- 世界の底辺 -

B章 よくないもの。


 背に純白を乗せ大空を飛びながらも、エルリは気が気でなかった。

 先ほど負けたばかりの相手だ。しかもエルリの傷は癒えていない。こんな状態で戦えば殺してくれというようなものだ。

 なのに背にいる純白は他の三人に遅れを取ることだけを恐れている。恥を嫌い、半端なプライドばかりが先行する。

「おい、まだみつからないのかよ!」

「――!」

 乱暴に髪を後ろから引かれ、エルリは息を詰まらせた。頭皮が剥がれるような痛みを覚えた。

「お前が弱くなければこんなことせずにすんだのによ。いいか、敵を見つけたら僕の作戦通りにいくんだぞ」

 純白の作戦などロクなものがなかった。

 背にいる男の頭は限りなく悪い。そして思慮や友愛も欠けている。だから友人を作ることもできなかったし、信頼する関係を築くこともできなかった。

「おい、聞いているのかお前! 僕の話を!」

「――はい」

 何度も犯された。

 今も性器に挿し込まれた『良くない玩具』のせいで、エルリは飛行にすら集中できない。顔が熱くなり、視界が揺らいだ。

「作戦を言うぞ。いいか? まず先制攻撃で一人倒すんだ。空中からの奇襲だ。敵は成す術もなく一匹死ぬだろう。ここで敵は動揺する。その隙にもう一人を殺すんだ。もともと四対一で互角だったんだ。二対一になったら勝てるだろう」

 ぼうっとする頭でも純白の言葉はなんとか聞こえた。

 駄目だ。

 上手く働かない頭でさえ、純白の作戦が下等だとエルリは理解できた。

 できれば見つけたくない。

「――――!」

 だが不運なことに、エルリは敵を見つけてしまった。

 ひなたの言ったように本当に生き返っていた。

「ははは。見つけたぞ。今日こそあいつらの命日にしてやろうぜ」

「―――」

 例え愚かであろうとも、主の命には従わなければならない。

 エルリは急降下した。

 敵が気づいた。だが遅い。先制攻撃は成功する。

「――――!」

 エルリは限界まで降下し、地上に激突する瞬間まるでUの字を切るように再び大空へと飛ぶ。その時、敵の一人の首にロープを掛けた。

「―――」

 ビン、とロープが張る。

 敵の一人は首を吊って死んだ。

 着地したエルリはロープに引っかかった死体を捨て、純白を背から降ろし、残った敵と向かい合った。

「――――?」

 三人の敵はエルリを狙ってこない。

「ひいいいいいいいい!」

 純白を狙ってきた。手にした剣で切り刻もうと、純白に三人の敵が襲い掛かってきた。

 エルリは純白を庇った。身を挺して剣から庇った。

「――――――――!」

 まるで鞭で打たれたように、身体に『痛みの線』が走った。

「……う…ぁ…」

 痛みはなれていた。だから我慢はできた。

 衣服も肉も裂け、熱い傷口から血液が噴出した。心臓が鼓動する度に傷口からは血液がポンプで押し出すように、どくどくと零れた。

「…ぐっ……!」

 痛むエルリの背後では純白がうろたえていた。

「な、なにをやっているんだバカ! は、早くやっつけろ!」

「―――」

 無理だ。

 これは勝てない。この敵は以前よりも強くなっている。更に効率よく勝利しようと、弱点である純白を積極的に狙ってきた。事実、エルリは傷を負ってしまった。

 無理だ。

 

 

 エルリからの救助信号はなかった。純白が止めているのだ。

 ひなたと氷雨、レイチェルの三人は手分けしてエルリを探すことにした。エルリを死なせるわけにはいかないのだ。だが、いくら世界中を飛び回っても、エルリの姿は見つけられなかった。

「ひなた…! エルリの反応を見つけました!」

「え、どこ!」

「あちらです。ノワールとリアニメイトにも連絡し向かいます」

 秋田は早かった。

 正しく空を翔るかのように、流星の如く速さでエルリの元へと飛んだ。

 銅の剣を手に入れた。

「ひなた、あそこです!」

 秋田の指したところには、また、あの。

「………っっ!」

 

 ―――『誰か』がいた。

 

 生き返っている。

 一人は死んでいた。エルリが殺したのだろう。だが、残りの三人が動けないエルリを嬲っていた。

「秋田さん、急いで!」

「ひなた、これでは、もう……」

 秋田は全速で急降下した。それでも着地した時にはもう、『誰か』の剣がエルリの心臓を貫いたところだった。

「エルリちゃん!」

「――――」

 エルリは答えず、代わりに血を吐いた。それでもそこから倒れなかった。

 背には純白がいた。怯えている。

 最期まで守り通したのだ。

「エルリちゃん!」

 ひなたはエルリに駆け寄った。

 邪魔をしようとした三人の『誰か』は秋田が叩き飛ばした。

「ひなた達に触れさせはしません。今度はこの私が相手です!」

 秋田は猛り、必殺の鎌を手に敵陣へ飛び込んだ。

 

 

「エルリちゃん……」

 ひなたは倒れかけたエルリの身体を受け止めた。受け止めただけで、エルリの身体から無数の肉片が千切れて落ちた。全身を切り刻まれていたのだ。

 身体中の肉がぷらぷらともげかけていた。

「エルリ…ちゃん……」

「――――」

 エルリに対して深い情があったわけではない。

 それでもどうしてこんな忠誠心の厚い子が、純白のような男のために死なねばならなかったのだろうと思うと、悲しくなった。

「ひ…なた――」

 エルリはまだ生きている。

 だけどもう助からない。

「エルリちゃん…」

「…あり…がとう…」

 エルリはそう言い残すと、刻まれた肉体のダメージがついに気力の限界を超え、ばらばらの肉片となり地面に散らかった。

 地面に落ちたエルリの肉片から血が広がっていく。

 エルリは死んだのだ。

 肉片と一緒に『よくない玩具』が転がった。愛液と血に濡れていたそれは、エルリの股間に差し込まれていたものだと分かった。

 こんなものを純白に差し込まれたまま戦わされ、エルリは死んだのだ。

 

 

「あ」

 死に際のエルリは切ない表情をしていた。エルリと親しくはなかったけれど、最期に「ありがとう」と言ってくれた彼女に、ひなたはやはり情を移してしまった。

「ひいいい…」

 未だにガタガタと震えている純白にひなたは怒りを覚えた。

 純白を殴りつけようと一歩踏み出したが、そこで踏み留まった。エルリは純白をよくしてやってくれと言っていた。

 エルリを殺した、あの『誰か』が憎かった。

 ひなたは『誰か』を嫌悪し、そして何処かで恐怖していた。だけど、今は八つ裂きにしてもエルリの無念は晴らせないと思うと、やるせなかった。

 秋田は善戦していた。三人の『誰か』を相手に一歩も引かずに奮闘していた。

「エルリちゃん…」

 ―――銅の剣を手に入れた。

 ひなたは銅の剣を使った。しかし、なにも起こらなかった。

 ひなたは銅の剣を装備した。

「あああああああああああああああああああ」

 ひなたは銅の剣を振りかざし、秋田と戦っている『誰か』達に向かって走り込んだ。

「ひ、ひなた?」

 ひなたは敵の目の前まで来ると、『ないはずの銅の剣』で『誰か』を切り裂いた。

「――――!」

 敵は悲鳴をあげている。怯んだ敵を秋田が素早く止めを刺した。これで敵は残り二人だ。

「――――――はぁ――――はぁ―――――」

 ひなたは息が続かない。

 戦うってことはこんなにも体力を使うことだったのだ。秋田やエルリがどれだけ辛い戦いをしているのか、身を持って知った。

「――――!」

 そのひなたを殺そうと、『誰か』の一人が斬りかかってきた。

「ひなた!」

 秋田がひなたの襟首を持ち、後退する。そして純白の傍にひなたを降ろすと、『誰か』に立ち向かった。

「ひなたに戦いは無理です。下がっていてください。てか、なんですか、その剣。どこから持ってきたんですか」

「わ、わかんないけど…なんかいっぱい持ってる…」

 『誰か』達は不利を知り、逃げ出そうとした。

「秋田さん……! 逃げる!」

「大丈夫です」

 ――ワハハハハハハハハ!

 笑い声だ。あの地獄の底から響くような、恐怖を誘う笑い声が聞こえてきた。

 地面からぼこぼこと真っ暗な影が立ち上がってきた。ノワールだ。背には氷雨もいる。氷雨は肉片になったエルリを見、顔に陰りを見せた。

「回線巻きつけて首吊って死ね! ノワール!」

 ノワールの攻撃。

 『誰か』は死んだ。

「ワハハハ…」

 もう一人が逃げる。その先にいたのはレイチェルだ。傍らにはいつものようにリアニメイトがいる。

「レイチェルちゃん! そいつは生け捕りにしてよ! 殺しちゃダメよ! どうやって生き返ったか調べるから!」

「了解」

 レイチェルは懐から銃を抜き、『誰か』の腹に乱れ撃った。『誰か』は絶叫し、地面でのた打ち回ったので、これを秋田が取り押さえた。

 リアニメイトはやはり見ているだけだった。

 ひなた達は戦いに勝った。

 その瞬間、全滅した三人の『誰か』の死体は消え去った。取り押さえた敵は消えなかった。

「ふふ。さて、戻ってじっくりとこの敵を調べましょう…………ひなた?」

 戻る前にエルリを供養してあげたかった。

 肉片となり、地面に散らかったエルリ。命と引き換えに敵を一人捕らえることに成功した。エルリの命は決して無駄にしたくなかった。

 

 

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