- 世界の底辺 -
5章 適わぬ夢の最果て。
ひなたは必死になって、壊滅した群馬の町中を走った。みんな派手に暴れたのだ。あちこちに肉片や瓦礫が散らかり、煙が昇っていた。
「―――はあ、はあ…」
いるはずもない金色の服を着た女の子を探し回った。あれは藍那に見え、また氷雨の口にしていた女の子のような気もしたし、秋田にも見えた。また、 にも見えた。エヴリバディ(誰でもある)だけど、ノーバディ(誰でもない)だった。
アバターが現れてからなにかがおかしい。
現実感がないのだ。
まるでここは夢の世界のようだ。今までのことも、大雑把な事件なら思い出せるけれど、細かいこと、食事のメニューなどは覚えていない。整合性の合わないことも多い。
泣きそうになった。
泣いていた。
―――@@@。
弱音は吐かないと決めていた。なのに藍那と一緒にいた時の幸せを思い出すと、涙が零れた。駄目だ、冷静さを欠いでいる。
金の服を着た女の子は見つからない。そもそもそんな女の子はいなかったのかもしれない。何処から走ってきたのかも忘れた。
さっきまで休んでいた車はもう見えない。ひなたはその場に座り、泣きじゃくった。
「助けて…」
この世界は地獄だった。誰も手を差し伸べてくれない。だから勝って勝って勝ち抜かなくてはいけない。無力な自分では難しいからこそ、アバターを望んだのだ。
「――っ―――っ―――」
ただ悲しかった。たくさん泣いた。
「ひなた…?」
泣いていると後ろから誰かに声を掛けられた。
「う…?」
そこにいたのは秋田だった。ひなたは自分が泣いていたことを思い出し、すぐに袖で涙を拭った。
「あ、秋田さん…? どうしたの…」
「ひなたが助けを求めたので参りました。大丈夫ですか」
「…あ、ありがと…」
秋田は機械的にひなたの心配をしてくれたのだ。アバターとはなんだろう。ロボットとは違うのか。この性格も思考も全て造られたものなのではないのか。すぐにでもデータの改ざんができてしまうのではないのか。
現実感がない。
今あることも全部夢なのではないか。目を覚ませば、またあの幸せな時間に戻っているのではないのか。これは非道い悪夢に違いない。涙が再び頬を伝った。
「―――?」
秋田は優しくひなたを抱き締めてくれた。暖かく、柔らかい。そして大地の匂いがした。藍那を思い出させた。 のことを思い出した。
「な、なに…?」
「作り物であるアバターの私には、ひなたの苦しみは正確には分かりません」
作り物。それはさっきひなたが考えていたことだ。ひなたの心象から生まれた秋田にはその思考が分かるのだろう。申し訳ない気持ちになった。
秋田はぎゅっと抱き締めてくれた。
現実感はまだ帰ってこない。だけど不愉快ではなかった。昼間、町のニンゲンを虐殺した秋田を思い出した。アレを見て、ひなたはマルデジブンノヨウだと思ったのだ。
「ボク、まだ秋田さんのことよく知らないや」
「なにか知りたいことがありますか?」
「…アバターってなに?」
「アバターとは…」
――プレイヤーの心象を化身とし、降臨させたものです。プレイヤーの望むようにカスタマイズができ、感情を表現するツールであ@@@。
「うああっ…」
「ひなた?」
頭が締め付けられる。
いつかの『思考の戦争』の時で使った『ギザギザ』が脳髄を攻撃している。
「大丈夫ですか、ひなた」
「んああっ…?」
「ひなたっ?」
藍那と似た秋田。藍那に優しくされる。それはひなたの望んだ夢のはずなのに、自身はそれを許可していない。何故なら『ある女の子(@@@)』のことが頭に過ぎり、今更藍那に恋心を持つことは、その女の子への裏切りになる。
藍那を好きなのに、好きでいられない。この矛盾が、ひなたの心象である秋田の行動をおかしくさせている。それが秋田の歪みだ。
「痛い…痛い……わけがわかんないよ…苦しい…死にたい…」
「ひなた…」
秋田はただ抱き締めるだけだった。ひなたには明確な望みがない。藍那と幸せになることも、完全に破壊することも、どちらも望めていない。だからこそ、秋田はどうしていいのか分からないのだ。プレイヤーの感情を表現するはずのアバターが歪んでいる。
「秋田さん。ボク、最悪だ。世界に望みなんかなにもない。秋田さんに嘘ついてた。本当はボクに欲しいものなんかなにもない。ただ、幸せになりたかった。だけど、もうどうすることもできない。幸せなやつらが憎いんだ…」
「私も憎いです。幸せなニンゲン全てが」
秋田はひなたを抱き締めながら、後ろ髪を撫でてくれた。矛盾した存在の秋田だけど、ひなたのことを誰よりも分かってくれている。
「私では力不足かもしれません。しかし、誓います。私は可能な限り、ひなたを幸せに導くと」
「ボクのアバターだから?」
分かっている。秋田はひなたをよく思ってくれている。親愛の情を持ってくれている。ただ、それすらも本物かどうかはひなたには分からなかった。しかし、ニンゲンの感情ですら偽者はあるし、ひなたのように整合性の取れていない感情もあれば、藍那のように、テンシノヨウニヤサシイ者もいる。だからアクマノヨウニヤサシイ秋田も実にニンゲンらしいと思ったのだ。
「ひなたって可愛いですね」
「お、男に可愛いとかいわないでっ…」
秋田はくすりと笑った。
とても暖かい笑みだった。
「――」
「へ?」
ひなたは秋田に両肩を掴まれ、地面へ押し倒された。
背中に感じる土の感触、両肩に加わる秋田の体重、目の前に迫る秋田の顔。押し倒され、ひなたは胸が切なくなった。
「な、なに?」
「ストレスが溜まっておられるようですね」
「ん。うん…」
「気晴らしに少しイジめて差し上げましょうか?」
清楚な秋田はにこりと笑った。初めて見る意地悪な笑い方だった。
「え…? い、いじめ…?」
抵抗しようにもひなたを押さえつける秋田の力は、ニンゲンに抗えるものではなかった。
「…ひなた、お尻が好きなのでしょう?」
「ふえ…。そ、それはするほうが好きなだけだからっ…」
秋田はまた意地悪そうに笑った。
「では一度されてみますか?」
「や、やだっ…」
「やっぱり可愛い」
「…んぁ……!」
――秋田にぐっと性器を鷲掴みにされた。
大事な所を手掴みされ、ひなたは全身の筋肉を萎縮させてしまった。ひなたは秋田に恐れを抱いた。もし、秋田が少しでも力を入れたらきっと悶絶してしまう。
「――――」
「ひなた?」
「…ぅ?」
「もしかして怖いですか?」
ひなたは首を横に振った。怖がっているなどと思われたくなかった。
「んっ……」
秋田がごそごそとひなたの股間を弄った。ごしごしとズボンの上から性器を擦られる。
「ん……」
性器がムズ痒くなり、ひなたはぞくっと震えてしまった。
むずむずとした性器を秋田に上下に擦られると、まるで痒かった部分が掻かれたように痺れ、気持ち良かった。
「――――ぁ」
性器の『棒』をいくら掻かれても、『むずむず』は治まらなかった。熱くはない。暖かかった。股間がぽかぽかと熱を持ち、痺れ、意識が溶け始め、まるで寝小便をするかのように射精感が込み上げてきた。
「―――」
秋田はひなたの顔をじっと見て、股間を擦っていた。
秋田は真剣だった。何処かで見たことがある顔。思い出したくなかった。そんなことをぼうっと考えている間にも、性器の棒の『むずむず』は限界にまで高まってきた。
この『むずむず』を、もっと強い刺激で掻いて欲しかった。そうしたら、きっと果てる。昇天したかった。
「ひなた?」
「…ぅ……?」
「このまま逝かせてしまっていいのですか?」
「…え?」
秋田は悪戯っぽく微笑んだ。ひなたは秋田を見るのが恥ずかしかった。優しく、ひなたをイジめる秋田の顔が意地悪だったから。
「今なら一つだけ。ひなたがして欲しいこと、なんでもしてあげます。このまま逝かされるよりも、もっとされたいことあるでしょう?」
「え…? えええ?」
「お尻、とか?」
秋田はくすっと笑い、ひなたの胸は射抜かれた。
誰かにお尻を弄られる。ずっとヒトのお尻を触っていたけれど、本当は少しだけ自分も同じことがされたかった。
それも嘘。仕返しされて同じことがされたいから、ヒトのお尻に悪戯をしていた。だけど、そんなこと「して欲しい」なんて、恥ずかしくてとても言えない。
「言わなければなにもできないですよ? ああ、言う前に逝っちゃったらなんでも言うこと聞くというのは無しですからね」
にこにこと笑う秋田はひなたの性器を擦る。だんだんと秋田の手が早くなり、ひなたは思わず腰を上げてしまった。
なんでも言うことを聞いてくれる。それでも口に出して言うのが恥ずかしかった。
「じゃあ、時間切れです。逝かせちゃいますか」
「あ…! ま…」
「ん?」
「ま、待って…」
秋田は待ってましたとばかりに顔を明るくした。嬉しそうだった。いつものように大人びていない。完全に悪戯好きな女の子の顔だった。
「どうして欲しいですか?」
「お、お尻、された……ん…!」
秋田にお尻の両山を揉みくだされた。
散々、性器を弄られていてもう射精寸前だった。そんな時に、お尻の山をぐにゃぐにゃと揉まれ、ひなたは胸がきゅっと切なくなった。お尻に変なことをされるのはこれが始めてだった。
だけど、もっとされたいことがあった。山じゃなくて、違うところを弄って欲しかった。
「ね、ねえ。秋田さん」
「はい?」
「うー…」
だけど、『穴を触って』とは、口が裂けても言えなかった。ひなたは股間とお尻の温かさと羞恥で上気し、顔が真っ赤になってしまった。
「どうして欲しいか言わないと、私はなにもできないです」
秋田は嬉しそうだった。絶対にひなたが自分から口に出して言うまで、穴は触ってくれない。そんな気がした。なのに。
「…あっ?」
びりっ! と、お尻の穴から脳天まで電気が走り、一瞬にして全身から体温が奪われた。
――初めての感触。初めてヒトにお尻の穴を弄られた。
いきなり指を押し込まれ、まるでお尻の穴から脳天まで細い杭を差し込まれたような感じた。秋田の指がひなたのズボンをお尻に押し込んだのだ。押し込まれた瞬間、ぞくりとし、冷や汗が噴き出した。
(う、うそ…さ、さわられた…ズボンの上からだけど、さ、さわられたっっ……)
まだお尻の穴はじんじんと痺れていた。秋田の指の感触が残っていた。
「んんっ……」
秋田はその後、お尻の穴を弄ってくれることはなかった。
初めてお尻の穴に悪戯された。お尻から背筋を通って電気が走ったような感じがしたが、あんなに敏感に刺激を受けるとは思わなかった。
「――――――」
一度、この感触を受けると、もっとされてみたくなった。
「あ。あの…」
「はい?」
「〜〜〜〜っっ」
胸に詰まった言葉が出ない。氷雨達にしたあの悪戯がされたい。
「されたいこと、あるのでしょう?」
「うー………………………うん…」
意地悪な秋田についにひなたは屈服してしまった。
「じゃあ言ってください」
「あ、あの…」
口にするのも恥ずかしい言葉だった。しかも、それを「して」というのだから尚更だった。昔、藍那や氷雨にした悪戯。
「…お。おしり、指でつく悪戯……あ、あれ、されたい……されたことないから、ど、どんなのかなー、って…」
「?」
秋田は首を傾げている。
(嘘だぁー…。絶対になんのことか分かってる…。分かってて、わざと分かんないふりをしてるんだー……んっっ…!)
背筋がぞくっとした。さっき、お尻の穴に指を押し込まれた感触を思い出したのだ。
「あ、あの…誰にも言わないでね…?」
「……言えるわけありません…」
「え、えっと…」
「はい」
「か、かんちょー、されたい……。ちょっと、きつめで……」
口に『かんちょー』という言葉を出し、ひなたは自分で恥ずかしくなってしまった。そんなことされたい、と言わされてしまった。
「よく言えました。では……」
「……っ」
つんっと、秋田の指がひなたのお尻の穴に触れた。一瞬、ぞくっとしてしまったけれど、それだけだった。触れただけ。
「え…?」
秋田の顔を見返してしまった。秋田は鼻歌を鳴らしているだけだった。
「あ、あの……っ」
「?」
秋田は分かっていてとぼけている。
もっと強くして欲しい。そう言うことも、また恥ずかしかった。でも、気持ちよくなりたかった。お尻に強いのをされたかった。
「も、もすこし強いのされたい…」
「変態…」
「……っ」
胸にぐさっと刺さった。低俗な性癖を秋田に哂われたようで怖かった。秋田に蔑まれたくなかった。
「これくらいですか?」
「……っ」
やっぱり、緩かった。お尻の穴がつんっと指で突かれただけだった。
あんな恥ずかしいこと言わされたのに、して欲しかったこともしてもらえず、ひなたは半泣きになってきた。
「やだ…もうやだ……お、おしり、つよいのして…もっと…」
半泣きどころではなかった。プライドを秋田に踏み潰されて、涙がぽろぽろと出てきた。悔しくもないのに、悲しくもないのに、こんなことで涙が流れたのは初めてだった。
ただ、秋田にイジめられたかった。
「逝っちゃうくらいの、されたい……のに……」
「―――」
秋田はまた、ひなたの性器をごしごしと擦り始めた。股間が痺れる。暖かくなって、このままでも射精してしまいそうになった。もし、今、これをされながらお尻に悪戯をされたら、きっと昇天する。
「ひなた? 逝く瞬間と、直前と、直後。いつされたいですか? お尻」
「え…?」
「一回だけ。強いのやってあげますね」
「んっ…」
逝きながら、お尻に悪戯されたかった。
「い、逝く瞬間がいぃ……」
「変態」
「んっ…ひ、ひどいよ、それー…」
「ま、そろそろ終わらせましょうか」
秋田の手の動きが早くなる。
「んっ……」
全身に熱が走った気がした。股間から広がる快感に、ひなたは思わず腰を浮かしてしまった。
「あ…」
性器の痺れが気持ち良かった。身体の芯がじんじんと熱くなり、このまま尿意に近い魂を吐き出してしまいそうになった。
「んっ……あ、い、いっちゃい…そう……」
「ひなた?」
「え、な、なに?」
「お願いしてみてくださいな」
「うー…。い、いかせて…?」
秋田はにこっと笑うと、ひなたの性器を擦る速度を上げた。
「あ…ああっっ…」
出る。射精する。
堪らず、また腰を浮かしてしまった。その瞬間。
「はうっっ?」
『ズシン!』と激しい衝撃がお尻から脳天まで走り抜けた。
「あ、ああっ…?」
―――カンチョーされた。
お尻がじんじんと痺れる。カンチョーされた指を更にぐっと押し込まれた。
「んんっっ?」
性器の『裏』がムズ痒くなり、熱くなり、お尻の穴から押し上げられた指によって、まるでところてんのように、ひなたは精液を発した。
「あぅぅ…」
秋田はいつまでも指を抜いてくれない。
ぐりぐりとひなたのお尻の穴に指を押し込んでいた。
「〜〜〜〜っっ」
ひなたは余りの恥ずかしさに秋田の顔を見ることができなかった。同い年の女の子にあんなことされた。恥ずかしくて、耳まで真っ赤になって顔を上げられない。
だけど、ぞくぞくともした。胸が切なくて、息が苦しい。
「ひなた、どうしたんですか?」
秋田が悪戯っぽい表情でひなたの顔を覗き込んでくる。更に胸が締め付けられた。
「顔が紅いですね。恥ずかしかったですか?」
「当たり前じゃん…」
「―――ひなた」
顎に手を当てられ、ひなたは顔を上げさせられた。
上を見て初めて気づいた。世界は広かったっていうことに。
ずっと地面ばかり見ていた。この地獄絵図のような群馬でも、夜空は星が煌めき、輝いていた。
「少しはすっきりとしましたか?」
「…うん」
「よかった」
秋田は本当に嬉しそうに笑ってくれた。ひなたのために笑ってくれた。
「あ、ありがと…」
「どういたしまして」
「で、でももうあんなのやだよっ…。は、恥ずかしいしっ…」
「もっとしてほしいって言われたのはどなたでしたか」
「うー…」
ひなたの髪をくしゃくしゃと撫でながら秋田は優しく言ってくれた。
「興が乗ればまたやって差し上げます。今は皆の所へ帰りましょう」
「うん…」
優しい秋田。ヒトを殺す憎悪の化身の秋田。 のような秋田。矛盾した秋田。そう、それは先ほど見たノーバディーの女の子のようでもあった。
「あ。おかえり、ひなた君? 秋田ちゃんも一緒だったんだ」
車に戻ると氷雨が迎えてくれた。まるで我が家を思わせる車だった。レイチェルも中で待機していた。純白もいる。
「遅くなってごめんなさい」
ひなたの後ろにいる秋田を見て、氷雨は震えた。そんな気がした。
「ひなたさん。今から次の計画をみんなで練るのだけど、お時間よろしいですか?」
「あ、はい。大丈夫」
銅の剣を手に入れた。(また銅の剣が手に入った? ってるのかな。 ってのはいくつかあるけれど、同じ状況を再現すれば、この も再現できるかもしれない。もしも銅の剣をここで無限に入手できたら質量保存の法則に反して宇宙が壊れる?)
ワゴン車に乗り込む。ニンゲン一人分の体重が加わり、車は僅かに揺れた。
「さて、今日は皆様お疲れ様でした。アバターの皆様もご苦労様でした」
レイチェルはそう言い、アバターを含めた全員に弁当箱を渡した。中身はレイチェル手製の夕食だ。純白を見ると昨日ほど可笑しな言動を取ってはいなかった。大人しく弁当を食べている。
ひなたも弁当の中身を箸で摘んだ。濃い目の味付けは、冷めていても美味しく食べられるよう考えられたものだ。甘い玉子焼きを食べていると、頬が落ちそうになった。
「レイチェルさん、料理上手なんだね」
ひなたが素直に褒めるとレイチェルはにこりと微笑んだ。喜んでいるようだ。
「氷雨さんから聞きましたが、ひなたさんもお料理がお上手だとか」
「ん、そんなことないよ…?」
「ひなた君のごはんおいしいよ。明日はひなた君が当番ね」
「えええ。無理だよ。最近サボってたからみんなを満足させれるようなのは無理だって…」
「はい、けってーい」
決定らしい。
食事をしながら今後の方針を決めた。おそらくすぐにでもここには軍隊がやってくる。アバターの存在が知れてしまった。次に来る敵を倒し、倒し、戦い抜き、世界を手に入れる。そのための作戦をレイチェルは色々と提示していた。難しい話はひなたにはよく分からなかった。
食事も終わりひなたは座席を後部に倒し寝転がった。車内は暖かく、段々と眠くなってくる。氷雨とレイチェルはもう眠っていた。純白はいなかった。
ひなたは窓の外を見た。
純白は車の外で風に当たっていた。
なんとなく声を掛けてみようと思い、ひなたは氷雨達を起こさないよう気をつけながら車から降りた。
「――っ」
冬の風が冷たかった。
純白はなにをしているのだろうと思い興味を引かれて近寄ったのだが、純白はなにもしていなかった。遠くを見ていた。この地獄のような群馬の地の光景は見ていなかった。
「なんだ、お前かよ」
「……」
この不躾な言葉にも随分と慣れた。今まで生きてきてたくさん苦しいことはあった。他人の言葉程度で痛みや不快を覚えることももうない。
「ほら」
純白はひなたに五百円玉を差し出した。
「え?」
「気が利かないな。飲み物をかってこいよ」
「じゃあ、待ってて」
ひなたは金を受け取り、廃墟となった町中から自販機を探した。自販機よりも先にコンビニ跡が見つかった。ひなたはそこから飲み物を二つ失敬した。貰った五百円玉も失敬した。
「ただいま。はい」
「茶かよ。ホントに気が利かないな」
「お茶のほうが身体にいいんだよ」
「ふん」
純白はひなたから缶を受け取り、文句を言いながらも飲み干した。
「で、なんか用?」
「え?」
「僕は男と長話する趣味はないんだ」
そう言われてもひなたも特にする話もない。やはりこの男と話をするのはストレスが溜まりそうだと思った。
「なにをしているのかなって」
「お前には関係ないだろ。なに、お前僕の保護者なわけ?」
吐き捨てるように言う純白に、ひなたは顔を顰めた。
純白はなにも答えない。
ひなたのことも仲間として認めていない。ただ、それはひなたが男だから拒絶しているのではなく、純白はニンゲン全てを信用していない気がした。ひなたには氷雨という友人がいるが、この男は女の子に人気はあっても、親友と呼べるニンゲンは誰もいなかったのではないか。そんな気がした。
純白は単純なクズではなく、複雑なクズだと思った。
「――見張りをしてたんだよ」
「え?」
「見張りだよ。お前らの神経が分からないね。僕達は世界を敵に回しているんだぞ。いつ敵が来るか分からないじゃないか」
ひなたは夜空を眺めた。いま外界には群馬の様子はどのように報道されているのか。戦闘機が攻めてくることもあるのだろうか。色々と予測はできたが、知識の足りないひなたでは分からないことが多かった。そういうことはレイチェルが詳しそうだった。
「ジュンパクキングキャッスルを建てたいの?」
「冗談を真に受けるなよ、馬鹿」
会話が続かない。より気まずくなった。
「…そんな喋り方してたら友達できないよ」
「―――っ」
突然、純白に胸倉を掴み上げられた。
「ガキのくせに生意気言ってんじゃねえよっ! お前は僕のなにを知ってるっていうんだ! 友達の数とか知っているのか! 取り消せよ!」
「い、いちいちそれくらいでかっかとしないでよ…」
「ちっ…」
諭され、純白は手を離した。
「なんでそんなに怒りっぽいのさ」
「お前には関係ないだろ」
「まあ、そうだけどね」
やはりこの男とは話はできない。そう思い、ひなたは純白に背を向けワゴンへ戻ることにした。
――――。
誰かが背後にいる。純白ではない。恐怖は感じなかった。振り返ると、そこにいたのは小さな少女だった。アバターのエルリだ。
この女の子からは精液の臭いがする。ひなたは顔を顰めた。多分これは純白の臭いだ。
非道い目に合わされているのだろう。己も褒められたニンゲンではないが、慕ってくれるアバターを乱雑に扱う純白にはやはり嫌悪を覚えることもあった。
「どうしたの?」
「彼のこと…嫌わないでください…」
「嫌ってないよ」
嘘だ。嫌っている。ただ、エルリという女の子の前で否定の意見を口にはしたくなかった。
昔、なにかの本で読んだことがあった。好感の持たれる話し方。
仮に許容できない言葉であっても、頭ごなしに否定されれば誰だって腹が立つ。まずは相手の言い分をよく聞く。その上でどうしても許容できない話に関しては、自分の主張を押し通すのではなく、『それもいいけど、こういうのはどうだろうか』と提案する。
「純白さんがボクを嫌いじゃないなら、ボクも大丈夫だよ」
「…ありがとうございます」
エルリは恭しく頭を下げた。
哀れだ。
見ているだけでエルリの存在は涙さえ誘った。同じアバターでありながら、秋田やノワールとは扱われ方がまるで違う。それほど情があるわけでもないのに可哀想だと思った。
「――――」
勝手なものだ。
ニュースで誰かが通り魔に殺されたとか、ストーカーに殺されたとか、そういう事件を聞く度にひなたは胸がすっとしていた。
だけど、動物が虐待されて殺されたとか、虐めを苦に自殺したとか、『自分より弱い生き物』が死ぬことには、ちっぽけな正義感が怒りを覚えていた。
エルリの状態を気の毒だと思った。同情している。
「……どうかされましたか?」
「なんでもない」
「…では、彼のことは宜しくお願いします」
そう言いエルリは消えた。
ひなたも消えたかった。世界の中に居場所がないと感じたことは少なくなかった。