない。
「随分と余裕じゃねえか? 売女なら慣れっこてか? ああ、おい?」
「……やな言い方するね、お兄さん?」
「そうだ、お前は売女だ。金さえ貰えば誰とだってやるんだろ」
「…………」
「いくらだ? いくらやったら、俺とできるってんだよっ? 言えよ、その済ましたお前の口からよ!」
「……お兄さん」
そっと、目元を冷たい指先に拭われた。
「泣きながら言うことじゃないよ」
「……っ!」
俺は泣いていた。
自分が情けない。
何をやっているんだ、俺は……?
「…私ならお兄さんの望む人になってもいいよ」
お兄さんだけを見て――
子供もいらなくて――
浮気もしなくて――
いつもお兄さんのそばにいる。
それが、何十年、何百年、何千年、何万年続いたとしても、私はお兄さんを飽きたりしない。
それが、お兄さんの望む人。
「お兄さん、私を見て」
「……お前は何で俺に関わろうとするんだ」
「お兄さんの魂、綺麗な色をしてるから」
魂。またそれか。
「俺は魂なんて信じない。人間が持っているのは肉体だけだ。心ってのも脳があるから、人はものを考えられるにすぎない」
「いいよ、それでも。私、お兄さんが気にいった」
気にいった……かよ。
あれからどれだけの時間が過ぎたのだろうか。東の空が白け、鳥の囀りなんかも聞こえてくる。
「ふん。今日はもう帰る」
「うん」
にこりと笑って俺を見送ってくれる。
そのスカートや上着は多少ではあるが砂に汚れていた。さっき押し倒した時のものだ。
「…今日は……済まなかったな」
「くす。お兄さんでも、人に謝ることもあるんだ」
うるせーよ。
「私はいつでもここにいる。会いたくなったら、ここに来たらいいよ」
「……気が向いたらな」
何だろう……。俺はこいつから何かを貰ったような気がした。
夜は仕事。
仕事の時間。
「ま、待ってくれ。こ、こ、こ、殺さないでくれっ……!」
今日も俺に怯える豚が一匹。
「死ね」
ガチンっと引き金に指を掛けると、豚は眉間に穴を開け絶命した。
あいつは……俺がこういう仕事をしていると知ったらどう思うかな。
(いや……)
気づいているかもしれないな。
そういえば、俺はあいつの名前も知らない。
帰りにまた覗いてみるか。
俺は再びあの公園に足を踏み入れた。
ここに来るのも、今日で何回目だったかな?
「お兄さん」
いつものように、こいつは俺を迎えてくれる。
こういうのも悪くないな。
「今日は土産がある」
出店で買った袋をぽんっと手渡した。
「開けていい?」
「ああ」
ガサガサっと封を切る…………もわっと冷たい公園の空気に湯気が舞う。それに伴い頬の落ちるような甘いバニラの匂いが鼻腔を擽り、口の中に唾をためた。
「わ、カステラ。貰っていいの?」
「ああ」
慣れてくると、こいつも可愛く見えてくるから不思議だ。最初なんか、気味が悪くて仕方ないくらいだったのにな。
「お兄さん、私を可愛いって思ってる?」
「…………」
これさえなきゃ……な。
「ねえ、お兄さん?」
何かお願いでもしたそうに、俺の目を覗いて聞いてくる。
珍しいな、こいつがこんな態度をとるなんてな。
「なんだ?」
「今日、お兄さんの部屋にいってもいい?」
「…………」
「……外は寒いから」
そうだ。
俺はこいつを部屋に呼びたかったんだ。若いのにこんなトコに住んでるなんて、可哀想だとか思ったからじゃない。
俺が毎日、こいつの顔を見たかったからだ。
けど、なかなかそうは言えなかった。
こいつは、そんな俺の気持ちを代弁してくれた。
「ふん。結構、可愛いトコあるじゃねえか?」
「なんのことかわかんないよ、お兄さん?」
くすくすと笑って返してくる。性格の悪いやつだ。
「……で、いいの、お兄さん?」
「ああ」
「ふふ」
笑うな。
いつもは独りっきりの俺の部屋も、二人になると少しばかり騒がしく思える。だが、決して、不愉快な騒ぎじゃあない。
「適当に座ってろ。俺はメシの準備で忙しいんだ」
「うん。お風呂、借りてもいいかな?」
「ああ」
「一緒に入る?」
「入らねーよ」
「くす。冗談」
「とっとと入れ」
「ふふ。お兄さん、これくらいで怒ってはだめ」
お前が俺を怒らせてるんだよ。
「くすくす」
俺から逃げるかのように、浴室に駆けていく。
くそ。あいつは俺をからかって楽しんでやがるんだ。
「さて……」
パソコンはもう立ち上がっている。いつものページに飛びしばらく待つ。
「…………」
何で俺はあいつが風呂にいった隙に、こそこそしてるんだ。
ばれるのが嫌なのか?
このまま、俺とあいつが関わっていくとするなら、いつかは絶対に分かるものなのに。
そんなことを考えているうち、いつの間にか画面は表示されていた。
「……ん?」
俺の仕事結果がまだ確認されていない……?
どういうことだ。
「……っ」
――背筋に冷たいものを感じた。
俺は椅子から飛ぶように離れた。
懐から銃を取り、壁に背を当ててそれを構える。
狙われている……気がした。
神経を集中する。
ザーっと浴室からはシャワーの音が聞こえてくる。
俺の中からは、ドクドクと心臓の鼓動が聞こえてくる。
壁の向こう、隣の家からは楽しそうな家族の団欒が聞こえてくる。
気のせいか……。
しかし、何かが起きているのは確かだ。
仕事をしくじったか?
いや。
あの豚は眉間に穴を開け、確実に絶命していた。
分からない。
とにかく、ここにいるのは危険だ。
一人なら逃げるのも決して不可能ではないが、あいつを連れていてはそれも難しい。
「ちっ……」
俺が一人で逃げればいいんだ。
そうすれば、あいつも危険な目に会うこともない。
「くそっ……」
それがベストな選択なんだ……。
俺はこういう生き方を選んだ時から、独りでしか生きられないと決まっていたんだ。
ガチャリ。
浴室の扉が開いた。
「お兄さん」
上下共に下着一枚ずつのガキ。こんな時でも無防備なやつだ。
「……お兄さん?」
俺とお前じゃ生きている世界が違うんだよ。
「だめだよ、お兄さん」
「何だ?」
「お兄さん、私の前から去ろうとしている」
そうか。お前には隠し事もできないんだったな。
だったら分かるだろう? 俺から滲み出る『死人の匂い』がよ。
俺と一緒にいたら……………いつかは死ぬ。
「…だめ……お兄さん、また独りになる」
仕方がない。俺はこういう生き方しかできないんだからよ。
「お兄さんは私しか友達いないんだから。私から離れちゃ駄目だよ」
大きなお世話だ。
「いこ、お兄さん?」
「どこへ行くんだよ?」
「お兄さんのいきたいところ」
「駄目だ。俺は独りでしか生きられないんだ。今までも、これからもな」
俺がそう突き放すとガキはずいっと詰め寄って、俺の顔を覗きこんで言った。
「お兄さんは自分勝手」
「何がだよ?」
「私がここに来たいっていうのを拒まなかったくせに。独りで生きていくのが辛いから、私を拒まなかったくせに」
「…………」
「だから私はそれに応えた。あの時も、そして今度も」
「今度も?」
「お兄さん、口には出さないけど、本当は私と一緒にいたいと思ってる」
分かってるじゃねーか。
「だから、私はお兄さんと一緒にいく」
ガキは俺の首に手を回し、更に迫ってくる。
こいつも独りだったんだ。俺と離れたくないんだ。
「くくっ……」
なかなか健気じゃないか。素直じゃねえけどよ。
それでもよ……。
「…お兄さん……?」
俺はガキを突き放した。
「何でも分かってそうでも、やっぱ分かってねえことがあったな?」
「そんなことない。私、お兄さんのことよく分かる。お兄さんも私といたいって思ってる」
「そうだな。けど、それ以上に……俺はお前が死ぬところは見たくない」
「…………」
それも分かってるって面しやがる。
「お兄さん」
「何だ?」
「私だって人間だから…………………人間だから、嫌なことだってある」
「何だ、言えよ」
「私の知らないとこで、お兄さんが死ぬのはいや」
「…………」
「それに、私、お兄さんと約束した」
その顔は涙に濡れていた。
こいつでも泣くんだ。
「私、お兄さんと約束した」
お兄さんだけを見て――
子供もいらなくて――
浮気もしなくて――
いつもお兄さんのそばにいる。
それが、何十年、何百年、何千年、何万年続いたとしても、私はお兄さんを飽きたりしない。
それが、お兄さんの望む人。
「…私ならお兄さんの望む人になってもいいよ」
「くくっ」
「…お兄さん?」
「可愛いこと、言うじゃねえか」
そっと、その涙を拭ってやった。
「珍しいものをみせてもらったが……お前にゃ涙は似合わねえよ」
「……っ」
顔を真っ赤にする。
もっと、色々な表情が見たいな。
「心配するな。俺は死なない。必ず生きて帰ってくる」
「…お兄さん……」
「だから、お前の名前、教えろよ。探す時、不便だからな」
「…………」
「な」
「うん」
「…………」
「くく。ちゃんと名前があったんだな?」
「お兄さん、当たり前のこと言ってる」
じゃあな。
俺は必ずお前に会いに来てやる。
その時までに、もうちったぁ女を磨いとけよ。
※
あの日から私はずっと待ってる。
あの日から…………冬が終わって、夏が来て、その夏も終わって、秋も終わって、また冬が終わって……それでも、私はずっと待ってる。
この公園で、あの人を待ってる。
今日も私は独り。
迎えの人は来ない。
でも、いつか必ず来る。
約束したから。
冬は私の息を白くする。
寒いから。
それは、住む場所のない私にはちょっと辛いこと。
だけど、冬は嫌いじゃない。
あの人と始めて会った季節だから。
春はあまり好きじゃない。
梅雨に入ると雨がよく降るから。
雨は寒いのより、もっと嫌い。
夏は暑いから嫌い。
それから……私の公園に夕方遅くまで子供が遊んでいるから嫌い。
何も不自由なく育ってる子供が、親に連れられて遊んでいる。
ここは私達の公園。私と同じ、住む場所のない人達の住む場所。
そこに土足で立ち入る子供。私はそれが嫌い。だから、その子供が遅くまでいる原因、陽の長い夏も嫌い。
秋は少しだけマシ。
嫌いになる要因が少ないから。
好きになる要因もないのだけど。
そして、また冬がくる。
やっぱり、私は冬が一番落ち着く。
この冬の冷たいベンチも好き。お尻と背中がひんやりとして気持ちいい。
今日は天気がいい。眠くなってくる。
昼寝をしようと目を閉じた時、私を大きな影が覆った。
「……よう?」
聞き覚えのある声に私は顔を上げた。
「どうだ、少しは成長したか、ガキ?」
「ちゃんと名前教えてあげたのに……」
人のことガキガキって、どっちがガキなんだか。
それに、私はもう……。
「私、もうガキじゃない」
そう言ってやった。
「ああ。出るトコは出てるみてえだしな」
品が悪い。
「くくっ」
「…………」
「随分と表情豊かになったじゃねえか?」
「お兄さんこそ、随分と口が悪くなったね」
「ほっとけ」
「さて、いくか」
「うん」
どこへ、なんて聞かない。
どこだっていいから。
「行こ、お兄さん」
「ああ」
どこだって幸せになれるから。
お兄さん。
約束……守ってくれた。
だから、私も約束守る。
もう、独りになんてしない。
約束……するね。
| パズルは解けました。 おめでとうございます。 |