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ヒトの命とパン。 

   -食物にも命が-

 

 

りりっこが幼い頃に見たある吸血鬼が

こんなこといったんです。

 

「お前は今まで食べたパンの数を覚えているのか?」

(うろおぼえ)

 

そうですね。

覚えていません。

ごめんなさい。

ちょっと難しい問題です。

 

ただ。

覚えてはいませんが。

覚えた方が好ましいかもしれません。

 

何故なら今ここに自分が生きているのは

生まれてからこれまで

たくさんの食物を食べたからです。

 

犠牲を肯定し、

その上で食事という形で命を摂取しているから、

この場に生きているのです。

 

自分が生きているのが

犠牲にした命の数々であるのなら。

その犠牲をとめることはできませんが、

踏み付けた命に敬意を払うのも、

また良いかもしれません。

 

礼節なくして食物を食べたり、

あるいは食べ物を残して捨てるのは

りりっこからみれば殺人と罪の重さは同じです。

食べ物を粗末にしたらダメだし、自分が毎日3食、命を食べて生きているということを忘れたら、絶対にダメだと思う。

 

りりっこが無意味な殺人を否定するのは

殺人が法律で禁止されているからではなく、

命が大事だと思うからです。

 

人間は殺したらダメだけど、

ゴキは気軽に殺していいなんて理屈は成り立たない。

 

もちろん、ゴキは人間の住処や

私達の平和を侵害してくる敵です。

だから、ゴキと戦い

駆逐し、その命を奪うこともまた大切でしょう。

 

ですが、ゴキを殺したならば

死骸を捨てる前に、

せめて冥福を祈ってからにしてあげましょう。

 

人間だから殺すことを悪いと思うんじゃない。

命の大事さを分からないから悪いと思うんだ。

 

時と場合によれば、

繁栄や欲望のために

ヒトを殺す人もいるかもしれない。

いつも、そんな時に私が思うのは

ニンゲンがニンゲンを裁くなんて傲慢だと思う。

だから、殺した人は

神に祈ればいい。

殺した相手の冥福を祈ればいい。

 

私は殺人者にそれ以上の責を求めません。

 

 

もちろん、私が被害者側の立場であれば

その犯人は

私の領域に攻め込んできたわけだから

ゴキと同じです。

当然、それは対立関係にあるわけなので

容赦する必要はありませんが。

 

 

今日、りりっこは豚肉を食べました。

食べられるために家畜として生まれ、

死んだ豚の気持ちは私には想像することが困難です。

 

 

ですが、被害者の気持ちを考えるのが優しさならば

豚の気持ちを考えるのも、

また優しさでしょう。

同時に食べている私の気持ちや

殺人者の気持ちというのも察していけば

世界は平和に、丸くなっていくかもしれません。

 

 

食事を取る時は

失われた命に礼を払い、

ありがたく頂きましょう。

 

 

りりっことみなさんのやくそくでう。

 

 

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