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失敗にも色々。 

   -生きることは戦うことと同じ-

 

 

生きることは戦うことだと思います。

負け方にも色々とあると思います。

 

良い結果になるか、悪い結果になるかは

フタをあけるまで分からないけれど

出来る限りの熟慮をして

出来る限りの努力もした上で

それでも望む結果が得られない時もあるかもしれません。

 

時には望みの結果を得るために

悩んだ末、悪事に手を出し、

それでも負けることはあるかもしれませんし

たとえ、目的を果たしても

自分の心に影を落とすこともあるかもしれません。

だいたい、悪事に手を出す時って

お金か人間関係の問題じゃないでしょうか。

 

それはもうしょうがない。

例え悪事といえど、一生懸命やって負けたんなら、

その時の自分の思考と技術ではそれ以上の結果は出せなかったんだ。

後々でみれば、もっといい方法や答えがあったんじゃないかって思う時もあるかもしれないけれど、

その時の全力を出し切ったんだ。

その時の自分の思考ではその答えに至れなかったんだ。

それなら悔いはない。

 

自分の信じた道で敗れたんならしょうがないし、

負けたとは言え、

まだ自分が生存しているなら

『あらゆる努力や手段』を

『非道徳的なものも含めても』肯定するなら

それをもう一度手に入れるために戦うのもいいでしょう。

 

生きている限り、

あらゆる現象の可能性は0じゃない。

上にあげた、『あらゆる努力』を肯定するなら。

そう思っています。

 

『絶対にムリなことだってある』っていう人ほど

目的のために

見知らぬ100人も犠牲にできないヒトが多いし、

あらゆる手法を考慮していないと思う。

 

ただ、そうじゃない敗北。

たとえば、日常において

ついつい言葉を間違えて、好きな相手の気分を害してしまったとか、

反射的に行動をとってしまい、それが裏目に出たとかは

悔やんでも悔やみきれない。

 

だって、それは

自分の理想が出した答えじゃないんだ。

自分が信じた答えで負けたのならしょうがないけれど

それ以外のもので負けるっていうのは

どうしても悔いが残ってしまいます。

 

だから、いつもよく自分を振り返って

これでいいのかどうか

考えながら行動したいです。

 

しかし、やっぱり

平和や安定が続くと、

どこかで油断が生じてしまいます。

 

ふとした気の緩みから

不適切な言葉を吐いてちぃゆとかを泣かせたりすると

「あぁ…」って後悔してしまいます。

泣かせるのなら

最初から泣かせるつもりで

自分に自信を持って泣かせます。

だから、安心して涙を流しまくるといいです。

全部なめとってあげます。

 

話がそれました。 (いつもそれる)

 

不注意でミスをすると

「ああ、気をつけないと…」

って反省します。

 

が、喉元過ぎるとなんとやら。

しばらく経つと

また気が緩み始めます。

 

困ったものです。

まったく。

 

 

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