- 世界の底辺 -

F章 再び命を吹き込まれた者。


 レイチェルは傍らに立っているリアニメイトを見上げた。

 秋田やノワールと違い、ベリード・アライブの言葉にすらぴくりとも反応しない。

 ―――君は何故ボクの言うことを聞かないのだい?

(違う)

 レイチェルは知っている。リアニメイトには誰の言葉も届かない。唯独りとしてここに立っているのだ。誰にも依存しないレイチェルが創り出したアバターは、レイチェルの心の中に残っている最愛のニンゲンの最期の姿だった。

 言葉は届かず、レイチェルが愛を傾けてももはや応えてくれない。

「バカは貴方の言う『上の世界のヒト』でしょう。よく調べておかないから後悔することになるのです」

 ――バカダト! ユルサン!

(リアニメイト)

 レイチェルは心の中でアバターの名を呼んだ。だけどアバターはやはりなにも答えない。届かないのだ、レイチェルの声が。

 ――アキタ、ノワール! コノオンナカラコロシテシマエ!

 ひなたは咄嗟に銅の剣を99本秋田の足へ向かって投げたが、そんなものは秋田のたったの一蹴りによって薙ぎ払われた。

 その間にもノワールがレイチェルへと襲い掛かる。

「やめて、ノワール!」

「!」

 氷雨がレイチェルを守るように前に躍り出た。僅かだが、確かにノワールは動きを止めた。

「ハ…ハ…ハ…ハ。ひ、さ、め…」

「ノワール…」

「わ、た、し、は、き、み、を、ま、も、る、ど、ん、な、しゅ、だ、ん、を、つ、か、て、も」

 ノワールは自らの回線を自分の首に巻きつけようとしている。それを氷雨が止めた。

「氷雨、死なせてくれ。君を傷つけたくないのだ」

 氷雨は首を振っている。

 秋田もノワールも苦しんでいる。

「……」

 レイチェルは懐から銃を抜き、ベリード・アライブに向けた。

 ―――ヒィ?

 爆音が響き、銃弾が乱れ撃たれる。

 だが、その全ての銃弾は秋田とノワールがベリード・アライブの前に盾のように立ちはだかり打ち落とした。

 ―――フウ。オ、オドカシヤガッテ。オマエラ、アノオンナヲサッサトヤレ!

「@@@」

「@@@@@@」

 秋田がひなたを蹴り飛ばし、ノワールが氷雨を傷つけないよう当身で気絶させ、ニンゲンであるレイチェルを殺しに飛び掛ってきた。

 レイチェルはリアニメイトを呼んだ。だけど彼は応えない。

 仕方なく、レイチェルは銃弾を放った。

 だが、それらは秋田の鎌が容易く打ち下ろし、接近を許してしまったノワールの回線がレイチェルの首に巻きついた。

 頚動脈が絞められる。

「……っ」

 頭の中が白くなり始める。

 ――――ハハハ、ソノテイドカ。

 リアニメイトは応えてくれない。仕方ない。レイチェルは己のミスで大事な『   』を死なせてしまったのだ。

 時間が欲しい。

 秋田とノワールを押さえつけ、ベリード・アライブを拷問に掛ける時間が欲しい。

 五分でいい。

(リアニメイト……再び命を吹き込まれた   、お願い…一度でいい。ひなたさんと、氷雨さんを助けたい、あの子達は私達と違い、未来がある。私達の全てを託したい。一度でいい)

 三分でもいい。

 一対一でベリード・アライブと向かいあいたい。

「@@@@」

 首を絞められているレイチェルに秋田が襲い掛かる。咄嗟に銃を構えたレイチェルの腕を、秋田は掴みへし折った

「――――!」

 腕が折れた。

 激痛が脳天まで走る。だけど泣かなかった。泣いたってリアニメイトは振り向かない。

 リアニメイトは動かない。

 レイチェルは迷わなかった。

 リアニメイトが動き、目的が達成できるのなら命を引き換えにしてもいい。この残骸のような命がひなたや氷雨の役に立つならそれでいい。

「リアニメイト!」

 叫んだ。

 頭の中が真っ白になったのは、きっとノワールに頚動脈を絞められすぎて脳に血液がいなくなっているのに、無理に大声を出して更に酸素が足りなくなったからだ。

 それでもリアニメイトは動かない。

 懐かしい言葉がレイチェルの脳裏を駆け巡った。走馬灯のように。ノワールの回線がレイチェルを地獄へと片足ずつ突き進ませる。

 秘密の花園の記憶。エデンへの道。大きな罪と小さな罪。フラクタル。@@@。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 レイチェルは叫んだ。

 遠に死んだと思っていた感情が爆発した。

 悲しかった。

 骨折していない腕に『彼の銃』を持ち替え、撃ちまくった。

「あああああああああああ」

 幸せになりたかった。

 レイチェルの犯したミスは如何なる方法でも取り返せなかった。死者を蘇生させる術などなかった。

「―――――――――!」

 心の何処かで周囲のニンゲンの悩みを矮小なものと笑ってきた。レイチェルは笑って生きてきた。その程度の悩みなど、完璧な戦略と戦術、努力を用いればクリアができると。

 死者の蘇生だけはできなかったのだ。

 ダイダロスの槍を思い出した。イカロスの翼を思い出した。

 クリア手段のない地獄がレイチェルを苦しめた。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 脳の血管が切れてもいい。ぶちん。先にノワールの回線が千切れた。

「@@@」

 リアニメイトへと手を伸ばした。

 

 

「――――!」

 秋田とノワールは何者かに蹴り飛ばされた。

 彼は真っ直ぐと秋田とノワールと対峙した。レイチェルを守るように。

(三分でいいのだな)

「――――」

 リアニメイトの声を聞き、レイチェルはどきりとした。あの時の『彼』の声そのままだ。

「アバター二人を相手に三分も、よ?」

(だったら早く目的を果たせ)

「う、うん」

 秋田がレイチェルに飛び掛ってくる。ノワールが回線を延ばしてくる。

「――――!」

 それらをリアニメイトは独りで受け止めたのだ。

 レイチェルは振り返らなかった。

 折れていない方の手に銃を構え、ベリード・アライブへと向かって駆けた。

 後ろから肉の切れる音と、回線の締まる音が聞こえた。

「ベリード・アライブゥゥゥゥ!」

 レイチェルは銃弾を乱射しながら駆けた。数発がベリード・アライブの身体に突き刺さった。

―――ウギャアアアアア。アバタータチナニヲシテイル! コイツヲトメロ! タカガアバターイッピキニナニヲテマドッテイル! ニタイイチデハナイカ!

 リアニメイトの身体が斬られ、首が絞められる音が聞こえる。アバターを二人も同時に相手にしているのだ。最初の一撃を止めたことさえ奇跡に近い。

 リアニメイトが始めてレイチェルの言葉に応えてくれた。これで最期だろう。彼がくれた僅かな時間を決して無駄にはしない。だから振り返らない。

 腹を撃たれたベリード・アライブが床の上を転がっている。

 ―――オ、オノレ! オノレ! キサマのような小娘に! やられる私ではないぞ!

 ベリード・アライブは立ち上がり、背中からヌンチャクを取り出した。

 ―――ばらばらにしてくれるわー!

 ベリード・アライブが走ってくる。

 レイチェルはベリード・アライブの腹に狙いを定め、銃を撃ちまくった。

 ――@@@@ギャアアア

 銃弾を撃ち込まれたベリード・アライブは床をのた打ち回った。

 レイチェルはベリード・アライブを押さえつけ、傷口に指を差し込んだ。

 ―――@@@@@@。

 悲鳴が上がる。構わずレイチェルは肉の中を指で掻き回した。

 ――――@@@@ギャアアアア。言うナンデモイウ! ヤメテクレ! イタイ!

「では、まず秋田さんとノワールさんを解放しなさい」

 ―――ハ、ハイイイイ! イ、イタイヤメテエエエ!

 後ろから戦いの音が消えた。

 レイチェルは初めて振り返った。

 リアニメイトは立っていた。たった一人で本当に秋田とノワールを相手に時間を稼いでくれたのだ。ベリード・アライブから必要なことを聞き出すことにした。

「質問です。上の世界の方々とはどうやって連絡を取っていたのですか?」

 ――アアアアアイテの方から! 時々パソコンヲ通じて ウギャアア

「アバターを作った目的は?」

 ――――せ、世界に悪者がひ、必要だったんだああ。だから造れと言われたんだああ。

「どうやって作ったの?」

 ――う、上の世界の、白の平野から…連れてきた……。

「アバターは上の世界の人だったということですか。上の世界とはなんですか?」

 ―――――う、上の世界とい…のは…。この『世界の底辺』を作った方々が住まわれる…上位の…。

「勇者達は?」

 ―――う、上の世界の方がコントロールされて…。

「上の世界へ行くにはどうすればよいのですか?」

 ――高い、高い、塔を、創り、君に創らせた、あの、塔を、さらに、高…。

「――――」

 ―――――し、しかしあの塔は決して上の世界には届かない。

「どうしてですか?」

 ―――世界にあるあらゆる物体を材料にして塔を創っても材料が足りないから。上の世界はもっと高く、高く…。この世界にある全てを足しても決して届かな…。

「そうですか」

 レイチェルは用の無くなったベリード・アライブの胸に手を突き刺した。

 ―――@@@

 心臓を握りつぶした。ベリード・アライブはただの屍になった。

 

 

 ベリード・アライブは死んだ。

 レイチェルが殺した。

 ひなたはそれを見ていることしかできなかった。リアニメイトが立ったまま死んでいる。死しても秋田とノワールに、その道を通さなかったのだ。

 秋田もノワールも俯いている。

 レイチェルが振り返った。

 笑っていなかった。

 いつも笑っていたレイチェルも笑っていなかった。

 リアニメイトの死体が消えていく。レイチェルがその姿を見た。役目を終えたリアニメイトがついに姿を消したのだ。レイチェルは消えていくリアニメイトをじっと見ていた。

 秋田とノワールは膝を折り床に着いた。

「私達には責任を取る術がありません」

 レイチェルは首を横に振っている。

「私とリアニメイトは遠に終わっていたのです。あなた達は各々の主をお守りください」

 今度は秋田が首を振った。

「せめて、彼の分まであなたを守らせてください。ノワールも同じ気持ちでしょう」

「ありがとう」

 レイチェルはそう言い、一人ベリード・アライブのパソコンに向かった。

 誰もレイチェルに声を掛けられなかった。

「ひなた」

 秋田に手を引かれた。ノワールも気を失った氷雨を抱き上げている。秋田はレイチェルを一人にしようとしているのだ。

「秋田さん、先に出てて」

「?」

「ボクもすぐ出るから」

「分かりました。なにかあればお呼びください」

 秋田とノワールは部屋から出て行った。部屋に残ったのはパソコンに向かっているレイチェルと、床に転がっているベリード・アライブの死体と、なにを話していいかわからないひなただけとなった。

 レイチェルは黙々とパソコンのキーボードを叩いている。笑っていなかった。

 話しかけるのが怖かった。話しかけられ、ひなたなど必要ないと拒否をされることが辛かった。

「どうしたのですか、ひなたさん」

「……っ」

 突然レイチェルに声を掛けられ、ひなたは口から内臓が飛び出しそうになった。どっと冷や汗が噴き出した。

「わかんない…」

「私に気を遣わないでも良いのですよ。私達はもう心が死んでいたのです。あなた達が生き残れたことを喜びましょう」

 だから部屋から出て行ってと言うけれど、ひなたは出て行きたくなかった。

「嘘だよ。だってレイチェルちゃん、泣いてるじゃん…」

「――――」

「嘘だよ…。辛いんじゃん…」

「――――――――」

 キーボードが力一杯叩きつけられた。

「…私には辛いという感情はもうありません。涙が流れたのなら昔の感情が僅かに戻っただけです。私には未来はありません」

「……」

「泣いてもいません。見間違いでしょう」

 レイチェルの涙はもう止まっていた。キーボードを叩いている。

「ひなたさん」

「?」

「あなたの望み、本当は断ち切った方が楽になれるし、幸せにもなれるはずです。あなたの望みはあなたすら望んでいないものです」

「――――」

「好意が憎悪に変わることはあります。しかし、あなたのは違う。なにかからの強迫観念に動かされている」

「うん」

「罪悪感ですか」

 罪悪感。幸せになってはいけない。

 誰か、大切だった女の子の顔が脳裏を駆け巡り、たくさんの銅の剣を手に入れてしまった。ギザギザを手に入れた。

 悪の種は確かにあの子から植え付けられ、ひなたの中で大きな華を咲かせた。それはこの世界を食い潰す、寄生植物のように。

 地獄に先に逝ったあの子の残した種は、確かにひなたと世界を狂わせていくものだった。

「ひなたさんの望みは相手と自分のどちらをも不幸にするものです。破滅へと向かっている。誰も得をしない。それでも進むのですか」

「うん…」

「私、は、自分、が、幸せに、なれ、なかった。ひなた、さん、には、幸せに、なって、欲しい、のです」

「ありがとう。でもレイチェルちゃんは難しくものを考え過ぎだよ。だから暗いことばっか考えちゃう。もっとイージーにいこ?」

 レイチェルはキーボードを打つ手を止め、ひなたを見、目をぱちくりとした。

「もっとイージーにって…。あなたがそれを言うの?」

 レイチェルは毒気を抜かれたように吹いて笑った。こんな笑い方をしたレイチェルは始めてみた。

「別にギャグじゃないんだけど…」

「ありがとう。そうですね。少しは楽にいきましょうか」

 レイチェルは笑ってくれた。

 レイチェルの傷は誰にも癒せない。ひなたの傷も誰にも癒せない。氷雨の傷も誰にも癒せない。

 それでも、『幸せ』になれなくても、『楽しい』時は僅かだけど確かにあった。

「藍那さんは元々、上の世界の方のようです」

 レイチェルはそう教えてくれた。

 

 

 ザ・ローウェストに戻った三人は、自分達の住むべき塔がまだ勇者達に破壊されていないことを知り、ほっと溜息をついた。

「助かりましたね。この塔がなくなれば上の世界には行けなくなるところでした」

「えー、でも結局この塔だと上の世界にいけないんじゃないの?」

 氷雨は首を傾げている。けど、レイチェルは大丈夫と頷いた。

「ひなたさん」

「ん?」

 

「銅の剣を、どんどん、出して、ください。それを、使い、塔を、完成、させます」

 

 レイチェルが今言った言葉を頭の中で整理しようとし、ひなたは鈍い頭痛を覚えた。

 危険だ。

 本来は行けないはずの場所に、無いはずのアイテムを使い、無理やり行こうとする。

 

「駄目ですか、ひなたさん?」

「いい。やろう」

 本来の歴史では勇者にひなた達は全滅させられる。そんな歴史も世界も決して許さない。破壊してでも修正する。

 レイチェルは手を挙げ宣誓した。

「私達に勝利を」

 全員、手を挙げた。

 必ず勝つ。そして藍那を後悔させる。そう誓った。

 

 

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