- 世界の底辺 -
A章 ユ−シャの登場。
なにか、よくないモノがいる。
アバターを呼び出して幾数の時日が流れた。たくさん戦った。多くのニンゲンを焼き払った。数千年の太陽への欲求、幸福への羨望。それらを満たすため、無数のニンゲンを非道な方法で惨殺した。気づいた。この所業は悪と呼ばれるものだったのではないか。
悪の天下は続かない。悪は必ず滅ぶ。
(おかしいな)
ひなたは虚空を見上げて呟いた。
勝てば正義となり、勝てば黒いものも白くなる。そう信じたはずなのに、やっていることは自分ですら悪事だと認識していた。
いつか、このまま全てを正す勇者が現れ、自分達四人は成敗される。そんな気がした。
「…………」
構わない。死んでもいい。ただ、例え悪が正義に駆逐される定めだとしても、望みだけは果たす。そうでなければ死んでも死に切れない。
「今日はこれで遊びましょう」
レイチェルの一声で全員がひなたの部屋に集合した。アバターの秋田とエルリ、ノワールもいる。大騒ぎをして遊ぶ時はいつもひなたの部屋が使われるのだ。
「いいものを徴収してきたのです」
レイチェルは嬉しそうに紙袋の中身を床に広げた。
「こ、これは…」
真っ先に食いついたのは秋田だった。
出てきたものは以前もひなたの部屋にあったテレビゲームの本体とソフトだった。
「なにこれ?」
氷雨はあまりテレビゲームをしたことがないらしく、首を傾げている。レイチェルは鼻歌を歌いながら、ひなた用のモニターにゲーム機を接続した。
「懐かしいね。こんなのどこで拾ってきたんだい?」
純白もゲームが好きだったのか、嬉しさが顔に滲み出ていた。
「最初はこれからいきますか」
セットされたのは対戦格闘ゲームだった。
「最初は誰から行きますか?」
「ではお手本として、パソコンの精である私が」
秋田が真っ先に挙手した。
パソコンの精はゲームが好きなのかと、エルリとノワールの様子を伺った。二人とも首を横に振っていた。
「ではお相手は誰にしましょう」
「あたしやるー。おもしろそーっ」
無謀にも氷雨がコントローラーUを手に取った。
レイチェルが大雑把にゲームの内容を説明した。秋田は説明なぞいらぬと、既に臨戦態勢だ。
「初心者の方には難しいゲームですよ?」
秋田が涼しく言うと、氷雨はむっとした。
「ぎいいい。あたしはなにやったってつよいのっ」
レイチェルはマイクを手に取り、高らかに声をあげた。
「それでは一本目! アイスレインこと氷雨ちゃん! ヴァーサス! 秋田のパソの精霊、秋田―! いざ、尋常に一本目―! 開始―!」
レイチェルは時々、変な事をする。よくわからない。
ゲームが始まった。
氷雨はこのゲームどころか、ビデオゲームそのものを殆どしたことがないのだろう。コントローラーをがちゃがちゃといじっている。
一方秋田は鮮やかなコントローラー捌きで、氷雨のキャラに近寄り跳び蹴りを当てた。そのまま仰け反っている相手に、着地と同時に連続技が入る。
「えええええ。なんでっ? なんで? ガ、ガードできないっっ?」
「連続技ですので」
瞬く間に氷雨のライフは半分になった。ダウンした氷雨に秋田は屈みキックで追い討ちを入れた。
「ま、まだまだっ」
「そろそろホンキで逝きます♪」
(あ、秋田さん、楽しそう…)
氷雨の起き上がりに飛び道具を重ねる秋田。なにか動こうとした秋田は飛び道具をまともに喰らった。
「ぎゃんっ」
「では、とどめ。華麗な連続技をお見せしましょう」
飛び道具を喰らって仰け反る氷雨に、秋田はダッシュからパンチを重ね、あげくにそこから『超必殺技』を入れられた。
秋田のパーフェクト勝利。
「まずは一勝です」
「な、な、な…」
ひなたは「あーあ…」と、顔に手を当てた。秋田は全く手加減を知らない。初心者の氷雨をぼこぼこにして、とても嬉しそうな顔をしていた。
氷雨は声も出ないらしく、わなわなと震えていた。
「も、もういっかい!」
「ハンデをさしあげましょう。貴女如き片手で十分です」
なんと秋田はコントローラーを床に置き、片手でプレイし始めた。
「な、なめんなあっ」
しかし結果は残酷で、次のラウンドも秋田のパーフェクト勝ちだった。
「では、これならどうでしょう」
秋田は立ち上がり、右足で床に置いたコントローラーを操作し始めた。
「片足でいきます」
「ぬがああああ」
秋田はそれでも尚強かった。右足一本だけで器用に十字キーを操作し、ボタンを押し、飛び道具や対空技を撃つ。
「情けないですね、氷雨さん。一発も攻撃を当てられないなんて」
「もういっかいいいいいいい」
「何度やっても同じですよ」
熱くなった氷雨を見て、こりゃ駄目だと思いひなたはベッドに寝転がった。
秋田は楽しそうだった。
「――――」
楽しそうな秋田を見て、誰かを思い出しそうだった。
藍那と似ているけれど、藍那じゃない。それとは別の誰かを。頭が痛む。
「――――――」
テレビの方からは氷雨の悲鳴と秋田の冷ややかな声、実況するレイチェルの声が聞こえてくる。レイチェルはあんなマイクで叫ぶような女の子だったか。ひなたははて、と疑問に 思ったが段々と眠くなってきた。
しばらく意識が暗転する。眠りに落ちる寸前、レイチェルに声を掛けられた。
「ひなたさんは遊ばないのですか?」
「ん…ううん。遊ぶ。ちょっと考え事してただけ」
「愚痴くらいなら聞きますよ」
「へーき。なんでもないから」
テレビのほうを見ると、今は秋田とノワールが対戦していた。これはいい勝負だった。
「氷雨ちゃんは?」
「あちら」
「……」
氷雨は三角座りをして部屋の隅に座っていた。なにやらぶつぶつと言っていた。
「なにあれ」
「負けすぎてストレスを溜められたんじゃないですかね」
ひなたが氷雨の目の前で手を振っても、氷雨は一瞬ひなたの顔を見たが、また伏せてぶつぶつ呟いていた。あそこでとび蹴りとか、ガードとか、ぼそぼそと口にしている。とても怖かった。
それでも今日は楽しかった。
いつまでもこんな日が続けばいいのにと思った。
藍那のことは欝になれど、それでも皆と一緒にいる時間は楽しかった。
夜も更けていった。
いつか勇者が現れ、人々を救いにくる。そんな気がした。
ひなたは今日も『世界の底辺』を歩いていた。傍らには一時も傍を離れない信頼すべきアバターがいる。
「――っ」
ミスリルソードを手に入れた。
オリハルコンを手に入れた。
「@@@…」
頭がぎちりと痛んだ。また突然アイテムが手に入った。歩いているだけでアイテムが手に入る。いつか、黄金の少女が言っていたアイテム増殖の危険。まるで世界そのものが壊れるかのような不安感を覚えた。
「どうしました、ひなた?」
「なんでもない」
「そうですか? む?」
突然、秋田は立ち止まった。何事かと振り返ったひなただが、秋田は少し困った顔をしていた。
「ひなた、あの男が何者かに襲われているようです」
四人は人々からの恨みを多く買っている。襲われることもあるだろう。
「アバターがいるなら平気じゃないの?」
「それが…そのアバターのエルリさんが助けを求めているのです…」
秋田は暗い顔をして言った。
ひなたも暗い顔をした。
嫌な予感がした。
『悪はいつか滅ぶ』
秋田の背に乗り、ソラを飛んだ、
飛ぶというよりは、跳ぶという方が正しい。並外れた身体能力を誇るアバターの秋田はひなたを背負い、目的の地へ向け跳んだ。
すぐに着いた。
ひなたは突風に目を細めながらも、上空から地上の様子を伺った。壊れたビル郡の中、なにかがいる。
「ヒイイイイイイイイイ!」
マントと冠と杖を装備した男が無様に怯えていた。純白だ。その純白を護るように、エルリが勇敢にも『誰か』と向かい合っていた。
「―――っ!」
エルリがロープを回し、『誰か』の首に引っ掛けようと『輪』の部分を飛ばした。が、敵はその自殺誘導のロープを避け、エルリを蹴り飛ばした。
エルリは容易く吹っ飛んだ。
(なんでアバターがあんな簡単に…)
宙に留まりながら秋田が背にいるひなたに言った。
「ひなた、援護に向かいます。このまま降りてもよろしいですか?」
「…気をつけて」
「はい」
秋田は急降下する。
「――――」
敵が気づいたようだ。
だが遅い。光速の秋田が空中から斬り掛かった。掠ればその部位を切断する地獄の鎌を振り抜いた。
「―――!」
だが敵はそれを避わした。
秋田の必殺の一撃は、『誰か』の肩を僅かに裂いただけだった。
ひなたは一体どんな敵が現れたのだろうと相手を見た。
―――@@@。
(……っ。な、なにあれ……)
余りのおぞましさに全身が鳥肌を立てた。
どうしようもない嫌悪。そこにいるのは誰でもなかった。ノーバディー(誰でもない存在)であり、エヴリバディ(誰でもある存在)。恐ろしく個性をそぎ落とした希薄な存在の『誰か』だった。それはまるで秋田がゲームの中、バットで殴り殺した名も無き通行人のようでもあり、どこにでもいる『誰か』であり、まるで世界の『パーツ』のようであり、ひなたがずっと嫌悪していた人種であった。
「ひなた!」
秋田はひなたとエルリを背に庇った。
――敵は一人ではなかった。
更に三体、『誰か』が出てきた。
たったそれだけのことなのに、ひなたは突然吐気を催し両手で口を押さえた。まるで夢の中で存在を否定されたように、世界全てから否定されたように、四体の影に囲まれただけで、とても惨めな気持ちになった。
(…気持ち悪い…気持ち悪い……なにこのひとたち…)
ワレワレハユウシャダ。
「エルリさん。ひなたをお願いします」
秋田は一番体格の小さそうな『誰か』に斬り掛かった。しかし、それは大柄な『誰か』に庇われた。別の『誰か』が傷を負った『誰か』を癒した。
必死に秋田は鎌を振るい、薙ぎ、敵を斬りまくった。
いつの間にか、秋田は四人の『誰か』達に囲まれていた。
まるで秋田がリンチされているようだった。秋田を囲む四人の『誰か』は、今まで殺してきたニンゲンの怨念でできているようでさえあった。今まで無念と憎悪の死を遂げたニンゲン全てのようでもあった。
「――――――――!」
それでも秋田は強かった。
何度攻撃を受けようとも、ひなたのアバターは決して膝を地に屈しなかった。やがて四人の誰かは秋田に斬りつけられ、ついに、ついに絶命した。消えていった。
これでこの悪寒も消える。そう信じた。
「秋田さん!」
「大丈夫です…」
誰か達の死体は残っていない。
「殺したの…?」
「殺したはずです。しかし…」
『何処かの町』で生き返った。
なんとなくそれが分かった。
「ここは危険です。エルリさん、動けますか?」
「…なんとか」
「一度塔に戻りましょう。ひなた、背に乗ってください」
ひなたは秋田の背に、純白はエルリの背に乗せられ塔へと帰還した。
――今のは勇者達。死んでも彼らは生き返る。悪を葬るまで。
首を左右に振った。
あんなにおぞましい生き物が勇者な訳はない。
ひなたは塔に帰るなり、氷雨に飛びつかれた。
「だ、大丈夫なのっ、ひなた君っ…」
「え、う、うん。どうしたの」
「ノワールからひなた君達が襲われているって聞いて…怖かった…」
「純白さんの方が危なかったんだよ。幸い怪我はしてないけど、驚いた時に壁に頭をぶつけて意識不明だって…」
「いいの、あんなやつ。ひなた君のほうが大事。で、なにがあったの?」
「えっと」
レイチェルも心配そうにひなたに駆けつけてきた。純白よりも自分が心配されていることが嬉しかった。
ひなたは四人の謎の敵に襲われたことを二人に話した。おかしな四人組がいたこと。秋田は確かに殺したはずなのに、何処かで生き返ったらしいこと。
「なんで生き返ったってわかるの?」
氷雨は当然の疑問を口にした。
「よく分からない…でも死体が消えて、どこかに流れていった…気がした…。奪った命が再び息を吹き返したように見えた…」
確証があったわけではないのだ。
それでも、あの思い出すこともおぞましい『誰か』は確かに何処かで生き返った。
「そっか。どうする、レイチェルちゃん?」
「そうですねぇ…」
レイチェルは暫し顎に手を当て考えた。
四人のリーダーはレイチェルということで収まっている。純白も最近は文句を言わなくなってきた。レイチェルの方が純白よりも賢いことは本人以外の誰もが知っていた。
「とりあえずカイゾウニンゲンを使って、その怪しい四人組を探しますか?」
「そだねぇー」
レイチェルの思い付きを氷雨は肯定した。
「―――」
マルデ、ソレハ、マオウガ、ユウシャヲ、サガシテイルスガタヲ。
そんなことをして雑魚を倒され、少しずつ力を付けられ、一人、また一人と自分達が倒されていく様を想像した。
「だ、駄目! それだけは駄目!」
「――――?」
レイチェルと氷雨だけでなく、姿を見せていたエルリと秋田でさえもぽかんとした顔でひなたを見た。
「え、駄目なの? カイゾウニンゲン。なんで?」
「それはユウシャが…」
「ユーシャ?」
ユウシャの話。それは元々ひなたの考えすぎではなかったのか。ただ、反対したからには理由を述べねばならず、考えていたことを打ち明けた。
さすがに皆困った顔をした。根拠がなにもないのだ。
「ごめ…。聞き流して――」
「――いえ」
ひなたの否定の言葉を遮ったのは驚いたことにエルリだった。自主的には滅多に口を開かないエルリが言葉を発したのだ。
「……私も……あの四人は普通でないと思いました…」
「エルリちゃん」
「…行動は慎重に取るべきだと思います……」
驚いたのはエルリが口を開いたことだけではなかった。恩も義もないひなたの意見をエルリは重要視してくれたのだ。
氷雨は悩み、秋田の方を見た。
「あ、秋田ちゃんはどう思うの?」
どうしてか氷雨は秋田を怖がる。
「私はどちらでも構いません」
氷雨はどうしようかという目でレイチェルを見た。
「分かりました。ひなたさんの意見を考慮にいれ、今後は慎重に行動を取ることにしましょう」
レイチェルはそう結論を出した。
ここにいるのが皆、頭が柔軟なニンゲンでよかったとひなたは心底思った。
「その謎の敵に関してはアバターが直接探すこと。ただし見つけてもすぐには手を出さず、他の三人に連絡を取ってから倒すこと。よろしいですね?」
エルリも秋田も頷いた。
「では、細かい計画は今晩考えておきますので、今日は皆様お休みください」
解散された。
部屋に戻る途中、エルリに袖を引かれた。
エルリはひなたよりも背が低い。なんだか妹ができたような気分だった。
「どうしたの?」
「……助けてくれてありがとう」
「え…だって、仲間だし」
「……なかま」
エルリは難しそうな顔を浮かべた。
「……純白は仲間ですか?」
どういう意味の質問なのだろう。
仲間と思っていたら嬉しがってくれるのか、あるいは「純白の仲間気取りか、身の程を知れ」なんて言われたらどうしようか、などと不安に思ったが、ひなたは正直に頷いた。
「―――」
「……」
「……ありがとう」
エルリは頭を下げた。
そのまま背を向け去っていった。
「ひなた君」
「ん?」
振り返ると氷雨がいた。
「あのコと個人的に話すんだ? 仲いいの?」
「ううん、あんまり」
「そっか。あのコが純白以外と話すのって見たことなかったから」
そういえば氷雨とゆっくり話をするのは久しぶりな気がした。
「氷雨ちゃん、部屋くる? ゆっくりお話する?」
「うん、いくいく」
実は無意識の内に氷雨を避けていたのかもしれない。藍那のことを聞かれるのは嫌だったのかもしれない。
氷雨はひなたの後に続きながら考えていた。
不気味なアバターはむしろエルリではない。今もまるで背後霊のようにひなたの後ろにぴたりと続いて歩く秋田だ。
「…………」
ひなたはなんとも思っていないのだろうか。
残虐性こそ違えど、秋田はある女の子にそっくりだった。どうしてひなたは平気なのか。その女の子の名前を何度も口に出そうと思った。が、あの女の子の名前を出すことは、藍那以上にタブーだった。
アバターと言えば気になるのはレイチェルのリアニメイトもそうだ。あの男は滅多に姿を現さない。全員で遊ぶ時もあの男だけは席を外している。単に興が乗らないだけなのかもしれないが。
(なにが守護神よ。あたしのノワール以外、みんな一癖も二癖もありそうなやつらばっかじゃん…)
己のアバターは信頼が置ける。誠実である。
(ノワール。あなたはあたしを裏切らない………よね……?)
ノワールは見えないが頷いているような気がした。
裏切らないらしい。
「はい、お茶」
「あ、ありがとー」
ひなたは熱めの茶を淹れ、テーブルに二つ置いた。
秋田とノワールには何処かで遊んできてもらうことにした。たまには二人で話がしたかったのだ。
だけど特に話題もない。それでもよかった。ただ氷雨とは一緒にいるだけで安心もできた。
「なんか楽しそうだね、ひなた君?」
「うん。氷雨ちゃんといると楽しい」
「お子様がお世辞言わないの」
「…お子様じゃない…」
氷雨から見たら、ひなたは思考の幼稚な子供なのかもしれない。藍那への復讐という単一の目的しか持たないひなた。誰だって経験する感情を醜く捻ってしまった。
「ひなた君の気持ちはよく分からない」
「え?」
「ひなた君は…誰が一番大切なの? まああたしではないんだろうけど…」
――ヒナタクンハダレガイチバンタイセツナノ?
どうしてその質問に明確な答えが浮かばなかったのか。
藍那を選ぼうとして、だけど、それは、どこか、痛みを覚える答えだった。なにかが思考の邪魔をしている。おかしい。頭が割れるように痛い。痛いと遺体は似ていると思った。誰かの遺体を思い出した。その昔、藍那と天秤に掛けられた誰か。
ノーバディーであり、エブリバディである『誰か』ではない。あれは個性をそぎ落としたもの。遺体となった誰かは、ひなたが、意図的に、忘却した、誰か。
――――@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
ロングソードを手に入れた。
銅の剣を手に入れた。
鉄の盾を手に入れた。ロングソードを手に入れた。死のリブラを手に入れた。手裏剣を手に入れた。聖剣を手に入れた。聖なる鎧を手に入れた。
「あああああああっっっ?」
頭が割れる。視界に無数のノイズが入る。ぱきぱきと世界が壊れ、その割れ目から無数の武具が落ちてくる。
(ボク、壊れてるの…? アバターなんかほんとはうそっぱち、こんな整合性のない夢を見て、ボクは起きたらまた絶望しているの? 本当は世界を支配していないとか)
絶望が意識を混濁させていく。
温かかった。
ひなたは誰かに抱き締められ、肩を揺らされていた。
藍那かと思ったけれど違った。秋田でもなかった。あの子でもなかった。ひなたを抱き締めてくれたのは氷雨だった。
「ひ、ひなた君、大丈夫?」
どうやら一瞬放心していたらしい。氷雨がひなたの顔を覗き込み、泣きそうな顔をしていた。
「氷雨ちゃん、ボクのこと心配してくれるんだ…?」
「あ、あたりまえじゃんっ。大丈夫なの?」
「ボクは氷雨ちゃんにとって一番じゃないのに…?」
先ほど氷雨に言われた言葉をそのまま返してみた。
『ひなた君は…誰が一番大切なの? まああたしではないんだろうけど…』
氷雨とひなた。お互い似た者同士なのに、どうして互いに距離を詰め合えないのだろうと思った。どうして自分は相手にとって大事でないと決め付けてしまうのか。ひなたは自分の気持ちが分かっていた。
――怖かった。
相手に突き放されることが。相手に一番だと言ってもらえないことが。振られることが怖く、勇気を持って好きだとも言えない臆病な精神だと思っていた。そして僅かに残った良心が許さなかった。死んだコの顔が過ぎり、憎い藍那の顔も過ぎった。
「ひなた君…。大丈夫…? あたしになんかしてあげられることない?」
大丈夫。
その優しさだけで今日を生きることができる。明日もひなたを大事に思ってくれているのなら、明日も生きることができるだろう。
氷雨の顔が近い。あと少し顔を近づけるだけで唇が触れてしまう。
あと少しで唇が触れる。
あと少し。吐き気が。眩暈が。
―――ダメ、だ、キス、は、ダメ、だ。
「ひなた! 氷雨さん! 大変です!」
「――!」
慌ててひなたと氷雨は飛び離れた。突然ノックもなく、壁を擦り抜けて秋田が部屋に飛び込んできたのだ。
秋田はなにかを悟ったように、慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。お楽しみのところを…」
「…お楽しみ…違っ……」
氷雨の方を見るとあまりにもおかしかったのか、吹き出して笑っていた。
秋田が小声でひなたに耳打ちした。
(氷雨さんには普段私にイジめられていることは内緒にしているのですか?)
(あ、当たり前じゃんっ…。だ、だいたい『普段』じゃない…。秋田さんがいきなりするんじゃん…)
秋田はにこりと笑った。
(気が向いたらばらしちゃいましょう)
(だめええええええええええええええええええええええええええええ)
「あ、それよりも大事な話があります。『あの男』がエルリさんを連れて塔から飛び出していきました」
「え?」
「え?」
ひなたも氷雨も同時に目を点にしてしまった。あの男というのはもちろん純白のことだ。
「恐らく、あの奇妙な敵を倒そうと考えているのでしょう。先の失態を取り返すために」
なんという無謀、浅慮。
あの男は学習することを知らないのだ。
恐ろしい考えが過ぎった。多くの場合、『悪役の四天王』などは各個撃破されていく。ここで純白を失うことはできない。
「助けますか? 見捨てますか?」
氷雨は複雑そうな顔をしていたけれど、ひなたの答えは最初から決まっていた。
「助ける。行こ、秋田さん。氷雨ちゃんは待ってて」
「あ、ひ、ひなた君? まじでいくの?」
「うん」
約束もしたのだ、エルリと。